あらすじ
現代の生きづらさを語り合った4年間の記録
オードリーの若林正恭さんがもっとも話したい相手は、哲学者の國分功一郎さんだった。
「目的と手段」の社会は終わりつつある?
資本主義の魔物に、どう立ち向かえばいい?
現代で「快適」を求めるには、勇気が必要?
二人が語り合った、現代への違和感のすべて。
【目次】
まえがき──どういうわけだか分からないが人間的な精神の仕組みに抗うことになってしまい…… 國分功一郎
1 真犯人を捜して生きている
2 目的もなく遊び続けろ
3 ビッグモーター化する世界の中で
4 やっとみんな疲れてきた
5 ネオリベの帳を越えて
あとがき 若林正恭
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
何となく、同じ実感を抱えているというか、他の本でも読んだような議論を実感に即して議論してくれている。
感想としては、ここで述べられている議論を、自分の考えの整理と合わせて、他で読んだ本を引き合いに出して深めてみたいと思う。引用とかが正確ではないのは悪しからず。
〇社会の個人化について
<中間団体がなくなり、「その代わり責任は全部あなたが取ってください」>
<婚活アプリは恋愛の自由市場が完璧に定着したところに登場した新しい株式市場。40前後の医者がその歳まで独身なのも、規制がゼロだから。昔だったら結婚させられてた可能性が高い→恋愛に限らず、人類史においては、規制が大きな役割を果たしてきた。近代は自由を求めてそれらを次々に廃止してきた。その結果、あらゆる場面を自由市場が覆い尽くすようになり、単に競争が激化した社会になってしまった。でも規制があった頃に戻るのもきつい。>
これはパトリック・J・デニーンが『リベラリズムはなぜ失敗したのか』で述べている通りだと思う。「リベラリズム(=個人主義)」が蔓延した⇒モラル・道徳をぶち壊し、その結果現れた問題を、国家の法で抑制するように頼る。⇒政府の権力は増す。社会に蓄積された道徳的な資源が失われる。
個人化は規範をぶち壊す。それで得られたものもあるけど、やっぱりしんどい社会なんだよな、と。じゃあ、規範を戻せばいいのか?と言われるとそれも違う。
〇疲れる労働
<同じことを反復する仕事は確かに退屈だったかもしれないけど、今は精神をすり減らすほどのフレキシビリティが労働者に求められている。>
<自己啓発本が売れなくなってきている。バーンアウトやウェルビーイングが増えてきた。> そもそも、資本主義社会においては、常に成長が求められてきている。だから疲れるんだよね。これは、ビンチョル・ハンの『疲労社会』で述べられているとおりだと思う。資本主義社会では、効率を上げることが最大の目的。この社会の住人たちは、「従順な主体」ではなく能力の主体である。してはならない、すべきの社会ではなく、できる、の社会である。能力社会が生み出すものは、できないものとしてのうつ病患者と無能な人間。
あるいは、山田陽子の『働く人のための感情資本論』で述べられている議論も引き合いに出したい。職場では感情は資本とされ、その感情管理を行うことで、「有能」とみなされる。これはそのまま引用するが、「感情資本主義社会では感情コントロールが自己感覚や能力感の中心に位置するとみなされるゆえ、自らの感情をコントロールすること、他者の感情について共感的に理解しつつ、それに巻き込まれない態度を習得することが精神的にも社会的にも強きもの、社会的優越の証とみなされる。自分の感情であろうと他者の感情であろうと、感情をきめ細やかに感じたりする一方で決してそれに没入せず、一歩引いた態度でコントロールすること、手続きに則って発話することが他者と状況を操作することにつながり、ひいては他者と状況を支配する権力になりうる。そしてこのような能力や権力を持っているか否かが出世や昇進、富や人脈の拡大、社会階層の異動に大きく影響するという意味で、感情は「資本」たりうる。」
要するにこの社会では、「能力があること」が至上とされ、そのためには「感情」すらも資本として扱わなければならない社会。そんな社会じゃ疲れてしまう、というのは当然のこと。
この本の中で<やっとみんな疲れてきた>と言っているけど、同じく『疲労社会』では、「そのような状態から解放させるための「疲労」こそが人々を連帯させ」ると述べてられている。やっとみんな疲れてきた社会を実感しているのは、その連帯の端緒なのかもしれない。
〇暇な時間がない
<目的を持たないものは、確かに今の社会では強烈に排除されている。>
<目的も手段も持たない快を享受する勇気を。>
公園で投網をする「変態」のように、何の意味も持たない時間を持つ贅沢さを持つ勇気を持つことの贅沢さ。
ボードリヤールの『消費社会の神話と構造』の議論のとおり、現代社会の余暇は、生産のサイクルの中の「気晴らし」の時間にしか過ぎない。日々の労働で疲れた体を養うための休みは、もはや休みではなく、労働。もはや余暇は生産の時間。時間をつぶしたり、純粋に浪費することは我々にはできない。「貨幣と時間の排泄物となったのもむしろ我々の方なのである。」
〇資本主義社会・消費社会への批判
<消費社会は、これまでと比べ物にならないほど、僕らの感性を徹底的に規定していると思う。>
<今の経済システムって、人を焦らせたり、恐怖させたり、心配させたりすることで動くようになってますよね。>
<「なんでこんなに大騒ぎしてお金儲けしてるんですか?」というすごくシンプルだけど極めて重要な問いが考えられていない気がする。>
<資本主義が極まっていくと、資本主義というシステムを外から見ること自体もできなくなる気がする。>
<資本主義は仕組みでしかないから、止められない。法律を作るとか、人為的に止めるしかない。>
