【感想・ネタバレ】ヒトラー 上:1889-1936 傲慢のレビュー

あらすじ

「ヒトラー研究」の金字塔、評伝の決定版!

学識と読みやすさを兼ね備え、複雑な構造的要因の移りゆきを解明。英国の泰斗による圧巻の評伝(全2巻)。世界28カ国で刊行、ロングセラーを記録、待望の邦訳! 上巻は誕生から独裁成立までの前半生を活写。口絵写真32頁収録。

「ヒトラーの歴史は、したがってヒトラーの権力の歴史として書かれなければならない。いかにしてヒトラーが権力を手にしたか、その権力の特質は何だったか、ヒトラーはその権力をいかに行使したか、なぜヒトラーはあらゆる制度上の障壁を越えてその権力を拡大しえたか、ヒトラーの権力に対してなぜあれほど弱い抵抗しかみられなかったのか。ただし、こうした問いは、ヒトラーだけではなく、ドイツ社会に向けられねばならない。」
(本文「ヒトラー省察」より)
[内容詳細]
本書(全2巻)は、歴史における個人と社会構造の双方を重視しており、従来のヒトラー研究にありがちな、ヒトラーを「悪」としたうえで、それを中心にナチ時代を再構成するアプローチは採らない。一見、ヒトラーの個人的性格から生じたかにみえる破壊衝動も、社会構造史の研究成果を踏まえつつ、ナチ体制の本質に規定されたものとして捉えている。そして、ヒトラーに無制限な権力を委ね、それを維持させた複雑な政治・社会構造を、さまざまな逸話を織り交ぜて解き明かしていく。その筆致は、読者を惹きつけてやまない、ある種の「サスペンス」に満ちており、まさに英国の歴史家らしい、物語的な書きぶりといえるだろう。本書がヒトラー伝の「決定版」と評価されるのは、根底に著者の長年にわたる徹底した史料渉猟があり、ドイツ史を知り尽くした歴史家ならではの、冷静かつ精密な分析、目配りの効いた記述ゆえだろう。
本書上巻は、ヒトラーの誕生から独裁成立までの前半生を活写。ドイツ現代史、ナチズム研究の世界的権威による圧巻の評伝。世界28ヵ国で刊行、ロングセラーを記録、待望の邦訳!

[目次]
凡例
序文
謝辞
ヒトラー省察
第1章 夢と挫折
第2章 転落
第3章 高揚と憤激
第4章 才能の発見
第5章 ビアホールの扇動家
第6章 「太鼓たたき」
第7章 指導者(フューラー)の登場
第8章 運動の掌握
第9章 躍進
第10章 権力に向かって
第11章 独裁体制の確立
第12章 権力の全面的掌握
第13章 総統のために
口絵写真一覧
参考文献
原注
略語一覧
[原題]Hitler 1889-1936:Hubris

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Posted by ブクログ

ヒトラーが名もなき学生で、世間と隔絶した性格の持ち主で、うだつの上がらない学生時代を過ごし、その後弁舌の才に気づき、幸運と時代の流れに後押しされ、権力を獲得する様が丁寧に綴られています。傍聴していく風船のように権力や自意識は膨れ、もはや自惚れで、周りが見えなくなっている。下巻が楽しみです。

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2022年05月01日

Posted by ブクログ

ヒトラーの伝記であり、研究書でもある。
今まで歴史上の謎とされたことが明らかになっていたり、今回解明された新たな事実もある。
研究書でありながら描写が小説のような迫力に満ちており、格調高い文章で素晴らしい。

