あらすじ
あわただしい時代のなかで、貧しくても上昇志向でがんばっていた青年マリウスは、ある美少女に恋をした。謎の男性といつも一緒のコゼットだ。彼女への思いをつのらせる彼だったが、革命騒ぎのまっただなかに巻き込まれ、絶体絶命となる。そのとき、コゼットと一緒にいた男、ジャン・ヴァルジャンと再会した! ジャヴェール警部、凶悪犯テナルディエなどもまじえながら、壮大な物語は感動のクライマックスへと向かう――。
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Posted by ブクログ
かなり昔に完訳版を読もうとして挫折しましたが、抄訳(ところどころを抜き出した翻訳)上下巻、文庫本2冊、読み切りました!
舞台ミュージカルは観たことがあるので、舞台で描かれない場面が補完されていく感じがして、興味深く読み進められました。
エポニーヌとマリウスのやり取り、舞台で出てくるものがあちこちにあります。
舞台最後の方のマリウスとテナルディエのやり取りが今ひとつわかりにくかったのですが、スッキリしました。
バルジャンの中の白の天使と黒の天使、誰もが似たようなことを感じたことがありそう。
p.261〜265に渡るアンジョルラスの演説が素晴らしい。
あとがきに書いてありますが、
完全版は
「馬車でBに行った」と書かずに、
御者がどんな人間か説明し、御者と登場人物のやり取りが書かれ、そしてそれが本筋とは関係が薄い
読みにくいはずです。
最初は抄訳版がわかりやすいのかもしれないと思いました。読み終わった後に、より深掘りするために完訳版もいいかもしれません。
Posted by ブクログ
本当に素晴らしい作品。
激動の時代を生きた人々を、主人公のジャン・バルジャンにだけスポットをあてるのでは無く、脇役もどんな人物なのか想像出来るくらいにそれぞれが詳しく描かれていて、物語の登場人物だけど、そこに生を感じられる。
人々の暮らしがどんな様子なのか、街がどんな状態なのか、とにかく書き込みがすごい。
これで完訳では無いなんて。
完訳はけっこう省いてもよさそうなところがたくさんあって読むのが難しいと聞くので、初めて読む人はこれがいいのでは?
このレ・ミゼラブルを読むと、今度は完訳を読みたくなる。
レミゼの無限ループに陥りそう。
Posted by ブクログ
最近の翻訳版なのでかなり読みやすかった。19世紀フランスの不安定な社会情勢の中で熱気を帯びていく市民と、登場人物を通して描かれる当時の人生観がよくマッチしていて、スピード感と深みが両立されている名作。
Posted by ブクログ
疲れを感じさせない名作でした。
これだけの長編だと途中でダレたりしてしまいがちなのですが、そんなこともなく読み終えられました。一人ひとりが思わぬところで繋がっていて、ラストには本当に安堵と切なさと、色々な感情が一気に押し寄せました。
ジャンが、最期の時にはコレットに見送られて天へと昇ったのには安心しました。悪いことをしていいわけではないですが、やり直すチャンスはある、見てくれる人はいるのだと思えました。誰かに見て欲しいと思わずにする善行が良い結果に繋がるのですね。
Posted by ブクログ
神神神神神!!!!初めて物語で泣きました!!
この本には宗教歴史哲学道徳ユーモア家族愛恋愛友情社会風刺全てが詰まってる!!