これは、佐伯啓思の『貨幣と欲望』でも議論されている。資本主義は本質的に不安定である。資本主義の拡大はなぜ止まらないのか。その原因は貨幣にある。貨幣はあらゆるものの価値を代替する。それを求めて、教義も信念もない「資本主義」が現代社会を支配している。そもそも資本主義社会は、いかにして資源を確保して生産を高めるかではなく、いかにして総消費量を増加させ雇用を確保するかが主眼となる。「資本主義の「精神」とは、自己を喪失した人間が、その不安から逃れるためにひたすら前のめりになりながら、何かを求めて走り続けているようなもの。資本主義は本質的に「不安定」なのである。」
そして、そうした資本主義が止められないと思うのは、マーク・フィッシャーの『資本主義リアリズム』で述べられているとおりだ。「資本主義の終わりより世界の終わりを想像する方がたやすい」「ネオリベラルな資本主義が唯一の持続可能な政治経済システムであると了解し、その地平の彼方を求める、いや、想像することさえもが不可能になってしまった、つまるところは「この道しかない」ということが謎の常識と化してしまった世界。」ただ「「当たり前」とされているものを「誰もが勝手に変えられるもの」と変えていける政治的な行為主体が必要だ。」
もはや、資本主義は、法律とかそういったものでしか止められないのかもしれない。
<資本主義という宗教。東京だから?日本だからうまく行っている?駆り立てられるような感覚>
これは気づかなかった。ずっと東京にいるし、海外旅行もしたこともない。ちょっと都会から離れて暮らしてみれば、そう感じるのかな。
〇格差の固定化
<老人になると、「主観と客観の対立」が消滅する。しかし、今の若い世代は、格差を固定化されたものとしてみなしている。「現状を変えよう、それを乗り越えよう」という理想の気持ちを若者が持つのを社内の側が全力で阻止しようとしている。雇用はこれ以上ないほど流動化しているのに、階級は強烈に固定されている。和解に向けてのストーリーそのものが難しくなっている。そもそも対立も起こらない?>
<「格差があるのがあたりまえでしょ」という時代にそれに抗ったら苦しい。だから物分かりがいい。でも、平等を求めてもいいと思う。>
格差が固定化することによる諦めみたいなものがあるのは、実感する。みんな「中間層」になっているからかもしれない。石井洋二郎『ブルデュー『ディスタンクシオン』講義』でも中間層について議論されている。
中間層は「遊び」がない。支配階級は余裕があり、ハッタリやペテンもつきものであることを許容し、本気になり過ぎない。中間層は無知が暴露されることを恐れ、不安に思い続ける。結果彼らは日々の行動においても、順応主義、厳格主義、禁欲主義となる。その端的な表れが子供の数。支配階級は二人以上。中間階級は一人台。庶民階級は二人以上。支配階級への上昇可能性を持った集団に属してはいるものの、まだ上昇を保証されたわけではないために、「自己への確信」を抱けない人々が、「今ある姿とあるべき姿との一致」を目指して自らに厳しい義務を課し、子供の数も控えめにして出費を切り詰め、来るべき将来のために現在の欲望を抑制する。
〇インターネットについて。
<Twitterやインターネットは素直に意見を述べる場所じゃない。夜道みたいな場所で夜道は一人では歩かないでしょ→デジタルネイティブが身につけてきた適応の術。>
<若い人に「とにかく飲み会をやって、ひとの悪口たくさん言った方がいいよ」って言ってます。「そうじゃないとネットで書きたくなるだろ」>
これは朱喜哲『公正(フェアネス)を乗り越える』の議論を想起させた。
「重要なのが、「公と私」の区別。私的空間は「英国紳士のメンバー制クラブ」。公的空間は「中東のバザール」。バザールでは市場として、さまざまな人が集まり、取引をする。そこでは利害が駆け引きされ、商談という共同行為に臨む。居心地が悪い時もある。しかし、クラブに戻れば、気心知れた間柄で深いコミュニケーションがなされる。そこではバザールの愚痴もあるかもしれない。サイバー空間は、公と私の線引きの合意が難しい。ソーシャルメディアのトラブルは、公私の位置付けの齟齬によるのではないか?」
飲み会が「クラブ」だとしたら、インターネットは「バザール」。その使い分けをしないと、公共空間である「バザール」は無秩序なものになりうる。
〇だからそんなこと言えるんだろう。
<脱成長とか、資本主義批判してるけど、それはお前が資本主義の勝者だからだろと批判される。それはそう、反論すると泥試合になるからそれはもう、金持ってるからとしか言えない。→斎藤幸平さんも同じ批判を受けている→でもそう批判を受けるのは嫌、若い時から自分は、コインシャワー使ってバイクで気持ちいい風を浴びていた時から、消費社会が喧伝する快と実感の快の差異を考えていた。>
これは引用とかじゃなく、実感として思う。正直、受験・就活と、周りが同じ「競争」の社会にいると、そこを乗り越えないと「食えない」となってしまう状況だと、資本主義社会に批判する余裕しかない。いま、社会人になって、やっと落ち着いてきたから共感できているのだだけど、これで職を失ったりしたら、そんなことも言えなくなるのも事実だし。
〇春日
<春日、コスパタイパの男で、資本主義の権化のように見えるが、実はそれ自体が快?資本主義が終わっても、スローライフの社会が訪れても、新幹線の発車ベルが鳴るギリギリまで雑誌を読んでいるだろう。>
ここは、流石としか言いようがない。
Posted by ブクログ
目的と手段で溢れる現代、暇の枯渇は思考の枯渇。
数値化だとか言語化だとか、細かいところを切り捨てて目的のために必要なことだけクローズアップしがちな現代に、言葉にならない違和感を感じ始めていたところに、颯爽と現れた…と感じた一冊だった。