ヒトラーを演じたチャップリンは「一人を殺せば殺人者だが100万人を殺せば英雄だ」と言っている。4000万人殺したと言われるチンギスハンはモンゴルでは英雄であり、同じ数を虐殺した毛沢東は天安門広場には肖像画が今も掲げられている。しかしヒットラーのことを英雄視する者はいない。近現代の戦争が起きるのは複数の要因から生まれるものだが、6600万人死亡した2次大戦だけは戦争を起こした原因も一つしかない。ヒトラーがそれを望んだからだ。ヒトラーが政権について以来その政権が揺るがない限り戦争は不可避だった。
この本で描かれるのは、本来ならば社会の片隅に忘れ去られ犯罪者にしかなれないような男が天下を取り、ある民族の滅亡を旗頭に世界征服を目指し、世界史史上最悪の事件を引き起こした、これは実際にあった物語である。

ヒトラーは、閣僚経験や知性や人間性のかけらもないような者、そもそもドイツ人ですらなかった者が、何故、合法的にドイツの首相に上り詰め、国民投票で90%以上の支持率を受け独裁者となり、世界大戦を引き起こしたのか。大勢のヒットラー研究者が目指しているのはその謎の解明であり、同じような状況を2度と再び起こさないようにするためだ。

ヒトラーの得意なのは民衆を引きつける演説だけでなく、 勝負師としての鋭い嗅覚であり、 自らを神格化し信用させ裏切る残忍さである。
一言で言うと人を騙す能力である。 一次大戦敗北で領土を失い、多額の賠償金を盗られ、内戦が勃発、そして大恐慌が起きたドイツ。大恐慌期には、社会と政府の関係が崩壊し、ヴァイマル期にくすぶり続けていた民主主義体制への反感と国辱意識が噴出する危機的状況に陥った。責任を負うべきものに深い怒りが向けられた。時代はヒトラーを必要としていた。与党の首脳陣は議会制民主主義にうんざりして、独裁制の導入を望んでいた。結局政権がヒトラーのもとへ降りて来た。彼らは大衆に人気があったヒトラーを利用しようとした。しかし利用されたのは彼らの方だった。権力を握ったとたん、ヒトラーは豹変する。「長いナイフの夜」と呼ばれる粛清であらゆる敵対者やヒトラーに嫌われた者はもちろん、かつてはヒトラーを支えた盟友達ですら虐殺される。

ヒトラーは1933年に首相になって最初の6年はすべてがうまく行った。一発の弾を撃つことなく、失われた領地を取り戻し、公共事業で景気を回復させ、労働者の待遇を改善する。国民は熱狂し、ヒトラー自身も自分は天才だと思い込み始める。当初ヒトラーは庶民のヒーローであった。「教養ある知的な人びとも含めて、多くの人びとがヒトラーの特異な人格的特徴に抗いがたく魅かれた。その魅力が演技力の賜物だった」その裏では破滅への予兆が高まっていった。
(悪は時として正義の仮面をつけて登場する。戦争が始まるとヒトラーは仮面を脱ぎ捨てその本性をあらわにした。)
上巻「傲慢」では、やることなすことすべてがうまく行き、巨大な自尊心が形成されていく様子が描かれ、下巻「天罰」ではその後絶頂期を迎え、少しづつ塩目が変わっていき、やがてすべてがうまく行かなくなり、破滅に向かっていくヒトラーとドイツが描かれる。
「ヒトラーは誇大な賞賛を無限に受け入れた。災厄を招く傲慢に陥ることは避けられなかった。その傲慢に対して、やがては受けるべき天罰が下り始める。天意が導く道が奈落へと続くものだと理解するだけの先見の明がある者はほとんどいなかった。」

経済的に疲弊していたドイツがさらに世界恐慌に見舞われ、
それに対しヒトラーが財政出動による公共事業で景気は一時的に良くし、失業者を軍隊で吸収しても、その裏では、軍備の増強に公金が湯水のように使われていれば、経済的破綻を招くのは火を見るよりあきらかである。
経済的な破綻は間近であった。それを打開する一番手っとり早い方法は、戦争により、借金を踏み出し、他国の食料と資源を奪うことだったのだ。

