あらすじ
心的外傷後ストレス障害(PTSD)。阪神・淡路大震災は人々の心に、癒えない傷を刻み込んだ。傷つく心とは? 心のケアとは? 自らも被災しながら、精神医療活動に奔走した、ある精神科医の魂の記録。
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筆者も被災している中で精神科医としてここまでの対応をしていることに尊敬。悲しいことだけど、きっと地震はまた起こるし、避けられないこと。だからこそ災害時の心のあり方を考えたいと思った。数年後また読み返したい本。
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阪神・淡路大震災から40年。
あれからも東日本大震災、能登半島地震など地震大国日本ではその他にも絶え間なく地震被害が。これからも無くなることはないだろう。
精神科医の著者は自らも被災しながら被災地内部から 避難所を訪問をし、こころのケアのネットワークの立ち上がりの一翼を担い、又、神戸大学病院の常勤医師として患者たちを診つづけた。
その一年間の経験を書き、それから得られた
“心の傷”とは?“心のケア”とは?ボランティの役割、コミュニティの再生などが書かれている。
とても貴重な資料であり感動的な作品。
これからも起こるであろう大地震に生かされることを願っています。
惜しむらくは著者は若くして 39歳で亡くなられたそうです。もっと長生きされてご自身の体験を生かして頂きかった。ご自身も残念だったのでは。
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阪神淡路大震災後直後、被災地で心のケアに向き合う精神科医の実録の話。今年、震災から30年という節目の年でもあり、能登半島の震災も記憶に新しいため購入しました。被災地では支援物資や医療などが優先で、カウンセリング活動は初めは煙たがられながれながらも、時間が経つにつれて徐々に心のケアが必要となる様子が丁寧に描かれています。
医療従事者や消防など、心の傷にを負いながらも救護活動しているお話や、もともと精神科にかかっていた方が、震災でどういう困難に立たされたのか、あらゆるケースからケアの必要性を紹介。とくに死別した方同士でしか癒せない傷のエピソードが印象的でした。
最終的には、人間は誰かの繋がりや絆が必要だと感じました。とにかく読んでよかった、素晴らしい本でした。映画版もあるようなのでそちらも観たいと思います。
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最後の後書きで泣いてしまった。文章からとても謙虚な人で、素直かつ誠実な人という印象を受けた。震災時におけるケアについても、今の考え方に大きく影響を与えてるってことを授業で聞いたことがあるし、凄く優秀な先生なんだろうな。そんな安先生の文章をもっと読みたいと思ったし、今も生きていたらもっともっと有名な先生になってたと思うととても悔しい。惜しい人を亡くした…
所々PTSDについて今と考え方が違う部分もあったけど、歴史的資料としてとても重要だと思う。改めて震災の恐ろしさについて理解できたし、政府がどう動くべきなのか自分で考えるきっかけにもなった。素晴らしい本です。
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阪神淡路大震災から30年。精神科に関わる人間として、読まなければならない本。今回、100分de名著を見、ドラマの再放送を見て、原作であるこの本を読んだ。30年前の本のため、用語が現在では使われていないもので、やや戸惑いながら読んだ。この本が震災直後から書き始められていることに驚嘆する。阪神淡路大震災の時に関東におり、高校3年生だった自分には、やはり遠い話であり、同じ受験生に対する気持ちはあったにしても、自分のことで精一杯だった。それが東日本大震災で自身が被災者となり、家族や友人に大きな被害はなかったものの医療者として震災を経験することになった。そして今、精神科看護に携わり、日々心の傷を癒すことに奮闘している。この流れに不思議な感覚になる。安先生の文章はとても優しく、所々で反省する文章が出てくる。常に被災者、患者さんの視点でみることを大事にしつつも、もちろん精神科医としての視点でも捉えている。そして、安先生の人生を通して、命ということを深く考える機会を与えてくれている。震災で亡くなったたくさんの命、安先生の命、安先生が助けた命、そして産まれてくる新しい命。震災の記録にとどまらず、命ということを考えさせてくれる読書体験になった。
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実際に被災した精神科医が、当事者及び医療者として、震災による人々の傷つき・コミュニティの傷つきへのケアについて記載した本。
震災含めた、これまでの日常や愛していたものを突然奪われた人たちに対して、専門的な言葉を使わずにどうケアしていけるか書いてあった。
震災以外でも傷つきを処理しきれない人が読むと、何か気づきがある本ではないかと感じた。
また本の内容に、全く古さを感じさせない。「夜と霧」と同じグループの良書だと感じた。(類似点:精神に関する専門的な知見を持つ人が、当事者性を持ち記載した本であること。綺麗事の理屈だけではなく、実際に現場で何が起きていたのか、ご自身はどう感じたのかが克明に記されていること。)
