【感想・ネタバレ】決定版 閉塞企業を甦らせる 高成長・国際化・経営者育成の同時変革 「戦略プロフェッショナル・シリーズ」第3巻のレビュー

あらすじ

「失われた30年」を突き破る経営。340人からグローバル1万人への全軌跡!
他に類を見ない同時変革で会社を創り直していった。数多の日本企業が沈み続けた中、驚異の成長はなぜ出来たのか?答えはすべてこの本にある。
シリーズ累計100万部 不朽の名著が大幅改稿で一新!

なぜ、死の崖に立つ小さな商社の社長を戦略プロフェッショナルは引き受けたのか?
閉塞企業を甦らせ、国際化を果たし、高収益の成長会社に変身させ、経営者人材も鍛えていく。この同時変革を「失われた30年」の渦中で行うのは至難の業だった。だが、成し遂げた者がいる。
シリーズ第3巻の本書では、第2巻の最高難度の事業再生を達成した後、男が小さな商社の創業社長から後任を打診される所から始まる。存亡の危機に瀕していたこの会社をいかに立て直し、組織を活性化させグローバル1万人企業へと変えたのか?
本書は、長期停滞の日本企業を甦らせる改革策の詰まった唯一無二の再興戦略書+人生論である。

【目次】
プロローグ
第一章 改革者の姿 一戦終わってまた一戦の人生
三枝匡の経営ノート1
第二章 現実直視 病気の兆候を感知する
三枝匡の経営ノート2
第三章 全社改造 会社の何を変えればいいのか
三枝匡の経営ノート3
第四章 組織改造 外向きに熱く闘う組織に
第五章 事業改造 勝ちの事業戦略を展開する
三枝匡の経営ノート4
第六章 インフラ改造 最適オペレーションの追求
第七章 国際改造 グローバル企業への変身
第八章 生産改造 ものつくりの戦闘力を上げる
エピローグ

本書は日本経済新聞出版社より2016年8月に刊行された『ザ・会社改造』(2019年3月に文庫化)を全面的に書き改め、さらに「経営ノート」をはじめ大幅な加筆をし、改題した決定版です。

...続きを読む
\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

このページにはネタバレを含むレビューが表示されています

Posted by ブクログ

ネタバレ

改革組織論(4)熱き事業集団の構造
 さて私は、経営ノート①②を総合し、次のフレームワーク『熱き事業集団の構造』を描いた(一〇九頁図)。その図には、社員が熱く改革を推進するようになるには何が必要か、その「原動力」になる三つの要素が示されている。
 チャートの左側タテに、出発点になる二つの丸囲みが並んでいる。①戦略、②組織の5C基盤(ビジネスプロセスと組織)だ。この上下二つのフレームワークで、まずは事業の問題点を洗い出す。
 二つのうちどちらか一方が、明確に大きな問題を抱えているならそれを先に取り上げるが、①②の両方が密接に絡み合って長期不振を起こしているのであれば、両方をワンセットにして改革シナリオを組み立てないと、会社の再生は出来ないと既に述べた。
≪原動力① 戦略≫
「戦略」とは何か、その要諦を述べれば図にあるように「勝ち戦のシナリオ」「絞りと集中」「シンプルな目標の提示」「ストーリー性」である。
 戦略はトップ経営者だけのものであってはいけない。私はこれまでの事業再生の経験で、トップの戦略シナリオを現場の社員にまで「落とし込む」ことにこだわり続けた。全組織が一斉に同じ思索と行動で連動して連動して働くことが、重要なのだ。
 戦略から右下の「マインド・行動」に向かう矢印を作動させるためには、リーダーによる「熱い語り」と「ハンズオンの姿勢」が不可欠である。それによって戦略シナリオが、「いま、そこにいる人々」の心と行動を刺激し、皆の熱さを生み出していく。
≪原動力② 5C基盤(ビジネスプロセス&組織≫
 五つの組織(5C)が効率よくまわっている事業組織は強い『5C基盤』が作動している。
・その組織は顧客、競合を起点とする全体最適化を実現している。
・『創る、作る、売る』のサイクルが速くまわる組織デザインでは、図にあるように、そこで働く人々は「顧客を近くに感じる」「事業全体プロセスを自分のものとして感じる」ことが容易となる。
・そうなれば「外部競争」への切迫感が高まり、自分の事業が「儲かっているかどうか」に皆が敏感になる。
≪原動力③ マインド・行動とは≫
「戦略」「ビジネスプロセス&組織」から発した二つの矢印が『いま、そこにいる人々』に落とし込まれていくと、その集団は大きな変化を見せはじめる。
・皆が「目的意識」を共有するようになる。
・一体となって「痛みや喜び」を共有するようになる。
・その戦略をやり遂げようと皆が結束し、そこに「生きがい」を感じはじめる。
・そうした効果が、彼らを「熱い集団」に変えていく。
 コマツのアスター事業改革は、このフレームワークの図を実現していく改革だった。最大の効果を引き出すために『スモール・イズ・ビューティフル』のフレームワークにしたがって、組織が設計され、それが競争性と業績の劇的効果を生んだ。
 会社改造の要諦27【マインド・行動を熱くする押しボタン】
「人こそが組織を動かすわけだから、改革では『マインド・行動』が大事だ」という人は実に多い。事実だから正しく聞こえ誰も反対しない。だが、それを改革の前提ないし入り口だと考え、最初から「マインド・行動」を直接高めようとする改革リーダーは、ほとんどが改革の素人だったことを露呈し改革に失敗する。「組織は人だから」などと言いつつ、長い年月、会社が腐っていくことに無力だった人々が、どれほどいたことか。

