あらすじ
スクールカーストとは、主に中学・高校のクラス内で発生するヒエラルキーのこと。同学年の子どもたちが集団の中で、お互いを値踏みしランク付けしていることは以前から指摘されており、いじめや不登校の原因となるとも言われてきた。本書では、これまでのいじめ研究を参照しながら、新たに学生や教師へのインタビュー調査を実施。その本音を生々しく聞き出している。また大規模アンケート調査もふまえ序列が維持される背景に迫る。
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スクールカーストのことは大変興味深い。誰でもどこかのグループには位置している。スクールでなくても、2人以上人がいれば極端でなくてもなんとなくカーストは作られる。自分は小学校高学年から中学まで場面緘黙を発症して、この本の表現だと「どのグループにも入らない最下層」を経験しているため、かえって冷静に観察できるようになった気がする。
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現高校生の者です。少し、自分の経験と照らし合わせながらスクールカーストについて書いてみたいと思います。
僕は、中学生の時どちらかといえば下位層でした。成績は良かったので、完全なる最下位層になることはありませんでしたが、劣等感というのは感じていました。スポーツも得意で無かったですし。
そんな僕に、中2の時転機が訪れます。下位層を仕切ってるような奴が僕に悪口を浴びせてくるので、僕はそいつと関わらないようにしました。どうやったかというと、中位層の人たちと仲良くなるようにしたのです。前述のように、僕は「どちらかというと下位層」であり、もともと中位層にも友達が何人かいたため、その人たちと良く話すようにしたのです。結果として、僕は嫌なやつから離れることができました。しかし同時に、下位層で仲が良かった人たちと話す機会が減りました。これについては、果たしてこれで良かったのだろうかと今も思っています。まぁ中位層になって明るくはなれましたが。
そして僕は、地元の進学校に進みました。(田舎なのでそこまで凄い高校ではないですが)今現在、確かに目立っている人は決まっているなと思います。ただ、この本に書いてあるほど、明確なグループ分けはされてないように思いました。目立っている人とそうでない人でグループはありますが、境目がはっきりとはしていません。つまり、自分の高校ではスクールカーストがそこまで明確ではないのかなぁと思います。(モテる人とモテない人(自分)は明確ではありますが)
だから、この本に書いてあることが全てではないのです。これから、研究が進んで、例外も焦点にされたら良いかと思います。進学校の状況であるとか。僕の通っている学校はオタクが生き生きとしているので、何故オタクがこんなに批判されているのか理解出来ませんでした。逆にオタクじゃ無い人の方が引けを感じてしまうくらいなので。やはり、環境によって学校も生徒も様々なのです。
あと、中位層に関してもっと書いてあっても良かったと思います。個人的に中位層が一番だと思うので。僕は上位層なんかに憧れたことはありません。本の中にも少し書いてありましたが、上位層は批判されて当たり前のような人たちばかりです。5章で先生が上位層を褒め称えているような記述がありましたが、それは間違っていると思います。これは、先生が学校の治安を悪くするのに加担しているようなものです。そんな先生には出会いたくないな…。「下位層の人は使えない」とか言っている人がいたけど、そんなのはその人が意識変えればどうにでもなることじゃないですか。生徒のモチベーションを上げるのが教師じゃないんですか?偉そうなこと書いてしまいましたけれど。
本自体は読み進めやすかったです。興味のある方は手に取ってみるのもよいかと思います。長々と書いてしまって申し訳ありません。
Posted by ブクログ
スクールカーストという、ネットスラング発祥の極めて捉えにくい事象に対して、社会学的観点で真っ向から立ち向かった前衛的な本。院の博士論文(修士?)の大幅加筆らしいけど、文章全体の青臭さと、大学のお偉いオッサン方にはない研究分野に対する情熱が感じられてそこが良かった。面白い。
Posted by ブクログ
「スクールカースト」と呼ばれる、同学年の児童生徒の間で共有されている「地位の差」について、インタビューとアンケートで実態を明らかにしている。
あとがきの謝辞を読むと、著者が東京大学大学院教育学研究科に提出した修論がベースになっていると分かるが、本編を読んでいても論文っぽさをあちこちに感じる。インタビューは必要箇所を書き起こした上で、その回答の意味するところを一字一句誤りなく引用しながら解説していく辺りとか、すごく論文っぽい。でもそのおかげで、理解はスムーズに進む。とても分かりやすい。
スクールカーストにまつわる発見がいくつかあった。