こうして様々な謎が明らかになってはきたが、それでも解明されない謎もある。それは悪魔的なまでに強烈なヒトラーの悪運の強さである。

当初ヒトラーは戦争をせずに領土を取り戻していった。ラインラント進駐、オーストリア併合の際にもそれを止めようとする者はいなかった。

チェコスロバキアに関しては戦争で地図上から抹殺させるとヒトラーは意気込んでいた。その時戦争を同じように望む軍部のあるグループがいた。彼らはヒトラーを暗殺するクーデタ計画を立てていた。戦争になったら彼らが親衛隊幹部とヒトラーを逮捕し、暗殺する予定だった。

ヒトラーの進軍命令を合図に首相官邸に突撃する部隊が待機していた。しかしイギリスのチェンバレン首相は譲歩し、ヒトラーも最終的にそれを受け入れ、戦争は中止になった。当時はイギリス国内の平和運動という世論の圧力があったことも理由の一つだった。ミュンヘン会議でヒトラーが要求した地域は領土として認められ、そのかわりもう領土の要求はしないという条約が締結した。ヒトラーが世界をあざむいた瞬間だった。世界は平和に歓喜し、チェンバレンとヒトラーはノーベル平和賞の候補にもなった。チェンバレンはイギリスで大喝采を受け、ヒトラーを「約束をしたことは守る男」と評した。しかしこの半年後チェコはドイツ軍の更なる占領になすすべもなく併合され、その後2次大戦が勃発する。今ではミュンヘン会談は戦争を食い止められなかった歴史の汚点とされている。

戦争反対だけでは戦争は防げない。ロシアのウクライナ侵攻は外交による失敗だと言っている人がいるが歴史を見てみれば外交の失敗だけでは戦争は説明できないことは明らかである。プーチンは明らかにヒトラーの写し鏡である。

もちろんヒトラーの狂気に気が付いている者や敵も多かった。暗殺を実行した個人もいたし、軍部においては「黒いオーケストラ」という秘密組織が常にヒトラーを狙ってた。ソ連も一時暗殺計画を立てていた。しかし42回に及ぶ暗殺計画、10度の暗殺実行も全て失敗に終わった。

この経緯が実に妙で、毒殺しようとするとベジタリアンだったヒトラーは毒物を口にしないし、演説場に爆弾を仕掛ければ、爆発直前に用事が出来て演説を切り上げて出かけてしまう、視察旅行での暗殺を計画すると暗殺スポットを素通りしてしまうし、飛行機に爆弾を仕掛ければ爆発しない。ドイツに潜入したソ連のスパイがヒトラーを尾行して暗殺が可能だと本国に報告するが、陰謀はストップされる。トム・クルーズの映画「ワルキューレ」では会議室に爆弾を仕掛けてもテーブルに遮られ生き残る。

この間一度でも運命が傾けば、平和が訪れたかもしれないのに。ヒトラーは「神の摂理が私に定めた歴史的使命を果たさないうちは、外部の手により倒されることは決してないだろう。」と述べた。その言葉通り最後の瞬間、彼の命を奪ったのは彼自身だった。ヒトラーの最後の命令は 「ドイツはもはや守る価値すらない」と自分の死の道連れにドイツと自分の遺体に火を放てと言う命令だった。

