あらすじ
私は体調の悪いときに美しいものを見るという贅沢をしたくなる。香りや色に刺激され、丸善の書棚に檸檬一つを置き--。現実に傷つき病魔と闘いながら、繊細な感受性を表した代表作ほか、12編を収録。(C)KAMAWANU CO.,LTD.All Rights Reserved
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無邪気さと生命力に溢れた作品。
表題『檸檬』は言わずもがな、『冬の蝿』『桜の樹の下には』など、虫眼鏡をのぞくような梶井の視点には生を燃やすだけの強い意志に溢れている。
元気のない時にこそ読みたい一作。
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これがいったい国語の授業でどう解説されるのか気になった
同じ物事に対して自分の感じ方がネガティブな方向に変わったことに気付く瞬間、その重みみたいなものはわかる気がする
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舞台は京都の街と丸善の書店という狭い範囲に留まる中、主人公の感情が不安、倦怠、高揚、破壊衝動と目まぐるしく移ろう。
この静的な場面展開と動的な心情の対比が強い魅力となっている。
また、想像上であれ丸善を爆発させる箇所は人間の嵯峨という意識をメタファーとして表現している。
というのも、大好きだったものが一瞬の心の移ろいで大嫌いになったりもするのが人間の面白くも儚い所。
絶対の不在を鮮やかな果実一つに託して描ききったのが檸檬である。
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鬱屈としたモノクロの世界に、檸檬という小さな爆弾。
色と香りが一瞬にして炸裂して、心の奥に火花が散る。
こんなにも静かで鮮やかな「爆発」を描ける筆致、ただただ見事。
梶井基次郎『檸檬』(立東舎 乙女の本棚版)
「えたいの知れない不吉な塊が、
私の心を始終圧えつけていた。」
言葉にできない重さを、
檸檬の鮮やかさがそっと照らす。
イラストと相まって世界感の想像がしやすい。
文豪版岡本太郎『芸術は爆発だ』感がある作品です
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憂鬱や孤独といった感情が、これほどまでに詩的で、しかもその暗さを鮮やかに際立たせた形で表現できるものなのかと、驚いた。
心惹かれた文章を抜き出し、それらを並べて読んでみると、一つひとつが独立した詩のように感じられる。憂鬱の深みや孤独の静けさが、かえって鮮烈な印象となって心に迫ってくる。
類まれな詩的感性を持った者が、憂鬱や孤独と真摯に向き合い続けた末に生まれた芸術だと感じた。
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檸檬だけ青空文庫で読みました。
怠惰による焦燥であったり、劣等感であったり、胸の奥や頭の中にどんよりと渦巻いている薄暗い感情をなんと言っていいのか分からないけれど、満たされていないという不幸と断言できない幸福を渇望する感情がものすごく美しく表現されていて見事でした。中学、高校時代に希死念慮とまでは言えないけれど満たされていないという気持ちがずっと取り巻いていたことがあり、非常に主人公に共感しやすい本でした。
自身に納得していない人生を送っている時は豪華絢爛であったり大衆嗜好の文化を受け入れられず寂れ、捻くれたサブカルチャー的なものに強く惹かれるという部分や、そうしてであった檸檬を真の幸福の象徴として描き、あまつさえ幸福を数量化して自身で勝手に越に浸ったりニヒリストを気取るという行為は最高に好きな描写です。そうして丸善の中に入り過去の自分が好んだものや価値観などを新しい幸福の象徴である檸檬によって爆破するのは新しい自分が誕生した瞬間に出逢えたと感じました。
私にとっての檸檬は今僕自身を取り巻いている人間関係だと解釈しました。大学に入るまでずっと婉曲し鬱屈し、共感されない窮屈な学生生活を送ってきた自分にとって、僕よりも文化的に色々なものを知っていたり価値観が育まれている人に囲まれて、今までの過去の自分が地続きになっていながらも新しい自分が誕生したんだと勝手に共感しました。私は檸檬を置いて行かず持ち続けたいです。
桜の樹の下には
これは存在をキタニタツヤのpinkで知っていたけど読んでませんでした。冒頭のキャッチーな文章から終了まで一瞬で読める手軽さでありながら、生死を彷彿とさせる内容を取り扱っているのが面白かったです。バラの花に美しさと同時に妖艶さや危険さを感じるように、満開の桜に忌避感を覚え死体が埋まっているという解釈。そしてその描写が生々しく鮮明であり脳内にありありと浮かんでくるのは流石でした。そしてなんと言っても「俺には惨劇が必要なんだ。その平衡があって、はじめて俺の心象は明確になって来る。俺の心は悪鬼のように憂鬱に渇いている。俺の心に憂鬱が完成するときにばかり、俺の心は和んでくる。」この台詞が確信的だと思いました。幸福というのは相対的にできていて、不幸があるから幸福を噛み締めることが出来るというのは月並みだけれども納得のいく理屈です。ホラー映画や不快な気持ちになったり悲しい気持ちになる作品を見ると確かに気分は沈むけれど、どこか自分の居場所を確かめて幸福だと感じている卑しい気持ちの正体はこの事だったんだと認識出来ました。
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昔読んだきりで、檸檬というタイトル以外印象にも残っていなかったが、最近読み返す機会があり、文章の上手さを今さらながら感じた。情景が鋭く鮮やかに浮かんでくる感じが爽快だった。
