あらすじ
私は体調の悪いときに美しいものを見るという贅沢をしたくなる。香りや色に刺激され、丸善の書棚に檸檬一つを置き--。現実に傷つき病魔と闘いながら、繊細な感受性を表した代表作ほか、12編を収録。(C)KAMAWANU CO.,LTD.All Rights Reserved
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「えたいのしれない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。」主人公は、肺尖カタルによる熱っぽいからだと生活苦、言い知れない焦燥感に苛まれ、京都の町をあてどなく歩く。そしてふと暗い果物屋の店先に檸檬を見つける。それを手に、以前お気に入りであった書店、京都丸善へと向かう。◆梶井基次郎は、明治三十四年に生まれ、肺結核のため昭和七年三十一歳で夭折した短編作家で、この十二ページほどの「檸檬」は彼の代表作である。この作品の中で、彼は日常のとるに足らない素朴なものを宝物のように拾い上げる。そこには、自分はこんなところにも美しさを見出しているのだよ、という若者らしい得意げな感じが見え隠れするが嫌味はない。画家セザンヌに憧れ、自ら「瀬山極」と名乗ったこともある梶井の言葉で、古く甘い記憶を呼び覚ます絵画や映画のようにつづられ、彼と深い親交のあった三好達治の詩のように読む者の五感に語りかける。◆作品の主要舞台である京都丸善を画像検索すると、書棚にレモンを置いた写真が出てくる。京都店の閉鎖が決まったときには、多くのファンがレモンを置いていったと聞く。私事になるが、学生のころ京都丸善を訪れた際、いったいここにいる何人が黄色いレモンを隠し持っているのだろうと考えて何やら愉快になったのを覚えている。今度の休みあたり、またレモンを忍ばせてどこかの本屋に行き、まばゆい照明にも打ち勝つ、ほとばしる「檸檬」の閃光を感じてみたい気もしている。〈N〉
紫雲国語塾通信〈紫のゆかり〉2015年6月号掲載
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檸檬は救いというより、一瞬だけ現実の見え方を狂わせる異物に近い。状況は何も変わっていないのに、世界が軽くなったように錯覚させる。そのズレの中で丸善に檸檬を置く行為は、小さすぎる反抗でありながら、本人にとっては唯一まともに世界へ干渉できた瞬間だったように見える。
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檸檬だけ読み終わった。
丸善という本来ならば青春が詰まっているであろう場所を憂鬱の象徴に、檸檬という瑞々しく単調でポジティブな色を発しているものを物騒な爆弾に、といった色彩豊かな対比が美しかった。また単純に鬱な気分をさっぱり吹き飛ばせればどれだけ良いだろうかという誰しもが持つ気持ちを綺麗に描写されている点も素晴らしかった。
文系の人はこれを授業で取り扱ってもらえるとは羨ましい。私の稚拙な読解力では上記のような平べったい表面的な分析と感想しかできなかったので、詳しい文学的な解説が欲しい。とりあえず最後まで読む。
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これまで読んだ作品の中でも、かなり好きな部類に入る。
精神的に追い詰められた人間が、正常な思考を保てなくなったとき、どこか素っ頓狂な行動を取ってしまうこと。そして、その行動によって当人が一時的な安堵を得るという状態が、この作品にはよく描かれている。
本当に辛いときには感情が抜け落ち、辛いとすら感じなくなる。そうして、ふとした瞬間に不意に笑ってしまったり、理由もなく涙がこぼれたりするものだと思う。
『檸檬』では、店先で見かけたレモンが、ある瞬間に煌々と輝いて見える。
何でもないはずのものが、異様なほど魅力的に感じられる――そんな感覚には、私自身にも覚えがある。
あの状態を経験したことがあるからこそ、この作品には強く共感してしまった。
丸善に檸檬を置くという突飛な行為も、決して突飛なだけではなく、切実な心の発露として理解できてしまう。
そう思わせる力を持った、忘れがたい短編だ。
私も檸檬で丸善爆破したいなぁ。
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無邪気さと生命力に溢れた作品。
表題『檸檬』は言わずもがな、『冬の蝿』『桜の樹の下には』など、虫眼鏡をのぞくような梶井の視点には生を燃やすだけの強い意志に溢れている。
元気のない時にこそ読みたい一作。
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これがいったい国語の授業でどう解説されるのか気になった
同じ物事に対して自分の感じ方がネガティブな方向に変わったことに気付く瞬間、その重みみたいなものはわかる気がする
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舞台は京都の街と丸善の書店という狭い範囲に留まる中、主人公の感情が不安、倦怠、高揚、破壊衝動と目まぐるしく移ろう。