 フレームワーク図『熱き事業集団の構造』で、「戦略」と「5C基盤」から出る太い矢印が、「マインド・行動」に向かっている。
 多くの日本人が間違えて、この矢印は逆(マインドが先)だと思っている。そのような人は、改革手法を間違える。「マインド・行動」は「戦略」ないし「5C基盤」ないしその両方が、強力な競争力を発揮するようになれば、結果として、自然に、イヤでも高まっていくのである。それがすぐれたリーダーが目指す改革の実行ルートなのである。

組織論の誤り
 当時の『ミスミ経営論』の中に、「小さなチーム制組織」という論理があった。ミスミの外部広報ではそれを盛んに訴えた。社長が株主総会で「新事業チームを五年後に三〇~三五にする」と語り、黒岩がその場で違和感を覚えたことは既に述べた(第二章第一節)。
 実は黒岩自身が、事業再生の経験から、スモール・イズ・ビューティフル(SIB)という組織論が会社を元気にするには有効であることを唱えていた(三枝匡の経営論ノート②)・彼が初めてミスミに来た時、彼の自説を実践している上場企業があることに驚いた。けれども社内を歩いてみると、ミスミのチーム制は黒岩の概念とはいろいろな面で違いがあった。
 黒岩は、ミスミの多角化事業が全滅に至ったのは、この「小チーム」というやり方にも大きな原因が隠れていたとみている≪感知項52≫。そこにもコンサルタントのアイディアが入っていたらしいが、この手法は気をつけないと事業のバラバラ、チマチマを促してしまうリスクがあるのを、彼らは軽く見ていたのではないか。社員の少ない会社で組織を迂闊に小さく分割すれば、効用よりも弊害があることを事業再生専門家だった黒岩は十分に経験していた。
 小さな事業チームをたくさん立ち上げれば、チームの数だけ幹部として経営者人材を配置する必要がある。しかし、もともとミスミ社内にいるのはアマチュアばかり。意欲の高い若者は多かったが、経営者人材としての経験や、経営者としてのリテラシー(経営の読み書き能力)は世間の普通のサラリーマンと同じか、不勉強のため、むしろ劣っているように黒岩には見えた。言い換えれば、ミスミの当時の組織の実力は、中小企業がそのまま大きくなった程度というのが、黒岩の正直な印象だった。
 ということは、会社が小さなベンチャー事業をたくさん立ち上げる発想に走れば、未熟な若手を事業リーダーに登用せざるを得ない。そうなると何が起きるか。
 彼らが新事業として提案できるものは、自分のレベルに合った「手に負えそうな事業」でしかない。それがミスミの多角化のチマチマ、バラバラの出発点になったと黒岩は解釈していた。
 社員にしてみれば、世の中でミスミほど素晴らしい会社はなかったにちがいない。素人なのに経営者扱いしてくれて、お金をつけてくれ、事業経営をやらせてくれる。上から細かいことは言われない。そんな悠長な会社は世の中にいない。米国のベンチャーならたちまち追い出される。
 会社改造の要諦28【経営者人材が伸びるプロセス】
 経営のアマチュアは、現実の経営では、どうしても迷ってウロウロせざるをえない。黒岩にも生々しい経験がある。そこを抜け出せばとりあえず成功している気になるが、すぐに次の新しいリスクが見えてくる。またウロウロする。つまりアマチュア経営者の挑戦では、どこまで行ってもアマチュアの壁に突き当たることの繰り返しだ。それが経営経験という魔物の意味であり、その経験を一通り済ませることをしない限り、経営者としての切れ味は出てこないのである。