「『スクールカースト』で下位に置かれている生徒が、『クラスメイトに馬鹿にされている』と感じる傾向が見て取れます。一方で、全体的に見ると、男女ともに中位の生徒が馬鹿にされていない傾向があるだけで、上位の生徒もある程度『馬鹿にされている』傾向がある」(p110)
「もともとハルキらが所属する『イケてないグループ』のメンバーが、みんなを盛り上げるようなエンターテイナー的な素質や能力を持ち合わせていないわけではない」(p128)
「彼女は上位のグループに入ったことで、『〈1軍〉の義務として』権利を使わなければならず、そのことに重責を感じていたということです。
先に示したとおり、彼女は、上位のグループに所属するということは『与えられる権利の数』が多くなることだと解釈しています。その権利は、与えられているだけで使わなくてもいいのではなく、権利があるからには使わなければならないのだと彼女は考えています。
そしてそれは、『〈1軍〉の義務として』権利を使わなければ何も進まないのであって、クラスの方向性や雰囲気を決めていくために、そうした権利を使うことは、彼女にとっては重責であったようです」(p137)
「たとえば吉田先生は、『スクールカースト』の下位に位置づけられる生徒は『100%将来使えない』と考えています。なぜならば、吉田先生は、勤務校の中で今年の就職の結果が芳しくないのは、『スクールカースト』の下位に位置づけられるような『気の弱いオタク』の生徒であり、企業はそのような人材は求めていないと考えているからです。
一方、たとえば就職の採用結果が芳しくなかったとしても、吉田先生が『強い系』と呼ぶような『スクールカースト』の上位に位置づけられる生徒のことは、それほど心配はしていません。というのも、彼らは『生き方』が『うま』く、『ゴマすり』などもでき、人間関係をうまく構築していけるため、たとえ仕事を辞めたとしても、『そんなに心配ではない』と吉田先生は考えているからです」(p246-247)
「松本先生も、『スクールカースト』による『地位の差』を、『なきゃいけない』ものだと考えています。松本先生も、『スクールカースト』は、『コミュニケーション能力』により成り立っていると考えており」(p261)
「一方、小林先生は、加藤先生や松本先生と違い、『スクールカースト』による『地位の差』を、『リーダー性』によるものだと考えています。『リーダー性』は、良い意味で利用している生徒も、悪い意味で利用している生徒もいますが、小林先生はそうした『リーダー性』を持つ生徒は、『才能』や『資質』がある児童だとみなしており、努力で得ることの難しい潜在的な能力だと解釈しています」(p261)
「生徒と教師は、ほぼ同じ状況を見て、生徒間の『地位の差』、すなわち本書でいうところの『スクールカースト』を把握していますが、その解釈にズレが生じているということです。
生徒が『権利の多さ』を軸とする、『権力』構造として『スクールカースト』を解釈しているのに対し、教師は『能力の高さ』を軸とする、『能力』のヒエラルキーだと解釈しています」(p273)
高校時代を思い出しながら読んだ。振り返れば、自分はスクールカーストでいえば中位から下位の人間だったと思う。上位にはかなり苦手意識のある人もいて、怒りを覚えたこともあった。敵意を見せることはなかったけど。
また自分の学校の場合、学園祭や体育祭などはスクールカーストがあいまいになりやすい時期だったように思う。自分も上位の人から一定の評価を受けたりするタイミングでもあり、そんな時は素直にうれしかった。
一方で、スクールカーストに関係なく自由にフラットな人間関係を構築する人もいた。いまでも親しく付き合っているのは、そんな人だったりもする。
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教室内(スクール)カースト (光文社新書) 新書 – 2012/12/14
同年齢の学校内のクラスという中でも対等な関係というものはない
2016年6月3日
鈴木翔 による 著作
1984年秋田県生まれ。
群馬大学教育学部卒業。
東京大学大学院教育学研究科博士課程に進学。
現在 web で見ると秋田大学で助教をしているようだ
本書は鈴木氏の学術論文を一般向けにわかるように改めて加筆再構成した本である
率直に言って学生、大学院生などの一部の人間しか読めないようなものよりも広く世の中一般に訴えかけるべき内容の学術論文も数多くあると思われる。
本書はそのうちの一つであると思える。
結局同世代の人間を集めた学校内のクラスという中でも対等な関係というものはないのだ。
対等な島宇宙が存在するのではないとする指摘は重要だ。
宮台真司氏(制服少女たちの選択 講談社 1994年)への反論と言える。
これまでにも学生生活でグループ分けに人間を分類したような話は多く語られてきた辛酸なめ子氏による女子の国はいつも戦争によると自分の合ったグループに入って生活しようと提唱している
それ自体が間違いではない。
しかしそのグループ間に上下関係があること。
権力などが違いがある。
また一番下の受け皿層に所属する生徒達にとってはあまり気分よく過ごせる環境ではない。