でも同時に、年齢や立場が自分にそう思わせていて、今の時代と必死に取っ組み合っている層と自分とが離れ始めているのでは…みたいな、怖さも感じた。自分が感じている違和感って、どのくらい浸透しているのだろう。
これからの読書や自分の思考の入り口になる本だった。ここから自分も、帳の向こうを見て考えていくんだ…という、言い知れぬワクワク感のある本。
Posted by ブクログ
現代は暇にさせない、暇にさせないから考えられない。SNSの誹謗中傷も妬み嫉妬。
暇と退屈の倫理学も持ってるから読もう。
オードリー若林さんが地頭が良いのがよく分かる
Posted by ブクログ
よかった。大好きな2人。ただ、多分知りすぎていて新たな発見というよりは、そうだよね、と再確認できた感じ。
承認欲求と所属の関係とか、あとは自己研究にはときどき発表会が必要。これがそうだよね!となった。
私はずっとクヨクヨ悩んでいることを定期的に人に話さないと、道が逸れる。話すだけでは変わらないけど、それでも話す。それが大切。
Posted by ブクログ
まず、國分先生のこの議論についていける若林が凄いなと思った。と同時に、彼がこれまでグルグルと考えてきたことを解決してくれるのは「哲学」なんだ!と分かった瞬間、なんだか嬉しくなった。フラストレーションの塊のようなエッセイたちが、ただの感情論ではなくて、哲学的な発想に基づくものだったとは。そのことにいち早く気づき、國分先生との対談企画を思いついた、『文藝界』の編集者、浅井茉莉子さんは本当に凄い。
國分先生の本はこれまで書店で見ても小難しそうだと思ってスルーしてきたけれど、日常の中にあるモヤを言語化してくれるのが哲学だと分かり、一気に興味が湧いてきた。今度書店を訪れた際には國分先生の著書を手に取ってみようと思う。そして、2人と一緒に、この東京を覆う帳の向こうを覗いてみたい。
Posted by ブクログ
競争社会から意図的に半分くらい勇気を持って降りてみて、夕日を眺めて風を感じる。自然に対して純粋に感動する心を取り戻すこと。
三宅かほの仕事始めると本が読めなくなる。も同じ論調。拡大、成長から半歩降りて、余白を作ること。朝井リョウの生殖記も同じような論旨で、成長から降りてみよ、同調圧力大変だけど。
私も、私自身の哲学を、作るためにたくさん本をよんでいる。
若林正恭は、完全に降りちゃうとそれはそれで暇を楽しめない、というのも、まあそうかなと思った。嫌なこと、仕事も数割は残っていた方が余白も楽しめるのかなと。
暇は大事で、時間は貴重なんだから。暇を持つべきだけど、暇を楽しむ能力がなければ楽しめないし、忙しい社会ではその能力を育めない。
Posted by ブクログ
p90/目的がない純粋な手段
p133/仕事を断る
p82の哲学を学ぶだけだと、自己肯定感が上がらない〜も印象深い
若林には、対照的に永遠に働ける春日をもっと探求していただきたい。
Posted by ブクログ
國分さんは大好きで何冊も読んでるけど、対談の中で著書で書かれていたようなことも出てくるのでおさらいにもなる。対談なので読みやすく、二人の考えがすっと入ってきて、読後、穏やかな気持ちになった。
暇は大事だし贅沢なんだな。ただ好きでいることとか。
同世代だから共感することもありそうで、これを若い子たちが読んでどう感じるのか知りたい。
Posted by ブクログ
哲学入門としてめちゃくちゃ良かったと感じる。学問としての哲学とは違うんだけど、日常のこと考えたりとか、自分の楽しさってなんだろなってのを言語化するのにちょうどよかった。国分さんのほかの本、難易度低めとは言われているが、やはり読むのは大変なんだよな、と。自分の快楽は目的ありきなんじゃないかと言うのが痛感。20代は意味なき快楽をとても嫌っていた。エンタメ読書もしないようにしてきた、が、ある時読むラノベが面白くてたまらなかった。そんな自分が許せなかった。しかしその感覚を変えられるかもしれない。とても良い本だった。新刊購入で1800円くらいなのを渋っていた私の背中を押してくれた妻、ありがとう。
Posted by ブクログ
ちょうど最近、ボーっとする時間が足りてないのか、頭がパンクしそうだなと感じていたタイミングで読んだ
暇と退屈の倫理学を読んでから日が経っていたが、やはり強く意識をしていないと何かに追われながら過ごすことに慣れたり、気づかない間に消耗してしまう
資本主義社会の外を意識して、自分なりに心穏やかに楽しめることをちゃんと自覚して、自分の意思で生きていきたいなと思った
自分に余裕がないなと感じた時に立ち返って何度も読みたい本
Posted by ブクログ
この1週間、スイスに行っていました。
富士山よりも高い山々が目の前に広がり、自然の壮大さを肌で感じる日々でした。
柵のない道を歩いていると、普段は意識することのない命の輪郭がはっきりするような感覚がありました。生きている実感を持てた旅でした。
そして、山を眺めながらただぼーっとしている時間が、とても心地よかった。
朝焼けを眺めながらコーヒーを飲む。何かをするわけでもなく、ただ景色を見る。
現地の人たちも、そんな時間をとても大切にしているように見えました。
振り返ると、私たちは目的のために手段を選ぶことに囚われすぎているのかもしれません。
効率的に、合理的に、無駄なく。そんな考えから少しだけ外れて、何の役にも立たないような時間を過ごす。この本からはその重要性が得られます。
合理的ではない時間こそ、あとから振り返ったときに大切だったと思えるのかもしれません。
#帳の向こう #若林正恭 #國分功一郎 #読書 #読書記録
Posted by ブクログ
面白かった!!
