【感想・ネタバレ】風立ちぬ・美しい村のレビュー

あらすじ

風のように去ってゆく時の流れの裡に、人間の実体を捉えた「風立ちぬ」は、生きることよりは死ぬことの意味を問い、同時に死を越えて生きることの意味をも問うている。バッハの遁走曲(フ-ガ)に思いついたという「美しい村」は、軽井沢でひとり暮しをしながら物語を構想中の若い小説家の見聞と、彼が出会った少女の面影を、音楽的に構成した傑作。ともに、堀辰雄の中期を代表する作品である。

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感情タグBEST3

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軽井沢という異次元で流れる静かな時間のなかで登場人物は静かに人を愛する。「風が立つ。ぼくらは生きようとしなければいけない」ゆっくりとひんやりした時間に浸れる一冊。

全文はブログで
www.akapannotes.com

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2025年09月08日

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主題というか、メインのストーリーの周りをなぞって形作るような不思議な作品でした。情景描写が本当に美しいし、暑い夏に軽井沢の涼しい風を感じました。悲しいけど、生きなければ

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2025年07月30日

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いつかこういう小説を書けたらなと思う、自分にとっての恋愛文学は半永久的にこの作品で在り続けるような気がしている

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2025年11月30日

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生と死をすぐ側に感じながら流れていく日々、自然。「悲しみに似たような幸福」

どこか夢のような香りのする作品、、と感じたりもしたが、主人公の感情の機微は美しい自然の描写とともに痛いほど伝わってくる。

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2025年01月06日

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「風立ちぬ」

幸せと悲しみはこんなにも隣り合わせなのだ
悲しみがないとほんとうの幸せを感じることはできないのかもしれない

そして物語は、「人々がもう行き止まりだと信じているところから始まる」

かなしみの感情は常に自然に包まれる
人間などいかほどのものでもないのだ、、、

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2023年11月26日

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私は死について考えるのが嫌いだ。
祖父母、両親、飼い犬の死を想像するだけで、
どうしようもない喪失感に駆られて涙する。
どうして死なんてものがあるのだろうかと
避けられない死が怖くてたまらない。

けれど『風立ちぬ』に出会って、最愛の人の死を受け入れるヒントをもらった気がする。


「帰つて入らつしやるな。さうしてもしお前に我慢できたら、死者達の間に死んでお出(いで)。死者にもたんと仕事はある。
けれども私に助力はしておくれ、お前の気を散らさない程度で、屡々遠くのものが私に助力をしてくれるやうに――私の裡で。」

作中で「私」が出会うリルケの『レクヰエム』の一文だ。 
敢えて「死者」と呼ぶことで大切な人の死を受け入れ、敢えて「帰ってくるな」と言うことで、死者への未練を断ち切っているようにみえる。
しかし、生者の「私」はこれからも死者の「お前」に助力を受け生き続ける。

『レクヰエム』を読んだ「私」は、「おれが生き続けられているのはみんなお前のおかげなのだ」と節子が残してくれた無償の愛のおかげで今の自分があるのだと振り返る。

死は悲しい。
けれど死者の思い出や存在は、残された者の中で生き続け、それが生者の生きる糧になることもあるのだろう。

大切な人の死を乗り越える方法を、堀辰雄の『風立ちぬ』は教えてくれた。

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2023年02月04日

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病魔におかされた妻との愛おしい生活を、一日一日、繊細に書き込んでいく愛の記録、愛と死、静かにゆっくりと再生へと乗り越えていく物語

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2022年11月07日

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 切なくて綺麗で、アホな感想ですけど蛍みたいな話に感じました。

 「ずっと後になって今の生活を思い出せば、どれだけ美しいだろう」
 この言葉が好きすぎて、さも自分の言葉のように誰かに言いいます。

 ジブリ版の「風立ちぬ」も好きやったんですけど、ジブリ版は物語すぎてちょっと違うなと思いました。
 ジブリ批判ではなく、ただの好みですごめんなさい。宮崎駿さんサイコー!

