あらすじ
第32回松本清張賞受賞作 異形の歴史小説
玉照院の師弟は“やんごとなき秘密”を抱えていた――
天明飢饉の傷痕いまだ癒えぬ比叡山延暦寺に、失敗すれば死といわれる〈千日回峰行〉を成し遂げようとする二人の仏僧がいた。
歴史に名を残すための闘いは、やがて業火となり叡山を飲み込んでいく。
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叡山。
千日回峰行。
7年に及ぶ過酷な荒行を生き残り、完遂した僧侶は北嶺大先達大行満大阿闍梨と称され崇められる。
成し遂げられなかった者には死しかない。
最も過酷な堂入りと呼ばれる行は、生前葬の後9日間、断食・断水・不眠・不臥で真言を唱え続ける。
比叡山延暦寺。名前は教科書で習いました。
天台宗、なんですね。
あまりにも知らない世界だったので理解できるかな?
という気持ちで読み始めましたが杞憂でした。
むしろ満たされる知識欲。
物語としての面白さ。
気づけば完全に世界観に引き込まれ、自分が行を終えたかのような読後感がありました。
思ったよりも人間臭いです。共感できるという良い意味で。
人が集まれば寺であっても俗世の企業と変わらないんですね。
色んな人の思惑、欲、不正。相性もある。
主人公の慈照は師を敬愛する清らかで真面目な僧侶だけれども、
不遜かつ恐ろしく優秀すぎる弟子に翻弄され、苦悩する。
二人には共通する境遇があり、それゆえに承認欲求という欲は強い。
そんな二人が互いに向き合う様は切れ味鋭い戦いのようで、
嫌悪感や憎しみを隠そうともしない。
けれども違いこそが唯一の理解者でもある。
唯一無二の、特別な関係なんです。
最後は哀しくもあり、いじらしくもあり、清々しくもある、
不思議な読後感のある物語でした。
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読み応えのある内容でした。戒閻の想いの刹那さには、涙してしまった。一日のばした訳をいろいろと考えてしまった。大行満大阿闍梨に、二人でなってほしかった。最後に、恃照がなしとげられたのも戒閻あってのこと。大行満大阿闍梨に、なったことを知らせてあげたい。何というのか、聞いてみたいとおもう。
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松本清張賞ということで読んでみた。ラストがとてもよかった。人間の心とは不思議なもの。あれほどの憎しみが信頼とか感謝に変わるきっかけって結局何だったのだろう、と考えさせられる。いや、今だって憎いは憎いのか?どうなんだ?
仏教のことも修行のこともよく知らないが、御仏に仕える崇高な僧もわりと普通の人間の心をもっているのがちょっと嬉しくも感じた。
フレーズ:
白鷺(はくろ)とは叡山における回峰行者を指して用いられる比喩である。白き麻の浄衣をその身に纏い、山道を跳ぶように歩く姿から来ているという。
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かつてバラエティ番組で北嶺千日回峰行を目にし、自らの命をかけてまで人を修行へ駆り立てるものは何なのかと気になり、本書を手にした。
命がけで、失敗すれば自害を求められる北嶺千日回峰行の過酷さは想像以上だったが、いちばん心に残ったのは、それを経験した人の心のあり方だった。とりわけ印象深かったのは恃照である。戒閻を疎ましく思い、この修行さえ失敗すればよいと願っていた恃照が、戒閻にかつての自分を重ね、いつしか達成を願うようになる。その変化が深く心に残った。
極限の修行は人をただ強くするのではなく、見たくなかった弱さや醜さも含め、自分のすべてに向き合わせるのだと思う。エピローグで恃照が再び北嶺千日回峰行に挑み成し遂げた姿からは、戒閻との出会いによって、恃照自身もまた救われたのだと感じた。
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実家から毎日眺めていた比叡山を舞台にしたお話。
めちゃくちゃ面白い。
仏の道に入り、ともに千日回峰行を為さんとする恃照と戒閻の2人の人物を中枢に、彼らの同族嫌悪に近い厭悪や確執が、叡山という因循姑息な組織の上でどんな顛末を辿るのかを描いた小説。