「強烈な反省論」と1-2―3枚目
 経営ノート①で述べたフレームワーク『熱き事業集団の構造』は、私(著者)が日本の不振事業に対する事業再生の挑戦を重ねるうちに、さらに進化していった。
 経営ノート②では、不振事業を元気にする改革の原動力が三つ示されていた。そこに、一七五頁の図にあるように、四つ目の原動力を書き加える。黒岩莞太はアスター改革でもミスミ会社改造でも、この原動力を整えることから仕事を始めている。彼が過去の試行錯誤から確立した手順である。つまり改革で成功を狙うためには、どこの会社であろうとも、『強烈な反省論』を描くことから切り込んでくのが鉄則になるのだ。
 低迷企業では、会社全体が危機的状況に陥っているにもかかわらず、社員個人としてはさして痛くない状態が続いてきた。すでに書いたように、「自分はちゃんと仕事をしている、悪いのは上層部や他部署だ」と心の中で批判して留飲を下げている社員が多い。日本で歴史的に大企業病と呼ばれてきた病気が進み、業績悪化がさらに進むと、改革の入り口でこの組織病が障害になって、改革を開始することさえ難しいという状況に陥っているのである。
 会社が大きな赤字を出しているのに、社員はそれを聞いて初めのうちは大変だと思うが、やがてそれが鈍感になり、さして危機感を抱かなくなる現象は、なぜ起きるのだろうか。
 この単純な質問に対して、社員の「危機感が足りないからだ」と経営者が声高に叫んだところで、答えにならない。むしろその言葉を叫ぶことで役割を果たしていると考える社長ほどおめでたい人はいない。なぜなら、いつもの私の駄洒落だが、社員は、危機だ危機だと聞き飽きているのである。危機感が足りないのは正しい指摘だが、目の前の社員一人ひとりがなぜ危機感を持てないのか、そうなっている理由を解き明かして一人ひとりに迫ることをしない限り、組織の危機感は高まらないのである。
 なぜ社員は危機感を覚えないのか。私は事業再生の苦しい経験の中で探し続けた。やがて答らしきものが見えた。なーんだ、と言えるようなフレームワークだが、それを実行するのは簡単ではない。
 社員が危機感をもたないのは、事業不振の原因に、自分個人がどう関わっているのか、個人としての因果関係が見えないからである。その関係が、細い糸でもいいから見えてくれば、他部署や経営者のせいだけでなく、「自分もまずいことをしてきたのだ」と気づく。そうなれば、真面目な日本人の多くは自分の責任を認識する。
 その糸を、私は「赤い糸」と呼ぶことにした。前世からの因縁で、男と女の小指同士をつなぐ赤い糸の話じゃないが、会社全体の危機(例えば大赤字)に個人として自分がどう関係しているかが見えなければ、自分に無関係だと思っても当然ではないか。事業不振は他人のせいだと思い続けることが当然ではないか。
 だったら、個々の社員が自分の責任を感じるようにするためにはどうすればいいのか。見えない関係を何とか赤い糸として見えるようにする以外にない。
 そのためにはどうすればいいのか。私は一〇年間、その手法を探し続け、そのための工夫を続けた。
 赤い糸の話と一緒に出てきたのが、フレームワーク『強烈な反省論』である。
 強烈という言葉は、上司が怒声を上げて、社員個人に反省を強いるような意味ではない。クールでいい。何よりも「論」の字が付いている。
 まず、全体の悪さがなぜ生まれているかの原因を論理的に、できるだけ「個別の要素に分解」していく。その分解した要素一つひとつが、一本一本の赤い糸として、どこの部署で行っている仕事に関係しているかを辿っていく。文字通り、「ひも付け」をしていく。そして部署まで辿り着いたら、個人名は出さないにしても、どこの課で行っている仕事かまで赤い糸を延ばしていく。
 そこまでいくと、部署内で行っている仕事と事業全体のワルさの関係が、おぼろげながら見えてくる。その関連性を皆で議論することも可能になってくる。
 もし問題の発生頻度などのデータが取れて、赤い糸にデータが伴うようになったらすごい。でも、データまで取らなくても、その部署と個人が会社のワルさに関係していることが認識されるだけでも、改善の糸口が見つかったということで、前進になる。
『V字回復の経営』第四章では、黒岩莞太とタスクフォースが、この赤い糸を紡ぎ出す作業を行った。描かれているように、凄まじく苦しい作業になった。しかしそのお陰で、最後に鋭い改革案ができあがった。しかしそのお陰で、最後に鋭い改革案が出来上がった。アスターが、七年連続赤字だった事業をわずか一年で月次黒字にもっていったという切れ味が出たのは、赤い糸をあぶりだす作業が大成功したからである。
 その改革ストーリーが発表されると、それを聞いた社員は愕然とする。誰だって、おまえが負け戦の原因だと言われたら腹が立つ。けれどもグウの音も出ないデータを見せつけられて、その指摘が正しいことが分かってくると、茫然とする。
 これまで事業破綻は誰かのせいで、自分は「被害者」だと思っていた。ところが実は「加害者」だったのだ。社員たちはその場でそのことに気づき、「自分もまずかった」と思った。個人の痛みを感じ、自省の念を抱いた。
「強烈な反省論」が示され、部署内部のほとんどの個人が多少の差はあれ(赤い糸にも、細い糸もあれば太い糸もある)、それぞれが「自分もまずかった」と思うことが起きたら、その痛みは部署全体の反省論として共有された形が出現する。
 事業不振を他人のせいにしていた人々が、「自分としても改善しなければ」と思い始める。部署の中でその思いが伝わり、それが部署の大勢になれば、その部署は改革に向かって動き始める。
 この流れのポイント。事業の不振を直そうとして、会社全体のワルさを抽象的にいくら語ったところで、組織の危機感が薄い状況は変わらない。個人をターゲットにした問題指摘に迫らない限り、山は動かないのだ。
 だから、まずは部署まで辿っていく「赤い糸」、ついで、そこにいる個人の仕事にまでその赤い糸を延ばしていく、という作業をやらないと、不振会社の組織はいつまで経っても動かないのだ。それが、「個人の痛み」を生み、「部署の痛み」になり、それが社内の全部署で展開されれば、会社全体に自己反省論の連鎖が広がり、全社的に「何とかしなれば」の前向きの姿勢が広がる。
会社改造の要諦35【強烈な反省論の意味】
強烈という言葉は、社員の皆が静かに耳を傾けて聞いた説明内容に、全員が衝撃を受け、一発で目覚めて、それまでの認識を転換することが起きる変化のことを意味する。クールなデータ分析に加えて、改革者がこれまでの社内常識に妥協せず、新しい価値観を創り出していくことへの、論理と熱い語りが必要である。