ジャン・ヴァルジャンは産まれ(社会)により生き抜くための罪を犯さざるを得なく、パンを盗んでしまった。それにより投獄されたが、餓死寸前の家族の為に自分が働かなくてはならず、何度も脱獄を謀った結果10数年投獄されてしまった。やっと出てきたが家族の行方は分からず、犯罪者だと小石を投げられ宿からも迫害される。そんな中質素な生活をする善良な司教に泊めてもらったが、司教の恩を盗みという仇で返してしまい、後の宿敵ジャヴェールに捕まってしまった。が、司教がそんなジャン・ヴァルジャンを庇ってくれた。仇で返したのに善良に依然として対応してくれた司教はジャン・ヴァルジャンの思考の範囲外で理解が出来なかった。そんな善良さに困惑している時に「この銀食器や燭台をあなたが正直になるために使うと約束しましたね」とある種の呪いをかける。この
"産まれ(貧乏)によって世間の定義した悪の道へ進まざるを得ない低級家庭にはそこから這い上がるための金銭という余裕を与えなくては解決にならない。無慈悲だ!"
というスタンスで本は進んでいく。
ここから場面はファンテーヌとコゼットへと変わっていく。貧乏なファンテーヌは裕福で母性が強そうに見える母親にコゼットを預けるが、その見立ては誤りで義母は狡猾で薄汚い金の亡者だった。そのためファンテーヌは嘘の大金の取り立てのために最初は職を、次は家具を、その次は自慢の白い歯を、その次は最後の楽しみだった髪を、売るものがなくなって売春婦へ、と全てを無慈悲に搾取された。もう一方でコゼットも人として扱われず道具の様に扱われていた。そこで町を復興させ通行キップ(身分証明書のようなもの)を確認される事ない程慈善活動を行ったジャン・ヴァルジャンはマドレーヌ市長として活動していた。そこで犯罪者を心底軽蔑し、公務員を尊敬する社会正義に忠実な頭の硬いジャヴェールが、中級家庭の男に暴行中の哀れなファンテーヌに会い、警察署へ連行したがそこにマドレーヌ市長が「中級家庭の男から手を出した」とファンテーヌの無実を証明。その後家庭の事情を聞いてコゼットとファンテーヌを普通の生活に戻そうと決意するが、そこでジャン・ヴァルジャン間違われた社会的地位の低い男がジャン・ヴァルジャンの罪を着せられそうになる。ここで「罪を告白して低級家庭の犯罪者の罪を軽くする」か「哀れな母子を救うか」の2択を迫られるが、その間にジャヴェールが優しい嘘を破ってしまいファンテーヌはショックで死んでしまった。その後投獄されたが罪を告白してから逃亡し、大枚を叩きコゼットを救った。そうしてジャヴェールに追い回されながら2人の生活が始まる、その途中でマリウスという青年とコゼットは恋に落ちるが、ジャヴェールから逃げるジャン・ヴァルジャンがコゼットを連れてイギリスに行くことになってしまい、マリウスは自暴自棄になり、内乱に参加する。そのタイミングでジャン・ヴァルジャンはマリウスとコゼットの恋を知ってしまい、コゼットを愛していたジャン・ヴァルジャンはマリウスを恨んだが、コゼットの幸せを何よりも案ずる善良なジャン・ヴァルジャンは戦場へ行きマリウスを救い、捕まっていたジャヴェールを救い、泥水を半分溺れながら渡りマリウスを家まで連れ戻してコゼットと幸せにさせた。その幸せに"無期懲役の逃亡犯"である自分はいらないと、自分の感情よりもコゼットの幸福を優先し、最終的に衰弱死してしまう。が、それまでジャン・ヴァルジャンの「自分は無期懲役犯の盗人だ」
という表層的な告ハクを信じていたマリウスが、テナルディエのジャン・ヴァルジャンの秘密をネタにした商売でジャン・ヴァルジャンの"マドレーヌ市長とジャンヴァルヴァンは同一人物"や、"マリウスの命を救ったのはジャン・ヴァルジャン"や、"ジャン・ヴァルジャンはジャヴェールを殺していない。救った"等の偉業を告ハクされ、コゼットと共に大急ぎでジャン・ヴァルジャンの元へと向かった。が既に手遅れに近くジャン・ヴァルジャンは会話をして亡くなってしまった。
「司教様を呼びましょうか?」
「司教様はいらっしゃるよ」
ここで物語で一切泣いたことのなかった私の涙腺が反応してしまいました!最初の呪いとも言える司教の「正直者の善人」という指標に従い続けていた忠誠心の強い善人ジャン・ヴァルジャンが、本人も言っていたように死でやっと解放されたんだな〜(;;)
この本は
・産まれによる不条理、また罪の大きさの違い。
・中級家庭の卑しさ、低級家庭の慈悲深さ(表層的なもので判断はできないという意図)
↓
資本主義社会により生まれる悲劇。不条理!無慈悲!
