あらすじ
ときは文政、ところは江戸。武家の娘・志乃は、歌舞伎を知らないままに役者のもとへ嫁ぐ。夫となった喜多村燕弥は、江戸三座のひとつ、森田座で評判の女形。家でも女としてふるまう、女よりも美しい燕弥を前に、志乃は尻を落ち着ける場所がわからない。
私はなぜこの人に求められたのか――。
芝居にすべてを注ぐ燕弥の隣で、志乃はわが身の、そして燕弥との生き方に思いをめぐらす。
女房とは、女とは、己とはいったい何なのか。
いびつな夫婦の、唯一無二の恋物語が幕を開ける。
第10回野村胡堂文学賞、第44回吉川英治文学新人賞、二冠の作品がついに文庫化!
カバーイラスト/おかざき真里
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
1年半ほど前に著者のデビュー作『化け者心中』を読んだ時は、新人とは思えない密度の文章に率直に凄いと感じたものの、盛りだくさんのテーマと練られすぎた構成がちょっと物語を窮屈にした印象があったのと、自分自身の好みの問題もあって、個人的にはそこまで高い評価にはしていなかった。
本作は前作に引き続き歌舞伎を扱っているが、主人公が歌舞伎役者だった前作とは異なって、歌舞伎のことを何も知らない女形役者の妻を主人公に据えており、歌舞伎に関しては客観的な視点で語られている。その世界に疎い自分のような読者にとってはニュートラルな書きっぷりがありがたかった。
本作は役作りのために日常から女として過ごす夫と、その妻である主人公がひとりの女性として自身の存在意義を模索する物語であるが、特殊な世界で生きる者たちの苦悩と覚悟がリズミカルな筆致で描かれており、読んでいて二人の関係性がとても愛おしく感じられた。
他の役者の妻たちもキャラクターが立っていて面白いし、終盤に歌舞伎の演目に引っかけて物語が展開するあたりもうまい。幕引の締め方も文句なし。
ミステリの要素を排したことで筋立てがシンプルになり、リーダビリティの向上とともに読者への訴求力が高まったように思う。
本作は読もうか読むまいか迷ったのだけど、読んで正解だった。今回は自信をもって書こう、傑作です。
Posted by ブクログ
いやぁ、このねっとりした情愛の雰囲気、ヒリツク手を繋ぎながら隣を牽制する女同士の関係性、そう、蛇のような感覚、私結構好物でございます。
男の彼を求め、女の彼を求め、ぐっちゃぐちゃになりそうなところをうまく落とし込んでこられてるな、と。その代わりこっちの情緒は結構ぐっちゃぐちゃに乱されますけどね笑
芝居が絡むものってなんでこんなにドロッとするんでしょう。
あと、男がライバル、何気に1番キツい。と思った。
2025.5.10
93
Posted by ブクログ
志乃視点で女形の苦悩や女形の女房の苦悩を見る物語と思ったら、女形の女房を取り巻くあれやこれやをまるで舞台で繰り広げられているかのように観ていた。
登場人物が各章のテーマとなる演目を語る時、グッと引き込まれていく。面白い。江戸も面白い。
ラストにビックリしつつ、序盤でフラグたってたなぁと納得。
Posted by ブクログ
本作は、野村胡堂文学賞、吉川英治文学新人賞を受賞している。受賞からわかるとおり、時代小説となっている。
時代は江戸で、町人文化が栄えている頃だ。主人公の志乃は下級武士の娘で、売り出し中の歌舞伎役者の喜多村燕弥の妻となる。この燕弥は女形で、平素から女装して「おんな」になりきっている。だから「おんなの女房」である。
しかも、お金をはたいてまで武家の娘を妻にしたのには訳があった。この燕弥は役者バカである。その容姿も踊りも芝居のうまさも、中の上くらいであろうか。そして、芝居の役にのめり込むというか憑依する役者である。セリフのないただ尻もちをつく役のため、通りに糸を張って通行人が転ぶのを観察すような人物である。志乃を妻にしたのも、武家の姫を演ずるため、その所作を観察して役作りに活かすためなのだ。
「女形の女房」と「喜多村燕弥という男の女房」の間で揺れ動く志乃。そして他の二人の役者の女房たちとの交流。それぞれが面白い。女性向けの作品だろうか。
なお、当時の白粉には鉛が含まれており、これが中毒を引き起こした。
Posted by ブクログ
おかざき真里の表紙に惹かれて購入。
相手のことも芝居のこともよく知らないまま女形の役者に嫁いだ武家の娘・志乃。
武家の娘として躾けられ育てられた志乃は親の言いつけを守り、夫に従い、夫のために行動しようとする。夫・燕弥の食事が終わるまで側で控えて一緒には食べようとしないし、夫の不可思議な行動について疑問を持っても夫にそれを聞いたりしない。志乃の夫というのは女形で家でも女の格好で過ごしており夫婦生活はもちろんない。「私はなんのためにこの家にいるのだろうか。自分の価値は一体どこにある」と志乃は不安に思う。しかし夫には聞かない。ただ黙って夫のためを思って行動し、失敗して怒られたりする。行動の部分だけ見てると最初はイライラしたが、その裏には妻として良くありたいという想いがあり、懸命に考え行動する姿が健気で可愛く思えてくる。
次第に燕弥と惹かれ合うも志乃の悩みは尽きない。夫・燕弥の女房でありたい、女形の女房でありたいという二つの気持ちに揺れ動く。彼女の周りの癖の強い役者女房や森田座の役者たち、賑やかな江戸の芝居町の人々、各話に絡む芝居演目とそれに登場する燕弥が演じるお姫様たちが鮮やかに展開を彩る。