この静的な場面展開と動的な心情の対比が強い魅力となっている。
また、想像上であれ丸善を爆発させる箇所は人間の嵯峨という意識をメタファーとして表現している。
というのも、大好きだったものが一瞬の心の移ろいで大嫌いになったりもするのが人間の面白くも儚い所。
絶対の不在を鮮やかな果実一つに託して描ききったのが檸檬である。
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鬱屈としたモノクロの世界に、檸檬という小さな爆弾。
色と香りが一瞬にして炸裂して、心の奥に火花が散る。
こんなにも静かで鮮やかな「爆発」を描ける筆致、ただただ見事。
梶井基次郎『檸檬』(立東舎 乙女の本棚版)
「えたいの知れない不吉な塊が、
私の心を始終圧えつけていた。」
言葉にできない重さを、
檸檬の鮮やかさがそっと照らす。
イラストと相まって世界感の想像がしやすい。
文豪版岡本太郎『芸術は爆発だ』感がある作品です
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憂鬱や孤独といった感情が、これほどまでに詩的で、しかもその暗さを鮮やかに際立たせた形で表現できるものなのかと、驚いた。
心惹かれた文章を抜き出し、それらを並べて読んでみると、一つひとつが独立した詩のように感じられる。憂鬱の深みや孤独の静けさが、かえって鮮烈な印象となって心に迫ってくる。
類まれな詩的感性を持った者が、憂鬱や孤独と真摯に向き合い続けた末に生まれた芸術だと感じた。
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息子へ)
お父さんには珍しく、文学小説を読んだ。
同級生の作家、万城目学がなんかの小説に、本書の内容をもじった話を書いていたので興味をもった。
文学ということで読むのに一苦労するとおもいきや、、、。たった8ページの超短編小説だ。
お父さんがもった感想は、まさに芸術作品といったところだ。
京都のなんでもない店の鮮やかな描写。
主人公の感情のみずみずしさ。
芸術のことは、ちっともわからないお父さんだが、直感的、感覚的に、本書の芸術性は感じることができた。
もっと、若いうちに、こういった本に接していれば、感性豊かな人間になれていたのかもしれない。
君には若いうちに読むことをおすすめしたい。
(お父さんの本の買い方)
BOOKOFF ¥105
(読め、もしくは、読むな)
読め!
(君が・・・歳のころに)
中学生のころに
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表紙が素敵だったので角川文庫で購入。ざらざらした質感もいい感じ。
物語とするには断片的で、日記とするには茫漠としていて、詩とするには病魔の影が濃すぎる、不思議な感覚の短編集。
眠気に襲われているときや集中力が切れてぼんやりしているときに脳内を駆け巡る凪いだ混沌を、梶井基次郎氏がすくい上げて言葉にしてくれている感覚。
Posted by ブクログ
結構な短さなのにここまで物語としてかけるのがすごい〜〜と思った
檸檬の匂いとか、冷たい感触、そのほかにも視覚的に訴えてくるようなもの、琥珀色や翡翠とか 描写が繊細に脳裏に浮かんできた。
少年の爆破させたい気持ち、でもできない弱さ。だけど、檸檬を置くことでなんだか救われてるのが強さだと思う^ ^
ヨルシカの爆弾魔を聴きながら読んだよ~
Posted by ブクログ
人間の完全な等身大のように感じた
鬱病になり昔と感覚が変わって苦手意識すら持つようになってしまった
鬱病になったということにおいていけなかったのは、過程ではなく鬱病という事実が感覚を変えてしまった
そんな好みが変わった自分に麻薬のような快楽を与えてくれる存在だったのがこの人は檸檬で、昔の感覚を懐かしながら神格化されていて本当に今の人と思考が同じだと感じた
私達もお金が入ったら少しだけ贅沢して質のいいものを買ったりして、昔好きだったものを嘲笑してまた成長したら可愛いって思い始めたり。
散歩しながら色んなことを想像したり、歩いて疲れたら気持ち悪くなったり。
体調が悪い時に周りの子に手を当てて熱があるマウントをとったり
現代でも全くおんなじことがありそうだった
私が面白いと思ったのは最後
自分の心を落ち着かせた檸檬という概念の完璧な形
アンティークなものを扱っていた丸善の中にたった一つだけ異物が入ったら誰でも気になるだろう
そしてそんなことをして出て行った人はまた妄想を膨らませる
気まぐれさと破天荒さが文字通り爆弾のように落とされて終わる
思わず笑ってしまう楽しいお話だった
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檸檬
その狂気と寂しさと、どうしようもなさに
激しく共感してしまう
これからその世界を抜け出して生きれる気がしないというか,それを望んでいない自分がいる気もしていて怖い
あれ?私は病んでるのだろうか?
