あらすじ
「一生」とよばれるこの時間のあいだには、学ぶべきさまざまなレッスンがある。とりわけ死に直面した人たちとともにいるとき、そのことを痛感する。死にゆく人びとは人生のおわりに多くを学ぶが、ほとんどのばあい、学んだ教訓を生かすための時間が残されていない。一九九五年にアリゾナの砂漠に移住したわたしは、ある年の「母の日」に脳卒中でたおれ、麻痺状態におちいった。それから数年間は、死の淵に立たされたままだった。すぐにも死がやってくるだろうと、幾度となく覚悟した。そして幾度となく、それが訪れてこないことに失望した。準備はできていたからである。でも、死ななかった。なぜなら、わたしにはまだ学ぶべきレッスンが、最後のレッスンがあったからだった。そのレッスンの数々は人間の生にかんする究極の真実であり、いのちそのものの秘密である。わたしはもう一冊、本を書きたいとおもうようになった。こんどは「死とその過程」についてではなく、「生とその過程」、つまり人生と生きかたについての本を。(著者エリザベスのメッセージより)
【目次】
第一章「ほんものの自己」のレッスン
第二章愛のレッスン
第三章人間関係のレッスン
第四章喪失のレッスン
第五章力のレッスン
第六章罪悪感のレッスン
第七章時間のレッスン
第八章恐れのレッスン
第九章怒りのレッスン
第十章遊びのレッスン
第十一章忍耐のレッスン
第十二章明け渡しのレッスン
第十三章許しのレッスン
第十四章幸福のレッスン
最終レッスン
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Posted by ブクログ
石原慎太郎さんの死という最後の未来という本に、キューブラーロスの本が出てきたので、読んでみました。
恋人ができたら、幸せになれると思っているが、恋人が居なくても今自分が持ってる物だけで幸せを感じる人になる。恋人が手に入ったところで幸せにはなれない。
他人がどうこうでは無く、自分の中での問題を処理する。
手放す。
自然にあがなわない、物事に執着しない。宇宙に身を手放す、任せる。放棄するのでは無い。自分で選択してする。
怒り憎しみは相手を許せないのでは無く、自分で自分の幸せ時間を奪ってると考える。
足るを知る。
断捨離の本より、片付けが進む本でした。
人生で1番重要なものは愛。
選択は、愛か恐怖でしている。
いつも愛を感じる方を選択すると後々も幸せ。気分が良い。
過去、物、怒り、憎しみを手放す。
過去、未来に生きないで、今ココを生きる。
たらればの過去未来じゃなく、今の自分でじゅうぶん。
人生には、遊びが大事。(人を絶望から守るのは、遊びを求めるその心なのかもしれない。by本 トゥモローアンドトゥモローアンドトゥモロー)
消費と必要事項の用事だけでない事をする。
死ぬ時に思い出すのは、楽しかった面白かった遊びの思い出。
感じ方、見方次第で、幸せはいつも感じられる。
他人も自分も人間。失敗するし、不安。
他人も自分と同じように不安。だから、自分がしてもらいたいように優しく接しましょう。
Posted by ブクログ
■自分を「明け渡す」って?■
医師であり、死に関する研究の第一人者であるロスさんの長年の臨床と研究、そして人生の集大成とも言えるのではないか。叡智と慈愛に溢れた内容だ。
他者を変えることはできない、自分を変えるしかない。人を裁いてはならない。コントロールできないことをコントロールしようとしてはならない…そういった理屈は頭ではわかっているつもりだ。
しかし実践となるとどうだろう?僕の感情は賢明な反応を示してくれるだろうか、思考を理屈どおりに動かせるだろうか…そんなに簡単に実践に移せるなら聖人だ。この世の人生は必要じゃないかもしれない。
著者は次のように述べる。人生において降りかかる苦悩や困難は僕たちに与えられた課題、レッスンであり、そこから何かを学ばなければならないと。
そう考えると、すべての不幸や苦悩、理不尽な状況が冷酷なだけのものではなく、あたたかい色彩を帯びてくる気がする。(あくまで客観的に見ることができる場合だが…)
“どんな時でも、人は自分を明け渡すことによって、限りない平和を見出すことができる”(第12章より)
「自分を明け渡す」というのは、決して人生を投げ出すというスタンスではなく、何でもコントロールしたいという執着を手放す、流れに身を委ねるといった意味だろう。
変えることのできない状況を変えようとすることは、嵐の海で荒波に逆らって小舟の舵取りをし、無駄に自分を消耗させているようなものだ。いずれにしろ漂流、転覆、座礁は避けられそうにない。なら無駄な抵抗はやめ、あるがままの現実を受け入れ、できることなら穏やかな心で流されるに任せる方が賢明ではないか。それが自分を明け渡すという態度ではないだろうか。
僕はある人との関係に苦しみ続けている。
つまり、今明け渡しのレッスンを受けているのだ。
否定でも拒絶でもなく、闘争でも逃亡でもなく、受容(=明け渡し)
長年かけて形成された川の流路のように、感情の反応や思考の癖は簡単に修正できるものではない。しかし、これがレッスンであるなら、いつまでもサボってるわけにもいかない。