私が事業再生の経験を積んできて、腐って動かない不振事業の組織をどう元気にするかという命題に対して、出した答えがこれだった。
 強烈な反省論を描く手順
 赤い糸を可視化するための第1ステップは、目を「外」に向け、市場での戦いを見ることである。競合との勝ち負け、自分たちの戦い方、相手の強み弱み、顧客ニーズへの対応など、競争戦略の本質にかかわる問題点を、できるだけ細かく解析していく。インテリサラリーマンのマクロ的、表層的な分析は、役に立たない。
 市場で起きている具体的な負け戦の症状を、大ざっぱにまとめるのではなく、商品を絞って具体的な細かい現象に迫っていく。
 商品群などを絞った上で、関係しているすべての機能それぞれからメンバーが集まり、いわゆるクロスファンクショナルなタスクフォースでこの作業を行うことが重要で、モレなく、正確に進められる。
 そこまで作業を進めるのも決して簡単な作業ではないが、それがある程度できたと思ったら、次に視点を市場から社内の個別の部署に注目する。一つの部署を出発点にしてそこから市場に向かって出ていく赤い糸一本一本を逆に辿って、その部署が市場競争で貢献していることを整理する。その部署が市場での負け戦にいかにつながっているか、「部署単位」でまとめる。それを部署毎で行うと、問題があればそれが部署単位の「強烈な反省論」になる。
 社内で今まで一番問題だと槍玉に挙がっていた部署が、本当の一番とは限らない。「あの部署」よりも、そもそも「自分の部署」の問題が小さくないことに気づいたりするのである。
 失敗の本質(ボトム)を探る
 ここまでは、負けや病気の症状を、市場と部署を行き来しながら追いかけてきた。次は、社内の部署と部署の関係に注目する。一つの部署が生んでいる負け症状を取り上げ、それが、社内の別の部署の問題から来ていないかを点検する。陰でコソコソ不平を言っているのではなく、それをきちんと表出することが全体最適への正しいアプローチだ。
 市場から始まってその部署まで来ていた赤い糸の先端が、社内の他の部署に向かって延びていく。一部署でよかれと思っている考え方や行動が、他部署で病気を生む原因になっていることは多い。その因果律を洗い出すのだ。
 あくまで全体最適の視点を保ちながら、トヨタ改善手法における「五回のなぜ」と同じ問いを繰り返し、根柢の問題と思われるものに行き着くところまで、掘り下げていくのである。
 この作業で社内立ち入り禁止の聖域を設けてはいけない。
 ここまで述べた作業は簡単ではない。真剣に迫れば迫るほど周囲から異論も入るし、本人の分析力が足りなければ真因まで辿り着けない。
 しかしこれによって、誰も分からなかった病気の「真因」があぶりだされてくればしめたものだ。複雑にこんがらがった組織問題を「単純化」させ、事業の病気の核心へ迫るには、以上の作業プロセスを踏まない限りできない。もしできれば、驚くほど単純化された「改革の押しボタン」が見えてくる。
 不振企業は、当然ながら内部に悪玉の原因をたくさん抱えている。だからといって、あれもこれも一度に解決しようとすれば、モグラ叩きになる。
「多くのテーマを並行で進める盛りだくさんの改革」は、積年の懸念を一気に解決する美しい改革案に見えるかもしれないが、実は、あまりに総花的な改革案は改革エネルギーを分散させてしまう。
 改革シナリオ
 単純化された「強烈な反省論」ができ上がったら、それに基づいて、実行のための「改革のシナリオ」を作成する。それが「2枚目」だ。
 ここまでに浮かび上がってきた「強烈な反省論」の絵を、バサッとひっくり返す。「これがまずかった」という否定形の表現で書かれていた「強烈な反省論」を、すべて、同じ要素に関して「これを直せば改革になる」という肯定形の文章に直す。ひっくり返すから、それを私は「反転ロジック」と呼ぶ。
「1枚目」で病気の核心が鋭く絞られているなら、それを反転させた「2枚目」はそのまま、切れ味の良い改革シナリオになる。
「強烈な反省論」と「反転ロジック」が一見してすぐわかるように対照的に描かれていると、改革の切れ味がかなり良くなるというのが、私の経験である。皆が反転の意味を感覚的に正確に理解してくれるからである。
 シナリオを実現すべく、リーダーが「意を決した集中」で、組織の改革エネルギーを集中させるのが「アクションプラン」だ。それが3枚目だ。誰がいつまでに何をするのか。皆が魂を込めて実行に移すことができれば、事業が一気呵成に良くなる効果が見えてくる。

 創業社長は「人は勝手に育つ。会社として教育はしない」と言っていた。黒岩は明確に逆だった。彼はミスミで「経営者人材を普通の企業の『二倍速』で育てたい」と思っていた。
 それは真面目な思いだった。世界で勢いを失った日本企業の弱点は、経営者人材の育成だ。スポーツや芸術の世界では、いま世界の一流に羽ばたいている逞しい日本人が増えた。ところが、人口の中で圧倒的に多いビジネスの世界で、日本人は世界で勝負する人数も気概も、昔の勢いをすっかり失っている。
 経営者人材を「二倍速」で育てるというのは、例えば
・四五才の社員が、従来感覚で一〇年後の五五歳で社長になれる潜在性があると見るなら、半分の今後五年間にどんな挑戦をさせれば、彼または彼女は五〇歳で社長になれるのか。
・三八歳の社員が、従来感覚で一〇年後の四八歳で役員になれる潜在性があると見るなら、半分の今後五年間にどんな挑戦をさせれば、彼または彼女は四三歳で役員になれるのか。

 黒岩は個人を育てることを狙った。そのために社長の待ち時間を大量に使うことが重要だと考えた。社長宛に来たメールにも一人ひとりに返信することに努めた。
 しかし二倍速の人材育成を狙うのに、最も重要かつ有効なことは、座学やアドバイスを与えるよりも、その人にどんな事業責任を背負わせるかだ。本人にとって初めは背伸びになっても、ギリギリ頑張って、それで達成可能な成功キャリアとは何か。個人別に都度考えて、その機会をミスミが提供したいと思った。
 他の会社で何年かかかって届くか分からないポジションを、ミスミでは早め、早めに与えた。例えば前の会社で課長だった人を採用するとき、ミスミで事業部長にすることをオファーした人も何人かいた。そうした抜擢では、黒岩は本人に「これは『乱暴な人事』かもしれない」と正直に、ジャンプの高さを伝えた。
 バブル破綻の中で企業経営が停滞し、日本企業の上層で政治性を発達させてから転職市場に出てくるベテランより、未熟でもいいから素直に這い上がろうとしている若手を育てることを選択した。黒岩は社員を鍛えることをやめなかった。それをやめたらミスミの成長性は出てこない。
 彼自身が二〇代から決して楽な人生を歩んできたわけではない。著名企業からミスミに集まってきた人材は、このユニークな社風の中で、それぞれ強い孤独感とリスク感があるはずだ。だから頑張ってほしかった。そして、黒岩の期待に沿って壁を抜けた者たちは、確実に力量を上げた。たとえ社員がミスミを退職することになっても、ミスミで取得したフレームワークを別の会社で使い、日本の経営者人材としての勝負に役立ててもらえればいいと黒岩は考えていた。