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2022年02月22日

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美しい村〜風立ちぬ。

美しくて、純粋で、心が癒される。

意識的に一文を長くしつつ、これほど自然に伝わるのは、さすが堀辰雄。

「風立ちぬ、いざ生きやめも」
よく誤訳だと聞くが、堀辰雄らしくていいと思う。彼は、意識的に訳したんだと思う。

最後に、こんな素晴らしい作品を残してくれた堀辰雄に感謝したい。

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2021年06月22日

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「私たちの今の生活ずっとあとになって思い出したらどんなに美しいだろうって…」サナトリウムにいる病床の節子が言うのだ。なんとピュアな、とても幸せで切ない言葉。ハイカラ、軽井沢、サナトリウム、恋と死。堀辰雄の描く、儚く切ない世界観は、晩年病床にあった堀自身の生への執着を投影している。この美しさはなかなか書けない。透き通るような世界、軽井沢にこんな素敵な時代と場所があったのかと思うほど魅力的だ。いや、自分にもこんなピュアな時代はあったろうか。映画化しても演じられそうな現代女優が思いつかない。それくらいピュアな恋愛小説。当然ながら悲しい結末へ。すっかり汚れちまった自分に涙が出てくる。 

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2021年03月03日

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誰かの為に生きる。
なんか寂しい、悲しいけど生きるとはそういう事。

遠藤周作の「満潮の時刻」を読んだ時と同じ感じ。

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2025年10月09日

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軽井沢旅行のお供にと選んだ一冊。前半は馴染みがない難しい表現が多く読み進めづらかったが、サナトリウムに行ってからはすらすら情景が目の前に浮かび、美しかった。人を大切に想うというのはとても綺麗だと思った。

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2024年08月17日

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初めての堀辰雄。
少し読んでみて、なんだか翻訳本を読んでいるかのような印象を受ける。
少し検索するとフランス文学との融合という文言を見付け、納得。
作中にも、フランスの文学作品の名が幾つも登場する。

本作の一文が長いのが気になったが、慣れてくれば、風景描写がとても美しい。
美しいと思った箇所に付箋紙を立てていたらキリがなくなった程。
小説というよりも、長い詩を読んでいるかのような印象を受けた。


『美しい村』
冒頭に"ファウスト第二部"が引用されていたり、作中では感動を交響曲に例えていたり、読んでいると音楽が流れだす作品だ。
本編前も序章ではなく"序曲"であるし、背表紙にもある通り"音楽的に構成されている"。

ここはK村(軽井沢村)。
傷心の主人公(私)は、過去の恋愛事件を小説にしようとK村へやって来る。
けれども初夏のK村の心地好さに、自分は何故あんなにも苦しんでいたのだろうとさえ思えてくる。

そこで1人の少女に心惹かれるのだが、彼女との初めての出会いのシーンも美しい。
主人公は、
「一輪の向日葵が咲きでもしたかのように、何だか思いがけないようなものが、まぶしいほど、日にきらきらとかがやき出したように思えた」
「やっと其処に、黄いろい麦藁帽子をかぶった、背の高い、痩せすぎな、一人の少女が立っているのだということを認めることが出来た」
そして、
「私の知らぬ間に、そこいら一面には、夏らしい匂いが漂い出しているのだった」
と、夏の訪れを知る。

少女への恋心と、軽井沢の美しい自然から、いつしか主人公の過去の恋愛の痛みも癒えてゆく。

さて、印象的に幾度も出てくるサナトリウム。
次の『風立ちぬ』では富士見高原療養所繋が中心的な舞台となる。


『風立ちぬ』
ジブリの「風立ちぬ」は映画館で観たが、本書はその題材となったもの。

「風立ちぬ、いざ生きめやも」は、フランスの詩人ポール・ヴァレリーの詩から引用されている。
"生きめやも"は、"生きなければならぬ"。

美しくて繊細なストーリーだった。
「こういう山のサナトリウムの生活などは、普通の人々がもう行き止まりだと信じているところから始まっているような、特殊な人間性をおのずから帯びてくるものだ」
との一文が印象深かった。
この物語は、その、人々が行き止まりだと信じている先の物語だ。

結核を患っている節子はその命の短さを予感しているが、その純粋で一途な様は儚くも美しい。
主人公(私)は節子に寄り添い、共にサナトリウムで過ごす。
そんな二人は、死を意識すればこそ、替えがたい愛しい日々を重ねてゆく。
「……その少し早い呼吸、私の手をとっているそのしなやかな手、その微笑、それからまたときどき取り交わす平凡な会話、ーーそう云ったものを若し取り除いてしまうとしたら、あとには何も残らないような単一な日々だけれどもーー我々の人生なんぞというものは要素的には実はこれだけなのだ」
健康な私自身の胸にも響く言葉だった。
さらに、こう続く。
「そして、こんなささやかなものだけで私達がこれほどまで満足していられるのは、ただ私がそれをこの女と共にしているからなのだ、と云うことを私は確信していた」
ささやかな日常こそが幸福だと確信できるのは、そこに本当の愛が存在するからだ。

