あらすじ
「もしも、子供がいなかったら、夫がいなかったら。私はもっと快活に笑えていただろうか。もっと自由だったのだろうか。」(本文より)東京から夫の故郷に移り住むことになった梨々子。田舎行きに戸惑い、夫とすれ違い、恋に胸を騒がせ、変わってゆく子供たちの成長に驚き――30歳から40歳、「何者でもない」等身大の女性の10年間を、2年刻みの定点観測のように丁寧に描き出す。注目の著者がすべての女性に贈る、愛おしい「普通の私」の物語。
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Posted by ブクログ
ずっと積読してて期待値が低かったからか思いの外良かったのではないか…少ないページ数なのに物語の年月と同じ10年分の厚みがある気がする。30になったばかりの私には、「まさにこれ最近思ってたこと!」で、あと5年、10年たったらこんなことで悩んでたねって懐かしむ時が来るのかな。
主人公の梨々子が東京に居た時と田舎に移ってから、だんだんはっきりしていた輪郭がぼやけていき、考えが曖昧で加齢とともにきゅっとしていた身体も曖昧になっていくような、なんとか綺麗でいようと頑張るんだけど、頑張れば頑張るほど自分のことしか考えれてなくて、家族との関係も曖昧になっていく。
人生に意味なんてなくて、ただひたすらに生きるしかないのだ。だからそんなに力まず執着せず、もっと気軽にいてもいいのではないかとちょっと大人になった気がした本。
Posted by ブクログ
宮下奈都、初体験。
言葉の魔術師と呼びたいくらい、巧みな言葉遣いに驚きです。
例えば、
夫の病気で東京から夫の田舎に家族で引っ越すことが決まった時、梨々子が餞別でもらった10年日記に「いまいましいこと、この上なし。かすり」と書いた時の描写。
『それ以上の説明をつけなかった。後で、例えば1年後の今日、2年後の今日、この欄を読み返した時に、自分がどんな気持ちでいたかなんて容易に思い出されては困る。ライバル心というのだろうか。未来の自分に見栄を張っている。今、自分が泣くに泣けない乾いた場所にいることを1年後の自分に思い出されたくない。私はいつも上手にきれいに私を生きている。そう思いたかったし、半分くらいはそう信じてもいる。そうではなかったのだと後になってわかるような痕跡をここに留めるのは嫌だった。でも、まったく楽しいと書けばあまりにも嘘くさすぎて逆に白々しいのではないか。考えた末、かすり、とひとことだけ残すことにした。』(P37)
また、こんな文章。
『写真館にあった見本の家族写真はまるでホラーだった。あの写真には10年後のわが家が写っていたのではないのか。太って生気がなく服にも頓着しなくなった夫、思春期に入った長男の不機嫌そうな表情、頑固に眉を顰めたままの次男、そして二の腕に脂肪がついてぺたんこの靴を履き、それでも作り笑いをしている自分。』(P42)
引っ越し先で挨拶した時、笑わないお隣さんにあった時の描写。
『どうして私は笑わない人が苦手なんだろう。初めて会った時に笑顔を見せてくれなかった人とはダメだ、と梨々子は思う。でも、本当はうっすらと見えているのだ、目にしたくない答が。誰だって私に対しては笑顔で接してくれるべきだという、根拠のない自信。なぜなら、私は頑張っているからであり、可愛がられる価値のある人間であり、大切にされるべきだからなのだ。およそ非常識でナルシシスティックな理由だった。』(P47)
さらに、お隣さんから病院ボランティアのお誘いを受けた時の会話。
『「主役やりたい人は家にいたらつらいやろ」結構痛烈なことをさらりと言う。主役をやりたい人、か。そんなふうに見えていたのか。いや、当たっていたかもしれない。でも、もう降りたのだ。いつも主役でいたかった梨々子はもういない。しょせん脇役なのだとわきまえたのではなく、舞台から飛び降りてしまった様な気がしていた。』(P184)
さらにさらに。
『自由なはずの東京で縛られて、田舎にいる自分が少しずつ解放されていくのが梨々子には意外だった。多くを望み、期待するから、がんじがらめになるのかもしれない。今の私には何もないから、こんなにゆるく漂っていられるのだろう。誰にも期待したくない。私にも期待してほしくない。それが自由なのかと言われれば答に詰まるが、梨々子はもう降りたかった。』(P214)
尚、タイトルの「田舎の紳士服店のモデルの妻」は、モデルの妻(妻がモデル)ではなく、紳士服店のモデルをやっているのは夫で、その妻という意味です、って誰も間違わないか…
【宮下 奈都(1967年- )は日本の小説家。福井県福井市生まれ。福井県立高志高等学校卒業。上智大学文学部哲学科卒業。
経歴:
2004年、長男、次男に次ぐ、3人目の長女を妊娠中に執筆した「静かな雨」で第98回文學界新人賞佳作を受賞し、小説家デビュー。2010年、『よろこびの歌』で第26回坪田譲治文学賞の候補となる。2012年、『誰かが足りない』で第9回本屋大賞で第7位を受賞する。2013年より1年間、北海道新得町に家族5人で山村留学を経験。2016年、『羊と鋼の森』で第154回直木三十五賞候補、第13回本屋大賞受賞。
