あらすじ
土佐堀川に浮かんだ船に母、姉と暮らす不思議な少年喜一と小二の信雄の短い交流を描いて感動を呼んだ太宰治賞受賞の傑作「泥の河」。北陸富山の春から夏への季節の移ろいの中に中三の竜夫の、父の死と淡い初恋を螢の大群の美しい輝きの中に描いた芥川賞受賞の名編「螢川」。
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Posted by ブクログ
戦後直後の貧しい日本。小さな食堂の子の信雄が、船上で売春をして糊口を凌ぐ家族と交流を持つ。
信雄の目を通して売春を見つめさせられた。
それは、世間では卑しいとされ、軽んじられるが、信雄にはなぜだか分からない。
売春が道徳的非難に値するかどうかは色々な意見があるけれど、今日も子供がご飯を食べれるように、親が自分を顧みずにお金を稼ぐことのどこが低俗なのだろうか。
信雄は、平然と蟹を燃やす喜一を見て、その垣間見える狂気に戦慄を覚える。
母は、自分ら子供が飢えないために身体を売り、侮蔑される。そんな世間は、自分は飢えろというのか。自分がいなければ母は軽んじられることなく幸せな生活を送ることができるのではないか?
喜一の心の内を想うと息が詰まる。
喜一はきっと、怒りも屈辱も、自分の内側で処理しきれずにいるのだと思う。
でも銀子は違う。
彼女はもう、「自分たちは世間からどう見られているか」を身体で理解してしまっている感じがある。
だから、自分を小さく、小さく畳むことで世界と折り合おうとしている。
目立たないように。拒絶されないように。
つまり彼女は既に、「社会には越えられない境界線がある」ということを学習してしまっている。
それがあまりにも痛ましい。
本来子供って、自分を無条件に世界へ押し出していく存在である。
でも銀子にはその伸びやかさがない。
先回りして遠慮している。
さらに残酷なのは、銀子の慎ましさが一見すると「聞き分けがいい子」に見えてしまうこと。
生きていればいいことあるなんていうが、あまりにも空虚な言葉として響く。