会社改造の要諦36【自論フレームワーク】
 戦略講座の受講者は講師からパクったフレームワークをもって自分の経営現場に行き、自分なりの修正を加え、現場に適用することで、パクったものが自分の論理になっていく。黒岩はそれをその受講者の「自論フレームワーク」と呼んだ。黒岩の経験から、その蓄積が経営者人材として最大の武器になると信じていた(国語辞書には持論という言葉が載っているが、黒岩は自論という造語を使った。彼にとっては重要なフレームワークだった)。

 座学の研修講座だけでは、多くの企業がそうであるように、耳年増のインテリサラリーマンを生むだけになりかねない。黒岩の目的は、戦略研修とビジネスプランを軸にして、生々しい実践を通じて、『経営者人材を育成する仕組み』を編み出すことになった。
 次の「要諦37」で解説している①~⑤が「熱き事業者集団&経営者人材育成」のグルグル回しだ。黒岩はそれが、戦略志向の会社での人材育成の仕組みとして最重要だと考えていた。
会社改造の要諦37【ビジネスプランと人材育成】
 幹部社員は苦労して「①自分のビジネスプランを作る」ことを完了し、それを「②現場で、熱く実行」するところまでいくものの、「③しばしば、うまく行かず」が起きるのが現実だ。それでいいのだ。黒岩の経験で、すべて完璧に作動するビジネスプランなど現実に作りえない。ただ、会社の金と時間を使ったのに狙った成果を出せなければ、「④痛みを伴う学びの獲得」になる。失敗原因に気づき、こんな因果律が作動するのかと理解すれば、それだけ「⑤自分の経営リテラシーを高める」ことになる。その反省を糧にして次年度のビジネスプラン作成に向かう。この回しを毎年繰り返す。失敗が学びを加速させるのである。

会社改造の要諦39【企業家とは】
 世にあまたいる経営者の中で、企業家と言われる人は何が違うのか。黒岩の考えでは企業家とは「自分の事業の『成長・拡大』に限りない欲を抱き続ける人」である。そのために起業家が具備する能力は、前に述べた「強力な論理に支えられた強力な腕力」である。

経営者人材の成長プロセス
 黒岩は、社長就任から最初の数年間、彼一人で社内のすべての事業チームのビジネスプラン審議を主宰していた。事業部長は社長と一緒に議長席に座る。実を言うと、黒岩はテーブル正面にいる事業ディレクターを指導しながらも、本当の教育相手は、自分のすぐ横に座っている事業部長だった。
 それが、親亀が子亀を育てる連鎖である。うまくビジネスプラン作業を完了できない事業ディレクターは、行き詰まって、一人でぐるぐる回りをはじめる。黒岩は上から眺めていて、限界が近いと思ったら彼のところに舞い降りて、事業部長と一緒に個人指導を始める。
 第五章でFA事業部長の長尾謙太が黒岩から赤ペン先生の指導を受けるような情景が、社内のあちこちでおこなわれた。そこまでやらないと、黒岩は自分が人生で獲得したノウハウを社員に伝授することは難しいと考えていた。覚悟して、時間をかけて、取り組んだ。
 彼は、戦略講座とビジネスプランだけでなく、経営幹部や社員個人たちとできるだけ多く、直接話をする機会を設けることに努めた。

「君たち、動物園のクマみたいだ。同じところをグルグル回っている」
ここまで黒岩社長は黙って見ていたが、どうやら限界に近づきつつあると見た。
 長尾たちがこれまでに使った時間は尋常ではない。彼らは事業部の幹部だ。本来の仕事を放り出して、この作業に没頭していた。それでよく事業部の仕事がおかしくならないものだと、黒岩は妙に感心していた。
 これ以上放っておくと、時間のムダが大きくなりすぎる。草原に放り出されたまま、いつまでも餌にありつけずにいる作業チームは、そろそろ瘦せ細って死んでしまいそうだ。
 読者は疑問に思うだろう。黒岩が答えを知っていたなら、彼はなぜ長尾たちにもっと具体的な指導をしなかったのか。なぜ長尾が部下に丸投げをしていたスタイルとそっくりに、黒岩までもが長尾に仕事を丸投げしているのだろうか。黒岩は後に、そのことをこう言っている。
「ミスミは私が来るまで、外部コンサルタントを何度も導入しました。毎回、億単位の予算で、著名コンサルタント会社のオンパレードでした。私はそのレポートをすべて読みましたが、空論が多かったですね。それでミスミは多角化新事業に行った。そして会社はおかしくなった。」
「コンサルタントは時間で商売をする人たちです。ミスミ社員を参加させても、社員がレベルアップするのを待っていられません。社員は、言われたデータ作りは手伝いますが、その解釈は十分にできない。だから実態として、社員は後からついていくだけなんですよ。コンサルタントが引き揚げたあと、社員に自力で考える力が付いたかと言うと、それほどでもない。なぜなら、『自分で答えを見つけるところでのたうち回って、さらにそれが本当に現場で使えるかどうかで、またのたうち回る』という勝負を自分でしていない場合が多いからです。つまりお手伝いだけになっている」
「社内では、選ばれた優秀な社員だと見られることになっただけで、実は意外に成長していない人が多いんです。プライドだけ高くなって、社内で偉そうなことを言うのですが、具体的責任を持たせてちょっと難しい挑戦をさせたら、たちまち能力の足りないことがバレてしまう」
「ですから、私は、ミスミの幹部や社員に、簡単に結論を与えないんです。少しは自分たちで考えろ、のたうち回れと(笑)。自分で考える能力をつけてもらうには、それしかないのですよ」
 それは、黒岩にとっても楽なプロセスではない。なぜなら、自分がやれば三日間くらいで結論を出せることを、ミスミでは部下に考えさせ、例えば一カ月も待つのだ。それで彼らが持ってくる答えはハズレ。やれやれ、次は来月か。
「私はミスミで経営者人材を育成することを宣言しました。そのためには、この『急がば回れ』が必要になる。数年も経ったら、これが効いてくる。私がすぐ答を与えるやり方を続ければ、彼らはいつまでも、言われたことしかできないサラリーマンなんです」