を終始表していた。上には記入していないが、ジャン・ヴァルジャンのみならずまたそんな低級家庭に産まれ余裕もなく学もなく知恵も金もないはずのエポニーヌの献身さや野性的でユーモアに富んでいたガウローシュにも注目すべき。この2人はこの流れで普通有り得ない空想上にのみ現れる非現実的な存在だが、この2人によって内戦や低級家庭の無慈悲さ不条理さが際立った。法律や社会正義を基盤に道を歩んできたジャルヴェールの自殺。それと、マリウスの祖父と父の関係性で宗教やと政治的価値観の違い、時代的価値観で産まれてしまう家族の隔たりの悲しさ虚しさも実に妙実に描かれてる。きっとこの本は噛めば噛むほど味のするガムなんだろうな!ガムって暗喩もおこがましい!でもコゼット、学がないにしても、作者の主張を表すためにしょうがなかったにしても、マリウスの愛に絆されて父への感謝を一時的にでも忘れるなんて(;;)
Posted by ブクログ
読んでいてくるしい。正しさとはなんなのか。
ジャンもジャベールも、正しいけれど正しくない。
2024/10/15追記
映画をみた。映画だとさらに悲しくて。苦しくて。
ただただ、この時代の風景が寂しくて。
何が正解なのか、何が幸せなのか。何のために人は戦うのか。
平和とは何か。
Posted by ブクログ
下巻で印象に残ったのはジャベール警部
ジャンバルジャンは前科者だけど善行を行う人、ジャベール警部は法律家だけど正義を盾に悪行を行う人として描かれる。
ジャンバルジャンを追いかける中で盲目的に信じてきた法律が完全ではなく、前科者にも善性がある事に気づいてしまったが故に、戸惑い苦しむ。
今までに行ってきた正義は弱者を虐げるものだったかもしれない、厳罰を科された者の中にも善い人がいたかもしれない。
何より、ジャンバルジャンを信用してしまった自分自身も法律に背く存在として許すことができない。
これまでの信念を貫いた必死の行いが、取り返しのつかない過ちだったと気づいてしまう事もまた途方もない苦しみであり、そこで良心に従って苦しむ事ができるジャベール警部もまた悪人ではないと感じた。
Posted by ブクログ
パンを盗み19年間獄中生活を過ごしたジャン・バルジャンは、出獄後に再び盗みを働く
しかし司教の優しさで良心に目覚め、市長となり、過酷な状況で暮らしていた売春婦の娘コゼットを養女として引き取り共に生活を始める
フランス革命下の激動の時代を生きる様々な人の運命が描かれている作品
どの人物にも心の奥に強さと脆さがあって、それがぶつかったり融合する瞬間に感動が生まれるんだよね
この時代を生きる人達のたくましさがひしひしと伝わってくる
特にファンティーヌの行動に胸が締め付けられた
本もとても良いけど、映画、ミュージカルでは音楽がすばらしすぎてこれをもって完成するのではとさえ思う
初めてレミゼの舞台を見たときの衝撃は忘れられない
大人になってもミュージカルが生きがいになるだろうなと思った瞬間だった
お気に入りの曲
❁A Heart Full Of Love(マリウスがコゼットを見つけ出すシーン)
❁Stars(ジャベールが誓うシーン)
Posted by ブクログ
終わりに近づくにつれ苦しくなる、魂と進歩の話。
魂が穢れる、魂が清らか、そんな曖昧な言葉の意味をこの本は教えてくれる。
壮絶だった…。
強くなるには、同じ位のパワーを持つ仲間や家族を持たねばならない。
品物ではなかなか無いと思う。
対話が大事。
そこに魂と愛があるならば。
Posted by ブクログ
下巻は、1832年6月5日に起きたパリ蜂起の模様が中心である。1830年の七月革命でブルボン王朝が倒れた後に、日和見主義のブルジョワジーの推薦によって新たに誕生したフィリップ王政に対する、人民の不満が、深刻な経済状況に加え、コレラの蔓延などで沸騰点に達し、若者たちを中心にパリ市街にバリケードを築き、政府軍と戦った。