哲学と経済、現代社会、ビジネス、世代の移り変わり、時代の変化、流行、、、世の中を複合的に且つ多面的に語られていて、楽しみながらも勉強になった。
世の中のあれもこれも、例えば、ただ夕日を見ることや相方・春日さんの行動までもが、哲学や資本主義の話に結びついていく。
日々の生活で感じる雑多な疑問や違和感が、若林さんによって投げかけられて、國分さんによって学術的に解説・展開されていくのが、なんとも痛快だった。
目的と手段に侵食されない時間と場所、それが「楽しむこと」であり、いまではそれが「贅沢」になっている。
國分さんの著書「暇と退屈の倫理学」も気になった。
若林さんの二拠点生活の話も興味深かった。
私自身も 都市部と田舎両方の暮らしの経験があるので、都会と田舎での経済の違い、資本主義や価値観のズレ、コミュニティの一長一短がよくわかる。
何が良いでも悪いでもないし、正解はないけれど、世界は広いんだ、帳の向こうがあるんだと思うだけで、世の中の見え方も考え方の幅も違ってくる気がする。
対談形式なのでトーク番組のようなエンタメ感ありで、読みやすかった。
テレビでもラジオでも配信系でもいいから、番組として実際に対談している様子もぜひ見聞きしたいと思ってしまった。
また2人の対談の機会や続編があるといいな。
Posted by ブクログ
若林さんと國分先生の5回に渡る対談。コロナ前後から現在を跨いで、先生の哲学的興味関心の移ろいと、若林さんのいち文化人としての一貫性がぶつかって面白かったです。あと両者の根底にはこの社会への生きづらさが共通しているのがポイント。
タイトルにもある帳の向こうに人類が何を見いだせるのか分かりませんが、とりあえず僕は哲学とか音楽とか文学、あとコーヒーが好きですと声を大にして生きていきたいです。何度でも読み返したい一冊でした。
Posted by ブクログ
今年読んだ本の中で1番面白かった。
「勉強」というほど堅苦しくないけど、色んな気づき、学びがあった本。
若林さんの社会や経済に対する疑問や質問の仕方がとてつもなくわかりやすいし、國分さんの含蓄に富んだ返答も読み応え抜群でした。
こんな本が読みたかったんだよ…!と思った読後感でした。
本の中で紹介されていた作品や、関連本も読んでみる。
Posted by ブクログ
対談形式で話が進んでいくので、取り上げたテーマに視点を変えながら考えていけるため非常に読みやすい。
これから生きる術を見つける類の本ではないが、身の回りのことでも考えることは色々とあるんだな、と思えてくる。
何度か読んでみると違った面白さがあるかも。
Posted by ブクログ
資本主義の良くないところが噴出していると思う。
テクノロジーで生活が楽になったとしても、ずっと忙しい、余暇を冷笑するような、日常の心の豊かさが削れていくような、そんな寂しい現代の日本に一石を投じるような1冊だ。
哲学、といっても難しい用語や人名は出てくるが、考え方は割とシンプルだ。若林が抱く疑念や考え方に、哲学の用語をラベリングしているようで、昔からそういった話題はあったのだろう。
だが、今はあらゆる議題が複雑化しているし、何が正しいのか、そもそも正しさとは何なのか、その議題を表に出すのすらどうなのか、
と考える頭を持つところから始めなくてはならない。
コロナ禍や若林のライフステージの変化で、さらに深みが増したようだ。エッセイもいいけど、こんな哲学アプローチ本も非常に面白い。
Posted by ブクログ
今いちばん信用しているふたり。同年代だし(國分先生は同い年)。で、毎回若林の問いに淀みなく答える國分先生乗ったやり取りが心地良い。同年代としてステージは違うけど上からと下からと時代と社会と世間と向き合ってる悩み・疑問・ギャップはおんなじなんだなあって嬉しくある。いつかライブをやって欲しい。同年代だけの集まりで。
Posted by ブクログ
大学教授と芸人が語る、新自由主義、ネット社会、暇、幸福。
ビックリするほど深い話が多い。「新自由主義は中間団体を排除する」とか「暇な時間は大事」とか「現代の人は差別いけないとは思ってるけど、多様性を受け入れてる訳ではない」なんて話が面白い。
Posted by ブクログ
オードリー若林さんの著書はだいたい読んでいて、インタビュー形式でそこで語られていた内容が深掘りされたり分かりやすく再提示されたような感じだった。
目的があり、そのための手段という強烈な思想が蔓延っているし、そこに疲れや違和感を覚えることに激しく共感。全否定はしないけど、夕焼けをきれいだなーって眺めている(かつ、映えのような他者を意識したりしない、メタ認識もしない)ことがバランスとして絶対必要だし、自分の好きなことを見つめ直したいと思った。
ただ本書でも散々言われるように、暇がなくて、、暇を作ることを目的化して計画立ててやらないと自分時間ができないという矛盾があり、現実は厳しい。
Posted by ブクログ
・資本主義にせき立てられる人々
人間はどこまでいっても自分本位で、根源的には自分の「幸福」を求める。「幸福」を自分で定義するのは難しい。幸せとは、お金を得ること。そういうわかりやすい共通した基準に依って、自分の幸福を追求するのが最も楽なんじゃないかと感じた。
・勇気を持つには確信が必要。
確信を持つには、現代のシステム(手段と目的、競争、成果主義、資本主義)の帳の外に自分自身で考え、定めた絶対的な基準が必要なんだと理解した。
Posted by ブクログ
面白かった!付箋たくさん貼らさったよ!
哲学興味あったけどゴリゴリの新書手出すのに抵抗あったから、これは読みやすくて良かった!暇と退屈の倫理学も読みたいなと思いつつ、、。
Posted by ブクログ
若林:國分さんの『はじめてのスピノザ』には、体験を伴った真理について描かれていますよね。それを読んでこんなことを思ったんです。25歳くらいのときに、面白かったら玉を転がすという番組に出て、100人くらいいるのに3個しか転がってこなかったんですよ。おそらく最低記録でしょう。そこで僕の真理はバラバラに崩れたんです。何が言いたいかというと、若い時って体験が伴っていないからこその自信過剰ってあるじゃないですか。それと、スピノザの言う自己を変容するくらいの確実性というのは、似て非なるものなんですかね。
國分:うまくお答えできるか分からないんですけど、僕も若いころ、学会で発表してボロクソに言われる経験があって、そのとき、自分には確実だって本当に思えているのに、それが受け入れられないことに猛烈に悩んだことがありました。若林さんがいまお話ししてくれたことと似た経験かも知れない。