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2022年03月07日

Posted by ブクログ

世界的なナチズム研究者である英国人教授による、ヒトラーの伝記。近年になって公開された新たな資料を含め、膨大な資料に基づく客観的な研究成果となっている。ただし、ヒトラーの能力や功績を過小評価しているようにみえる。また、反ユダヤ施策について、ヒトラーは明確に推し進めていないにもかかわらず、過度にヒトラーの責任に結びつけようとしているように感じる。経済政策の適否についての考察も薄い。下巻に期待したい。
「いかにしてヒトラーが権力を絶対的なものとし、かつて一兵卒でしかなかった者の下す命令に陸軍元帥を含む将官たちが何の疑問も持たずに従うようになったのか、高い技術を持つ「専門家」やあらゆる領域の優れた人々が、大衆のあいだに卑しい感情を掻き立てることにしか能のない独学の徒にひたすら敬意を払うようになったのかということである」p8
「未来に向けて学ぼうとするならば歴史を通して学ぶしかない。そして未来のために学ぶということを考えたときに、歴史のなかでアドルフ・ヒトラーが支配した時代ほど重要な時代はないのである」p10
「ヒトラーはドイツに押しつけられた暴君ではない。自由選挙で多数派の支持を得ることこそなかったが、首相に合法的に任命されたという点では前任者たちとは変わらず、1933年から40年にかけて世界で最も人気のある首相だった」p27
「ユダヤ人はかなり大きなマイノリティだった。19世紀半ばにはウィーンにはユダヤ人は6000人強しかおらず、人口の2%程度に過ぎなかったが、1910年にはユダヤ人人口は17万5318人に膨らみ、人口の8.6%を占めるにいたった。ドイツではユダヤ人は歴史的に専門職、学術、マスメディア、芸術、商業、金融などの領域で人口比からは考えられないほど強烈な存在感を示してきた」p59
「ヒトラーが社会民主主義から学んだのは、大衆心理は中途半端で弱いものを決して受け入れない」という脅しと非寛容の精神だったと後に本人は語っている」p64
「ハーニッシュによれば、ユダヤ人はキリスト教徒の業者よりも商売人として優れており、買い手としても信用できるというのがヒトラーの考えだった」p83
「(1912年)指名不詳の住人が「ヒトラーはユダヤ人とことのほかうまくやっており、一度など、ユダヤ人は頭がよく、ドイツ人どうしよりよほど協力し合う、と口にしたこともあった」と後に述べている」p92
「ナショナリズムはおしなべて神話を必要とする」p104
「世紀転換期のドイツ・ナショナリストの自己主張を支えていたのは、少なからず、恐怖心からくる攻撃性だった。すなわち、フランスに対する伝統的な敵意、イギリスに対して高じつつあった敵愾心、東方スラヴに対する潜在的な恐れである」p105
「世紀転換期に人種的反ユダヤ主義が強かったことで知られる国といえばオーストリア、ハンガリーとフランスである。ユダヤ人の身に最も激しい迫害が及んだ地域はロシアだった」p105
「(第一次大戦の)敗戦が明らかになると、全ドイツ主義者が煽りたてたせいで反ユダヤ主義のヒステリーは最高潮に達した」p127
「(1919年)ヒトラーは間違いなく人気講師だった。飛行船の乗員として働いていたエヴァルト・ボレは、「ヒトラー氏の情熱的な講演」ほど腑に落ちるものはなかった、と書いている。グンナー・ハンス・クノーデンは、ヒトラーはとくに「素晴らしく情熱的な話し手だった。彼の講演はすべての聴衆を惹きつけた」と感じた。担架担ぎのローレンツ・フランクは、「ヒトラー氏は生まれながらの大衆演説家なのだと思う。集会では、その情熱と人を惹きつける語り口のために聴衆は氏に注目し、その意見に同意せずにはいられなくなってしまうのだ」と書いている」p149
「1919年9月、草創期のドイツ労働党に入党したとき、ヒトラーはまだ「無名」だった。しかし3年後には、追従者に囲まれてナショナリストのあいだではドイツのムッソリーニと呼ばれ、ナポレオンと比べられるまでになった」p157
「(ヒトラーの考え)問題は何を言うかではなく、どのように言うかだった」p159
「民族至上主義イデオロギーは、急進的ナショナリズム、人種主義的反ユダヤ主義に加えて、ゲルマンの歴史に根差し、秩序と調和と階層に立脚するドイツ特有の社会秩序を神話化し、それをイデオロギーの中核としていた」p161
「(1921年5月)ドイツ新聞編集長のインタビューでヒトラーは、自分は「混沌の淵に沈みつつある祖国を救う」指導者や政治家ではなく、ただの「大衆をいかに集めるかを知る扇動家」にすぎないとのべたとされる」p195