個人的に小中高時代を振り返ってみてもクラス内の力関係が平等ではなかったと思う。
ただ一番上の層の子達が周りに配慮できるなどがあれば状況は大きく異なる。
小学校時代はガキ大将と仲良くしていた為、グループ間で阻害されることもなく過ごせた。
高校時代もあるにはあったものの大学受験に向けて必死になり、あまりそこまでグループ間うんぬんどころではなかった記憶がある。
受験勉強の影響もこのクラス内でのカーストに多大な影響を与えているのではないか。
もっとこの辺はつめてもらいたい。
スクールカーストの順位が対して変わらないという本書内の指摘については噂や情報が学年間で共有されていることに加え、本人の能力、性格、資質も影響するからだろう。
教師側がカースト構造を能力によって出来ていると見る考えはある程度正しいと思える。
鈴木翔氏の研究はまだはじまったばかりと言える。
本書内でも認めているように
研究対象事例が少ない。
特に教師側への取材は不十分に感じた。
いじめにせよ、それをうむ土壌たるスクールカーストにせよ固定されたクラス制度があるが故の問題である。
だからゼロにするのは難しいだろう。
しかしある程度の緩和策をうっておくべきではないだろうか。
教師側も本書からグループ間の力関係など複雑に絡まる生徒たちへの配慮をしつつ共同作業、グループ学習をさせてやって欲しいと思えた。
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スクールカーストの存在が、大学生の具体的な発話記録からうかがえる。子どもだけでなく、教務室でも同じ状況はある。
暴力系のいじめ、コミュニケーション操作系のいじめ
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スクールカーストの実態を一冊の本にまとめたのは評価されるべきで、内容も示唆に富んでいます。
中学・高校での人間関係はサバイバルだと感じますし、僕らの時とは質が違っています。カースト序列を変更する手立ては(今のところ)無くて、カーストそのものを廃する方法も分かっていない……。人間関係を考えれば、仲の良い人同士で集まってグループが出来上がるのは当たり前の事なのですが、カーストの『見えない力』によって自分の序列に合った人としか接する事が出来ないのは問題だと思います。
カースト上位はクラス運営の実権を握っているが円滑に進めなければならないという暗黙のプレッシャーがあって大変だし、カースト下位は上位者に見下されて大変だし、結局どこに属しても苦痛であるのは変わりません。
グループ内での人間関係は良好で、心の安寧がありますが、上位グループでは足の引っ張り合いが横行し、居場所としては不安定のように感じます。『今度は私が(下位グループに)落とされるかも……』という不安を抱えて生活していては、精神的に滅入るでしょう。
僕の中学生活は、教室では一才喋らないで本を読む地味で無口な心配児でしたが、部活動のテニスではぎゃあぎゃあ騒いで先輩・後輩共に仲良くしていました(部長でしたしね!)。そんな『教室では大人しいけど部活では円満な人間関係』だったから、随分と先生方に心配されていたようです(笑)。
何が言いたいのかというと、学校では問題児でも、家では家事を手伝う子だっているだろうし、その逆もあるだろうし、学校だけが全てではないということです。自分の安寧する居場所を最優先で確保していれば、多少の我慢もできるのでは、と思います。しかし、生活の殆どを学校で過ごす学生にとって、その学校生活が苦痛であるならば、焼け石に水かも知れません。
その、スクールカーストの何が嫌かって、カーストの基準でしか人間を測っていないんですよね。多様性を認めない、これが感情的に許せない。性格や人格等ってのは、多様であるからこそ面白いのであって、それを教室内の雰囲気に合致するように行動しなくてはならないってのは違和感があります。
例えば、僕の知り合いに空気を読まない人がいますけど、『お前空気読んで行動しろよ』と強制するのは簡単ですが、それは僕と彼の関係のみ適用されるのであって、彼が持つ他の友達からは『(空気を読まないのが)いい!』と言ってくれる人だっているかも知れません。だから強制はしないし、できるものでもありません。彼のすべてが僕のものならば話は別ですが、彼は彼の人間関係があります。僕はそれを尊重したいのです。
そういった尊重性が教室内カーストには無く、上位グループ・下位グループが共に蔑み合い、畏怖し、負の感情を持っていれば、そりゃあうまくいかないでしょう。
学級運営を円滑に進めるためにはスクールカーストが必要悪と、教師側の意見として挙がっていますが、スクールカーストを利用しなくても円滑に進められるシステムがあると思うし、もっと研究が必要です。これからの成果に期待します。
僕の評価はA-にします。
Posted by ブクログ
〈メモ〉
生徒と教師はほぼ同じように教室内カーストを観察しているがその解釈を異にしている。すなわち、生徒はそれを固着化した「権力」関係と捉えるが、教師は生徒それぞれの「能力」の問題へと帰着させる。教師は「能力」ヒエラルキーを学級運営に利用するが、生徒はそれを、教師による「権力」へのおもねりと受け取る。