血で血を争い、どさくさに紛れて一般市民が死んでしまう。また、正義のための争いの前では殺人が正当化されてしまう、そういう戦闘は肯定したくないが、この蜂起のリーダーであったアンジョルラスの演説には感動して鳥肌がたった。
「自分自身の主権を、われわれは“自由”と呼んでいる。そういった主権がいくつも集まれば、“国家”が生まれる。そして、この複数の主権の集まりの中では、権利が失われることはない。社会の権利のために、一人一人の主権が多少制限されるだけだ。その制限量はみな同じだ。一人一人が他人のためにこうむる制限が同じことを“平等”と呼ぶ。共同の権利とは、個人個人を守るための全員による保護のことだ。一人一人に対する、この全体による保護を“友愛”と呼ぶ。そして、これらの主権の交差する場所こそが“社会”なのだ。(中略)みんな、平等とは誰もが同じ高さにとどまっていることではない。たけの高い草と、小さい柏の木がならんだり、互いに相手を妬み、抑えつけ合う社会のことではない。社会の面では、全員が同じように能力を高める機会を持っていることであり、政治の面では、誰もの一票が同じ重さを持っていることであり、宗教の面では、どの信仰も同じように扱われることなのだ。平等のもとで、無償による義務教育というものが誕生した。全員に義務付けられている小学校。全員にひらかれた中学校。これが基本だ。同じ教育環境によって平等な社会が誕生する。そう、教育が大切なのだ!そこに光明が、救いの光がある!・・・・・みんな、19世紀は偉大だが、20世紀はもっと幸せになれるだろう。そのころには、もう古い歴史を引きずるようなものは残っていない。現在のような支配、侵略、略奪、武力行使による国家間の対立。国王の婚姻がきっかけの文明の変化・・・(中略)みんな、私がこうして語っている現在は、暗くやるせない時代だ。でも、これは将来を形づくるための生みの苦しみなのだ。革命は通行税のようなもので、未来のために高い代償を払う必要がある。・・・バリケードは、敷石や角材や鉄くずでできているのではない。ここは思想と苦悩の二つが積まれ、山となって誕生した。無慈悲と理想がぶつかる場所だ。・・・・同胞よ、ここで亡くなったとしても、未来の輝きに包まれて死ぬのだ。・・・」
これは1832年、今から約200年前のことであり、この後、世界は大きな戦争を2回もして、反省し、先進国は少しずつこの時のアンジョルラスの理想とした社会に近づいてきたわけであるが、この時革命を引っ張ってきた若者は、混乱したフランス社会でこんなに先見の明を持っていたのだと分かり感動した(大多数の人々は理論的にはよくわからず、革命にエネルギーを注いでいただけかもしれないが)。フランス国旗のトリコロール「自由・平等・博愛」の意味が分かった気がする。そして、さらにこの部分が私の胸を打つのは、これが後世の人々によって書かれた歴史書ではなく、その時、タイムリーに現場に居合わせたユゴーによって、ルポタージュのように書かれたということである。
ジャン・バルジャンが革命のバリケードの中からマリウスを救い出し、砲火を逃れるためにパリの真っ暗な地下道を命懸けで通って安全な地上に避難したシーンも圧巻だった。
パリに行ってみたくなった。このような歴史事件があったパリの街並みを見てみたくなった。
子供向けに「ジャン・バルジャン物語」などが刊行されていたから、この小説の主人公はジャン・バルジャンだと思っていた。しかし、「ああ無常」と言われるこの小説の主人公は、蜂起の中で「役に立ちたい」と張り切って、敵の散弾が飛び交う中、無邪気にも歌を歌いながら味方の為に弾薬を拾い集めて死んでいった、貧しい最下層のガウローシュ少年のような名もなき貧しい一般市民だったのだと分かった。