今もあまり変わらないかもしれませんけど、でも、以前よりは自分が信じ込んでいることを距離をとって見ることはできるようになったかなと思います。それはやはり体験を伴った真理を以前よりも手に入れたからかなと思うんです。若いときは、自信が先行しすぎて、体験していないのに体験した気になっていたようにも思えます。
若林:キューバやモンゴルに行って思ったのは、承認欲求と所属の欲求の両輪があるとして、その2つが同じくらいのサイズだと人は安定するのかなということです。いままでの僕は、承認欲求のタイヤがめちゃくちゃデカくて、所属の欲求不満が強かったんですが、同じような走り方をしている人が多いんじゃないかという気がしています。
たとえば、Instagramで、フォロワーが何十万人いても、夜は孤独になってしまう。そういう感じの人はけっこういるんじゃないでしょうか。哲学って、そういう所属の欲求というか、仲間の意味に対してけっこう研究は積み重なっているんですか。
國分:承認についてはそれこそヘーゲルから始まる研究の伝統があります。でも、若林さんが承認と所属や仲間の問題を分けられたのは非常に鋭くて、他者から承認されることと、何かに所属したり、誰かと仲間になることって全然違いますよね。承認というのはやはりどこか独りぼっちなんですね。そして、やっぱり哲学には一人で考えるというのが基本にある。だから、さきほど言ったように、哲学は仲間みたいな関係についてはあまり考えてきてないと思います。
若林:それも興味深いですよ。思索ってひとりのものなんですか。
國分:そこが大問題なんですよ。若林さんの文章は、自問自答を台詞の形でよく書いていますよね。あれは素直な感覚として、自分の中で対話をしている感じがあるということですよね。
若林:そうですね。ずっと、自分としゃべっているような人間なんです。
國分:哲学の始まりにいるソクラテスもそう考えていたようですし、20世紀の哲学者ハンナ・アレントもそれを受けて、ものを考えることは自分と対話することだと言っています。孤独の中で自分自身と対話するのが思索なんだと。
アレントはそこから非常に大切な結論を導き出していて、思索は自分自身との対話であるから、思索を仕事にしている哲学者が一番やってはいけないのは、自分に嘘をつくことだというんです。自分に嘘をつくと、自分自身と対話できないんです。「お前、さっき、いいって言ったじゃん」「言ってないよ」となったら、自分の中で対話が進まないからものを考えることができない。
変に持ち上げるわけじゃないですけど、自問自答の形で書かれた台詞をみて、若林さんは自分に嘘をつかない人なんだろうなってすごく思ったんです。
國分:前回の対談から1年ぶりですが、この1年間はコロナで大変でした。大学は講義も会議も全部オンライン。でも、先週、やっと対面の授業ができたんです。そのとき最後に自分の率直な感想として出てきたのが、「オンラインではいったい何に時間をロスしていたんだろう」という疑問でした。オンラインより対面の方が圧倒的に効率が良かった。非常にたっぷりと話ができたんです。
授業ってどこか演劇に似ていて、毎回が舞台なんです。授業中に学生が質問してくることもありますけれども、それよりも、自分の発言が受けてるかスベってるか、その反応を受けて僕もその話題の語り方を学んでいき、学生はその内容を学んでいく。授業ではこれが猛スピードで繰り返されているんですね。思えば、いまはテレビを収録するスタジオにもお客さんがいませんよね。すごくやりにくいんじゃないかと想像しますが、どうですか。
若林:やりにくいです。相方は共演者を笑わせる方が得意なようで生き生きとしていますが、僕はきついですね。山里亮太と無観客漫才を2時間やったんですけど、反応がないから地獄でした。授業とか、一人で喋るって大変ですよね。この前選挙があったので政見放送を見ていて、当然、全員一人じゃないですか。あれって言葉に力を入れるのが難しいよなと。前にキューバに行った時知ったのが、カストロが革命広場で人を集めてスピーチしたら、6時間誰も帰らなかったらしいんですよ。エンタメじゃないですか。ラップみたいな感じもして、いま喋ることと気持ちの連動性に興味があるんです。
國分:カストロの6時間はすごいですね。普通じゃ考えられない。比べたらおかしいかもしれませんけど、前総理の菅さんの話なんて、聞いていても全然言葉が頭に入ってきませんでしたね。多分自分の口から出ている音声と意味が、自分の頭の中で結び付いていなかったんだと思います。官房長官時代から、事態をごまかすような発言を散々してきたから、むしろ、音声が持っている意味をきちんと受け取っていたら精神が危うくなっていたのかもしれません。その結果として、言葉が聞き手に届かない話し方が出来るようになってしまったのではないか。
若林:何が幸福なのかについての認識は多様化し、細分化されてきてるじゃないですか。高度経済成長の頃の日本の幸せ像はいまやばらばらになっている。テレビもゴールデンで冠番組を持っても、もうゴールじゃない。だから各々が何が好きかを考えることが始まったの、ここ数年だと思うんですよ。そうすると実は、哲学的なことを自然と皆がやっていますよね。自分で考えなきゃいけなくなっちゃった。だから今こそ、哲学は有効なんじゃないのかなと思うんですよね。
國分:本当にそう思います。さっき「頭の中で概念を組み立てて結論にたどり着く」って言いましたけど、これは様々な場面で必要な能力ですよね。ある概念をぱっとつかんで、理解して、他のところに応用する能力がビジネスで役に立たないはずがないので、哲学やってたのに就職がいいんじゃなくて、哲学やってたから就職がいいっていうふうになるはずなんですけどね。ゼミではずっとそう言ってました。ただ、哲学的なものの考え方が企業活動でも有効な面を持っていることは、いまではかなり理解されているかもしれません。企業の研修で哲学を講じてくださいという依頼はよくあるんですよ。
國分:いつも刺激がある状態に置かれていると、よっぽどの刺激がないとドーパミンが出ない状態に脳が慣れてしまうと言います。つまり退屈しやすくなる。だから集中力もつかない。都市にいてたとえばネットゲームとか過激なことしかない状況に置かれていると、そのような状態になってしまうのではないでしょうか。退屈しない人間というのは、本を読んだりお茶を飲んだりしただけでも幸福感が得られる状態をつくれている。たとえば、ネグレクトされたり、虐待を受けている子どもはずっと緊張状態に置かれているために、落ち着いた状態に耐えられなくなってしまうと言われています。