Posted by ブクログ
本田由紀さんによる追加考察
①「スクールカースト」のような集団間の上下関係が最も顕在化するのが教室内であるならば、その教室の構造にこそメスを入れる必要があるのではないか。
②「スクールカースト」が顕在化するのが教室内であるとしても、自分(たち)の押しの強さや有利な立場をよいことに、他者に敬意を払わず押しつぶすようなふるまいは、日本社会のいたるところに見られるのであり、そのようなより広い社会的な素地をももっと踏み込んで問う必要があるのではないか。
この2つのことについては、私自身も本書を読み進めていく中で感じていたことと同じだったので、私自身も教員としての経験を伊達に積んできたわけではないなということを再認識することができたのが、最大の収穫かなと思っている。
それにしても、インタビューに応じた若い教員の科白を読んでいて、教員の質が低下したなと言われざるを得ないことも痛切に感じてしまったので、まずは私たち公立学校教員とはそもその誰のために、何のために存在しているのかをきちんと総括しておかなくてはならない時期に来ているということにも痛感させられた、ということも付け加えておきたい。
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本屋さんで目についたタイトル。学校内で暗黙の了解内で形成されるランク付け。この”上がれない”・”落ちたくない”と言うパワーバランスの苦い経験はよくわかる。本来なら無い方が幸せだと思うが、人間の個性から考えると仕方がないとも思う。ただ、このインタビューに答えていた先生がこのカーストに肯定的な意見を語っているのが意外。まあ、先生も仕事を上手く回さないといけないサラリーマンと言う事か。
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「いじめ」という問題ではなく、「スクールカースト」という現象として教育の現場を探求していく一冊。
感情論になりがちなテーマに対し、アンケートやインタビューを用いた定量、定性の両角度から考察を行っている点は評価できる。(後半の教師陣の意見は極端すぎるとおもうが笑)
そもそも群れを作る動物は狼であれサルであれ自然に優劣をつける習性がある。生物学的にそのほうが集団での意思決定が容易だからだ。(サルで言う餌の配分、クラスでの文化祭の出し物など)このことを踏まえると、この本では「各人を尊重するような道徳教育を~」のような理想論ではなく、きちんと「環境を変える」や「感情をコントロールする」などの現実的で生産的な提言がなされており、一読の価値がある。
最後にスクールカーストについて私が思うことは能力が必ずしもカーストを決めるわけではないということだ。もしカースト上位に○○力に秀でた人間が多いとすれば、それはスクールカーストに適した○○力が各層ごとに形成されているだけに過ぎない。その為、下位カーストに配属されることで、自分が先天的に劣っているときにやむ必要はないのだ。
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分析は大雑把な印象ですが、今まで光の十分に当たってこなかった現象に光を当てたという意味で意義深いです。学校が好きなスクールカースト上位層が教師となり、これが再生産されている側面もあるかもしれないので、年代比較は重要だと思いました。
Posted by ブクログ
スクールカースト…つまり、学校生活を送る上で教室内に必ずと言って良いほど存在する児童生徒たちの序列、ランク分け。本書はアンケートや教員・大学生へのインタビューなどを用いてスクールカーストについて少々粗くはありますが、考察されていきます。インタビューなんかは口調もそのままに記されていますので、その方のランク以外のものも自ずと見えてきて非常に興味深かったです。当たり前のことかもしれませんが、「私」は一人しかいないので、小中高の時間に「私」という一通りのあり方で身を置くことが出来ません。結局他の学校や他のランク、他の見方や経験は、他人から話を聞いたりこうやって本を読むことでしか知ることが出来ないのだなあと、改めて思いました。
Posted by ブクログ
読んでいて胸糞が悪くなる部分と「なるほど、あの頃感じたモヤモヤはこれか」と納得した部分がある。
自分が高校生だった2000年代前半に比べたらきっと、もっとカーストは酷くなっているのか、ではそこからどうすればいいのかと考えてみたり。教師がどう思っているのかも書かれており、興味深かった。
Posted by ブクログ
文章は平易で語り口も優しいが、内容はずっしり。だが最後まで読み終わって、書き方の工夫にやっと気がついた。このタイトルだもの、当事者である児童生徒が手に取る可能性も大いに有り得る。
ちなみに、使われているインタビュー調査はなかなか生々しくエグい。思うところのある人は覚悟して読んだほうがいいかもしれない。
