あらすじ
犯罪が厳罰化された世界の犯罪とは?
厳罰化が進み「人ひとりを殺したら死刑」という厳しいルールが定着した世界で、殺人者はなにを考えるのか。究極の思考実験ミステリ。
解説=福井健太
単行本 2022年7月 文藝春秋刊
文庫版 2025年10月 文春文庫刊
この電子書籍は文春文庫版を底本としています。
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Posted by ブクログ
一人殺したら死刑になる社会になったお話
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ここは、人を一人殺したら死刑になる世界――。
私たちは厳しい社会(harsh society)に生きているのではないか?
そんな思いに駆られたことはないだろうか。一度道を踏み外したら、二度と普通の生活を送ることができないのではないかという緊張感。過剰なまでの「正しさ」を要求される社会。
人間の無意識を抑圧し、心の自由を奪う社会のいびつさを拡大し、白日の下にさらすのがこの小説である。
恐ろしくて歪んだ世界に五つの物語が私たちを導く。
被害者のデザイナーは目と指と舌を失っていた。彼はなぜこんな酷い目に遭ったのか?――「見ざる、書かざる、言わざる」
孤絶した山間の別荘で起こった殺人。しかし、論理的に考えると犯人はこの中にいないことになる――「籠の中の鳥たち」
頻発するいじめ。だが、ある日いじめの首謀者の中学生が殺害される。驚くべき犯人の動機は?――「レミングの群れ」
俺はあいつを許さない。姉を殺した犯人は死をもって裁かれるべきだからだ――「猫は忘れない」
ある日恋人が殺害されたことを知る。しかし、その恋人は存在しない人間だった――「紙の梟」
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「死刑の基準が被害者一人に変わったところで、そんなに変わらなくない?」と思って読み始めたけど
そんな社会が実現したら、意外と今とは違ったものになると思い知らされる
この仮定、全くの荒唐無稽なものではなく、現代の風潮の延長線上にあるようにも思える
恐らく、この社会では殺意の有無は関係ないし
過失致死も死刑になる社会なのかもしれない
そんな前提で描かれる短編4つと中編1つ
・見ざる、書かざる、言わざる
すべての指と舌を切り取られ、両目を潰される事件
意思疎通にも困る「死んだ方がマシ」と思える状態の被害者
殺したら死刑になるが、殺していないから死刑にならないというのは適切なのか
犯人の意図とは?
この事件の結果、傷害罪でも死刑になり得るように法改正される
・籠の中の鳥たち
写真同好会の女子学生を襲っていた浮浪者を殺してしまった男子学生
仲間達は、そんな彼を庇うために事件の隠蔽を図る
しかし、別荘で翌朝に一人殺されてしまうクローズドサークルミステリ
前提条件を鑑みればメタ的に犯人は容易に推測できる
情状酌量の余地もなく死刑ななる事の是非
厳格な法適用は果たして必要なのか
・レミングの群れ
いじめにより自殺した中学生
いじめ加害者への社会からの強い批判
そして、加害者やいじめを解決しようとしなかった関係者を殺す自殺志願者達が発生してしまう
制裁を加えた自殺志願者を英雄のように称えられる世間
それに便乗して加害者を殺す田中
って、おい田中ぁー という一言に尽きる
・猫は忘れない
姉をを殺された弟による復讐劇
しかし、弟の彼女は死刑反対派で……
裁判でも死刑にならなかった者を殺す事
死刑の欠陥は、冤罪に対する補償ができない事
まぁ、冤罪はそもそも不可逆的なものだけど、文字通りの致命的な欠陥
・紙の梟
作曲家の笠間の恋人 紗弥が顔が判別できない程の暴行を受けて殺害される
捜査の過程で、紗弥が偽名を使って暮らしていたことが明らかになる
ほどなくして犯人が逮捕される
犯人は、父親が紗弥に騙されて金を貢いで自殺してしまった事による怨恨だという
果たして、紗弥は何者だったのか?
自分に近づいてきたのも詐欺のためだったのか?