あとがきは個人的に泣いた。
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河村直哉氏の解説に安医師の文章を載せている。これがこの本の全てかなと思う。「苦しみを癒やすことよりも、それを理解することよりも前に、苦しみがそこにある、ということに、われわれは気づかなくてはならない。だが、この問いには声がない。それは発する場をみたない。それは隣人としてその人の傍らに佇んだとき、はじめて感じられるものなのだ」
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本文の中か、テレビドラマのセリフかは忘れましたが、安先生が語る「心をケアするとは、一人ぼっちにさせないことだ」という言葉が印象的でした。また、最後にこれからの私たちへの問いかけとして「今後、日本の社会は、この人間の傷つきやすさをどう受け入れていくのだろうか。傷ついた人が心を癒すことができる社会を選ぶのか、それとも傷ついた人を切り捨てていく厳しい社会を選ぶのか‥」と問うています。
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ドラマに感銘を受け、読みました
「心の傷を癒すということ」その意味と意義が、優しくも力強い筆致で語られる名著です。
そこには、間違いなく大災害の中で苦闘した安先生の姿が感じられます。
彼のメッセージを、今を生きる我々がついでいかねばならないと強く思います。
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NHK のドラマを機に本書の存在を知り読んでみました。良い意味で期待を裏切る作品。震災後の心のケアに関する名著間違いなし。
NHK のドラマに感動し原作を読みました。
作者の安克昌氏は2000年12月2日、肝細胞がんのため39歳で逝去。ドラマは筆者の生涯を描いていた。本書は筆者の遺した震災の貴重な記録。
期せずして被災者としてかつ救護者の身となった精神科医。日本ではさほど注目されていなかった惨事ストレスに関する初期研究で。被災者でなければ書けなかっただろう。
筆者の短かった生涯を知らずとも名著の部類に入るだろう作品。ドラマの感動とはまた違った感動がここにありました。
分かりやすく丁寧
ドラマを観てこの本を知った。震災当時子供で医学知識の全くない、私にも分かりやすくて非常に丁寧であっという間に読み終えた。安先生がどこまでも被災者の方や患者さんに寄り添い、優しい眼差しを向けておられたのが良く分かる。安先生が若くしてお亡くなりになったことが本当に残念でならない。
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ようやくにして読み始めた。
安先生の言葉のひとつひとつが心に染み渡るぜ。
今回の東北大震災にはどのような形で安先生たちの経験やこの本の中で指摘されていたことが生かされているのか追いかけてみたい衝動。
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約30年前に書かれた本です。この間に多くの災害がありましたので、「やはり足りないものがあったと思う。それは、災害心理学の知識と経験、それに全体を見通すパースペクティブであった。」という、著者の振り返りは、相当に充当されてきたことでしょう。
「子どもの行動や感情のうつろいやすさが、子どもの心的外傷を発見しにくくしている」
「〈心のケア〉が独立して活動するよりも、一般的な救援活動の中に〈心のケア〉を盛り込んでいくことがよい」
「ボランティアは、当事者か、第三者か、という対立に「当事者を理解しようとする第三者」という新たな次元をもち込んだ。ボランティアの役割は「存在すること」であるという中井久夫氏の至言がある」
これらも、来たる日に備えて、覚えておきたいと思いました。
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阪神大震災の混乱の中、自らも被災しながら心寄り添っている人達がここにもいた事、あの時は知らなかった事をずいぶん時間が経って知ることになった。
ドラマで初めて、この本の存在を知った。
若くして亡くなられた先生の話をもっと聞きたかったなぁとつくづく思う。
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丁寧に真摯に「人の心」と向き合った作品。しかしながら、この作品にしっかりと向き合った行政があっただろうか。否、向き合おうとしても向き合えきれないのが今の行政の限界であり、「人の心」の難しさなのかもしれない。
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以前、柄本佑さん主演のドラマを見たけれど、原作は未読だった。阪神淡路大震災から30年経ち、その間日本のあちこちで同じような激しい災害が起きたけれど、その教訓は活かせているのだろうか。また個人でできることについてもとても参考になった。
安心して語る場があることが重要、ということがとても印象的だった。自分は家族や周りの人にとって、安心して語れる場を作れているかな。
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被災とは、建物の下敷きになることだけではない。生き残ってからがスタートなのである。