節子が弱っていく様は痛々しいけれど、堀辰雄は美しく昇華しているように感じた。
それでも普段は"彼女"と書かれる"私目線の節子"が、"病人"という三人称で書かれる部分が出てきて、読者である私も、節子の死が近いことを意識する。

節子の隣に居る主人公の複雑な思いが、丁寧に、幾度も表現を変えて描かれる。
二人きりで高原で過ごせる幸せのひととき。
けれどその暮らしは、節子の病がもたらした限りあるひとときであり、先に待っているのは節子の死。
「私達のいくぶん死の味のする生の幸福は……」
「私は彼女と心臓の鼓動さえ共にした」
「……こうして病人と共に愉しむように味わっている生の快楽」
「おれ達がこうしてお互いに与えあっているこの幸福」
「あのときの幸福に似た、しかしもっともっと胸のしめつけられるような見知らない感動」
まだまだ沢山の思いが、作中に溢れている。

その後、主人公は1人K村を訪れ、節子との思い出に浸る。
外国人らに"幸福の谷"と呼ばれているらしき場所も、彼には"死のかげの谷"と言った方が似合いそうだと思える。
けれど冬という季節が見せる景色、節子との思い出、ドイツ人の神父からの言葉などから、
彼の心に変化が現れる。
節子の思い出が寄り添ってくるのを待っていた彼が、
リルケのレクイエムを口ずさむ。
「帰っていらっしゃるな。そうしてもしお前に我慢できたら、
死者達の間に死んでお出。死者にもたんと仕事はある。
けれども私に助力はしておくれ、お前の気を散らさない程度で、
屢々遠くのものが私に助力をしてくれるようにーー私の裡で。」
きっと彼が彼女の亡霊を手放し死を受け止め、此岸と彼岸にラインを引いた瞬間だ。

"風立ちぬ、いざ生きめやも"。

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2023年11月01日

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ネタバレ

特に後半がよかった。文章が綺麗。
「自然なんぞが本当に美しいと思えるのは死んで行こうとする者の眼にだけだ」
というセリフ、なんだかよくわかる。言い得てるなと思った。

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2023年10月05日

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とある若い男と、病気で療養している婚約者。死が否応なく意識される中で、逆に美しくほのかに光る生。確かに文学作品なのだけれど、美しい一枚の風景画を見ているかのよう。

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2022年07月09日

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ネタバレ

軽井沢を初夏6月に訪れ執筆のために青年が滞在している。まだ人のいないヴィラや通る人のない小径、野薔薇やアカシアの花や水車を慈しむ。
絵を描く少女と出会い、嫉妬や焦りを覚え次第に少女の存在が心の中で大きくなっていくのだった。

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2022年06月25日

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バッハ「ト短調のフーガ」の追いかけるようなピアノ曲が創作意欲をかきたてたという。

「美しい村」…序曲 美しい村 夏 暗い道
「風立ちぬ」…序曲 春 風立ちぬ 冬 死のかげの谷

目次をみているとそんな楽の音が聞こえそうである。


「美しい村」

精神的危機(多分、苦しい恋愛)を持てあまして、季節にはまだ早い軽井沢に来て鬱々としている小説家らしい主人公。ラブレターもどきの手紙をうじゃらうじゃら書いて暇をつぶしている。ふざけて書いたが、この序曲手紙部分に若い私はぐっーときたのよね。何故ゆえにか。

文章をいろどっている、高原の乾いた空気、野ばらや藤の花のにほひ、空き家の別荘やバンガロオ、落葉松林へ彷徨い、ヴェランダから見る樅の木の群れ、遠見の中央アルプスの山々。今じゃそれなりに皆、経験して珍しくもないのだが、当時は高嶺の花、憧れが多分に入っているね…。

軽井沢の恋というと、私は古くは野上弥生子の「迷路」、近くは小池真理子の「恋」があるのを思出だすね。

そう、傷心の主人公もほっそりと背の高い、きらきらと光っている特徴のある目ざしの少女にめぐり会ったのだった。ひそやかに恋に落ちていく。恋の行方ははっきりせずに一旦物語を閉じる。