「1926年にナチ運動の定番となる、腕をピンと伸ばして突き上げるような敬礼スタイルでの登場だった。私的な集まりでの内気なヒトラーと同一人物とは思えなかった、とカール・アレクサンダー・フォン・ミュラーは書いている」p220
「(1924年)ビュルガーブロイケラーでの大失敗と、翌日、将軍廟で迎えることになった結末から、ヒトラーは軍隊を向こうに回して権力を掌握しようとしても必ず失敗に終わると身にしみて学んだ」p244
「自分は「太鼓たたき」ではない、指導者たるべく運命づけられているのだ、とランツベルク監獄で認識した」p245
「春の裁判以降、ヒトラーの神格化が始まっていた。実際、民族至上主義勢力のなかでは、一部の熱狂的な勢力をはるかに超えてヒトラーへの称賛が広がっていた」p249
「ヒトラー収監中の13ヶ月にわたる「指導者不在の時期」ほど、民族至上主義右翼にとってヒトラーがいかに重要かをはっきり知らしめたものはなかった」p250
「(『わが闘争』)権力掌握以前には、期待したようなベストセラーにはほど遠かった。1930年以降、ナチ党が選挙で結果を出すようになると売り上げは急速に伸び、32年には8万部に達した。33年以降は天文学的に伸びた。33年だけで150万部が売れた。36年に点字版が刊行されると、視覚障害者も読めるようになった。36年以降は、2巻をまとめた普及版が結婚式で新婚夫婦に贈られるようになった。45年までの売上総部数は約1000万部にのぼった。『わが闘争』は16ヶ国語に翻訳され、国外でも数百万部売れたが、その数はここには含まれていない」p269
「ナショナリズムと反マルクス主義はナチだけにみられる特異な主張ではなく、イデオロギーと呼べるようなものでさえなかった」p314
「「政治とは民族の生存をかけた闘争にほかならない」。「強者が生き残るために弱者は滅びるというのが鉄の掟だ」とヒトラーは力説した」p315
「経歴から判断して2/3はユダヤ人をある程度嫌悪していると思われるが、反ユダヤ主義をイデオロギー的に最も重視するのはわずか1/8ほどだった」p358
「従来、生活水準は鉄道の敷設距離で測られてきたが、将来的には道路の敷設距離で測られるようになるだろう。これは「ドイツ経済建設計画の一部をなす重大な課題である」とヒトラーは宣言した。この演説は後にナチプロパガンダのなかで「ドイツのモータリゼーションの歴史における転換点」と位置づけられることになった。これが「アウトバーン建設者」としての指導者という神話の始まりだった」p471
「ユダヤ人の法曹界への就職禁止法は、プロイセン法相ハンス・ケルルとバイエルン法相ハンス・フランクがすでにとっていた措置を法相ギュルトナーが取り入れ、ヒトラーに認可を求めたものだった」p495
「(ドイツの再軍備措置後の国民投票)(国民投票で95.1%、国会選挙で92.1%の信任)国内でも国外でも、ドイツ国民の大多数はヒトラーを支持しているのだとの結論に達さざるをえなかった。この国家の一大事については、ナチ党に断固として反対していた人びとでさえ多くが国際連盟に対するヒトラーの対応を支持し、ヒトラーはまさに喝采を浴びた。党派的利害を超越した国民的指導者としてのヒトラーの名声は大いに高まった」p514
「「総統の意をくんで働く」ことにより、イニシアチブが発揮され、圧力が生じ、法制化が進んだ。それらすべては、独裁者たるヒトラーが命ずるまでもなく、ヒトラーが目指すと考えられる方向と一致するように行われた」p550
「ヒトラーは32年12月には、自身が体現する「ナチズム理念」を広め、動員を行うのが党の役割だとすでに決めていた。首相就任後、ヒトラーは組織としてのナチ党にはほとんど関心を向けなくなっていた。無力だが献身的といってよいほどに忠実なヘスが4月にヒトラーの代理として党を任された」p557
「(ラインラント進駐)予想される軍事介入に対して軍指導部が慌てて作戦を立てていた間にも、ヒトラーは、「切り抜けられるだろう」とローゼンベルクに言っていた。国内外の反応は、臆病さに大胆さが勝利したこと、自分の判断には寸分の狂いもなかったことを示すかのようにヒトラーの目には映った」p572
「ヒトラーはずる賢く不誠実だが、交渉は上手く、与しにくい相手だとの印象をイギリス王璽尚書イーデンは持った」p574
「ヒトラーは、「平穏と平和のほかに何を望むものがあろうか」と修辞的に問いかけた。「ドイツは平和を必要としており、平和を望んでもいる」。「ドイツはオーストリアの併合も編入も、意図していなければ望んでもいない」」p575
「(党内急進派の認識)「総統は、外交上の配慮から、ユダヤ人に対して各自が行動を起こすことを禁じるような格好をとらざるをえなかったが、実際は、各自が自分自身の力で、非常に厳しく過激なかたちでユダヤ人との闘いを続けることに諸手を挙げて大賛成のはずだ」という認識だった」p590