幼い頃に読んだ本の中で佐藤さとる『だれも知らない小さな国』を特に気に入っていた。】(ウィキペディア)
Posted by ブクログ
“宮下さん”ってだけで、購入。宮下さんの言葉のチョイスが好きだ。温かみと鋭い視点で、言葉にならなかったことが言葉として触れることができる。
最近なかなか読書できなかったが、読み始めたら隙間時間を使って読めた。読みたい欲で時間が作れたんだと思う。
これから、“母”になる人に読んでもらいたいな~。
“女”はどうしても出産を経て、“母”という役割を与えられる。仕事というと部長とか課長とか急になる感じだなぁ~と思う。急に責任のある役職にあてられたのに引継ぎがない。あっても役に立たない。なのに、上司はいないし、自分で試行錯誤を繰り返すしかない。最大のパートナーだと思っていた夫は、“父”になるまで時間がかかる。“母”という変化は、まったなしで、日々役割をこなしていかなければいけない、そんな人もいるだろう。というか、自分もそうだった。だから、この梨々子の気持ちがよくわかる!何者なのか、自分を見失いそうになる。日本人特有なんだろうな~。
P192
私は大丈夫、どこへ行ってもやっていける。案外こういう小さな言葉が支えになってくれることもあると思う。
実際、亡くなった梨々子の父が言ったかもしれないが、捏造かもしれない言葉だけど、こういうことってあるよね、と激しく同感!
宮下奈都さんのちょこちょこでてくる言葉、文章に、よくこんな風に表現できるな~と感心しながら読んだ。やっぱり宮下さん好きだわ~。
Posted by ブクログ
自分も育休中で、子どもを育て始めたばかりです。今は子どもと向き合い、過ごすだけの毎日。仕事もせず、どこにも行かず、自分は一体何なのだろうと思っていました。
けれども、この本の中に答えのひとつが書いてあり、気持ちが少し軽くなり、自分のことも認めてもらえたようで気持ちも温かくなりました。
P.225 この町がどこにでもあるように、私もどこにでもいる。私にも替えが利く。もしも替えが利かないとしたら、あの子たちの母として、達郎の妻としての竜胆梨々子だけだ。
Posted by ブクログ
本作、ジャケット等見ずにタイトルだけで買いました。
なお私、タイトルを誤解しておりました。
モデルをやっている妻、ということではなく、男性服のモデルをやっている旦那さんの奥さん、の話、ということでした。
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夫のうつ病がきっかけで、東京から福井の夫の実家へ移り住んだ梨々子。都会での華やかな生活から一転、慣れない田舎での暮らし、つかめない夫の心、子育ての不安など、さまざまな葛藤を抱えながら、妻として母として、そして「何者でもない自分」としての日々を生きる10年間を描く物語。
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読んでいて色んな意味で辛く感じました。
一つは、なんで梨々子はこんなにいちいち皆と同じ価値観に縛られるのかという驚き。もう一つは、さりとて自分もその価値観から完全に脱しているわけではないなあという発見。
世の中の一般的な価値観にがんじがらめになり(会社、出世、駐在、この中学受験、キラキラ生活)、夫の鬱とともに家族で田舎に引っ込んでからの、自己の気持ちの整理を描く本作、完全に同じではないのですが、分かるところもちょくちょくあり、最終的には梨々子は頑張ったなあと思いました。
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あと、この夫さんの造形、そして彼に対する梨々子の反応は結構ぐっときました。
私も散々家内を振り回してしまいました。だけどうちの家内も梨々子のように、私のことを(一生)理解できない生き物と思い、自ら孤独の中に生きていると感じているのか?
うちはもう少し仲は良いとは思いますし、家内とは100%分かり合えないと悟っていますが、それでも絶対的な信頼感みたいなのがあり、私は孤独は感じていないです(10-15年くらい前はもっと自信がありません。。。)
ただ、私がどう感じていても、うちの家内が孤独を感じていたとするとこれは悲劇です。
すれ違いが妻を追い込まないように、腹を割った話し合いが必要だなあと感じました。特に旦那の効く耳が必要。私はかつては夫さんのような男であったと感じ、読中に自らの過去を反省しました。
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ということで宮下氏の作品、久しぶりに読みました。
辻村深月さんの解説が梨々子の心象について説明しており秀逸。ぐっときます。
なお梨々子にはこの前読んだ『生きるように働く』をすすめたくなりました。世の中のメインから外れてもいいじゃん。