【感想・ネタバレ】野菊の墓のレビュー

あらすじ

政夫と民子は仲の良いいとこ同士だが、政夫が十五、民子が十七の頃には、互いの心に清純な恋が芽生えていた。しかし民子が年上であるために、ふたりの思いは遂げられず、政夫は町の中学へ、民子は強いられ嫁いでいく。数年後、帰省した政夫は、愛しい人が自分の写真と手紙を胸に死んでいったと知る。野菊繁る墓前にくずおれる政夫……。涙なしには読めない「野菊の墓」、ほか三作を収録。

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感情タグBEST3

Posted by ブクログ

恋愛小説の古典である。著者は、歌人の伊藤左千夫。彼は、小説はこれぐらいしか残していないから、もしかしたら本人または知人の実話に近いのかもしれない。歌人らしい自然描写が美しく、それだけ悲劇に終わってしまう若い二人の純愛が哀しい。

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2024年07月26日

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なんで今まで読んでこなかったのだろう。
求めていた話がここにあった。
1900年代発表なのも驚き。
似た雰囲気の作品があればそれも読みたい。

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2024年01月20日

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正岡子規に師事していた伊藤左千夫
酪農家でもあった
写生の人。

表現せずには生きられない
文学は道楽ではない「去年」
八女との食卓。生活と文学。

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2023年09月28日

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何度読んでも味わいのある素晴らしい名作だと改めて思いました。
最初に読んだのは、中学生の頃だったと思います。大泣きしました。何と悲しいお話なのだろうと思いました。その後も何度か読み今回。情景描写の美しさ、格調のある文章等読みつがれる理由がよくわらりました。
時を戻すことはできない。その時々を悔いなく生きなければという気持ちが、強く残りました。

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2023年09月17日

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ネタバレ

久々にこんなにピュアな恋愛小説読んだ…。この時代を生きたことはない筈なのになんかリアル。伊藤佐千夫の作品にぐっと興味が湧いた。

終始主人公視点で進むのだけど、民子を礼賛する言葉はほとんど内面に関するもの。外見や性愛に囚われない、イノセントな恋愛だということを示してる。主人公の愛情はヒロインが他人の元へ嫁いでも何ら変わらない。美しすぎる。ムリ。泣いた。素敵すぎる。
この時代の恋愛小説といえばひたすら女性が耐え忍ぶ精神性を尊ぶものが多い印象があって、個人的には政夫の誠意が光る作品だったかも。

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2023年03月09日

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こんなにも綺麗で胸の詰まる恋ってあるのか。一度は体験してみたいけど立ち直る自信は…ねぇ……

政夫さんの精神力には見習うべきものがあります。言葉選びも素晴らしい。相手を想う気持ちに長けてますね。

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2023年01月08日

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ネタバレ

兄嫁なんだアイツ絶対に許さねぇ!

幼さの残る二人が、周りから「デキてんじゃないの?」と言われた途端に意識して恋に落ちてしまうっていうのがなんともリアルで可愛くて良かった。
映画版はきっとラストが改変されてハッピーエンドだろうと信じてたんですけど、やっぱり民子は死ぬんですね。つら……

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2022年01月02日

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子供だましの様な純情話に年甲斐もなく涙がこぼれそうになった。こぼれたのでは無い。そうになったのだ。「民子は死ぬのが本望だ」民の今わのきわ

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2021年04月15日

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言わずと知れた純愛物語。時代の持つ理不尽さもあるけれど、声に出して読みたくなるような綺麗な日本語。伊藤左千夫は歌人だからか言葉のリズムが心地よい。

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2017年07月23日

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「野菊の墓」伊藤左千夫。1906年の小説、新潮文庫。
ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」も、真っ青な、ムズキュン恋愛ドラマです。
ま、オチは楽しくはないですし、ダンスはありませんが。

関東近郊の農村の、ちょいといいとこの、15歳のお坊っちゃん。
親戚の女の子で、坊っちゃんの家に下働きに住み込みで来ている、17歳の女の子。
このふたりが、子供の頃から仲良くて、だんだん初恋になっていって、両思いだったんだけど、女のほうが年上だし、周りが反対して引き裂かれ。女の子は病気で死んでしまった。
と、いうだけの話なんです。
コレが素敵な小説です。
#
あまりにも有名なンだけど、読んでないなあ、というよくある小説で。特に理由もありませんが、読んでみました。
オモシロイ。
読みやすい。
もうほんと、冒頭に書いただけのお話なんです。