ジャン・バルジャンは若い日、パンを盗んだ罪で投獄され、その後脱獄を繰り返したことで、15年間も獄中生活を送ったが、その後ビジネスで成功し、市長にもなり、再度シャベールに捕まったが、再度脱獄して、追われる生活をしながらも、少女コゼットと幸せな9年間を過ごし、最終的に自分は身を引いてコゼットをマリウスという若者に渡してしまうが、革命で散った若者たちに比べると幸せな人生を送ったかもしれない。
ジャン・バルジャンは、貧困、差別、闘争などの矛盾に満ちた社会の中で、人間が無理やり作った規範と戦った強い、愛に満ちた大きな人だったと思う。
登場人物一人一人の人生がドラマチックで、パリ蜂起という山場もあるので、ミュージカルとしても成功したが、やはり原作(抄訳だが)を読んで、ユゴーの考え方が分かり、本当に良かった。
Posted by ブクログ
こちらの作品はヴィクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』の原作の本質を残しつつ過剰な部分を取り除き英訳したものを日本語訳したものらしく最後まで読みやすい作品でした。
上巻と同様、登場人物それぞれに味があり読み進めるのがとても楽しい作品でしたが、下巻はフランス革命に巻き込まれる場面や最後の方のジャン・ヴァルジャンとコゼットの心が離れていく場面はドキドキと悲しみを感じました。
最後はマリウスに真実が伝わり良かったなと思いますし、ジャン・ヴァルジャンの物語全体での人柄の素晴らしさとコゼット、マリウスとの別れの場面とで自然と涙が出てしまいました。
Posted by ブクログ
下巻はコゼットとマリウスの濃い恋愛が底辺に据えられた展開。少々飾りすぎた語りであるもののジャン・バルジャンなりマリウス視線で没入して読む。革命ゲリラによる籠城の場面で無駄に人物が増え、間延びし停滞するが、それ以外は様々な要素が盛り込まれ、主要人物達がその人柄を活かした活躍をするので興味尽きず読めた。
特に最後のジャン・バルジャンが語らずに去る後の展開がもどかしい。
悪党テナルディエが最後までのさばらせるのは何か意図があったのだろうか。また、ジャヴェール警部の自死は意外だった。
全編を通して自分に正直に生きることの辛さと勇気、正しい人生観というものを考えさせられる。
あとがきによると、本書は原書を半分弱に縮めた英訳版をさらに日本語に訳したもので、読みやすさの根拠だと納得する。原書の訳本ならよほど苦痛を伴う読書となったろう、と安堵した。
洋書を食わず嫌いしている人にもオススメ出来る娯楽作と思う。
Posted by ブクログ
上巻から出てきてた人物すべてが最後につながって、みんながそれぞれの末路を迎える。
大抵は非業の死を迎えるのだが、精一杯生きたからこその満たされた様々な最期が描かれているのがなんとも奥深い。
市街戦のくだりは個人的にはあまり面白みが感じられなかったのでかなり端折りながら読んだけど、それを差し引いても☆5の名作ですね。
Posted by ブクログ
訳者あとがきで知ったが、この上下巻は原書を読みやすくするため色々な箇所をカット、加工しているらしい。そのせいか通して大概読みやすく感じた。
どう表現して良いのか分からないが、魂に訴えかけるものがある作品。罪、愛、神等々色々とキーとなるものがあるが、仮に過ちを犯しても自分次第でやり直しはきく、重要な決断の時は良心に従うべきといったことを改めて思った。
娯楽作品としてもストーリーが秀逸で、万人が楽しめる作品と思う。
Posted by ブクログ
ぃやー、意外だったよね。
レ・ミゼラブル、実はミュージカルも観たことないんだ。
どないにしてロングセラーなのかと思ったら、意外と面白かった。
なぜか?