Posted by ブクログ
書いたけど保存せずにF5押しちゃってもう書く気おきない…
元生徒数人と教師数人にインタビューしてるけど全員スクールカーストの存在に肯定的で教師もガッツリ贔屓している内容だった。
読んでいて自分が経験したような事がいくつもあったので、辛い思いしたのは自分だけだと気を落とさないように前向きに捉えたい。
生まれに差はあるし、いじめは勿論過度ないじりを許すことはできないが、カースト上位の人間も努力していて自分もがんばろうと思えた。
Posted by ブクログ
学校の中でスクールカーストがどのように構成されているのか、それが生徒にどのような性格を与えているのかがよくわかった。
スクールカーストの高い生徒は「自分の意見を押し通す」事が出来る。自分の意見を出すのを遠慮する生徒ほど損をし、学校の先生にまで嫌われる。なんだかこの世のシステムの不合理性を感じます。
全体的に登場人物の発言に違和感を感じるシーンは多いんだけど、特に小林先生がしれっとクズ発言してて笑った。
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スクールカーストは生徒・教師の両面から異なるメカニズムで維持されている。いまや市民権を得ている「スクールカースト」という言葉ですが、この本が出版された2012年12月時点では、言葉じたいはあったものの、社会学・教育学の対象にはなっていませんでした。なので、スクールカースト研究の先駆けみたいな本。本書は筆者の修士論文を再編集したものというから驚きです。
この本では、生徒(中学2年生)へのアンケート調査と大学生10人、現役教師4人へのインタビュー調査をもとにスクールカーストについて論じられています。スクールカーストとは、クラスのなかのグループにランク付けがされ、下位のグループは上位のグループに逆らえない雰囲気が醸成される。1軍、2軍、3軍みたいな区分けがされるわけです。しかもこの上下関係は学年が上がってクラス替えがあっても固定化するといいます。たまにランクが落ちることはあってもめったに上がらない。勉強やスポーツだったら自分が頑張ればなんとかなる部分はありますが、スクールカーストでは、いっかい下位グループになってしまうとそこから自力で改善していくことができない。しかも明文化されない理屈で上下関係が決まってくるため、厄介なのです。
生徒側と教師側のインタビューの中では、スクールカーストに対しての捉え方の違いが見えてきます。生徒にとってのスクールカーストは、逃れがたい「権力」として映ります。下位グループは上位グループに逆らえない。上位グループはやってもいいことの権利が多い、と捉えている生徒もいました。
他方、教師にとってのスクールカーストは、その生徒の「能力」を基盤として成立したもの、というように映っているようです。上位グループにいる人たちは、コミュニケーション能力とかリーダーシップに長けているからそのポジションにいるんだ、というわけ。だから、学校運営にうまく利用しようとする。場合によっては上位グループの生徒にすり寄って、仲良くします。生徒へのアンケート調査では、教師との仲の良さは「成績」も「クラスでの地位」も正の相関が見られたのですが、成績よりもクラスでの地位の方がその傾向が強く出ています。
したがって、生徒側・教師側の両面からスクールカーストは維持されることになります。ただ、生徒側と教師側の認識には差があり、教師側が「能力」という捉え方で構造の維持を図ることが生徒のためになっているかは疑問です。
さて、この先は私見ですが、会社でも同じようなことはあります。仕事やコニュニケーションという意味で「デキない」人は地位が低い。ただ会社は逃げ場があるけど(異動とか転職とか)、教室は逃げ場がないんですよね。カネのためだ、と思えば割り切れるし。そこが事態を深刻化させている要因だと思います。
別の見方をすると、スクールカーストの存在は「空気の安定化」につながるので、クラスメイトにとっては「楽」なんじゃないか?みんな平等だと、「空気の探り合い」をしなきゃいけなくて疲れるし、意見の対立も起こる。いや、意見の対立が起きるのは大いに結構なわけですが、日本社会は意見の対立を嫌いますからね。しかもある程度「デキる」やつが上位グループにいて、「空気」を醸成してくれる環境にしてくれるんであれば、それって効率的とも言えますよね。だから、問題こそあれど、スクールカーストは生き残っているんではないかと思います。
それと、機能としては年齢による上下関係だって同じようなものではないか。年齢のほうは昔から染み付いた習慣なので、異を唱える人は多くないと思います(ぼくは大嫌いですが)。ただ、年齢は地位の上下がはっきり明確(誕生日を聞けばわかる)だし、誰しも時間が経てば「上位」が回ってくる「平等感」があるから受け入れやすい。スクールカーストはその理由がよくわかんなくて、不平等でしょ。そこに不満がたまるという要因もあると思います。
Posted by ブクログ
む??? むむむ???