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短編ながら日本近代文学の歴史に残る傑作が並ぶ。何気ない自然や風景、子供の描写に作者独特の瑞々しさを感じる。生来、感受性豊かな作者が持病によって常に死を意識する状況の中で「生」を感じさせるものに対してより鋭敏な感受性を発揮したのではないか。
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高校時代に現代文でやった「檸檬」をもう一度読んでみたい&装丁が可愛いので購入し読んでみた。
どの作品も病を抱えた人間が登場し、そんな敏感な感覚になっている人物の心の動きが丁寧に描かれていてどんなに病で苦しくても生活を続けなければならないという姿に心を動かされた。
好きだったのは、
「檸檬」、「桜の樹の下には」などのメジャーどころから、「Kの昇天」、「冬の日」、「ある崖上の感情」などもすごく良かった。
この中で特に好きだったのが「Kの昇天」で、舞台が夜の海という点で惹かれるし、タイトルや読み進めていくと感じるSF感にワクワクも感じた。
作品中で他の書籍についての言及もあり、それも読んでみたいと感じた。
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「桜の木の下には」
桜の木の下には屍体が埋まっている。 という一文から始まり、インパクトを受けた。独特の言い回しが面白く、あっという間に読んでしまった。読み終わった後、何となく伝えたいことは分かるが言語化が出来ない…とモヤモヤしていたので、色々な人の解釈を見てみた。すると「美しさと死は表裏一体」という言葉がものすごくしっくりときた。「檸檬」でも感じたが、梶井さんは美しいものと何かを対比させる話が多いのかな?と感じた。(違っていたらごめんなさい…)このような話は大好きなので、似たような作品を探そうと思う。
ここからは私が個人的に思ったことであり、考察などでは全くないが、桜と死は何故か深い関わりがあるというイメージがこの本を読む前からある。桜が散るのが儚いと感じるからなのか、春=自殺者が多いという偏見があるからなのかは分からないが。
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良かった
「Kの昇天」と「桜の樹の下」「のんきな患者」がお気に入りです。
日常に潜む憂鬱、その中にある綺麗さや尊い感情が繊細でとても良かったです。
彼の背景を調べると
なるほど…となる内容だったり言葉選びだったりします。
「のんきな患者」ではもろに出ていて、痛々しさ、揺らぐ精神、理由のある妥協。
リアリティーに溢れすぎて怖かったとゆうかどうしようもない気持ちになれます。
理由のない日々の虚無感を抱えてる人や純文学に興味のある人にぜひ読んでみてほしい一冊
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誰ってんじゃないが僕の友人を見ているようだった。「そこ」か「ここ」かにある得体の知れない恐怖がいよいよ実体を持とうとしているのを、どこか心待ちにしているような、不本意な他人事というか、究極の他力本願というか。『ある崖上の感情』が好き。「歩け。歩け。歩き殺してしまえ。」「闇!」
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得体の知れない不吉な塊
抽象的な表現が多い中で、この感覚で作品に共感できるようになった。
レモンに希望を見出す読後感の気持ちいい作品ですが、鬱鬱とした現実との表裏一体を想像できる背景が面白かったです。
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学生の頃に読んで、勝手な解釈で映像化した。
檸檬。ベートーヴェンの楽譜を見てうっとりするような、舶来物好きなインテリ純朴青年の梶井氏は、自らの命の短さに絶望しながら、気詰まりに感じるようになった丸善を希望の象徴として木っ端微塵にする事で、欲望と魂の浄化と共にこの世を去ったのだろう。
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描写される陰鬱な感情に、あまりにも身に覚えがあり過ぎる。
日常の小さな場面を切り取って表現する能力が高くて、情景と自分の肌が溶け合うような、境い目がなくなるような感覚がした。
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『檸檬』、『桜の樹の下には』などは存在は知っていたが初めて読んだ。頽廃にして清澄、と言われれば、なるほど確かにと思う。
自分は分かりやすく面白い『ある崖上の感情』が好きだったな
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檸檬、城のある町にて、桜の木の下を読んだ。
淡々と静かな日常を描いた作品という印象。
つまりはこの重さなんだな。
という言葉が印象的。
えたいの知れない不安をかかえていた、そんな時に出会った檸檬。
単純な塊が、鮮やか色、形、匂い、冷たさを通して美しいものに感じ、えたいの知れない不安はレモンと同じ重さであることに気づく。
今、空は悲しいまで晴れていた。
ー城のある町にてー
病弱で病に伏せることが多かったからか、自分では思うようにならない悩みの核心というところにはあえて触れずに、よりよくしたいという希望を持って、えたいの知れない闇から光を求めていく。
そういうところに価値を置いていたのかな。
表現の端々にそういった著者の繊細さと憂いを感じた。
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あの有名な(「桜の樹の下には」)
桜の樹の下には屍体が埋まっている!