*まず、思った以上にドラマ性がある。なんというか、盛り上がる場面が随所に出てくるね。
*そして、精神的であると同時に社会的。
主人公その他の内面を描くと同時に、(と言っても、「罪と罰」なみの深いというかダダ漏れのものではなく)社会に対する疑問も呈していて。善とは?法とは?宗教とは?みたいな問いかけもなくもない。
*実はフランス革命期の話だったのか!っていう時代背景すら知らなかったわけだが、そんな歴史性もあったりして。
なかなか興味深かったっす。
ちょっと、これをミュージカルの長さに短縮したらどうなるのか、観てみたくなったかも。
Posted by ブクログ
この角川文庫がだしている『レ・ミゼラブル』は、ハーバード大学の教授がユゴー作の原作にある過剰なほどの背景説明を省き、編集しなおしたものを和訳し出版したものである。なので原作ではまず間違いなく途中で挫折していただろうが、まったく苦に感じることなく楽しめて読めた。
個人からの視点で社会の無情さを痛感させられ、それがフランス革命の大きな時代の波へと展開していくさまはとにかく壮大で、スポットの当たることの少ない社会の溝や矛盾での無情さを浮き彫りにさせてくれている。200年も前の作品なのに現代のわたしたちでも考えさせられる内容だった。
また、終わり方が自分好みで、読み終わった後はしばらく何もせずに余韻に浸ってしまった。さすがは200年たった今でも名作といわれる作品。これは誰かにお勧めしたい本。
他のレビュアーも指摘していたが、かの有名な銀の燭台の話の原作がこれだったとは驚きだった。
Posted by ブクログ
「わたしは生きるために、パンを一斤盗んだ。いまは、生きるために名前を盗んでいる」
ジャン・ヴァルジャンはコゼッタと幸せな生活を送っていた。そこに現れたマリウス。コゼッタはいつまでも子供なわけではない。ジャンはいずれコゼッタと別れなければならない。
革命こそ進歩だと考えるマリウス。退廃した正義を取り戻すため命を捨てる若き反乱者たち。激動の時代に生きた若者と、別人になり影に生きる老人。感情はすべての理論を凌駕する。
Posted by ブクログ
以前見たこの物語を原作とした映画が面白かったので読んでみました。最後の解説でようやく気付いたのですが、どうやらこれは縮訳版だったようですね。違和感なく読むことができ、充分満足してしまったので、完訳版は記憶が薄れてからまた読もうかと思っています。
こういった道徳劇、私は好きです。きっと、物語の展開は都合が良すぎ、また作者の思想部分もなんだか甘ったるすぎる、と思われる方もいるだろうと思いますが、このような『善』への信仰や称賛、憧れというものは、たとえ現実の世界に実際には通用しないとしても、己の内から現れるあらゆる悪徳から心を守るための良き盾となると思うからです。
もしかしたらこう考える人は少数派なのかもしれませんが、少なくとも私は、心が弱いためについ行ってしまう自分の自己中心的な行動に気付くと、「あのときジャン・ヴァルジャンはあんなに苦しみながらも、自分から名乗り出て罰を受けるという高潔な決断をし、その結果、苦労して手に入れた財産も名誉も安楽な生活も失った。そして私はそれに驚き、正しいことだと思った。それなのに、正しさに感動したはずの同じ心で、私はこんなことをしていて、本当に良いのか? 恥ずかしくはないのか?」というような風に反省し、自分の心の中に傲慢や卑怯や妬み等を呼び込まないように気を付けるための味方としています。「こんなとき、ジャン・ヴァルジャンならどうするだろう? アリョーシャなら? ネフリュードフならどうだろう?」という考え方は、過大な自己評価を抑え、自分の至らなさを自覚する良いきっかけになります。偽善的だと思われるかもしれませんが、個人的に、このような意味で道徳劇は有用だと思うのです。