会社改造の要諦52【椅子職人の悲劇】
 手作りの椅子をまるごと一つずつ組み立て、それを自ら売る職人は「顧客満足」に敏感だ。だから技術やデザインを磨く努力を重ねる。ところが「分業」が導入され、工場で毎日、椅子の「脚」だけしか作らない作業者が生まれると、作業者にとって、他の部品とピタリと合うように規格や品質基準を守ることが重要になる。そのため作業者は機械のように正確に働くことだけが重要になる。そうなると個人はモノ作りの楽しさから遠ざかる。顧客の不満にも鈍感になる。完成した椅子が売れるかどうかよりも、自分の賃金をもらえばいいという人が増える。日本企業のサラリーマン化は、これと同じ現象ではないのか(原典『「鈍」な会社を「俊敏」企業に蘇らせる!』M・ルビンシュタイン著、三枝匡訳、日本経済新聞社)。

 初めて出すカタログがチャチなものなら、ミスミを知らないその国の技術者たちは一瞥して「ミスミって、たいしたことない」と思い、すぐにゴミ箱に捨ててしまう可能性が高い。そして、いったん興味を失ってしまった人は、何か特別のきっかけがない限り、再びカタログを見る気になってくれないだろう。
 おまけに、カスタマー・センターも倉庫も配送センターも稼働していない。どんな付け焼刃の体制をとったところで、ミスミが社是とする納期はガタガタになる。
 お客様に「ミスミはすごい」と初回で思わせて、その社内でポジティブな噂を流してもらえるか、それとも「ミスミはつまらない」とネガティブな噂を広めさせるのか。「顧客のクチコミによる伝播効果」」を発売初期段階でプラスにセットできるか、それともマイナスにセットさせてしまうかの分かれ道だ。黒岩はその判断を間違えて、自業自得の悲惨な苦しみに陥った事件を三〇代の時に体験していた。
 事業立ち上げ期の顧客の反応は後々まで尾を引く。多少の注文が来たと無邪気に喜んでいても、一回目でネガティブ体験をした顧客は二度と来ず、噂は顧客から顧客に、口伝えで広がっていく。顧客のリピート率が低いままなら、貧弱な体制のまま無理に売ろうとすること自体が、かえって自分の営業を枯れさせていく行動になっているかもしれないのだ。
 黒岩は、それを「焼き畑」商売と呼んでいた。
 営業開始で畑(市場)に火を付けると、枯れ草が燃え広がっていく最前線だけは火の手が上がって華々しく見える。けれども、草が燃えるのは一回だけだ。畑を一巡したら火は消えてしまい、背後でくすぶっているだけ。それが、立ち上げ失敗の「焼き畑」パターンだ。

 過去にさんざん苦しんだ企業再生の経験から、黒岩は分かっていた。改革が長期に停滞した状況において、社内の「野党」の存在は停滞原因の脇役ではない。主犯に近い存在である。
 太田伸也という社員をご記憶だろう。「短納期なんて不要」「外から来た人に言われて不愉快」と語っていた現場リーダーだ。彼は相変わらずの態度を続けていた。前任の社長はこのリーダーを教育することから逃げていた。それが駿河精機の現場改革の進行を止め、事態を深刻にしていた。
≪太田伸也(前出)の話≫
 高木先生、西堀社長、黒川副室長との食事に参加するように言われました。いままでなかったことです。行ってみたら、その席で、いきなり腹を割って喋れと言われました。そんなことを言われたのも、初めてでした。食事は私と話すために設定されたものだと分かりました。
 腹を割って喋れと言われたので、私は「この生産改革手法はおかしい。駿河精機のこれまでの生産方法で十分だ」と言いました。私の根っこの考え方は変わっていませんでしたから、正直に言いました。
 それに対して、西堀社長は単刀直入に言ってきました。
「君は生産改革を本気で試すことをしていない。だったら、君がそれを否定する根拠は何なのだ。トコトンやってみて、それで効果がないとわかったら、悪い手法だと言える。君は、そこまでやっていないじゃないか」
 私がトコトンやってこなかったのは、その通りです。
「君が徹底的に取り組む姿勢にならない限り、この活動を続けても意味がない。君がここにいる意味もない。会社は、経営強化に役立つかもしれないこの改革手法を試すこともできない。君がそれを止めているのだ。君がこの工場の経営を殺そうとしている」
 私は強く頭を叩かれた思いでした。この中途半端な状態が続いている責任が、私にあると言われたのです。
「自分が変わらない」イコール「自分が改革の足枷になっている」という図式でした。
 それが分かるまでに、何年もかかったということです。
 これまで私は、自己満足と、周囲への批判の塊になっていたのです。自分の責任を理解していなかったのです。自分こそが批判されるべき対象だったのです。
改革リーダーに託した切断力
 もしその会食の場にもう一人の幹部が参加したとすれば、それは黒岩社長だった。それほどこの問題は、ミスミにとって深刻な問題になっていた。しかし黒岩は西堀社長に託していた。
 一人の若い現場リーダーに、何年も、ここまで、振り回される会社が世の中にあるのか。西堀はこの時、太田伸也が直接の風圧を感じるほど彼の身近にまで迫ってきた。
 そして太田伸也は、自分に本当の圧力が迫ってきたら、すぐに「気づいた」とか「反省した」とか言い出しているのだ。世の改善計画で頻繁に起きるエピソードが、ここでも繰り返されていた。なぜもっと早く、腹を割って指導することができなかったのか。ミスミら送り込んだ前任の駿河社長が放ったらかした改革の遅れを、次のリーダー西堀がいま意を決して、取り戻そうとしているのである。
 もし西堀が話しても太田の態度が変わらず、このままの態度が続いたら、この先、何が起きただろうか。西堀に残された道は一つ。「いくら言っても、積もうとする改革の積み木を、端から崩し続けるガンは、切除する」。その手前のギリギリの夕食だった。
 西堀は基本を外さず、現実と真正面から向き合い、抵抗者に正論をきちんと語った。真剣さ、目を剝いて話す迫力、覚悟、熱さ。彼は果たすべき切断力を発揮した。
 西堀は、最初にこの仕事のことを黒岩から聞いたとき、「生産のことは分からない」と逃げを言った。だが彼はわずか三カ月で、改革を動かした。駿河精機も、ミスミの生産改革も、ようやく本来の軌道を走り始めた。
 その後、太田伸也は考え方も行動もすっかり改め、まるで別人のようになった。