罪を犯した者から、改心や更生の機会を奪う事の是非
ただまぁ、個人的には重罪を犯した人は、いくら改心して更生したと言っても、同じ社会にいて欲しくないなぁと思ってしまう
犯罪の中でも、人それぞれの「超えられない一線」ってあるはずで
そこを超えてしまった人が身近にいるというのはものすごく怖い状況だと思う
現代社会もこんな世界に近づいてきているという実感がある
社会全体に余裕がなくなってきて、どんどん不寛容になっている
他者への過剰な社会性の要求
行き着く先は無責任な正義
何等かの悲惨な事件が起きると、加害者よりも被害者への同情心から厳罰化の意見が大きくなる
その気持もわかる
わかるのだけれども、それで結局社会が平和になるのか?という疑問
厳罰化が犯罪の抑止力になるのか、それとも犯罪の段階に歯止めの聞かない状態を生み出してしまうのか
理屈的にはどちらも有り得る
こればかりは実験してみるわけにもいかないし、中々に判断がつかない問題でしょうね
副題の「ハーシュソサエティ」は「厳しい社会」という意味
実際に、市民感覚としての感覚は過去の判例よりも厳しい社会を求めている
裁判員裁判でも、殺した人が一人でも死刑判決が出ているし
性犯罪なども厳罰化の傾向がある
あと、執行猶予でも保護観察を付けるとか、一度でも法を犯した人は見張っていて欲しいという想いは理解できる
なので、この小説はフィクションではあるけど、全く荒唐無稽なものではなく、現在の社会と地続きというものを感じる
物語の内容と関係ないけど
表紙は十三階段をイメージしてるのだろうか?
でも、読むとわかるけど、その登った先に紙の梟がいるのは違うんじゃないかな?
それとも、紙の梟は寛容さの象徴として捉えているのだろうか?
Posted by ブクログ
人を1人殺せばもれなく死刑になる時代が描かれている。物事は単純化され、SNSは短絡的で感情的かつ二極化し、すぐに炎上するようになる。
第1話 死刑になりたくないゆえに、怨恨と利益のために舌を切り、目をつぶし、全ての指を切り取った容疑者。こんなに残忍な犯行に及んでおきながら、犯人は死刑にならないのだろうか?
第2話 男に襲われそうになった同級生を救うために、咄嗟に殺人を犯してしまった同級生。みんなはそれを庇うために死体を隠蔽しようと企んだのだが…次々に起こる殺人事件。
第3話 いじめの為に追い詰められて自殺者が出た。SNSは炎上し、加害者たちの情報がネットを賑わすようになる。いじめっ子、その母、教師などが善意の自殺志願者によって殺される。自殺志願者はうまく自分で死ねないのだが、人を殺せば必ず死刑になるからだった。
第4話 姉がストーキング行為の末に殺された。弟は復讐を企て、自殺に見せかけて殺すことにこだわる。
第5話 恋人が殺された。だが、恋人を殺した犯人の父は、恋人に数千万のお金を巻き上げられて自殺したという。恋人は偽名を名乗っていた。一体恋人は今までどのように生きて来たのか。その正体は?自分も鴨の候補だったのか?交際期間が8ヶ月しかなかったからお金の話を出さなかっただけなのか?
死刑の話など単純化されているだけに、単純化された議論が面白かったです。
Posted by ブクログ
「人を一人殺したら即死刑」が常識となった日本で起こる数々の事件を想定した短編集。冤罪や過失致死的な行動など、予想される自体を貫井徳郎氏が味付けすることでいい感じの小説に仕上ってた。最初の短編がグロすぎてびっくりしたけど。短編集だけど時間があれば全部一気読みしたかった。
Posted by ブクログ
「もしも人1人殺したら死刑になる世界だったら」
ドラえもんのもしもボックスのようなお話。
確かにこんな世界だったらこうなるんだろうなという感想。
トリックがどうとかいう話ではなく、すごく社会性のあるお話であった!
Posted by ブクログ
貫井徳郎著『紙の梟 ハーシュソサエティ』は、現代社会が抱える「正義」と「制裁」の境界線を、冷ややかでありながらも深い人間愛をもって照らし出す一冊である。
「殺人を犯した者は即死刑」という徹底したルールのもとに築かれた架空の社会。その世界を貫井は、倫理や制度の問題としてではなく、“人が他者を裁く”という根源的な問いとして描き出す。物語は短編形式で展開しつつ、どの章にも通底するのは、善悪を単純に切り分けられない人間の複雑な情念だ。
冷徹な設定でありながら、作中に流れるのは静かな慈しみの気配である。登場人物たちは罪に向き合いながらも、自らの心の奥底にある「赦し」や「理解」へと手を伸ばそうとする。その姿が、鋭利な社会批評の中に確かな温もりをもたらしている。とりわけ表題作「ハーシュソサエティ」は、制度の正しさよりも人間の弱さに焦点を当て、その弱さこそが希望であるかのように物語を締めくくる。
全体を通じて、貫井の筆致は精緻で重厚だ。論理と感情、冷静な観察と人間への信頼がせめぎ合い、読後には静かな余韻が残る。世界の残酷さを描きながらも、人間の尊厳を信じる——その矛盾の狭間にこそ、彼の文学が息づいている。
『紙の梟 ハーシュソサエティ』は、ただの社会派ミステリーではない。理性と情の両輪で「生きる意味」を問い直す、現代の寓話である。