衝撃。
まじでこんなこと起こってるの??
私が鈍感に生きてきすぎた?!
いやいや。
このレベルで展開それていれば、さすがに誰でも気づくよね。
こんなんありえへんゎ...。
しかも、大学生になって、思いだしながら語っているインタビュイーが、悪気ナッシングでこの価値観を語っているのも衝撃以外の何物でもなく。
いじめじゃないですよー、とか明るく言うけど、第三者が聞くと、もはやいじめにしか見えない内容も...
うーん。
全国てどれくらい、こんな状況なんすかね...。
Posted by ブクログ
読みやすい。とりあえずまとめだけ読んでいけば趣旨は把握できる本。インタビュー部分は読まなくても、ほぼ同じ内容を著者が代弁。かなりの飛ばし読みができる本。
Posted by ブクログ
学生時代になんとなく感じるクラス内での序列。ここまで、研究や考察がされた本はなかったと思う。インタビューなど文字にして改めて見ると、あったあったと思う反面なぜあの頃はそんな事を気にしていたのかと思う。ただ、ここからいじめに発展することは確かだと思うので、こういう序列に本人も教師も保護者も敏感になる必要がある。
Posted by ブクログ
評判が良かったため購入。いじめやいじりは区別がつけにくく把握が難しいから、大本となる学校の人間関係、つまりスクールカーストを見てみよう、という話。
忘れていた自身の学生時代のことを思い出していろいろともやもやした。小学校時代はなぜか足の速い子、運動神経のいい子がもてるよね。そしてクラスに一人くらい嫌われている子がいた。中学時代になるとあからさまなスクールカーストがあった。大人になってから卒業アルバムを見直すとみんなどっこいどっこいの田舎の中学生なのだけれど、あの頃は中学校が世界の全てだったから、クラスや部活であの子より上だ下だと序列を感じていたな。高校時代はスクールカーストの高い子と友達だったから確かに楽しかった。
マジメとヤンキーが互いに嫌いあっていたというのは80年代の話だと思う。受験戦争に意義が唱えられ、勉強が重視されなくなってから、マジメの価値は落ちたよ。
生徒と教師からの聞き取りが根拠のほとんどを占めており、論文としての根拠は薄弱かもしれないが、スクールカーストという言葉を全面に出し世に知らしめたという点で価値のある本。スクールカーストの存在を否定する者がいなかったにもかかわらず、それが形成される根拠やカーストの決め方は非常に曖昧であり明文化されない。にもかかわらずどの生徒にも共通して認識されているところが闇を感じる。
生徒からの聞き取りによりスクールカーストは上位の生徒にも下位の生徒にもデメリットがあると考えられるのに、教師の捉え方が全く異なることにいやな感じがした。スクールカーストは権力であり、上位の者がいない場で中位の者が場を盛り上げることがあることから決してコミュニケーション能力によりカーストが形成されているわけではないという結論が出ているのに、教師はスクールカーストを能力ととらえている。上位は積極的で自分の意見をはっきり言える、人付き合いもうまいと。そして下位の者はぼんやりしていて楽をしていると。教師のあまりにも都合の良いものの見方に憤りを感じた。上位の者は友達が多い「ように見える」だけで、裏で反発されていることもある。自分の意見をはっきり言うのは、それが通る場だから。上位とされない者でも自分の意見は持っているが、相手にされないので言わない。能力が序列になるのではなく、序列の差が態度に現れる。
学級経営というのはモデルケースが見えない。理想とされる学級はどんなものなのか、多種多様な人間がいる中で、未成熟な生徒達がどのように互いとの関わりをもてばうまくいくのか、誰も示さない。生徒達は自ずとカーストを形成し、役割を決め、日々がうまく回るようにしているのかもしれない。学校以外の世の中で、勝手に作られた同年代だけの集団においてただ仲良くあることを求められる場というのは思いつかない。学校が全ての世界である生徒は苦しい。ただ仲良くあれ、それが正しいとされる世界は辛い。
典型的な体育教師の認識の仕方に本当に憤りを感じた。下位の生徒の将来をダメだと決めつけ、学級経営のためには上位の生徒を使って回していくのが良いと考え、唯一クラスで圧力から逃れられている存在なのに、積極的にスクールカースト形成に力を貸している。強く自己主張できるのがそんなに偉いのか。騒がしいのが偉いのか。静かに日々を過ごすことがそんなにいけないのか。学校という逃げ場のないところで自身の振る舞いにかかわらず下位と評価されるのはどれだけ心が傷つけられ、自尊心が抉られることか。