若いふたりは、毎日のように仲良くしています。
ただ、微妙に立ち位置は違います。
お坊っちゃんの政夫くんはお坊っちゃんで、東京の学校に進むことが決まって。
民子ちゃんは所詮、働きに来ている立場。家事に追われています。文章を書くこともできないんです。
ちょっと農作業に一緒に行く、とかが、言ってみれば素敵なデートなんです。
周りがだんだんと、「あのふたりはちょっと恋人みたいぢゃないの」と、心無い当てこすりを言うようになって。
そのあたりのストレス感が、「ああ、田舎ってこうだよなあ」という妙なリアル感。
民子のほうが年上だ、ということもあって。政夫が東京に進学して、帰省してみるともう民子は家にいなくなっています。
実家に帰した。そして、嫁に行くことになった、と。
そして会えないまま歳月が過ぎて、今度は連絡があって帰省してみたら。
なんと民子さんは婚家で苦労した挙句、お産がうまくいかずに病死してしまった…と。
なんともはや、なハナシなんです。
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これがまた、とっても素敵にポエムのような心情豊かな中編小説なんです。
どこまでいっても、ピュアなんです。プラトニックなんです。
政夫くんと民子ちゃんにとっては、いっしょにいて、おしゃべりして、農作業とか行って、そんな日常のひとつひとつが、「いっしょにいると楽しいね」なんです。Hとか、そんなの考えもしていません。
そして、そんな仲良しだったふたりが、恋になっていくステップというか、果実が熟すような温度が、ものすごくくっきりと心情、描かれます。ムズキュンなんてものぢゃないです(笑)。
そこから先に、ふたりの仲は熟すことなく、ポッキリ終わってしまうんです。現実としては。
でもだから、お互いに気持ちの中では、終わってないんですね。
もともと肉体的に性的にどうこう、ということぢゃない訳で。
誰と結婚しようがどうしようが、瞬間冷凍された「恋」は生きているんですねえ。
ただもちろん、嫌なことをいわれて、陰口を言われ、親大人のプレッシャーで嫁いだ民子さんは、ほんとに哀れです。
(ま、現代風に考えれば、結婚した夫のほうだって哀れなんですけれどね)
そして、民子さんから、政夫さんに連絡できないんですね。文章書けないですから。携帯もメールもラインも無いし…。
#
民子さんが死んだあと、握りしめていたのが政夫くんからかつて貰った手紙だった、というラストは、思わず知らずグッと来ちゃいました。そこまでの語り口の素晴らしさ。
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悲劇で、女々しいといえば女々しいのですが、あまりにも無垢な少年少女のお話なんですね。だからなんだか、辛いけど明るい不思議な物語。
最後は無論、涙、ナミダなんだけど、なぜだか不思議に、いじけた味わいにならない。そういう、他者攻撃とか、恨み節になっていかないポエムな読後感。
恥ずかしいと言えば実にハズカシイ小説なんですが、素敵な恋愛物語であることは間違いなく。
奇跡のようなキラキラした少年少女ストーリー。
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そして、このハナシ、伊藤左千夫さんの自伝的実話なんだそうです。
伊藤左千夫さんにとって、これは処女小説だったそうで。どこかで読んだのですが、仲間の集まりで、作者本人が朗読して発表したそうです。
そして、最後に自ら慟哭してしまったそう。
#
新潮文庫で読んだのですが、「野菊の墓」の他に「浜菊」「姪子」「守の家」の短編3つが入っていました。
かつての親友の家を訪れたけど、あまり楽しくなかったという「浜菊」。これはちょっと面白かった。
それから、野菊の墓と同じく自伝的風合いの強い「守の家」。
これは、もっと少年だった頃のお話で、子守娘と坊っちゃん子供の愛惜のお話。
10代くらいだろう、という子守娘の、男の子への愛情がこれまたピュアで、グッと来ました。
どうやら伊藤左千夫さんはこっちに持っていくと強いんですかね。
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「野菊の墓」は何度か映画にもなっています。
なんと松田聖子さんが民子を演じたバージョンもあるはずです。それは未見。
大昔に見た、木下恵介監督の「野菊の如き君なりき」(1955)が、なんにも覚えていないんですが、かなり泣けた、という記憶だけ残っています。
またいつか、再見したいものです。