「風立ちぬ」

「美しい村」終章でのいったいどうなるのかしら?という不安な気持ちとあっけなかった後の物語。

「序曲」で別れを予感させときながら「春」ではその少女(節子)と婚約して登場。「お前」なんて呼んじゃって…、えっ!だけどね。しかも、その頃は死病といわれた胸の病に侵されていて。というより「美しい村」で逢った時からだったのかも知れないけど。やっぱりこのパターンは純愛ものにつきものなのね。

八ヶ岳の山麓のサナトリウムに行くことになり、主人公も蜜月旅行ならぬ付き添いでいくことに。風変わりな愛の生活がはじまった。小説にして私小説、堀辰雄の実人生でもあった。

サナトリウムで看病しながら小説を書きはじめ、そのテーマがこの「節子」のこと。しかも「私のことならどうでもお好きなようにお書きなさいな」と軽くあしらわれる。(節子の気持ちは軽くないのだけれど、恋人に仕事ー小説書きをさせたいけなげさなのだ)

主人公の夢想する「小説」の筋は作者の手から物語が離れていくような展開になって来る。作家魂と申そうかよくあることだ。

『病める女主人公の物悲しい死』

『身の終わりを予覚しながら、その衰えかかっている力を尽くして、つとめて快活に、つとめて気高く生きようとしていた娘―恋人の腕に抱かれながら、ただその残される者の悲しみを悲しみながら、自分はさも幸福そうに死んでいった娘、...』小説なのか、物語の中の物語なのか。

けれど、主人公は夢想を恥、恐怖に襲われ悩む。「はたしてこんな生活をさせて幸せなんだろうか?おれの気まぐれではないのか」節子の病気は重くなっていく。

節子は『私達のいまの生活、ずっとあとになって思ひだしたらどんなに美しいだらうって…』と微笑するけれど、主人公私は出会った頃に感じたような『幸福に似た、しかしもっともっと胸のしめつけられるような見知らない感動で自分が一ぱいになっているのを感じ』るのだ。

溶けあう心、一瞬の幸せの色濃い思い出。自分は生きていくのに、たくさん幸せをくれた相手は死んでいく。時を閉じ込め、風の中に気配を感じる。

やっぱり文学の香気がいっぱいだった。

『風立ちぬ いざ生きめやも』

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2021年09月12日

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読んだのは20年以上前か。とにかく美しい文書だったことを覚えている。

山口周『ビジネスの未来』で引用。

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2021年03月19日

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まず「風立ちぬ」を読む。

重い病を患って死に向かう最愛の人「節子」と過ごす主人公の日々の心象が、美しい高原の四季と織り合わされたような物語。

「私達がずっと後になってね、今の私達の生活を思い出すようなことがあったら、それがどんなに美しいだろうと思っていたんだ。」

二人は迫る死の影にも絶望することなく、ある完全な幸福感を一日一日噛みしめるように生きている。それは死の手前にある生ではなく、死を越えてある生の物語。

私達をとりまく風景には私達の心象が反映されているし、心象というものも、とりまく風景の反映を受けている。心に思い描くものと目の前に広がるものの間には、思っている程の境界線がないのかもしれない。堀辰雄の文章を読んでいると、心象と具象が独特の織られ方をしていて、ふとそんな気持ちになった。

宮崎駿監督の「風立ちぬ」の、あの夢の世界の表現や、なぜ震災の後にこの物語が選ばれたのか。そんなことも腑に落ちた。

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2015年09月19日

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この時代の小説は難しい。
当時の軽井沢の自然の美しさがよく伝わってくる1冊です。ストーリーというよりは、自然と心の描写の美しさに感動します。

昔の結核は、お金持ちの場合、こういう別荘みたいなところで療養していたことがわかりました。

この時代の軽井沢に是非行ってみたい。

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2025年06月18日

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堀辰雄文学忌、辰雄忌

先日ultraさんの本棚に山口百恵の「蒼い時」が登録されて、その世代の方々がざわめいておりました(*´꒳`*)
私の持っている文庫の表紙折り返し部分には、
三浦友和、山口百恵の「風立ちぬ」の映画から
3枚の写真が掲載されています
何作かこの二人の映画は観ているのですが
こちらは残念ながら観ていません