幕引まで読み終え、本の最初に戻って呼込を読み直して余韻に浸る。
Posted by ブクログ
アンソロジーで読んだ短編がすごく好きだった蝉谷めぐ実さん。
文庫新刊が出ていたので手に取ってみた。
歌舞伎のことは何ひとつ知らないまま、父に命じられ、「森田座」で人気急上昇中の若女形・喜多村燕弥のもとへ嫁いだ武家の娘・志乃が自身の在り方を模索する物語。
志乃が嫁いだ喜多村燕弥。
常に女子の格好で過ごし、演じる役に浸かってしまう。
女形としては素晴らしく格好いいと思うけれど、一緒に暮らすとなると、確かに大変そう。
志乃を娶った理由にも仰天。
志乃が出会う、同じ役者の女房であるお富、お才。
「夫婦の形は千種万様。手の添え方だって変わってくる。(p.260)」
というのは、もうまさにその通り。
それぞれ違う形で夫を支え、役者の女房の努めを果たしている。
彼女たちの刺激を受け、志乃自身が変わっていく姿が印象的だった。
変わっていくのは志乃だけではなく、燕弥も。
最初は感情が見えなかった燕弥が、読み進めるごとにどんどん人間味が出てきて、感情を露わにしたり、弱さを見せたり、葛藤したり…。
お互いへの情がなく夫婦になった2人が、徐々に心を通わせていく展開が胸にグッときた。
志乃の父親を芝居で言い負かす場面が一番好きだった。
物語の中で語られる、燕弥が演じる演目も興味深かった。
歌舞伎、観たことはないけれど、観てみたくなった。
ラストの展開と、最後まで読んで分かる「呼込」の意味に胸が熱くなった。
彼が演じたお姫様たちは、志乃と共に生き続けるのだろう。
解説を読んで「化け物心中」も読んでみたくなった。
歌舞伎×ホラー×ミステリー×バディものだそう。
ホラーは苦手だけど、めっちゃ面白そう…!
✎︎____________
恋心はなにもかもをひっくり返しちまえるんだもの(p.42)
言葉にできねえものこそが、いっち凄くて、いっち恐ろしいんですよ(p.145)
好きが目減りし始めるんだったら、次はうんと憎まれてえや。あいつはどんな顔を俺に向けてくれるんだろう(p.167)
圧倒的な才や圧倒的な美しさってのは、誰かを傷付けるものなんです。そいつで周りの人間に爪をかけて、引き摺り下ろさなければ、この世界では上り詰めることなんてできやせん。誰かを傷つけることができなくなっては、もう終いなんです(p.175)
子をかすがいにしようとした時点でその夫婦は終わってんのよ(p.240)
Posted by ブクログ
いやぁとても良かった!
切ない!
望んでいたのに、燕弥が志乃を好きにならり徐々に女の部分が消えてく姿に、その苦悩する姿に自分を律し、女形でいたいという燕弥を支える志乃さんカッコいい!
ラストもそんな展開?志乃さん!と思うけど最高の終わり方なんだろうなぁ。
Posted by ブクログ
江戸弁の小気味良いスピード感ある文体と、歌舞伎の演目のテンポが絡みあい一気に読んだ。
役者の女房たちのそれぞれの矜持も面白いが、
燕弥をはさんで志乃と仁左次、2人の対比が興味深かった。
普通の夫婦ならば、志乃は妻として母としておさまればば良いところを、「おんな」である燕弥にはそぐわない。
芝居に役立つ武家の娘としてだけでなく、女形の女房として役に立ちたいと願うようになる。
仁左次は燕弥の役者としての才能を認め、伸ばし
舞台の上で最高の相性を魅せている。
二人はお互いに燕弥とのそれぞれのつながりに
嫉妬し合っている。
志乃が燕弥と仁左次の間に、絶対に自分が理解できない入り込めないものがあると悟った時に、
子供を欲しいと思う気持ちがよくわかった。
そして燕弥が病に倒れ、弱気になり舞台から逃げ出そうとした時、二人が正反対の態度をとったことが面白い。
仁左次は燕弥の役者の才能を認めて、志乃に芸の
邪魔をするなと忠告までしておきながら
死で燕弥の存在を失うことを恐れる。
役者として精神でつながっていたはずの男が、
燕弥の肉体さえ生きていてくれれば良いと願うところ、実は燕弥を愛していたのかと切なかった。
対して志乃は燕弥が舞台から降りたら空っぽになることをわかっているため、八重垣姫のように舞台を進んで燕弥に役者魂を取り戻させる。
本来なら普通の夫婦ように暮らせると喜びそうなものだが、志乃は燕弥が心の底で本当は何を望んでいるのかよくわかっていたのだろう。
死んでも良いと思っているわけではなく、燕弥が「生きている」とははどういうことかわかっていたのだ。
だからこそ燕弥の女房ではなく、女形の女房になることを選んだ。
手一つ握らなくても、確かな夫婦の愛の形が切なく鮮やかだった。
Posted by ブクログ
歪な愛。苦しい時間が長すぎてせめて結幕はと思わずにいられなかったが、坂道を転がり落ちる様に終幕。
清姫、時姫などの演目を知っていたため、芝居の口上はより楽しく読む事ができたが、どうしても主人公の志乃の心に寄り添う事ができなかった。
決して嫌いな人柄ではないのだが、こうあって欲しいと思ってしまうのは読み手側のエゴなんだろうと思い知らされた感もある。
文政の時の命のあっけなさもしれっと書かれていて、良かったとは言わないまでも納得はできた。