あらすじ
〔日本推理作家協会賞受賞作〕全世界の芸術品が収められた衛星軌道上の巨大博物館〈アフロディーテ〉。そこでは、データベース・コンピュータに直接接続した学芸員たちが、日々搬入されるいわく付きの物品に対処するなかで、芸術にこめられた人びとの想いに触れていた。切なさの名手が描く美をめぐる9つの物語
...続きを読む感情タグBEST3
このページにはネタバレを含むレビューが表示されています
Posted by ブクログ
最近の生成AIブームを横目に、そういえば脳内で直接AIみたいなものと会話できる設定の小説があったな、と思い出して再読。
接続するAIのバージョンで性能が少しずつ違って、初期バージョンの人が、会話中にじっとしなければならなくなる…という設定が妙にリアルで印象に残っていた。
前にこの本を読んだときは、まだAIなんてかけらも自分たちの手に届くところにはなかったのに、ほんの20年でここまで来るなんて思わなかった。
にもかかわらず、人がつながった先の女神たちは今読んでも違和感がない、どころか、ChatGPTの先には彼女たちがいるだろうと思えるほどで、作品のすごさを思い知る。
技術の進化は芸術分野から始まるんだと言ったのは、中学のときの先生だったけれど(変わった先生だった)、なんだかそれを改めて実感する。
惑星ごと博物館という舞台と、女神たちと脳でつながっているという設定を隅々まで活かした短編は、心地よく読めるのに、少しずつ引っ掛かりを残し、芸術とはなにか、人が人であることはなにかという大きな問いへの答えまできっちり回収していく構成は見事としか言えない。
全体に漂う“博物館っぽい”妙に静謐な雰囲気と、そこで働く面々のけだるさがなんだかうまくかみ合っていて、とても好きな作品。
なにより、自分と直結したムネーモシュネーが欲しくなる。ChatGPTをちゃんと使いこなせば、近づけるんだろうか。
Posted by ブクログ
「これは評価されるべき良作だが私は嫌いだ」というのがこの作品の感想。
芸術を題材にしたSF作品は珍しいと思うが、珍しいだけに終わらず2つの要素がどちらも高いレベルであり(;本編中の芸術に関する記述はどれも本当に美しい)、そこに加えて登場人物の人間描写も緻密である。複数の賞を取るだけの作品だと思う。「嫌い」という思いはこれら物語の本質ではなく、設定や登場人物の性格などが私と合わないことから来ている。
『解説』にあるように本作は6年間(単行本への書き下ろしを加えるなら7年以上)をかけて投稿されたものである。そのためだろうか、途中で作品の雰囲気が変化している。
前半部分は現代に近い時間軸の芸術作品をメインにしており、SFとしての設定は甘めで味付け程度。登場人物も少なく手の届く距離の小さな物語が並ぶ。中盤以降は近未来(;作品内の時間軸としては過去、読者から見ると未来)の技術を用いた芸術作品が登場するようになり、科学的な設定も細かく具体的になって登場シーンも増えるので、よりSF作品らしさが増していく。ひとつひとつの物語のスケールも大きくなり、複数部署を巻き込む話やアフロディーテ全体、さらには博物館を超えた大きさの事件を扱っていく。
SF設定については作品内での科学技術のバランスはあまり考えられておらず、生物学に関する部分は現代から近い未来の堅実な設定であるが、環境工学などの工学的内容はそれよりも進んだやや遠い未来のレベル、物理学に至っては魔法に近いレベルで遠い未来の技術となっている。
特に博物館に関する技術は「魔法」と同義のフレーバーだと感じた。「作品を収納・展示するのに困らない広大な土地と、極端な環境も含め芸術作品を維持・展示するために最適な状況を整える魔法」としてのSF設定(ファンタジーに近い)だと思った。
ただ、本作の面白さは、科学技術が発展していくなかでも人間が美しいと感じる心は失われることはなく、それぞれの技術レベルに合わせた美の表現があると描き出している点であり、また、時代が移っても現代と何も変わることのない人間心理(『解説』に因るなら『どこか傷を抱え苦しんでいる』様子)を繊細に描きながら美と科学技術とも上手く混ぜ合わせている点である。SF設定の粗だけを突くのは野暮というところだろう。
SF設定はやや粗いと思う一方で、未来予想のような科学技術に対する優れた描写もある。
8話のデータベースとの接続を絶たれるシーンでは主人公らが右往左往する様が描かれているが、これは現代でもインターネットから切り離されることで誰もが感じるところではないだろうか。現在は私を含め多くの人が知識や(コミュニケーションも)をインターネット上に”外付け”している。専門家でも論文やデータベースでの検索はコンピュータ任せで紙や脳内に完全に収めている人はまれだろう。インターネットが未発達だった本作の発表当時よりも現在の方が多くの人が実感を持って読める部分ではないかと思うとともに、その状況でデータベース(≒ イターネット)への依存をよくイメージしたなと感心した。