「美しい村」
1933から1934年
軽井沢で療養中、プルーストに触発
各章を徐々に発表
⚪︎序曲 精神的に弱った青年
⚪︎美しい村 あるいは小遁走曲(フーガ)
⚪︎夏 ひまわりのような少女登場
⚪︎暗い道 少女との散歩 迷う
バッハのフーガを聴いているうちに小説を音楽的構成としてみる
当時のサナトリウム文学
堀自身肺結核に病み軽井沢でたびたび療養

小説というより散文
風立ちぬの前哨

「風立ちぬ」
こちらもフーガ的に
⚪︎序曲 夏の高原
⚪︎春 美しい村で出会った節子と婚約
   信州のサナトリウムへ向かう
   死へ向かう二人の生活
⚪︎風立ちぬ サナトリウムの夏の終わり
   この生と死の狭間で幸せを追求
   バレリー「海の墓地」
   風立ちぬ いざ生きめやも
   古典の反語表現を訳に導入
   生きるべきか いやどうであろうか
⚪︎冬 婚約者の死
⚪︎死のかげの谷 1936年K村にて
   後日一人で懐古しながらの一時の生活
   リルケ「レクイエム」

出会いから婚約 そして死別まで 儚い結婚生活の夢を追いつつ 今の幸福に満たされるかの愛情物語
本の断捨離のつもりで記録にしたけど
やっぱり捨てられないので本棚に戻すことにしました

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2025年05月28日

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風立ちぬも美しい村も詩的な美しさを感じられ情景がありありと浮かんでくる文章であった。しかしそれが故に動きのないストーリー展開であり、その表現が寧ろまどろっこしくも感じた。

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2024年05月27日

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美しく精緻な季節や風景描写が、本当に軽井沢のようなところに自分を飛ばしてくれる。風立ちぬ、は、2人で幸福だと必死に思い込もうとしている中に、迫り来る死の影の恐怖をすごく感じられた

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2024年03月31日

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あまりこの手の小説を読んだ事がないので上手く言い表せないが、ゆっくりとした空気感の描写が上手い。ただ節子の人称が「彼女」や「患者」などコロコロ変わるので読みづらい部分もあった。結局亡くなったってことなのかな。

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2024年03月12日

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両作品とも自然の描写が素晴らしい。
静かに淡々と時が流れる。
人の気持ちも自然を通して語られる。
美しい村は少し難しいと感じた。
風立ちぬは流れるように読み進められた。
他の作品も読んでみたくなった。

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2024年02月17日

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小淵沢に行ったので避暑地の物語的なものを読みたくて調べたらまっさきにこれがヒットしました。

軽井沢が舞台だと思っていたら、前日譚のような『美しい村』は旧軽井沢が舞台ですが、『風立ちぬ』のサナトリウムは富士見高原療養所がモデルでした。現在は富士見高原病院ですが2012年までは資料館として建物が残っていたとか。

富士見にはmountain bookcaseさんに行ったとき、少し歩きました。今ではだいぶ変わっているはずだけど、主人公が散歩した谷や雑木林を現在の風景に重ねてイメージしてみる。

堀辰雄は初めて読みましたが、風景の綴り方や文体のリズムが詩のようで美しいですね。

中村真一郎の解説に「堀辰雄の文学は、この世ならぬ、ある香りのようなもの、実在しない、素敵な夢のようなもの、現実であるには純粋すぎるもの、というふうに受けとられ」がちで「そのような作品を書いた作者は、やはりこの雑駁な社会には生きていなかった、人間ではない妖精のような存在だと、誤解される結果になっている。」とありますが、私もそれに近い感じで読みました。

病床の婚約者とともに山の中のサナトリウムで孤独に過ごす日々をどこか甘い夢のように描いているのですが、実際に堀辰雄は婚約者と療養所に滞在しているので、実体験をこんな風に書いてしまうなんて、この作家は現実も少し浮世離れして生きているんじゃないかと考えたりしました。

『美しい村』も実体験が元になっているとすると、軽井沢に滞在しているうちに若い女の子たちと知り合い、そのうちの一人と恋をして、数年後にまた同じ場所で別の少女と出会う、なんてどんなモテ男なんだ。思わず顔写真をチェックしちゃったけど、文学青年って感じですね。