若林:芸人のレジェンドと呼ばれるような先輩たちを見ていて思うんですけど、一生使いきれないほどの資産を持っているはずなんです。でも仕事を辞めない。つまりお金じゃないんですよね。テレビで活躍するのは、ものすごく自己有用感を高めることだと思います。衣食住じゃ使い切れないぐらい金を稼いでも、そこから降りるということは非常に難しい。
國分:前の対談で当事者研究についてお話ししたと思うんですが、いまアスリートの当事者研究が盛んになっていると聞きました。トップアスリートでなくとも、小さい頃からスポーツを頑張ってきた人の引退後のケアが全然ない。だから、引退後の苦しくなった時にどうするかについて盛んに当事者研究が行われているとのことです。
芸を見せたり、創作活動をする人にも共通することがあると思います。活動を続けないと自分を保てない人たちは一定数いると思うので、そういう人は続けた方がいいですが、辞めたいのに辞められないとか、辞めた後に苦しくなるんだったら、それはサポートがあってもいいのかもしれない。こうじゃなきゃいけないというのではなくて、どうしたら張り合いがある生き方になるのかということだと思います。
若林:少し前ですが、若い世代で「チル」っていう言葉が流行っていた時があるなと感じたことがあります。シーシャを吸ったり、ゆったりする時間を持つのを大事にしている。学生さんと話していて、資本主義を推し進めてきた上の世代に対して、批判的だと感じることはありますか。
國分:批判的な勢力も増えていると思います。アメリカではZ世代というのがひとつの指標になって論じられもしています。他方で、若い世代を見ていると、この現状に何とか適応しながら生きる術を知っているという感じも受ける。Twitterで意見を言って炎上することがあるじゃないですか。そういう話を若いことしたら、「國分さんね、Twitterやインターネットは素直に意見を述べる場所じゃないですよ。夜道みたいな場所で、夜道は一人で歩かないでしょ」って言われたんですよね。その「夜道」の中でアカウントを使い分けながら、危ない場所を避け、友達と楽しく話したり、情報収集したりするんだと。これはデジタルネイティヴの子たちが身につけてきた適応の術なんでしょうね。
だから僕が「でも、僕がTwitterを始めた頃は、好き勝手なこと言って議論したりしてたけど」って言うと懐古趣味と言われる(笑)。これは資本主義ではなくインターネットの話ですけど、いろいろきつい中で、彼らなりの生き残り戦略を考えてきている。なので物申すぞっていうZ世代的な人たちもいる一方、この荒野のような世の中をどうにか生き延びようとしてる若い人たちも多いと感じますね。
若林:そうしないと生きていけないっていうのはあるかもしれないですね。これも若い子に聞いたんですが、婚活アプリでは40手前くらいの、いわゆる非モテだけどお金を持っているお医者さんに、23,4の女の子の需要がすごいらしいんですよ。若い子はそれだけでかなりモテて、おじさんが高いものを食べさせてくれる。でもこんなに歳の離れた人とは結婚できないとなって、同世代に目を向けると、まだお金を持っていないので魅力的に見えない。これは社会の断片だと思うんですが、それを聞いて、原始的な恋愛に戻っているんじゃないかと感じました。石器時代とかは強い男が当然モテただろうし、力のあるところに女性が集まった。つまり資本主義が進んで、人間関係が初期に戻っている。
國分:婚活アプリの話、非常に面白いですね。その話は、恋愛や結婚に関しても自由市場の考え方が完全に浸透したという風に捉えることができると思います。お金にしても結婚にしても、もともとはものすごく規制があったわけです。お金の流れというのも規制されるのが当たり前だった。例えば、1964年に海外渡航が自由化されても、外国に持ち出せる現金は年1回500ドルまでだった。海外との商取引にも規制があった。そもそも歴史の中でお金の流れというのはずっと規制されてきたものなんですね。
恋愛に関しても、放っておくと必ず誰かがあぶれてしまうから、お見合いや許嫁といった制度的な規制があった。それが生きていく知恵だった。でも近代に入って、皆がそれは嫌だと思ったわけです。もっと自由に生きたいと願った。近代文学においても、身分が違うから結婚できないというのは大きなモチーフでした。
ここで問題なのは、そうやって近代の人間がもとめた自由と、自由市場のもたらした自由が果たして一緒なのかということですね。
婚活アプリは、恋愛の自由市場が完璧に定着したところに登場した新しい株式市場みたいなものじゃないでしょうか。40前後の医者がその歳まで独身なのも、規制がゼロだからですよね。昔だったら結婚させられていた可能性が高い。
恋愛に限らず、人類史においては規制が大きな役割を果たしてきた。ところが、近代は自由を求めてそれらを次々に廃止してきた。その果てに、あらゆる場面を自由市場が覆い尽くすようになり、単に競争が激化した社会になってしまった。それはキツい。しかし、規制があった頃に戻るのは多くの人は嫌がるだろうし、もはや無理。これは後期近代の様々な場面に見いだせる普遍的問題だと思います。
若林:近代以前に戻りたいか、このままがいいのかはものすごく難しいですね。規制があった頃の文学を読むと今でよかったと思うし、でも今は今でシビア。婚姻率も下がっているし、少子化でもあるわけで、色々な理由があると思いますが、恋愛市場が自由化したのもおおきいですよね。
國分:何らかの形で安心を作っていけば、規制ではなくて、自由を保ちながら生きていける気がします。お金に関しても、安心がいくつものセイフティネットで保障されていれば必要以上に働く必要もない。恋愛や結婚にしても、生活に安心があれば、人が人を好きになるのは決して稀なことじゃないわけだから、どんどん減っていくことはないのではないか。じゃあ、どうやってその安心を作るか。それを考えないといけない。
若林:2月に東京ドームでライブ(「オードリーのオールナイトニッポンin東京ドーム」)をやったんです。僕らの世代ぐらいのディレクターの人は若いころからブラックな環境で働いていて、東京ドームのライブもブラックなことを経験してきた人たちでチームを作っていた。そうすると、1個の企画を考えるのに何日も深夜まで無駄にも思える話をするんですよ。やっぱりこれって楽しいなと思っちゃった。
國分:それは分かります。
若林:効率もいいんですけど、効率重視世代の新しい世代の作品を読んだり見たりしても、なんかあんまり面白くない。僕のOSが古くて感動できないだけかもしれないけど、僕はこのOSでやっていくしかないしな、と。やっぱり好きなんですよね、非効率なただ熱い時間が。そればっかりでは良くないんですけど。