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「檸檬」と「櫻の樹の下には」は読んだことあったけど、その他も読んでみようかと。
どれも良かったけど、上記2つ以外だと冬の蝿が好き。中学の頃に櫻の樹を読んで自分以外に同じことを思っていたひとがいた!と痛々しく喜んでいた記憶が蘇った。筆者の写真からなんとなく乾燥した?ドライな人かと思ってたけど全編通して、じっとりとうだうだした人間味を感じた。
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「檸檬」と「桜の樹の下には」以外は初めて読みました。
この二つはやはり面白いなぁと。
体調の悪い主人公が全編鬱鬱してる感じ。
解説がもう少し面白いと良かったかなぁ。
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檸檬の存在、冷たさが一人ぼっちでいた作者にとって友達と重なる部分があったんだろう
かつて、不吉な魂を抱える前に好きだった丸善の存在を否定するようになったこの小説は自分自身の存在を否定しているようにも思える
全体的に病んだ人物のエピソードだった
文の作りがとても綺麗
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誰ってんじゃないが僕の友人を見ているようだった。「そこ」か「ここ」かにある得体の知れない恐怖がいよいよ実体を持とうとしているのを、どこか心待ちにしているような、不本意な他人事というか、究極の他力本願というか。『ある崖上の感情』が好き。「歩け。歩け。歩き殺してしまえ。」「闇!」
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得体の知れない不吉な塊
抽象的な表現が多い中で、この感覚で作品に共感できるようになった。
レモンに希望を見出す読後感の気持ちいい作品ですが、鬱鬱とした現実との表裏一体を想像できる背景が面白かったです。
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学生の頃に読んで、勝手な解釈で映像化した。
檸檬。ベートーヴェンの楽譜を見てうっとりするような、舶来物好きなインテリ純朴青年の梶井氏は、自らの命の短さに絶望しながら、気詰まりに感じるようになった丸善を希望の象徴として木っ端微塵にする事で、欲望と魂の浄化と共にこの世を去ったのだろう。
Posted by ブクログ
描写される陰鬱な感情に、あまりにも身に覚えがあり過ぎる。
日常の小さな場面を切り取って表現する能力が高くて、情景と自分の肌が溶け合うような、境い目がなくなるような感覚がした。
Posted by ブクログ
現実の生活が重苦しい。焦燥。嫌悪。憂鬱。肺尖による熱。ある日、果物屋で一個の檸檬を買う。檸檬はひんやり冷たい。香りを嗅ぐと温かい血のほとぼりが昇ってくる。憂鬱が紛れる。書店(丸善)に入る。すると憂鬱がまた立ち込めてきた。画集(美術)の棚に行き、重い本を積み上げてみる。奇怪な幻想的な(本の)城。その城壁の頂に恐る恐る檸檬を据えた。檸檬の周囲だけ変に緊張している。書店を出る。檸檬が大爆発し、気詰まりな丸善がこっぱみじんになる姿を想像した。梶井基次郎『檸檬』1925
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佐藤春夫『田園の憂鬱』1919
あめあめ ふれふれ かあさんが じゃのめ(和傘)で おむかえ うれしいな ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン。北原白秋『あめふり』 1925
山椒魚。岩屋の中に棲んでいるうちに体が大きくなり、外に出られなくなる。独りぼっち。深いため息。すすり泣き。ある日、一匹の蛙が岩屋にまぎれこむ。山椒魚は蛙を外に出られないよう閉じ込めた。他人も自分と同じ状態へ引きずり込んでやる。山椒魚と蛙は罵り合いを始める。一年が過ぎ、二年が過ぎた。蛙は深いため息をつく。蛙「空腹で動けない、もう駄目のようだ」。山椒魚「今、何を考えているのか?」。蛙「今でもべつにお前のことをおこってはいないんだ」。井伏鱒二(いぶせ・ますじ)『山椒魚』1929
「これは何という木ですか」と、お墓のそばの木の名をたずねたが、町長さんの返事は海風に消されて聞こえなかった。井伏鱒二『瀬戸うちの人びと』1965
慾はなく、決して瞋(いか)らず、いつも静かに笑っている。あらゆることを自分を勘定に入れずに。寒さの夏はおろおろ歩き。誉められもせず苦にもされず。宮沢賢治『雨ニモマケズ』1934