スクールカーストは、学級という均質を目指す箱が必然的に作り出した闇に思える。個を重視するなんてよく言うよ。
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スクールカーストという言葉をはじめて知ったのは「桐島、部活辞めるってよ」が映画化されてその感想をサカナクションか何らかのバンドマンがTwitterでつぶやいたときである。
内容の真摯さは伝わる。そして読んでももやもや感は晴れなかった。むしろ余計くもった。
これを機にスクールカーストの研究がもっと進んでくれないかなぁ、と思った次第。おそらく教育に活かされるほどに進むのはかなり先だと思う。
それと、自分は亜種だったんだろうな。というか、中間層にいる多様性のある人たちの研究は手をつけられる段階ではないだろうな。
Posted by ブクログ
イジメではなく意識上存在する生徒間の上下関係について論じた本。ただし、サンプルが少ないためまだまだ研究の余地あり。ギャルもヤンキーもいない地域、学校はたくさんあるのだからインタビューのサンプリング如何によるかなあ、と。時間はかかると思うが関心は強いため今後に大いに期待☆個人的に学生時代の薄暗い感情といえば格差という感覚よりも劣等感に近い辻村深月氏の小説に描かれる感情に近いかも。
Posted by ブクログ
基本構造は、インタビュー内容を掲載して、それを自分なりに咀嚼しながらまとめ直す、っていうのの繰り返し。それがくどく思えることがしばしばで、冗長に感じられたきらいあり。でも最後に、この研究の限界を自分なりに反省して、次への課題として開示していたりとか、インタビュー内容とは違った自分なりの見解を明示していたりとか、最後のまとめの部分はかっちり決まっていたと思います。う~ん、学校って難しいですよね。
Posted by ブクログ
️p.6 同学年の児童や生徒の間で共有されている「地位の差」を、本書では「スクールカースト」と呼びます。
こう定義される「スクールカースト」。でもよくよく考えてみると、この「スクールカースト」なるものって学校生活の中でごくごく自然にあったことだろう。それに敢えて焦点を当てて論じたという意味で、この本には意義があると言えるだろう。
スクールカーストが発生する学校の「クラス」とは、全ての生徒がまったく平等であるという建前の下で扱われる集団だ。でもだからこそ、余計に地位の差、ヒエラルキーの差を作りたくなるものなのかもしれない。完全に平等であることに、もしかしたら人は耐えられないものなのかも。
ただ率直に言って、後半部分の教師の話には違和感しか感じなかった。スクールカースト上位の生徒をやたらと評価している教師が多いが(もちろんあくまで本書の中での話だが)、確かにそういう面もあるのかもしれないものの、だからといってスクールカースト下位の生徒を「損である」「能力が低い」と位置づけてしまうのも何か違う気がする。外から見れば地味に見える生徒だって、その中身は意外にも個性的で面白かったりするものだ。逆に上位の人の中にだって、そりゃ面白い生徒もたくさんいるんだろうが、薄っぺらい人間だって山ほどいるだろう。表に出てくるものだけで生徒を判断するなんて、それでも教師か!?と言いたくなる。
またこの本、途中から大学生や教師へのインタビューが多く挟まれるのだが、数少ないサンプルをさも多くの人がそう思ってるものだとして解釈しているところにも若干の違和感を感じた。
Posted by ブクログ
著者は東京大学大学院在学中の学生である。本書は、学校の教室内で見られる生徒同士の明文化されない階層的人間関係について考察したものである。質問紙法とインタビュー形式を取っているせいか、データに対する考察が甘い印象を受けるが、著者はそれを自覚しており、今後の研究課題としている所に好感が持てた。教職を志すものとして、またひとりの人間として、スクールカーストが生徒に与える社会的影響についてとても関心がある。緒についたばかりの研究が今後どのように発展していくか、期待することろだ。
Posted by ブクログ
スクールカーストという名前付けはよいが、以前からあったものであり、アメリカなどでは学校で実際にカーストに近いランク付けが存在したりする。それらを、論文形式でまとめたものを新書にまとめなおしたという感じがした。
内容は、スクールカーストとは、いじめとの関係、小・中・高等学校のそれぞれのカーストと特徴、教師にとってのカースト制度、権力や風土などのまとめをしているが、今まで誰もが気が付いていたが言葉になっていないことを表した本ではないような気がした。