生き埋めになった人を助けられなかった自責の念に駆られ続けること。倒壊した建物を見てはその下でゆっくりと死を迎えている人がいるかもしれないと考えること。大切な人を失った悲しみに耐えながら生きること。プライバシーがなく住環境が整わない避難所で隣人と折り合いをつけながら生活すること。一切の娯楽がないまま一秒一秒時が過ぎるのをじっと待ちながら生きること。地震が起こる前と後の景色を重ねて地震がなかった未来を思いその度に絶望しながら生きていくこと。地震が起きる前に戻りたい、という叶わない願いを抱き続けること。あのときこうしておけばよかったと後悔すること。数ある苦しみを想像して、それがなるべく小さくなるようにすることが、防災そして減災になるのだと思う。
能登半島地震で被災された方々は、今まさに苦しみの最中にいる。その苦しみがどんなものなのか
知るためにこの本を読み返した。
心に傷を抱えた人がいるということを知っておくこと、忘れないことだけは、今の私ができることだと思った。
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誰かが心に傷を負ったならば、
「寄り添う」ということが求められる。
言うは易し行うは難しで、実際に行うことは途方もないことの積み重ねなのだと思う。
コロナ禍で、広く薄く皆少なからず傷ついている。
きっと私も。
それを受け入れて、負の感情を解消していきたい。
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1995年阪神淡路大震災で心療ケアに従事された精神科医安克昌先生の著書。阪神淡路大震災をきっかけに、大災害に対する救援・避難・ボランティア・心身ケアの議論が幾度となくなされ、従事される方々の言葉に尽くせぬ努力もあり災害対策は(至らぬ部分はあれど)当時より大幅に改善された。その「当時」を知る貴重な叙述・分析である。今でこそPTSDなどの一般理解が進んだものの、平成初期は昭和の名残もあり「心の在り方」は疎かにされており、環境激変すなわち大災害ではその歪が顕著に表れるのに対して、成す術なく放置されていたように思う。崩れたものがそのままの形で戻ることはないものの、在り様を嘆き悲しみそして受け入れて新たな受容を育む、そうして「心の傷を癒すということ」について色々考えさせられた一冊である。
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今回の東日本大震災をずいぶん重ね合わせて読むことが出来たと思う。
「心のケア」についても,本当に被災地に必要なことは何か考えさせられる1冊。
この作者による著書がこれしかないのが残念なくらい,
分かりやすく読みやすかった。
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大事なものは失って初めて気づくものだと言われることがあるが、自分が何によって支えられ、生きているのかは失ってみないと分からないものが多いと感じた。
衣食住の環境が整っていたとしても、人との繋がりがなければ生きていくことはできないと思う。
一人暮らしで不自由なく暮らせているのも、何かあればいつでも連絡したり、会っていなくても自分のことを考えてくれているであろう家族の存在があったりするからだと思った。
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学生時代に住んでいた街。
友人も被災したり、つらかったりしたがやっと今年読めた。
心に寄り添うこの先生の記録は響いたと同時に当時何も出来なかった自分の情けなさを思い。
やっぱり辛い
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本書の著者を知ったのは、本書の「序」も書いているが、中井久夫の本を通してだった。
心のケア、ボランティア、PTSDなど、今では当たり前に使われる言葉となったが、そのきっかけとなったあの阪神淡路大震災。著者は、自ら被災しながらも、現場の最前線で活動に尽力する。そして本書では、震災直後とその後のケア、避難所や仮設住宅をめぐる現実、救護システム構築の難しさやボランティアの役割などについて著者の問題意識に立った率直な思いが綴られる。
また特に著者の専門とする精神医療については、時間の経過や環境の変化に応じて、障害の状態や子どもたちの状況がいかに変化していくか、そしてそうした人たちに寄り添うことの大切さなどが分かりやすく論じられている。
著者が家族を残して若くして亡くなってしまったことを知っているだけになおさら、著者のメッセージを大切にしていきたい。
Posted by ブクログ
読む前は、PTSDなどに対する専門的な臨床の方法が書かれていると思っていた。もちろん少しはそのことが書かれていたが、大半は阪神淡路大震災直後から1年後あたりまでに著者が経験したこと、そしてその中で心の傷を癒すということを改めて考えていく様子であった。
著者の考えをまとめると以下のようになる。震災において、心に傷を負うということは当然のことだ。そして、その傷を癒すためには医者だけでなく、周りの人たちが持続的に粘り強く寄り添っていく必要がある。
つまり、これさえあれば治せてしまうような医療技術は存在せず、また医者がどれだけ努力したとしても限界があり、社会や周りの人たちの協力が大切だということだ。