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2017年01月31日

Posted by ブクログ

受験真っ只中で読みふけっていた。読みやすく、こてこての純愛ながら心打たれた。
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2017/09/19
この作品を手に取ると、鮮明に思い出す。
高校卒業間近の3階の教室の窓際。冬ながら小春日和で日差しが暖かかったこと。中庭に輝くようなハクモクレンが咲いていたこと。冬休みの静かな校舎。先生の担いでいた脚立。何を読んでるの?と聞かれて応えると、「お民さん、」と先生が言った。自分の名前を呼ばれたような気がして、頬が熱くなったこと。暮れるのが早い冬の西日が眩しかったこと。
永遠のような静かな時間が心地よかった。十年、二十年のちにこの本を読んでも、きっとまっさきにこの日を思い出す。幸福を感じたこと。人生でいちばん、美しい日だったこと。

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2017年09月20日

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20年ぶりに再読。子供心に抱いた恋慕の情と今なお燻り続ける悔恨が美しい日本語で表現されており心に染みる。(野菊の墓)

"自分の都合許り考えてる人間は、学問があっても才智があっても財産があっても、あんまり尊いものではない。" (姪子)

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2025年10月19日

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連れても逃げず、ついても行かず、少年は学校に発ち、女性が見送る。それが生涯の別れとなる。矢切の渡しの松戸側。歩いて20分先にある文学碑。時は明治。女の方が年が上。それだけで禁断の恋になる。引き裂かれ、却って募る想い。二人歩いた道に咲いた花。採って渡して喜んで。彼女に喩えたその花が、永久の住家に繁っている。日本に野生の菊はない。よく似た花なら咲いている。幽明遥けく隔つとも1日たりとも去ることのできない心。…数えきれない映像化。時代を超えてに読み継がれてきた物語。捌けてしまう今になってこそ純な愛を求める。

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2025年10月18日

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優しくて控えめな少女と、近所に住む2歳年下の少年の純粋な初恋の話。
子供の幸せを願って、2人を離れ離れにする大人たちが、結局は子供たちを不幸にしてしまう。悲劇の中にあっても、親を責めずに慰めの言葉をかけ、自分自身が強くなろうと決意する少年の強さに感動した。
大人から見ると子どもは未熟に見えるが、子どもなりに自分自身の感情を受け止めて、人生を決めていけるということを信じなければいけないタイミングがあるんだろうなと思った。

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2023年10月26日

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七月三十日 左千夫忌 伊藤左千夫命日ですね。懐かしい野菊の墓でも。

「野菊の墓」1906年 初小説
淡く切なく儚い、野菊の様な少女の初恋。
少年は15歳、従姉妹の民子は17歳。二人は、幼い頃から仲良く、この頃から、お互いに清純な恋心を抱き始めていた。
民子が2歳年上であること、ただそれだけで、母や義姉に二人の恋は認められず、とうとう民子は別の男性に嫁ぐことになる。民子は、精神的に肉体的に弱っていく。そして、流産の後、亡くなってしまう。
少年は、たとえ誰と結婚しようとも民子の心は自分にあると信じていたが、彼女の死は受け入れがたいものだった。彼女の墓の周りを野菊でいっぱいにする。そして、二人への仕打ちに後悔する母親をも支えようとする。成就できなかった初恋に胸が詰まる。
ストレートなストーリー。時には、心の浄化。

「浜菊」
これがなかなかの良作。
友あり遠方より来るが、それをしっくりもてなさない友人。客人は、すこぶる居心地が悪い。年賀状では遊びに来いって書いてあったのに。去年は楽しく再会を楽しんだのに。
客人の内心は謎と不安と不満でいっぱいになる。居た堪れず、翌日にはそそくさと旅立つ。
なんか、もう、いつの時代もあるよね、こんな事。

