あらすじ
「罪の償いの期限がきたので、迎えにきた」といい、かぐや姫を月の都に連れ戻しにきた天人たち。しかし『竹取物語』ではどんな罪を犯したのか説明されていません。「かぐや姫が犯した罪」とは何か? 「消えたかぐや姫の前世譚」とは? 「霊峰富士山とかぐや姫」との関わりとは? 「聖母マリアとかぐや姫の不思議な共通点」とは? 日本文学ではなく、神道学の視点から、天上界でのかぐや姫の意外な過去に迫る一冊。
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Posted by ブクログ
他のコメントにもあるように、かぐや姫の罪にたどり着くまで結構時間がかかります。でも、その過程で出てくる寄り道話が面白いので星4です☆
ぜひ久しぶりに道草をくってみてください!
Posted by ブクログ
先日鑑賞したアニメ『かぐや姫の物語』のサブタイトルに「かぐや姫の犯した罪と罰」とあったのであるが、それを語る部分が希薄だなぁという印象を受けた.
アニメの原作でもある『竹取物語』でも、かぐや姫は「月の世界で罪を犯し、それを償うため地上の世界に下された」設定になっている。本書は、神道研究家である筆者が海外の大学で教鞭を取っていた時に現地の学生から「かぐや姫の犯した罪とは何?」という質問を受けたことがきっかけで、その罪は何であるのかを専門である神道面から考察した良著。
『竹取物語』は、貴人たちの求婚譚(一種の貴種流離譚)、羽衣譚(天女は天地を行き来するために羽衣が必要。竹取物語では、ラストシーンで月からの迎え人に掛けられる月の世界の衣装がこれに相当)、物語成立当時日本にあった真竹とかぐや姫の成長サイクルの類似と竹の神聖性などがミックスされて出来ている。その中で「かぐや姫の罪」とだけあっさりと記載されているのを見て、当時の人は「なるほど」と罪の中身を類推できたのではないか。しかも詳細に書く必要もないまま(書くことが憚られるまま)に。結果として、筆者は富士山浅間神社縁起(神社の成立を語った物語)をメインに、処女懐妊譚や様々な類似した神話・説話から罪とは何であったかを推定している。
肝心な罪の解明への道筋が大雑把ではあるが、『竹取物語』が内在している様々な説話性、つまり取り残された竹取老夫婦の問題、天皇と姫の関係、月に帰る時に激変をみせる姫の感情変化の源泉など、興味深い内容を多々含んでいる点を明らかにしている面白い書物。これを読むと、『竹取物語』自体や「かぐや姫」に対する印象も違ってくるかもしれない。
Posted by ブクログ
映画の公開に合わせて発売が決定したのなと、うがった考えをしてしまったが……。
薄さの割には、なかなかの読み応えだった。
かぐや姫から聖母マリアまで話が飛躍したのは驚いたが。共通点が多いのも驚いた。
Posted by ブクログ
この罪が衝撃的だった。
ネタバレが過ぎるので書かないが、例えばこれをモチーフとして映画化したら、炎上するのでは?くらいの。
ただ、もちろん荒唐無稽な罪ではなく、物語の形づくられた時代背景や伝承を鑑みると納得ができる。でも納得できるが、認めたくない感じ。
なかなか得がたい読書体験でした。
Posted by ブクログ
神道学者の方が神道学の視点からかぐや姫の罪を解き明かそうとする本。
文庫の値段で竹取物語絵巻がカラーでついてくるので、それだけでも価値があるかもしれない。
すっきりするダイレクトな答えとか、どんでん返し的な裏話は書かれていません。
結論の要約は「おわりに」の部分で書かれているので、買うのを迷ったらまずはそのページだけ読むのがいいかもしれない。本文はその論拠をあの手この手で語っている、そんな感じ。
当たり前だけど「竹取物語」という物語自体は続編があるわけでもなくあれが全てなので、読者が「物語」の謎を解明したいという、一般的な小説を読むような姿勢であれを読むならば、それは各自で頑張って竹取物語を読み込んで謎をあれこれ推測するしかないわけです。
ご存知のようにかぐや姫の罪が何かは原作本文には一切書かれていないので。
それでも罪がなんだったか知りたければ、答えは物語中に求めるのではなくもう少しメタ的な視点に求めるしかない。作者の意図とか当時の社会的背景とか、そういうやつです(竹取物語は作者不詳、接ぎ木のように長い時間をかけて複数人の手で作り上げられたみたいです)。
そういう意味で、神道学の視点で彼女の罪を推測するというやり方は確かに役立ちます。こじつけづくしではありますが、決して胡散臭い三流オカルト的こじつけではないし、ソースも著者なりの理屈も記されているので全部真に受けなくとも、少なくともかぐや姫の罪を考察する際の参考にはなります。
なので、この本では古典文学のパターンや各地の神社の縁起物語、神話、昔の日本人の価値観などなどを考え併せて、「順当に考えてかぐや姫の罪とされていたのはこれだろ」と結論づけられる、という感じです。
以下、かなり乱暴なたとえですが。
戦争映画で「俺、この戦争が終わったら結婚するんだ」と言った若い男性キャラクターがいたとしましょう。で、物語終盤の戦争終了大団円のシーンで何故かそのキャラクターがいないとする。そのキャラクターに何があったのか?
これは俗に言う死亡フラグというやつです。なのでたとえ当該キャラの死亡シーンが明確に描かれていなくても、観客は「死んだのかな」と思うでしょう。それがお決まりのパターンだからです。
さらにこの映画の監督が後のインタビューでインスパイアされた作品に別の戦争映画の作品名を挙げて、そちらには「俺、この戦争が終わったら結婚するんだ→後に死亡」というシーンがはっきりと描かれていたとしたら。観客はますます「あのシーン、明らかにあの映画意識しているしやっぱり彼は死んだんだろう」と思うことでしょう。
物凄く単純化して乱暴なたとえではありますが、本書において「かぐや姫の罪」はこんな感じの考え方で推測され結論づけられています。
Posted by ブクログ
この前、映画のほうを見たのでね。とりあえず。まぁ関係はないようだけど。
竹取物語なんて本当に国語以来に読んだので、物語の再確認としても。まぁもともと罪なんて意識していなかったわけだけど、そんなんかと。
納得はしていないけど、そういう考え方もあるのかというところ。
Posted by ブクログ
この手の考察物は好きなので、ふぅむなるほど…となかなか面白くは読めました。さまざまな口伝口承が融合してひとつの文学作品として『竹取物語』が成立したのは確かだと思うし、その過程で日本の神話や宗教的背景がさまざまに影響を及ぼしたのも事実だと思う。だから、かぐや姫=木花之佐久夜毘売といわれて違和感はあまりなかったけど…しかしその罪が姦淫の罪で、しかも冤罪とか…なんかすっきりせんなー^^; そのくだりこそ、きちんと「物語」として読んでみたいもんです。
Posted by ブクログ
竹取物語を読むにあたって目についた文庫。
カラーでの竹取物語絵巻を冒頭に、一章では竹取物語の超訳、二章は劇中に描かれる数々の謎の解説。
三章目からかぐや姫の犯した罪に関する考察が展開されています。
ただ、神話比較に新約聖書が多く取り上げられがちで、四、五章あたりは竹取物語から飛躍し、日本書紀やキリスト教から竹取物語原型への考察がなされています。