國分:世の中的にはコンプライアンスが大事だし、非常に難しいとも思いますが、熱くなって夜遅くまで話し合いをすることがあってもいいんじゃないですか。強制してはいけないのは分かるけど。でも、それがちょっとでも強制っぽく見えるといけないっていうんで、四角四面にこれは駄目ですって言う規則が増えちゃっているんですよね。
若林:そうですよね。だからフロー状態に入ってるメンバーで会社のチームができて、その人たちが走っちゃうことまで良くないよねって、そこに規則が侵食してくるのはもったいない気もする、くらいの話かも知れないです。
國分:どうしたらいいのかな。人間が仕事や勉強をする時に、なんの強制力も働かないことはあり得ないと思うんですよね。宿題とか強制じゃないですか。もちろん僕は強制に賛成したいわけじゃないし、そしてこういうことを言うと、ドラマの『不適切にもほどがある!』みたいに受け止められちゃうから難しいんですけど昭和を肯定したわけでもない。
ただ、人間が熱中することを阻害するような規則が次々とできることは、おっしゃる通り大変もったいないことだと思うんですよね。働くときはがんがん働いて、もっと休めばいいと思います。週休3日ぐらいにして、働いている日は1日くらい徹夜するとか。
若林:本当にそうだなと今思ったのが、昔のおやじたちは土日、完全に休んでたじゃないですか。スマホとかないから。だけど、我々は日曜日にショッピングモール歩きながら仕事をしている。頭のどこかで、この時間って休んでいいんだっけと思っているのが不健康な気がします。メールで「あれどうなってますか」が入ってくる時もあるし、メリハリが利いていないんですよね。
國分:それはみんな感じると思います。有給休暇も絶対に取らせなきゃいけない法律があるわけですが、大学だと本当にナンセンスなんですよ。僕らなんて裁量労働制なので毎日職場に行くわけじゃないから、有給休暇を取るのはあまり意味がないんですよ。なのに、取らないと学部長が処罰の対象になる。だから、あまり忙しくない時期に有給休暇取得の手続きをする。実際に人を休ませるんじゃなくて、むしろ手続きをする時間を僕から奪ってるんですね。
國分:選挙は本当に時間がないですよね。そもそも民主主義は時間がかかるもので、時間がなければ考えることも調べることもできない。
あと、労働で疲れ切っていたら民主主義はできないですよ。疲れたら考えられないし、調べられないから。だから、みんなが疲れたってなってる社会は、もう民主主義が死んで、面倒くさいから誰かやってくれっていう、独裁制が望まれる社会なんですよね。
若林:民主主義にかける時間がない、その末にこの間の都知事選の掲示板あるんだと思ったら、恐ろしいです。でも時間もないし、資本主義のほうが力が強いから、誰のせいでもない気もします。だから止まらないんでしょうね。
國分:若林さんは大学院生に講義をしてもらって、それがいろんな気づきになっていると前にもおっしゃっていましたよね。それは本当にいい話だと思います。現実と和解し始めた時、「もっとこうしておけばよかった」というのは、誰にでもあると思います。その時、知識や学問、哲学と言ってもいいと思うんですけと、そうしたものが自分の中に少しでもあると、そこからまた気づきを得ることができる。若林さんが茫然自失することにはならず、自分が納得することを大事にしていきたいと自信が持てるようになったのも、知識がちゃんとあるからですよね。
この対談を通して読んでいただいた方には、ちょっとした知識、例えば「ネオリベって初めて聞きました」でもいいんですけど、それが元になって、こうしていきたいという自信になって欲しいと思います。自信というか、確信かな。これはこうであるっていう確信がないと、人間は本当に生きづらいと思う。
若林:カルト宗教とかでも閉じ込めて、外部の情報を入れないようにするじゃないですか。ネオリベの大きな枠組みの中で、外からの刺激や風穴を開ける針が入ってこないと、その中で地獄の回し車が始まっちゃう。だから、勉強というとちょっとお堅い言葉になっちゃうけど、知識は大事ですよね。
國分:ネオリベや「設定された目的-手段」の独占状態は、まさにカルト宗教と一緒だと思います。その外側があるって思わせないんだから、本当は外側がバリバリにあるわけで、それに気づいて行動をしないといけない。
若林:ネオリベの外側を作らない力はすごいですよね。でも郊外に住んで気がついたんですが、東京を抜けるくらいで、ネオリベの帳が実は終わるんですよ(笑)。勉強だけじゃなくて、エンタメや推しを見る、音楽を聴くなんかも、水を差すというか、外側を知る感じになりますよね。
國分:空気に対して水を差す。そしてこのネオリベというカルト集団の外側に行くと。
若林:この対談も、本屋で目的と手段がなきゃダメなんだっていうネオリベの本の隣において欲しいですね。なんか爆弾を仕掛けてあるみたいな感じで。
國分:ビジネスマンとかで本当にちょっと怒る人がいるんじゃないかなと思って、心配にもなります(笑)。
若林:僕はビジネス書を読んでて、20代はブラック気味に仕事して強みを見つけて、30代でその強みをもとに、社会的資本で仕事すんだよ、みあたいなのが嫌なんですよ。だって20代で死ぬかもしんねえしって、思う。「享受の快」でも哲学でもカウンターパンチを1個2個自分で持っておくのは大事ですよね。
いま子どもを幼稚園に送った後に、喫茶店でネタや話すことを考えている時間が本当に好きなんです。もしかしたら、舞台でそのネタをやるより好きかもなと思うくらいです。それが僕が見つけた「享受の快」で。なので、これを読んでる人に勇気を持ってほしいと思います。それがネオリベの帳にワインをぶちまける力になる。
國分:若林さんがおっしゃった、勇気という言葉がじわじわ沁みてきています。勇気を持つためには確信が必要。確信を持つためには、知識、認識、勉強、哲学、なんでもいいけど、まずはネオリベの帳の先があることを知るだけでいい。それが伝わることで、「設定された目的-手段」の独占状態を変えられる気がします。この対談が、その手助けに少しでもなればいいですね。AIの普及で大忙しになったら、また違う問題が出てくるかもしれないですが(笑)。
Posted by ブクログ
好きな人×好きな人の対談は面白いのか?
そりゃあ面白い
良かった
So Good!
急に英語、どうした?
まぁいい
とにかく良かった
若林さんが感じた雑多な事柄に、國分先生が哲学的な解答を提示する
そんな構成が多く見られた
でもベクトルは逆に向いてたんじゃなかろうか?