「姪子」
うーん。働き者の姪子。

「守の家」
子供のお守りの“守”。子供が5歳になり、実家へ戻った“守”の女性。お別れの寂しさ。

昭和の文庫で読んだから、収録短編が今と違うかもしれない。

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2022年07月30日

Posted by ブクログ

ネタバレ


久しぶりに胸きゅん。
普段、イヤミスとかホラーとかおどろおどろしい本ばっかり読んでる自分の中にまだこんなピュアな気持ちが残っていたのかと驚かされるほど、可愛いやりとりにきゅんきゅん。

だからこそ、ラストが哀しい。

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2021年07月24日

Posted by ブクログ

何度目だか忘れたけど、気持ちをピュアに戻したい時に好適な小品。いつまでも色褪せないでホントに古風だけれど 純粋で甘酸っぱくて もどかしくて切なくて、そうだ自分にもこんなのに近い気持ちの時が かつてあったよなぁ 等と大昔を回顧したり ね 笑。あっと言う間に読めるし。

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2018年05月26日

Posted by ブクログ

映画(松田聖子の)を見たので原作も読んでみました。アララギ派らしい素朴ながらも悲しいお話。収録されていた「浜菊」の文章が好きで2回読んだ。

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2018年05月26日

Posted by ブクログ

恋愛小説をちょっと読みたいと思うなら、この切ない恋愛をおすすめしたいなと思いました。
結婚する相手が年上の女性というのが嫌われる時代の男女の話。とても柔らかい雰囲気で二人の気持ちが素直でまっすぐだということが常に伝わってくる文章です。あまりにもまっすぐのため「恋」というものを初めて知った時を思い出します。
また、見方によっては在り来たりな部分もあるかもしれませんが、素直に胸が熱くなったり、目頭が熱くなったりする場面もありました。

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2016年09月09日

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読むきっかけは、北村薫先生の円紫さんと私シリーズで、主人公とその友人たちが『野菊の墓』の聖地である千葉に遊びに行ったのを、なんとなく覚えてたからだと思う。
作品名も学生の頃教科書などで見かけた記憶がある。
表題作の「野菊の墓」は、仕事の昼休み中だったのに涙ぐみながら読み終えた。ストーリーはよくある展開のように思われるんだけど、主人公や民子の家族の悲しさや後悔が、何度も何度も感情に訴えてくるような簡素な文章で表されているから、その悲しみが心に迫ってくる…
昔の農村の爽やかで懐かしい風景の中で、美しく健康的な姿の民子と、政夫との仲を引き裂かれてしまった後のあわれな姿の対比も切ない。
解説によると、伊藤左千夫はこの小説を読み上げながら何度もすすり泣いたそうだけど、これは自伝的な小説なんだろうか。冒頭で、今も民子とのことを思い出しては泣いている、と書いてあったけど、本当のことなんだろうなー。

「浜菊」は、かつての学友が田舎に引っ込み所帯を持ったことで向学心が失われてすっかり変わってしまい、それに落胆するという話だったけど、ちょっとこれは傲慢だよなあと思った。どっちが正しいかは誰にも判断できないし。
ただ昔から友人でも、環境や時代の変化で価値観が変わってしまい、かつてのような関係性でなくなってしまうのは、現代にも通ずることだし、悲しいけれど人生ってそういうものだよなあと思う。
近代化以降の日本でよくあることなのかと思ったけど、もっと昔はどうだったんだろう。例えば江戸時代に任地で田舎に行って戻ってきた人がすっかり人が変わってた、ということはありそう。環境が与える人間の性質への影響は大きいんだろうなあ。

「姪子」はよくわからず、最後の「守の家」は、「野菊の墓」に通ずるような、あの時代の女性の、他者に対する切なくまっすぐな思いが表されていて、印象的だった。

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2025年08月23日

Posted by ブクログ

ネタバレ

北村薫著、秋の花より。
再読するたびにいつか読もうと思っていたコチラをようやく手に取る。

普段あまり遣わない漢字や言葉が多くて、そういえば私、小説たくさん読んできたつもりだったけど、いわゆるクラッシックな名作っていうやつはあんまり読んできてなかったな、ということに思い至った。