西堀の相談
 西堀が駿河社長に着任してしばらく経って、彼が黒岩に会いに来た。社長と距離を置きたがる彼にしては珍しいことだった。
 何かと思ったら、「生産改善室」の活動がうまくいっておらず、協力メーカーの生産改善も進んでいないという。彼はどうすればいいかの判断がつかず、黒岩に文句を言いに来たらしい。自分の問題なのに、黒岩に対して面白くない顔をしていた。
 生産改革プロジェクトは、黒岩社長が先導して始めたことだ。駿河の買収も、黒岩がミスミに来ていなかったら、ミスミはいまだに小さな商社のままだろう。上海ミスミ村、ミスミ生産パーク、事業モデル革新などもすべてが黒岩のアイディアだった。だから、駿河に送り込んだ西堀が行き詰まっているなら、黒岩として何とか支えなければならない。
「君の説明では、何が問題なのかよく分からない。ここで私が適当なことを言うと、的を外したことを言いかねず、かえって危険だと思う」
 黒岩は、まずは自分で現場に行き、正確な状況を理解するのが先だと思った。
B社への訪問
 黒岩は、生産改革に取り組んでいるメーカーの中から三つの工場を訪ねることにした。まず、東北地方のB社に行くことにした。高木先生の指導を受け入れている会社だ。
 工場訪問の前夜、黒岩は羽田から秋田に飛んだ。大会社ならお付きの社員がついてくる可能性が高いが、黒岩は単身が主義だ。飛行場でタクシーに乗り込み、地元のビジネスホテルに入った。そこでミスミの生産改善室の社員二人で待っていた。ひとりは前から知っている生産改善室のリーダー北尾勇。もう一人はB社の改革推進室を担当している若手の伊東卓治だ。
 黒岩はホテルの部屋に荷物を置くと、二人を連れて街に出た。田舎町のくらい通りだった。赤提灯を見つけた。彼らにとって社長との酒席は珍しい経験になるだろう。黒岩も二人から、興味ある話から解せない話まで、いろいろと聞けた。
 翌朝B社に行くと、典型的な中小企業の工場だ。社長に案内されて、生産フロアで作業員の動きを見ながら、取り組んでいる生産改革について説明を受けた。
 そのあとミーティングを始めた。社長とB社の改善チーム三人が相手だ。
 改善チームはおとなしく、何を質問しても、弱い答えしか返ってこない。普通、鳴り物入りで生産改革活動を推進している会社に行けば、選抜された改革チームは張り切り者の集まりだ。選抜されたことを誇りにしている。ところが、目の前の改革チームにその活発さは感じられない。それだけで黒岩には重要な信号だった。
 ミスミ本社の社長室で、黒岩の前で何か浮かない顔をしていた西堀の表情と、B社のこの低調な雰囲気は、根っこでは繋がっている問題に思えた。西堀がこのプロジェクトに入れ込んでいないから、ミスミの生産改革の意図が協力メーカーの現場にまで伝わっていないという関係ではないのか。
 黒岩が改善チームに何か質問すると、横から、ミスミ社員の伊東卓治が、サッと書類やグラフを出してきて黒岩に説明する。そんな場面が何度か続いた。黒岩は我慢できなくなって、彼に言った。
「あのね、伊東君、私は君に質問しているんじゃないんだ。ここの改革リーダーである社長や、三人の改革チームに尋ねているんだ」
 社長の表情が硬くなった。
「そもそも、このグラフをどうしてミスミ社員の君が作っているの?」
 伊東卓治はその質問の意味が分からず、不思議な顔をした。彼はミスミ生産改善室で指導されたことを忠実にやっているのだ。だが、その生産改善室がおかしいのではないか。
「あのね、このデータはB社の改善チームが自分で分析して、自分でグラフにして、工場の作業員の心に響く説明や標語をつけて、現場の壁に貼って、自分で皆に説明するものだよ。社員はそこを通る度に、毎日、これを目にする。ミスミ社員が改革の代行係をやっちゃ、いけないのだよ」
 黒岩は伊東に向かって言いながら、目の前の社長と改善チームに言っているつもりだった。しかし、彼らからの反応は相変わらず、弱かった。
 ミスミの生産改善室の最大の役割は、高木先生がこの工場に月一回来るときに、先生を出迎えるなど付き添い役をすることだと思っている様子もあった。そんなやり方では、ミスミが協力メーカーの生産改革を後押しすることにはならない。
 ミスミ社員は高木先生の指導に密着して、先生のノウハウを誰よりも濃く学び、その工場に住み込むくらいの覚悟で工程の隅から隅まで精通して、社員と馴染みになり、社長の相談相手になるくらいにならないといけない。
 そうやって力をつけたミスミ生産改善室のメンバーは、いまから一〇年くらいはその部署にいて、世界中の生産改善を推進するプロにならなければならない。だから彼らの人事異動は、当分、禁止なのだ。生産改善室の役割に対する長期展望を持たない経営幹部は、生産改善室の社員を人事異動の草刈り場にするという、愚かな行動に出かねない。