特にこの物語は、善を目指しながらもひどく迷い苦しみ、二転三転する主人公の心理描写が真に迫っており、とても面白く読むことができました。こういった有名な作品は、やはり読む価値があるものですね。
Posted by ブクログ
悪意的にあらすじを述べると、ロリコンの爺と若いストーカーが一人の娘を取り合い、そして極端に狂信的な老人と、都合よく現れる謎の正義感を振りかざす警部が暴れる「許し」「愛」「生きる力」を系譜した物語である。現代版に舞台を移すと、間違いなく駄作となるような気がしないでもない。
面白い、面白くないの二択なら間違いなく面白い。翻訳者のおかげだ。
Posted by ブクログ
上・下巻あわせた感想。
子どもの頃に読んだダイジェスト版よりも楽しめた。
伝えたいメッセージがたくさんあり、より多くの人に読んでもらいたいために、小説という形式にしたのかもしれない。かなり無理な展開だと思う部分もいくつかあったけれど、引き込まれて読んだ。ジャン・ヴァルジャンが自問自答する場面が好きだ。
Posted by ブクログ
物語がダイナミックに進む。
古典なのに読みやすいなぁと思ったら、
過剰な部分を削ぎ落とした版とのこと。
作者は、娯楽小説の体で、神について
書きたかったのだろう。
コゼットが天使だと思ってたら、
ジャン・バルジャンが天使でした。
Posted by ブクログ
エポニーヌよ、最期まで良い子だった。
彼女の最期は悲劇的に見えるけど、彼に愛されないとわかった以上、彼の腕の中で死ねるのは最上の選択ではないか?
マリウスを想うエポニーヌや、コゼットを渡したくない感情がありながら瀕死のマリウスを助けるジャン・ヴァルジャンは、客観的描写のみで本人視点が描かれていない。一見矛盾のように見える行動を突き動かしているのは、複雑なようでいて実はすごく単純なものなのかもしれない。すなわち、良心だ。もしかすると「愛」という言葉の方が文学的かもしれないが、私はあえて「良心」と言いたい。
クライマックス、無事コゼットとマリウスが結ばれて、むしろこれ以上ないくらいのハッピーエンドになってもおかしくないのに、一人苦痛に歪みながら黙して去るジャン・ヴァルジャン、涙無くしては読めなかった。
ヴァルジャンが訪ねてこなかったことに一日気がつかなかったコゼット、無垢ゆえの残酷!
マリウスも力尽くで会わせまいとしてるわけではないのだから(ちょっと陰険だけど)会おうと思えば会える距離に住みながら、徐々に、コゼットの住む町まで行けなくなる、精神的隔たりが大きくなっていく様が胸を打つ。
ああ、孤独に苦しんで!彼は常に孤独だった。側にコゼットがいるときでさえも、真実は胸に秘め、いつも、一人で苦しんで決断していた。
真実を共有できるのはただ一人、宿敵ジャヴェール。でも、彼ももういない。
ジャン・ヴァルジャンとジャヴェールの二人は、ヴィドックという一人の実在の人物をモデルにしていたはず。…ずっとうちで積読になってる彼の伝記を読むべき時がきたか…。
Posted by ブクログ
ようやく読み終わった…というのが正直なところ。しかしながら、これでも原著を半分以下に削ったものの翻訳であるとのこと。
ラストまでずっと悲しい物語ではあったけども、ジャン・ヴァルジャンにほんの少しの救いが訪れて良かった。