この手の本の問題は書き方の問題なんだろうか、それとも発想の問題なのか、自分にはわからなかった。
Posted by ブクログ
小中高の学校に存在するスクールカーストと最近では呼ばれる、
生徒間での序列がどういうものかを解き明かそうとする本です。
前回読んだ、『桐島、部活やめるってよ』でも、生徒間の関係性の「上」「下」
というものがでてきました。きっと、僕が高校生だった90年代の中頃よりも、
そういったものがクリアになってより子どもたちをひっ迫しているのかなぁと
思って読みました。そして、読んでいるうちに、自分が学生だった頃の、
スクールカースト的な序列というものも思い出してきて、
今考えればそう分類されるのかなと新たな視点からとらえ直すことになりました。
きっと、ほとんどの人が感じたことがあると思いますが、
あの人はスポーツができてかっこよくて、「上」にいて、発言力があって、
自分の思うように事を進めがちだったというのがなかったでしょうか。
あるいは、そういう人は自分だったという人もいるでしょう。
本書では、そういう序列を若い大学生のインタビューから構成し、
その後、教師からのインタビューからも構成して、
生徒と教師という二つの立場からスクールカーストを追っていたりします。
教師っていうのは、安易で一面的な社会的価値観の上に成り立っているんだなぁと、
あらためて、僕が中高生のときに感じたような嫌悪感を感じました。
読んでいくとわかりますが、上にいるものも下にいるものも、誰も得しないんですよね。
「え、上にいる人は得なんじゃないの」と思う人もいるでしょうけれど、
人間的にそれじゃいけないわけで、そういういけないことを勉強する機会を失って、
未熟な価値観のまま大人になっていくので、とても残念なのです。
最終章では、ではどうやってスクールカーストのある今の学制に対応していけばよいか、
その方法の提案がありますが、決してドラスティックな感じではない。
僕はこう考えるのですが、「上」の人間でも、その浅薄な価値観に気付けば、これではいけないと
変わろうとしていくと思います。でも、「上」にいる「甘さ」に慣れてしまうと、
なかなかそうはできずに、社会に出てからも、
スクールカースト的な価値観をどこにでも持ち込もうとするはずです。
たとえば、団地で公園デビューするとか言う話が実際にも小説にもでてきますけれども、
そういうときの人間関係の序列もスクールカースト的だったりします。
人間はどうしても、人を値踏みして、序列を決めないと落ち着かない生き物なのかなと思ったりもします。
また、「下」の人間であれば、「上」の嫌悪感も「下」の不自由さも知っているので、
そうではないオルタナティブというか、アザーサイドなというか、
もっと別の価値観を探したり構築したりして、
そういう自分へ変化していこうと努力すると思います。
そういう意味では、10代のスクールカーストによる苦みは良いほうへ機能する。
僕の持論では、いじめは、いじめる側はその時に権力の甘味を知って堕落するので、
それ以上の人間にはなかなかなりにくい人が多く、いじめられる側は、
自分に疑問を持ったりして、苦しむのだけれど、その後の人生では
自分が変化していくことにためらわないような人になることが多そうなので、
それだけ人生が開ける可能性があると思っています。
いじめられる側のほうが、その後、頑張るんですね。楽観的な考えかもしれないですけど。
そういう立場にいたいか、いたくないかの差で人生は大きく変わるということです。
なぜ、今、こんなにスクールカーストが明確になったのか。
そして今後スクールカーストを解体していくことができるのか。
それら両方にはきっと「自我」というものが関係しています。
現代の、特に大人は、自我の肥大によって、上からの目線に過敏になっているといいます。
なので、そういうことを扱う本には、摩擦を避けることも一つの方法として書かれていたりしますが、
もしかすると、スクールカーストに代表される、社会の序列づけに対しての拒否反応かもしれない、
なんて考えてみたりもできます。
学生は、そのまま「今」の問題として。
社会人は、「過去」でありそうで、社会の中でもそのまま生きてしまっている
序列に対して類推的にも読めるでしょう。
きっとスクールカーストは短絡的な価値観で出来あがっていますが、
子孫繁栄の性のプログラムがされた人類の生存戦略として
一番てっとりばやい発現の仕方なんじゃないでしょうか。
そんなふうにも思いました。