を初めて通して読んだ
夢現で詩的な世界観と
超現実的な緻密さを感じる描写
曼荼羅絵のようだなぁ〜
常に死の影に追われつつも
冷静な頭脳を持つ方だったのかなと
思いつつ読む...
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「Kの昇天」についての感想
「K君はとうとう月世界へ行った」
影やドッペルゲンガーの概念がよく出てくる事から、『私』が少し健康を取り戻した梶井、『K君』が病気が悪化していった梶井、どちらも梶井基次郎だと解釈するとまた一層面白いのではないかと思う
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檸檬読むと心が落ち着く。
本屋で手に取り1ページ目をさっと読んで、おこがましくも「私の感性に似ている!」と衝撃を受け、それから家で本を積んで上にレモンを乗せてみるというニワカ文豪オタクみたいなことをやったこともありました。
レモンを握ったり嗅いだりしてリフレッシュする梶井さんも、桜の木の下には死体が埋まってる!と急に言い出す梶井さんも可愛いですよね
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抒情的な本を読みたい。そう思ってAIに「明治〜昭和15年までで、叙情的な小説を書く文豪を紹介して」と頼んだ。真っ先に出てきたのは、この梶井基次郎「檸檬」だった。
朝の家事を終え、のんびりとこたつに足を伸ばしながら読み始めた「檸檬」は、AIの紹介文に書かれた通り、そしてタイトルの爽やかさとは裏腹に、不吉で意味の分からない話だった。
確か学生の頃、名作として紹介されていた気がする。
「……これが?」
真っ先に浮かんだのはそんな疑問だった。
鬱々とした主人公の日常に、爽やかな刺激を与える檸檬の香り。鬱々の原因となる丸善。末路は唖然としたものだ。荒唐無稽甚だしい。
でも鬱々とした人とはあんなものだろう。私も経験があるが、人間は時折意味の分からないことをするものだ。それを見事に切り出した梶井基次郎は、実体験かもしれないが、素晴らしい観察眼と卓越した文章力を持つ作家だったのだろう。
面白かった……のだろうか?なんとも頭を悩ませる作品だった。
Posted by ブクログ
今まで読んだ作品の中で、最も芸術性を感じた作品でした。すっと理解することは難しいのですが、檸檬の美しさ、魅力がこの作品の世界の中でどのような役割を果たしているのか、非常に深く考えさせられる作品だと思います。
Posted by ブクログ
孤独で憂鬱といった負の感情に悩む主人公
果物屋にある檸檬をみて驚き感動します
“いったい私はあの檸檬が好きだ_”
“いったい…”という言葉の奥に
“一体いつからだろうか…私は昔から檸檬が好きだ”という
心情が隠されているのではないかと思いました
言葉を短縮しながらも
美しい日本語だと感じました
そして檸檬は
主人公の心の状態を表す象徴的な存在で…
みすぼらしいが美しい…という檸檬の姿を
主人公の心の状態と重ねていきます
最後はその檸檬を
ふと抱いたいたずらな感情とともに
洋書店の本棚に置いてきます…
檸檬を通して
一時的に憂鬱を忘れさせてくれる
心の安定剤でもあり
現実から解放するための
夢の象徴として描いたように感じました
檸檬に心奪われ 最後は芸術作品を創りあげ
その罪悪感を主人公は
感じているに違いないと妄想しました
詩的な感じで終わるところが
たまらなく好きでした