ジョバンニ。孤独な少年。ザネリにいじめられている。ある日、丘の上で星空を眺めていると、いつの間にか列車の中にいる。そこには親友カムパネルラの姿も。列車の中で、化石を発掘する学者、鳥を捕まえて商売する人、かおる子・タダシ姉弟に出会う。気づくと、親友カムパネルラがいない。ジョバンニはもといた丘にいる。川に落ちたザネリを助けようと川に飛び込んだカムパネルラが見つからないという。宮沢賢治『銀河鉄道の夜』1941
※カムパネルラ。太陽の都のトンマーゾ・カンパネッラから、という説。
私。男。絵を描くのが好きな女・節子に出会い、恋に落ち、婚約。病弱な節子に付き添い、南アルプスの療養施設(サナトリウム)で暮らすことに。死の臭いと生の幸せ。節子は夏の暑さで体力を失い、冬に血痰を吐く。ある日、節子は私の髪を撫でながら、髪に雪が…とつぶやき、息を引き取る。自然なんぞが本当に美しいと思えるのは死んで行こうとする者の眼にだけだ。堀辰雄『風立ちぬ(風が立った)』1938
セバスチャン・ロドリゴ。男。ポルトガル人。イエズス会の宣教師。恩師フェレイラ神父の消息を確かめるため、キリスト教布教が禁止されている日本に密入国。幕府に捕えられる。絵踏を拒んだ日本の信徒(貧農)たちが穴吊り・水責め・磔などの拷問を受ける。ただでさえ貧しく過酷な生活をしている貧農たちが、キリスト教徒であるがため、さらなる苦痛を味わっている。しかし奇跡は起きない。神の声は聞こえない。救済も現れない。ロドリゴ「なぜ神は沈黙しているのか」。幕府「おまえがキリストの絵を踏めば、農民たちへの拷問は止める。表向きの棄教でよい」。ロドリゴ「神への忠誠を貫くために、他人の命を犠牲にしてよいのか」。ロドリゴは苦悩する。「踏むがいい」。キリストの声を聞いた気がした。ロドリゴはキリストの絵を踏み、背教者として生きる道を選ぶ。遠藤周作『沈黙』1966
〇キチジロー。男。貧農。キリスト教信者。何度も棄教し裏切るが、何度も赦しを求める。人間の弱さ。
〇クリストヴァン・フェレイラ。男。ポルトガル人。イエズス会の宣教師。ロドリゴの恩師。日本で拷問を受け棄教。日本はキリスト教の育たない沼沢地。
〇井上筑後守。男。幕府の役人。ロドリゴを論理的・心理的に追い詰める。
〇ガルペ。男。ポルトガル人。イエズス会の宣教師。キリシタン農民を助けようとして殉教。
*バテレン追放令(1587), サン=フェリペ号事件(1596), ロドリゴ上陸(c1638)
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心象系
細やかな自然描写は綺麗だとおもったし面白い観点だと思う。
病人、散歩、妄想。
一話10ページ程の短編集で大体が同じような話でおなかいっぱいになってしまった。
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美しいと感じるものを切り取る力が素晴らしい
ほとんどが主人公の内面描写のみで完結するが、圧倒的な描写力で満足感がある
"積まれた本の頂上に檸檬"この光景を想像するだけでワクワクさせられる
なぜ主人公はこの檸檬の塔を作り上げて爆発させたかったのか
本屋を爆破したいというのは、本への愛が反転して憎しみに変わってるのか 愛に応えられなかった時のための予防線みたいなものか
Posted by ブクログ
久しぶりに、純文学を読んだので1冊読み終わるのに時間がかかってしまった。
あと1冊ずっと鬱々とした雰囲気に覆われているせいもある。
作者本人の精神状態がそうなんだろうけど、ずっと湿った薄暗い部屋で書いてるみたいな。
でも表題の檸檬は好き。ちょっと破滅的ではあるが。
個人的にいちばん驚いたのが、時々なにかで聞く「桜の木の下には死体が埋まっている」の始祖がまさかのこれだったということ。
Posted by ブクログ
檸檬
2025.12.02
病んでいる人の世界の捉え方なのかなと。
ちっぽけな檸檬に着目して壮大な破壊を想像する主人公。全てめちゃくちゃにして終わりにしてしまいたいという気持ちだろうか。
Posted by ブクログ
抒情的な本を読みたい。そう思ってAIに「明治〜昭和15年までで、叙情的な小説を書く文豪を紹介して」と頼んだ。真っ先に出てきたのは、この梶井基次郎「檸檬」だった。
朝の家事を終え、のんびりとこたつに足を伸ばしながら読み始めた「檸檬」は、AIの紹介文に書かれた通り、そしてタイトルの爽やかさとは裏腹に、不吉で意味の分からない話だった。
確か学生の頃、名作として紹介されていた気がする。
「……これが?」
真っ先に浮かんだのはそんな疑問だった。
鬱々とした主人公の日常に、爽やかな刺激を与える檸檬の香り。鬱々の原因となる丸善。末路は唖然としたものだ。荒唐無稽甚だしい。
でも鬱々とした人とはあんなものだろう。私も経験があるが、人間は時折意味の分からないことをするものだ。それを見事に切り出した梶井基次郎は、実体験かもしれないが、素晴らしい観察眼と卓越した文章力を持つ作家だったのだろう。
面白かった……のだろうか?なんとも頭を悩ませる作品だった。