と、いうことで読み慣れない古い言葉や漢字に悪戦苦闘…、
短編で良かった。

お話のスジは主人公政夫が、思春期の入口にいた頃、仲の良かった2つ年上の従姉妹とのその関係を周りにとやかく言われ始めたことから意識してしまい、お互いプラトニックな恋心を通わせたタイミングで親や親戚からその仲を引き裂かれ、従姉妹は望まぬ結婚をさせられ、失意のうちに若くして亡くなり…という思い出を振り返って語る、というもの。
従姉妹…民子の亡くなった理由としては嫁に行き、身重になったものの、子どもはおりてしまい後の肥立ちの悪さゆえ、ということらしい。
縁談を断る民子に、政夫の母が言い放つ言葉がなかなか厳しく、また、嫌がる彼女に強引に縁談を勧めた家族の圧も結構しんどかったことだろう。
実際、民子の死に際して政夫の母も民子の家族も大きな責任を感じている。

物語は過去の政夫の視点で進む。

民子の死を伝えた時の、母の詫び言、
墓に参った政夫を出迎えた民子の家族の詫び様に、1番感情を動かされた。
政夫に民子との仲を引き裂いたことを涙ながらに詫びる。
さらに政夫に民子の死、その一部始終を涙ながらに聞かせる。
…いやいや、皆さん、
それでその罪悪感から逃れようとしていませんか?
…なんなんだ、この人たち、と。
秋の花の正ちゃんは、政夫に随分ご立腹でしたが、私は民子が亡くなった後の政夫の母や、民子の家族の詫びようになんだかとてもイライラしてしまった。

いやマジで、
民子の嫁行った先のお家の方にもめちゃくちゃ失礼だろうよ。

2人で茄子をもぐシーンや、綿の畑で過ごす時間、野菊と竜胆のやりとりなど、繊細で美しいところもあったけど、
実はイマイチ政夫や民子にも共感できなかったんだよな。
時代認識の差なのかなー…。

共感ではないが、同情するとしたら、民子の嫁ぎ先の旦那さんに1番同情した。
(おそらく待望のお子さんも亡くなってるわけだし)

とは言え、読み慣れない文体にも関わらず、なんだかんだで感情を動かされる。
美しい悲恋に感動で涙が流れる…という動かされ方ではないけど、集中が途切れず一気に読めたのも良かった。

あ、ほかの3編もじわじわ面白かったです。

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2023年11月28日

Posted by ブクログ

技巧的な面白さは
ないかもしれないけど
牧歌的な昔の日本を味わえた

2歳の差が
こんなに壁になるなんて
現代の人達には
分からない感覚だろうなぁ...

椙山書店にて購入

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2023年10月28日

Posted by ブクログ

ネタバレ

情景描写の美しさや、若い二人の初々しい恋愛がとても素敵だった。
ただ、政夫は恋に恋してるだけのような感じがしてしまった。本当に民子のことを思ってるんだったら会いに行ってやれよ!まあ、15歳だったらそんなもんかなとは思うけど。
あと、民子も最後に握るのは写真と手紙は違うだろ。自分の死後にそれをみた母親達がどんな気持ちになるのか想像できない子じゃないと思うから、もしかしたら無理矢理結婚させられた腹いせとして、自分の死後に傷つけてやろうという魂胆があったのかもだけど、もしそうじゃないんだったら竜胆を握っておけばよかったのに。せっかく政夫=竜胆という2人だけの約束事があったんだから。

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2022年06月16日

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『野菊の墓』
過去に幾度となく映像化されたもののいくつかを見たことあれど原作は初めて。若すぎる2人の儚い恋心が美しく切なく表現されている。嫁いでもなお政夫への思いを持ち続けた民子の健気さもさることながら、悲しい結末に追い込んだ事を後悔し泣いて謝る大人に対し、悲しみを堪えて受け止める政夫の姿が、この物語を一層切なく美しいものにしている。
明治の時代はかくもこのように恋愛には閉鎖的だったのでしょうが、世間体を気にする大人の身勝手さや醜さと言ったものはいつの時代にも当てはまるからこそ時代を超えて読み継がれ映像化もされるのでしょう。
『浜菊』
以前文学の道を志したがその道を諦め家庭を持った者が、今も文学の道を生きるかつての同志の訪問に対し、冷たいもてなしをする言うだけの短い話だが、その邪険な扱い方がちょっと面白く、そんな事あるだろうな、と思ってしまったw
妹が年賀状で、また来てくださいと書いてくれたからと言ってのこのこ訪問してしまったが招かれざる客と悟った主人公。一つの時代が終わった、と感じる瞬間は誰しも経験する事だと思うし、夢を諦め堅実な生活を選んだ人にとって、今も自分の道を生きる友人にはやりきれない複雑な思いを抱く気持ちもわかる。
『守の家』
主人公が幼い時の、子守の娘との思い出。これまたとても短い話でしたがなかなか良かったです。