実は哲学的な話を若林さんの疑問が「解説」となっていたような気がする
これってこんな気持ちを表現するために生まれた考え方なんじゃねーか?みたいな
まぁ、とにかく頑張り過ぎないことが大切
わいは二人の対談からそんなことを受け取った
お二人はもしかしたら、いやこんなことは渡してないと言うかもしれんが、こっちの勝手である
以上
Posted by ブクログ
読む前はある意味構えてたが、読んでみると
すごく身近なことについて書かれていて大変
刺激になった(良い意味での)
それと同時に若く賢い方達は変に抗わす素直に受け入れたうえで、どうするのが良いかを導き出す能力に長けているようで隔世の感がある。
ただ誰もが短いスパンの何かに追われ続ける
この時代の抜け道を探しながらうまく折り合いをつけられるようになれないと壊れると感じた
Posted by ブクログ
どこか通じつつも、バックボーンの全く違うお二人の対談集だからこそみられるダイナミズムみたいなものがありますよね。また、大体年1で5回行われた対談なので若林さんの志向の変化も見て取れて面白いです。この間に國分さんが書かれた本や、若林さんが出演されている、オードリーのANNや、あちこちオードリー、LIGHTHOUSEなどを見るとより楽しめるんじゃないかと思ったりします。
Posted by ブクログ
面白い。効率重視の風潮に違和感がありうまく社会に適合できていないと感じていたけど、この本に書かれている哲学に共感した。もっとこういう考えについて知りたいと思う。
Posted by ブクログ
とても面白かったです。
若林さんの「表参道のセレブ犬〜」と國分さんの「暇と退屈の倫理学」のファンとしては必読の書でした。
また、最近「急に具合が悪くなる」を読み、映画も観た自分にとって、資本主義の限界と「人間」という自然の生き物である我々との相性の悪さを感じていたのですごくタイムリーな話題でもありました。
若林さんは「表参道のセレブ犬〜」の頃から一貫して、ずっと「資本主義」「新自由主義」「成果主義経済」のような今の社会を動かすシステムに対して、"今の社会の第一線にいながらも"疑問を持ち続けているのがとても面白い方だなと思います。
私自身も今後の働き方や生き方について、どういう方法が一番幸せなのか改めて考えるきっかけになりました。
Posted by ブクログ
この本は対談形式なので、完成された思想を読むというより、知識人がどう考えて、どう迷って、どう言葉にしていくのか、その途中を見られるのが面白かったです。
内容自体も、いわゆる知識人同士の難しい対談というより、かなり生活に近い話が多くて、普通に生きている側から見ても共感できるところが多かったです。
ただ、読んでいて少し距離を取って考えないといけないとも感じました。
本の中でも触れられていますが、國分さんや若林さんのように、資本主義社会の中で一定の成功を収めている人が、競争や資本主義への違和感を語ることに対して、
「成功した側の人がそんなことを言っても」
という批判は当然あり得ると思います。
ただ、その批判を本人たちもある程度理解した上で話していることが、個人的には意外でした。
自分は、こういう自己認識を持ちながら語る人を、これまであまり見てこなかった気がします。
そして少し考えたのですが、もしかすると、こういう人たちが人気になる理由の一つは、
「自分だけが社会の競争に疲れているわけではない」
と思わせてくれるところにあるのかもしれません。
世の中はどこまでも競争で、もっと働け、もっと成長しろ、もっと効率化しろと言われ続ける。
そこに疲れている人にとっては、社会的に成功している人でさえも同じような違和感を持っていると知ることで、少し救われるところがある。
自分も、そこにはかなり共感しました。
ただ同時に、現実にはその競争から完全に降りることも難しい。
生きていく以上、仕事もするし、お金も必要です。
競争から距離を取りたいと思いながら、競争に参加しなければ生活できない。
その矛盾は、読んでいる間ずっと感じていました。
もう一つ印象に残ったのが、「目的」に関する話です。
最近、書店のビジネス書の棚を見ていると、
「こうしなければいけない」
「こうすれば成功する」
「最短で結果を出す」
みたいなタイトルが、以前より増えているように感じます。
もちろん自分の見方が変わった可能性もあります。
ただ、社会全体が少しずつ「目的を持て」「成果を出せ」という圧力を強めているようにも見える。
このあたりは、國分功一郎さんの『目的への抵抗』を読んで、もう少し考えてみたいと思っています。
そして、この本を読んでいて、一番自分に返ってきた問いがあります。
自分が今、哲学や思想の本を読んで、こんなことを考えていられるのも、ある程度の時間的、経済的な余裕があるからです。
つまり、資本主義や競争社会から距離を取る思想を学ぶためにも、結局は資本主義の中で得た余裕が必要になる。
これは少し皮肉な話です。
そして、その余暇を使い切った先に何があるのか。
そこで得た思想を持って、また新しい労働に戻るのか。
それとも、今までとは違う働き方や生き方を選べるようになるのか。
そこには少し不安があります。
最近、自分は「学びの毒」というものについて考えることがあります。
哲学や思想を学ぶことは、必ずしも人を楽にするわけではないと思います。
むしろ、
「なぜ働くのか」
「なぜ競争するのか」
「なぜ成功しないといけないのか」
という問いを持つようになる。
今までなら疑わずに参加できていたものを、一度立ち止まって考えてしまうようになる。
その意味では、哲学には少し毒がある。
一度疑問を持つと、以前のようには無邪気に競争できなくなる。
自分は今、その毒の部分にかなり惹かれているのだと思います。
ただ、ここにも危険があります。
資本主義を批判したり、競争社会を疑ったりすること自体が、居心地のいい場所になる可能性もあります。
思想を現実から逃げるための道具にしてしまう。
考えることばかり上手くなって、現実の中で何かを作ったり、働いたり、責任を引き受けたりすることから遠ざかってしまう。
そこは、自分でも警戒しておかないといけないと思っています。
そして最後に、一番正直なことを言えば、自分も経済的な立場を手放すのは怖いです。
実際、一度かなり手放した経験があります。
その頃と比べれば、今は以前ほどお金や立場を絶対的なものだとは思わなくなりました。
ただ、それで本当に幸福になったのかと聞かれると、正直よく分かりません。
でも、一つだけはっきり言えることがあります。
以前より、不快感は減りました。
嫌なことを我慢する時間は減った。
自分の時間を自分で決められる感覚は増えた。
もしかすると、幸福を考える時に、
「幸福になったか」
という大きな問いだけではなく、
「不快な時間が減ったか」
「自分で選べる時間が増えたか」
という見方も必要なのかもしれません。
『帳の向こう』を読んで感じたのは、競争から完全に降りることでも、資本主義を否定することでもありませんでした。
むしろ、
その中で生きながら、どこまで競争や目的に自分自身を明け渡さずにいられるのか。
その距離感を考える本だったように思います。
自分自身もまだ答えはありません。
ただ、こういう問いを持ってしまった以上、以前と同じようには生きられない。
その少し不安定な感覚も含めて、今回この本を読んでよかったと思っています。
Posted by ブクログ
雑誌に掲載されているときに少しだけ読んだことがありましたが、まとまった形で読めるのは嬉しいところです。
この対談の中で暇な時間を持つことの重要性が繰り返し語られていますが、先日若林さんが17年レギュラーを務めたスクール革命!を卒業したのも、この対談で話していたことと繋がっているのかなと感じました。
これからも半年に一回くらいのペースで対談を続けてほしいです。