堀辰雄が滞在して執筆したという信濃追分の湯屋旅館は現在ギャラリーに、『美しい村』のモデルとなった、つるや旅館なども残っているようなのでいつか行ってみたいです。


以下、引用

48
……その二人が中庭を立ち去ってしまった跡も、私はしばらく、今しがたまでその少女が向日葵のように立っていた窓ぎわの方へ、すこし空虚になった眼ざしをやっていたが、ふと気づくと、そこいらへんの感じが、それまでとは何だかすっかり変ってしまっているのだ。私の知らぬ間に、そこいら一面には夏らしい匂いが漂い出しているのだった。

49
丁度、午前中のその時刻の光線の具合で、木洩れ日がまるで地肌を豹の皮のように美しくしている、その小さな坂を、ややもすると滑りそうな足つきで昇ってゆくその背の高い、痩せぎすな後姿を見送りながら、

90
それから私達はしばらくそのまま黙り合っていた。そうすることがこういう花咲き匂うような人生をそのまま少しでも引き留めて置くことが出来でもするかのように。ときおり軟らかな風が向うの生墻の間から抑えつけられていた呼吸かなんぞのように押し出されて、私達の前にしている茂みにまで達し、その葉を僅かに持ち上げながら、それから其処にそういう私達だけをそっくり完全に残したまんま通り過ぎていった。

117
「お前は今日はなんだか見知らない薔薇色の少女みたいだよ」
「知らないわ」彼女はまるで小娘のように顔を両手で隠した。

158
それは矢張りどうも自分の聞き違えだったように私にも思われて来た。が、それよりも先に、そのあたりの枯藪だの、枯木だの、空だのは、すっかり夏の懐かしい姿に立ち返って、私の裡に鮮かに蘇えり出した。……
けれども、そんな三年前の夏の、この村でわたしの持っていたすべての物が既に失われて、いまの自分に何一つ残ってはいない事を、私が本当に知ったのもそれと一しょだった。

163
「こんな美しい空は、こういう風のある寒い日でなければ見られませんですね」

175
堀辰雄の文学は、この世ならぬ、ある香りのようなもの、実在しない、素敵な夢のようなもの、現実であるには純粋すぎるもの、というふうに受けとられ、それが夢見がちな若者の心を捉え、彼等が人生に直面しようとするのを、その眼を外らさせようとする、つまり快い逃避の文学として理解されがちだからである。そして、従ってそのような作品を書いた作者は、やはりこの雑駁な社会には生きていなかった、人間ではない妖精のような存在だと、誤解される結果になっている。

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2023年08月12日

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あめあめ ふれふれ かあさんが じゃのめ(和傘)で おむかえ うれしいな ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン。北原白秋『あめふり』 1925

慾はなく、決して瞋(いか)らず、いつも静かに笑っている。あらゆることを自分を勘定に入れずに。寒さの夏はおろおろ歩き。誉められもせず苦にもされず。宮沢賢治『雨ニモマケズ』1934

自然なんぞが本当に美しいと思えるのは死んで行こうとする者の眼にだけだ。堀辰雄ほり・たつお『風立ちぬ』1936

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2023年07月29日

Posted by ブクログ

心に染みる文章でした。
語らない姿を語ることに長けた作家です。
いつまでも悲しい作品でもあります。

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2023年02月05日

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「風立ちぬ。いざ生きめやも」→「風が吹いた。生きようか、いや生きなどしない」? 諦観?
もともとはフランスの作家ポール・ヴァレリーの詩。もとの詩は「生きねばならぬ」という意志を感じるもの。
・幸福の思い出ほど幸福を妨げるものはない。

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2022年01月04日

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ジブリの風立ちぬは、この風立ちぬと堀越二郎の人生をがっちゃんこしたものである。

この風立ちぬは、妻の結核に付き添う夫の話になっていて、心理的描写は情景描写が、夫や妻の悲しみに暮れる様子を上手く表現している。

場面場面で飛ぶような感じがするので、想像力が少し必要になる。

実体験に基づく話ではあるのでリアリティはたしかに伝わるが、そこまで感動はしない作品ではあった。

ジブリの風立ちぬでは、僕は生きるぞ!という前向きな終わり方をするけれど、この作品はそうではない。

おそらく、ジブリが取り上げていなければ、手に取らなかった作品になっていたと思う。

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2020年07月30日

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