あらすじ
なりゆきでオレオレ詐欺をしてしまった俺は、気付いたら別の俺になっていた。上司も俺だし母親も俺、俺ではない俺、俺たち俺俺。俺でありすぎて、もう何が何だかわからない。増殖していく俺に耐えきれず右往左往する俺同士はやがて――。他人との違いが消えた100%の単一世界から、同調圧力が充満するストレスフルな現代社会を笑う、戦慄の「俺」小説! 大江健三郎賞受賞作。
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Posted by ブクログ
4年ぶりに再読。直前に宇野重規『〈私〉時代のデモクラシー』を読み、それを道標にまたこの作品を読みたくなった。
私なりにこの作品の構造を整理してみる。
ヤソキチがメガトンを辞めると言った時の大樹の反応などに例えられるように、【俺】たちは自分より劣っている存在によって自分の存在価値を感じているのである。
同時に自分も誰かから見下されていたり、同調圧力に晒されたりしていて、自分の存在価値が不安定であることを許せないのである。(「均」的考え)
自分が固有で特別な存在でありたいという思いから、自分を見下したり圧力をかけたりする【俺ら】を「削除」し始める。
しかし元々他の【俺】を見下すことで自分の存在価値を確かめていた【俺】にとって、【俺ら】を「削除」することは自分の存在価値が消失する危機に晒すことになる。
【俺】は食われながら、自分は相手に必要とされていることに気づき、喜びを感じる。また【俺】は【俺】を食いながら、【俺】のおかげで自分が生きていることに気づく。
『〈私〉時代のデモクラシー』では、〈私〉が〈私〉であるためには、〈私〉を認めてくれる存在、他者が必要である、と述べられている。
自分を大切にすることと相手を尊重すること。この2つは相反しているように見えて、実はお互いが必要とし合っているのだ。
この両立を実現するには、【俺】そして【俺ら】を信用することができるかどうかにかかっている。
Posted by ブクログ
最初はちょっととぼけたようななりゆきの俺俺詐欺から始まり、予想外の方向に少しずつ転がっていくストーリー、気付けば物事の細部が少しずつズレていき、現実感を失いながら俺と言う存在を解体して行く。それが思わぬスケールまで広がって、自我と言う存在を、意識を、ここまで深く掘り下げてしまうのかと、気付けば強く引き込まれていた。
Posted by ブクログ
軽いノリから意外と深いテーマへ。
この作家の作品は初めて読みましたが、非常に洒落た作品だと思いました。
途中の流れはこれ必要?という点もあったけど、
思いついた自身のテーマをドヤ顔で描き切った感じが、
非常に好感持てました。
秀逸です。
Posted by ブクログ
テンポのよい文章に、読むほどにスピードが増してくる。
それは、何も考えさせず、読むことそれだけに集中させるための著者の故意なのかもしれない。
あそこにも俺、そこにも俺、ほぼ俺。
実はそれは心地のよいものではなく、俺自身が俺によって翻弄される。
オレオレ詐欺からカジュアルに始まった物語は、想像以上の展開を見せる。
Posted by ブクログ
俺が携帯を盗んだことにより、俺は別人として扱われる。
自分の実家へ帰ると、そこには俺がいた。
そして、知らぬ間に俺は、別人として生き始める。
そして、俺が次々増殖し始める。
俺は、俺らとつるむことにより、初めて俺を必要とされていると感じ、生きている意義を見いだす。
いつの間にか、周りは俺だらけになり、・・・
この本の広告で当初俺俺詐欺に絡めて宣伝されていたと思う。
読み始めて、俺がどんどん増殖して行く場面は面白く、どんどん読み進められた。
が、物語は、増殖した俺が俺俺詐欺に関係するのかと思っていたが違った。
また、俺が増えていくというのは、シュールな世界ではあるけれども、シュールレアリズムとも違う。
俺が俺とつるんで、楽しくやっている場面迄は面白く読めたが、俺の世界が崩壊して行く時点から物語に違和感を感じた。
"何で話すかというと、あの悪夢みたいな俺俺時代を覚えておいてほしいからだ。"
物語の最後ら辺からの引用である。
読み終えて、僕は、解説の中島岳志の社会での役割を演ずる現代人の姿ではなくて、似た者同士でつるんでばかりいる現代人を批評している物語として受け取った。
が、文学とは暗喩、メタファーの世界である。
本書の後半部分の直接的な物語の推移は、いただけない。
俺らの世界が崩壊せずとも、似た者同士世界を批評することは可能ではなかったか?
"いつでも喜怒哀楽を一致させ、考えることも同じで、まるで自分は一人の大きな自分の一部であるかのような感覚に浸っていたかった。"
対立や違和のない人達ばかりと付き合っている人の究極の理想は何か?
それは、全く過不足なく、まるで自分自身と何ら変わらない人達との付き合いかも知れない。
俺は、そこで、"自分が必要とされているという感覚"を得て自己充足を見る。
"何百人集まったって、俺は同じなんだから、一人の俺がいるのと変わんないんだよ“
しかし、それは違いが存在しない退屈な世界かもしれない。
物語の俺たちは、そこで充足してはいるが。
"あいつらにとって法政大生の俺は、ヴィトンのバッグとかみたいなもんなんです』"
この世界にいる僕達は、誰かにとっては取り替え可能な存在かもしれない。
着想は、面白く、であるからに、表現として、後半の物語が、とても残念だ。