あらすじ
鎖国下の日本には、海外の情報も入ってこなかったと思われがちだが、そうではない。実は江戸幕府は、世界中の情報を入手していた! しかし情報を知り得るのは将軍と幕府の要職のみ。結果、日本の外交戦略は将軍個人の性格・能力によって揺れ動いた。歴代将軍は海外情勢を知悉しながら、なぜ鎖国を続け、また、どのように開国を決めたのか。開祖・家康から最後の将軍・慶喜まで、将軍たちが見た「異国」を追う、江戸の海外戦略史。
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Posted by ブクログ
トップは外国をよく知っているが庶民は知らない。という某国のような状態は江戸時代の情報統制が上手くいっていたことを示す。
外国人顧問まで抱えていた初代家康は傑物。
Posted by ブクログ
「鎖国」といっても本当に国を閉ざしていたわけではないし、当時の公儀にもそこまでの感覚はなかった。江戸時代の外国観・対外政策と歴代将軍の人物像・施政を絡めながら解説する。
家康は本当にいろいろ考えて対外政策のレールを敷いたが、後代になるにつれて勢い惰性的な政策になっている。その中で、本来は将軍になれないような生まれから出世して、自ら改革を主導した吉宗の評価が高い。朝鮮人参の国産化とか、馬の輸入とかいろいろ具体的な貿易政策もやっている。
しかし、歴代の将軍を「評価しよう」という視点は、何となくハナにつく。
キリスト教布教をきらって、ヨーロッパでつきあう相手をオランダに絞ったはよいが、それがのちのち西洋情報をオランダに頼る結果となり、多角的な情報評価が出来なくなった。
朝鮮に対しては小さな華夷秩序で建前的には上から目線で付き合っていた。オランダとの付き合いもそんな雰囲気が。家光くらいからだいぶ泰平ゆえの内向きぶりは感じられる。