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2022年05月04日

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可哀想で泣きそうになった。
古典の名作はバッドエンド多い気がする。
貴方は野菊のような人だ、とか好意を直接言わないところが奥ゆかしい感じがしてよかった。

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2021年02月16日

Posted by ブクログ

バッドエンド多し。
しかしよく考えると人生もバッドエンド(?)バッドな区切りは多い。これが正しいリアリズムかもしれない。
現代のスカッと爽快逆転ものは読んで気持ちいいが、実際はそうそう起こらない。

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2018年09月11日

Posted by ブクログ

伊藤左千夫の『野菊の墓』はタイトルとしては知っていたし、いろいろな映画になったのも知っていたけど、読んだことはなかった。明治時代の純愛文学の代表作とのことだが、時代の違いが物語のトーンを決定しており、結局純愛って何?という疑問が離れない。まあ時代背景を学ぶということなんだろうか。

親の決めた相手と結婚するという考え方が主流の時代で、好きな人と結婚できずに病に伏せって亡くなってしまう、そんなことなら好きな人と結婚させればよかったとやっぱり親が考えて慟哭する。であれば、やっぱり親達も好きな人どうしで結婚させるべきだという考えがあったということなのか。親が決めた先というのは家と家が結びつくということもあったとは思うが、そこには違う利害関係や、それは親が何かのために良かれと思ったことなんだろうとも思うが、それはやっぱり純愛と正反対に位置するものなのだろうか。

伊藤左千夫が表現したものは、自由な文体で恋愛を扱う、ということなのか、純愛という性愛などとはかなり遠い位置にある、恋愛経験の幼い段階のことを文学にしたことが珍しいことなのか。なんだか何度も読んだり他人の書評を読むにつけ、表現の世界にとどまってしまっていないか?そんなことを感じたりもしたわけです。

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2018年01月03日

Posted by ブクログ

純愛物なのに、文章が情緒に欠けるなぁ…と思って読んでいたけれど、最後の三文は美しい。政夫と民子の想いを凝縮した文章。
「号泣した」という感想をよく聞くが、わたしはそこまでではなかったかな…?

「野菊の墓」「守の家」は切なく悲しく、「浜菊」は少し皮肉めいていて、「姪子」は暖かみがあったので、この一冊でいろいろな話を楽しめた。

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2017年01月05日

Posted by ブクログ

こういう作品は、アラサーになってから読んじゃだめ、絶対(悲壮感)。


初恋は実らない。

なんて使い古されて手垢の付いた至言でしょうか。初恋は実らない。実を結ばないからこそ、いつまでも瑞々しく、甘酸っぱい思い出として記憶に留められる初恋………。私の初恋の木下くん、元気かな………←

ですが、古典文学の世界にあっては、初恋は悲劇と切っても切り離せるものではありません。

ロミオとジュリエットしかり、ツルゲーネフしかり。

実らないからこそ、
悲劇として幕を閉じるからこそ、
一瞬の強烈な輝きを永遠に留めることのできる初恋……………。

うーーーーーーーーーん。
可哀想だね?(@綿矢りさ)以上の感想出てこない←←←←←

本作、野菊の墓の主人公・政夫と、二つ年長の従姉・民子が、世間体を気にする大人達のせいで離れ離れになり、そして取り返しのつかないあの結末にたどり着くんですが。

うん……………可哀想だね??←←←

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2016年08月14日

Posted by ブクログ

野菊のような人。竜胆のような人。
恋というのは人間である以上、皆共通の感覚。留学中の外国人の恋愛話とか思い出した。
恋愛には某かの制約がつく。世間体、年齢、将来性。本当に今好きな人が運命の人なのかは、誰にもわからない。だからこそ人は、一回一回の出会いを大切にできるのかもしれない。

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2024年12月26日

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