最終話の美和子がガイアを育てるところはAIを教育していく過程(教師あり学習やディープラーニングだろうか)を彷彿とさせる。当時のAIはまだ、事前にすべての情報を辞書のように詰め込んでどんな状況にも対応できる即戦力としての考え方が一般的だったと思うので、その中で機械学習の概念を盛り込んでいるのは随分先進的な考え方だったのではないだろうか。
褒めるところはたくさんあるのだが、嫌いな部分の印象が強く「このシリーズは続きを読まなくてもよいかな」と感じている。
どの話も本題に入ってからは気持ちよく物語が進み、途中の展開も面白く、結末も心が温まるような気持ちの良い余韻を残して終わるのだが、そこに入る前の前置きの印象が悪い。主人公の愚痴(妙に生々しいものもあり辟易する)が多く長く、それに加えて前半の内容では毎回底意地の悪いゲストキャラクターが登場してイヤな動きをし、後半は疑問を感じる設定が続いて導入での不快感が強い。この不快な部分がページ数の半分から2/3を締めるのでせっかく気持ちよく話を読み終えても次の冒頭から「またか・・」と気分が盛り下がってしまう。
ゲストキャラクターの性格もだが、主人公である田代孝弘の性格に共感できないこと、全く合わないことも私がこの作品と合わない原因のように思う。実際、孝弘がほとんど登場しない4話、5話は良い話だと感じ「この流れが続けば」と思ったのを覚えている。
孝弘の主な気に入らない点はコミュニケーションの不足と学芸員としての姿勢で、どちらも最終話の伏線なのかもしれないが終始イライラさせられた。コミュニケーションの不足については一言言えば良いだけのことをバカみたいな行動をするせいですれ違い、大ごとになっている。このことに全く共感ができない。「調整部局の奴がこんなことってある?」と思ってしまう。
それぞれの話の導入時に主人公が常に及び腰なのもいただけない。この手の仕事は「難しい問題が来た時ほど面白い」というような感性の人でないと務まらないので「こんな役人みたいな事なかれ主義の奴は向いてないよ」と思ってしまう。相棒のネネの方がよほど学芸員として向いている性格や描写がある。主人公は若いのに向上心を失って無気力に仕事をやり過ごしているように見える。広く深い教養を身につけた者とはとても思えない描写が多く、新しい物事への好奇心も探究心も見えない。「付け焼き刃」のようなその場をやり過ごす表現が多く、詳しくないことを知ろうと踏み込む様子も無い。この辺が非現実的で全く共感できなかった。
後半は組織に関する設定に無理があり過ぎ、入り込めない。前半の物語は「主人公の業務のなかで印象に残った一場面」という感じの小さなお話なので組織の拙劣さは目立たないが、人類を巻き込むような規模になる後半は博物館組織の粗も無視できないようになってくる。
アフロディーテは宇宙一の博物館であるのに人員が少なすぎる。スミソニアンの職員が数千人規模であることを考えれば、面積的にも数万人かもう一桁大きな規模の職員が必要である。その規模の組織で学芸員が所長と気軽に直接やりとりできるはずはなく、彼らの部署の管理者はどうなっているのかという疑問が湧く。アポロンが所長直轄の少数精鋭の組織であるならば所属する学芸員は下位の組織よりもかなり権限が強くなるはずで、作中の名目だけの木っ端役人のような描写とは合わない。逆に博物館全体がテクノロジーを生かしたコンパクトな組織だというなら協働する学芸員は皆、多かれ少なかれ顔見知りであり揉めるにしてももう少しマシなやりとりになる。また、少ない人数で専門的な仕事を回すなら頻繁に他の部局と揉めているような暇はないだろう。どうも描写とあるべき組織の規模が合わずモヤモヤとする。
マシューのような人間を好き勝手させているのもヘンで、世界中の貴重な美術品を大規模に収集している施設でそれらを平気で毀損しそうな人物に首輪を付けられない、上司も出てこないでは組織としての統制がとれていない。
終盤に入ると設定の奇妙さから違和感がさらに強くなる。
8話ではこの規模の組織で広報に関する部署が存在しないのもおかしい。担当でもないただの学芸員が世界的な発見で報道担当をするハズがない。非常時に隔離できるとはいえ世界中の芸術作品が収められている環境工学の粋を尽くした替えの効かない小惑星を未知の物体の分析拠点にする点や、学芸員と研究者だけで地球外の物質の分析を行うことも異常だ。
9話では実務経験も無く、たとえ専門分野の博士や修士を持っていたとしても現場から長く離れている美和子が世界最高峰の学芸員に簡単になれてしまう点や、内部の人間が全く知らされず不信感だけが漂う新しいシステムの秘密裏の運用(:実際、主人公に情動記録の逆流という事故が起きている)、大事なイベントに合わせて行われる新システムの始動、と杜撰すぎる設定が気になってしまう。生物学の専門家がいるであろう担当部署を無視して行われた、何の管理もされていない「雄花と雌花の“実験”」と称するものもエイリアンパニックの導入部(= 大惨事)になり得ると思って閉口した。
どうもアフロディーテのイメージがあべこべなので、あまり大風呂敷は広げず前半のような小さな話にとどめ、それらが全体として緩いつながりを持つ形態にしておいた方が良かったのではないかという感想を抱いた。