 黒岩は協力メーカー三社の工場を見て回って、さまざまな「感知項」を感じ取った。
 黒岩はそれを観察事項としてまとめ、今のやり方の何が問題で、それをどう変えるかについての意見を「社長所見」として書き、西堀に渡した。
 九頁に及ぶ文書だった。東証一部上場企業のCEOが、部下の役員のために現場レポートを書いたのである。ビジネスプラン作りの赤ペン先生と同じ感覚だった。黒岩社長は生産改革の専門家ではないが、事業再生専門家としての経験は豊富だ。
1.現場に行ってみると、これまで生産改善室がミスミ本社の改善会議で役員委報告してきたKPI(進捗度を示す指標)は、現場の本当の進捗を反映していない。実態が把握されておらず、ミスミの社長や役員に、意味のない報告がなされていた。
2.生産改善室は一五名ものスタッフを与えられながら、その活動が多くの協力メーカーに分散しすぎ、協力メーカーの接触密度は薄く、一工場も成果が出ていない。そんなことでは、生産改善室が協力メーカーの現場に入り込んでいると言えない。戦略、実行方針が不在だ。高木先生の指導日だけ現地で付き添うみたいなやり方は、無意味だ。
3.停滞の最大の原因は、皆に「目標が見えていない」ことだ。生産改善で目指している「できあがりの姿」が何か、誰一人答えられない。ということは、そこに至る活動の道のりも見えていない。つまり、今は「目標なき改革」「シナリオなき改革」をやっている。そんな改革は誰だって熱が入らない。
4.こうした状況を放置している生産改善室のマネジメントはおかしい。改革現場に対して意味のある企画・管理機能が作動していない。はっきり言って、生産改善室はここまでブレインレスだ。
 黒岩は、活動が予想以上にノーコントロール状態であり、このままでは生産改革が死んでしまうと思った。抜本的見直しが必要として、西堀に対して次の打開策を指示した。
a.生産改革が何を目指しているのか、「できあがり一〇〇%の姿」が早く見えるようにする。それがないと、ミスミ社員も協力メーカーも、元気が出ない。
b.そのためには、各地に分散している生産改善室のメンバーを一旦、すべて引き上げる。形式的な活動をやめる。改めて三工場を選び、そこに全員が集中して「モデル工程」を完成させるべきだ。高木先生の指導もその三工場に絞っていただく。
c.目指す姿ができ上がったら、すべての協力メーカーの社長を招待して、その成果を見てもらう。狙っている生産改革の考え方と手法を共有する。その上で各社の改善活動を再開してもらう。
≪星川修(生産改善室副室長、当時四〇歳。のちにプラットフォーム代表執行委員)の話≫
 私はミスミ本社で採用され、駿河精機に出向してきましたが、ひどい状態でした。「とんでもない会社に来てしまった」と思いました。
 私が前にいた会社は「大量生産」の工場でしたが、駿河は少量多品種、しかも毎日変わります。
「製造リードタイム短縮(短納期)」と「生産性向上(コストダウン)」は、互いに矛盾する要素があるのです。
 だから、私の前任者は手も足も出ず、逃げていったのです。私は流れの速い大河に投げ込まれ、「流れを変えろ」と言われて、一人河のなかで、もがいている気分でした。
 ちょうど、そんな時に、社長の「所見」が出てきました。着任直後の私に向けて書かれたことではありませんが、自分の部署が「ブレインレス」と言われたのはショックでした。しかし、会社トップが現場状況をあれほど把握しているのを知って、ものすごく勇気づけられました。もがいていた河の中から引っ張り上げられて感じです。
 われわれは計画を作り直し、選んだ三工場(駿河精機もその一つでした)に、生産改善室メンバー全員を割り振って、張り付けました。工場の近くに泊まり込み、朝は社員の誰よりも早く工場に行きました。
 皆で頑張っていくうちに次第に見えてきました。
「あっ、こうすればいいんだ! 自分たちの仮説は正しそうだ」
「長さん方ではなく少量多品種でも、この考え方は通用するんだ」
 面白いことに、われわれチーム内で、三工場の競争意識が出てきました。いままでなかった現象でした。生産モデル開発は早々に成果が出はじめて、自信がついてきました。意図した通りの変化が生まれはじめたのです。
会社改造の要諦61【社内の競争意識】
『スモール・イズ・ビューティフル(SBI)』の組織論を実行したコマツのアスター事業部改革で、歴史的には皆無だった、社内の競争意識が出てきた。黒岩の示唆によるこの生産改善活動は、アスターとは少し違う改革だが、それでも社内の競争意識が会社の活性化の効果を高める効果を見せている。社内の競争意識の醸成は、組織改革のデザインでは重要な目の付け所になる。

0
2026年02月18日

「ビジネス・経済」ランキング