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2023年11月03日

Posted by ブクログ

やっと読み終わった。時間掛かった。しかしこの本分厚すぎる。自立して立ってびくともしない。でもその分内容が充実している。今どこにいるのか分からなくなるが。ヒトラーだけが悪いのか、何でヒトラーはああなったのか、周りは止められなかったのか、って自問しながら書いているんだろう。何回も止まる可能性がある出来事はあったが止まらなかった。それもまた運命なのかな。日本もそうだけど、この時代を理解するには共産主義がどのくらい社会の雰囲気として重要性を持ったか、当時の空気を理解しないと駄目だなと再確認。後はユダヤ人の迫害。これもその時の空気もあるんだろうが、ヒトラー的には分かり易いスケープゴートであり、そこまで理論的にユダヤ嫌いだったのではないんだろうと感じた。後は突撃隊のような存在。革命というか自分が権力を握る過程ではとても重要な要素が権力を握ると制御が難しくなる。そういうのは今の社会でも多くあるのだろう。そういう意味では日本は良く武士をコントロール出来たなというのはある。下巻はもっと分厚い。

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2020年10月27日

Posted by ブクログ

原著は1998年出版で、2016年に日本語訳が出版されたヒトラーについての研究書。膨大な資料をもとに、ヒトラーの生涯を時系列で追っていく伝記的な資料になっています。伝記というと個人にフォーカスを当て基本的には偉業をたたえるようなイメージりますが、本書はもちろん「偉業」はたたえないし、著者も序文で記載しているように「本書を執筆するあいだ私をとらえて離さなかったのは、1933年から45年にかけてドイツの命運をその手に握ったヒトラーという人物の特異な性格ではなく、むしろヒトラーなるものがいかに可能になったかという問い」をベースに、全編にわたって記述されています。
ヒトラーが導いた最悪の事態は、ヒトラー個人のみによるものでなく、さまざまな要因がヒトラーに”活躍”の場を広げていかせてしまった、ということがいろいろな側面から記述されています(こう書くと語弊がありますが、著者は決してヒトラーを免責しているわけではありません)
ヒトラーのような人物が世界に今後も現れないという保証は全く無いわけで、何がヒトラーを生んでしまったのか、ヒトラーを生まないためにただの一般人である我々にもできることは何なのか、といったことを考え続けていくうえでも、本書は重要な示唆を読者に与えてくれるように思います。

20年前に原著は書かれているので、今となっては古い情報もあるのかもしれません。そのあたりは私は研究者では無いのでわかりません。

かなり膨大な分量なので、読むのには少し覚悟がいりましたが、読んでよかったなと思っています。また下巻もいつかまとまった時間がとれるときに読みたいと考えています。

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2019年04月20日

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