規則という柵の中で死ぬことが許されず、恥を晒して生きてゆくしかない恃照にとって、出生を近くしながらもずんずんと自らの道を突き進む戒閻がどれだけ嫉ましく厭わしかったか、そしてどれだけ憧れ、堂入りを満することを願ったか。
長きに渡って、確執という殻の中で育まれてきた戦友同士の同情と信頼が一気に弾け出るラストシーンには、胸を打つものが大きかった。
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濃い とにかく濃いと感じた。
主題となる北嶺千日回峰行は
比叡山延暦寺の超人的な荒行。
自身延暦寺に行ったことがある、
千日回峰行も聞いたことがある。
しかしそれらを知らずとも
本作300頁からくる、心地よい
重厚感を感じることができると思う。
会社員でデビュー作という
作家の次回作をぜひ読んでみたい。
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恃照と戒閻の激しいぶつかりあいが凄まじかった
僧は仏に仕える善行の人達と思っていたが、周りの目を見たり、気持ちを押し測ったりとやり取りが人間味溢れていてやはり叡山と言えど組織の人たちなのだなと思った。
戒閻は特に我が強い人であった
恃照と戒閻は同じものを持っていながら相反する者として激しくぶつかりあっていた 作中盤はほんとに荒波の真っ只中にいるようだった
しかし最盤、一気に凪となった
憲雄と戒閻の墓に佇む恃照が悲しげにしかし前を向いている姿を感じとれた
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白鷺(はくろ)とは 白い浄衣を纏い 山道を跳ぶように歩く 叡山における回峰行者を指して用いられる比喩である─。
寛政8(1796)年 比叡山 延暦寺。
成し遂げることができなければ “死” とされた〈北嶺千日回峰行〉に挑む32歳の恃照。
彼は ある特殊な生立ちを抱えていた。
そしてその後 恃照は自らと同じ境遇をもつ17歳の太之助を弟子として預かることになる──。
「この世には おらぬはずの者」
恃照と戒閻(太之助)。真逆のようでいて、抱えている屈託は同じもの。
戒閻を目の当たりにすることで 恃照は自らの心の奥底を覗かざるをえなくなる。
俗世から隔離された場所ではあるけれど そこにいるのは人間。忿怒、嫉妬、嫌悪、自尊、そして欲……
ないわけがない。
なまぐさ坊主たちは論外としても。
教えの全てを理解したうえでの〈北嶺千日回峰行〉だと思ので 私には到底 理解できないが、少なくても 後世に名を残す為とか語り継がれる為に行われるものではないだろうと思う。
にもかかわらず手段としてそれを選んだ 恃照も戒閻も 哀しい。
何を目的で挑もうと 結局、成し遂げることができるのは その器にある者だけなのかもしれないなと 読み終えて思った。
ラストの穏やかな恃照は それまで彼が抱えてきたものを思うと とても感慨深い。ここに至るまでの全てのことが
この恃照を作っているんだなとしみじみ思う。
今までに読んだことのない題材が 新鮮でとても良かった。
Posted by ブクログ
失敗すれば死、叡山で行われる千日回峰行を成し遂げようとする2人の僧がいた__。お互いの心内に業火が燃え盛りぶつかりあう険悪な師弟関係。分かり合いたくなかった...だけど彼らにしか通じ合えない秘密があった。
面白い〜!!と最後まで気持ちが高揚したまま読み終えて、今とても清々しいです。これが住田さんのデビュー作とは...次回作もぜひ読ませていただきたい!
Posted by ブクログ
比叡山の「北嶺千日回峰行」を題材とした物語。
昔 それを成し遂げた僧のニュースをちらっと聞いた覚えがある。こんなに大変な“行”だとは知らなかった。
そこに 同じやんごとなき秘密を背負わされた師弟の間の葛藤、闘い、悩み、悲しみ、寂しさ、苦しさ。けっして分かり合えない師弟。などが 絡みあって 最後まで集中して読ませていただきました。なかなか読み応えがありました。
Posted by ブクログ
帝の血筋の人間が市井にウロウロしていては悪用されて危なっかしいため仏門に入ることになる。そんな身分の僧が比叡山の北嶺千日回峰行に挑む。
そしてその弟子も、千日回峰を望む。
比叡山を舞台に、血筋の定めに抗う葛藤と確執が、叡山の裏事情を交えて描かれている。
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圧倒的な厳か感(笑)
仏教語や昔の言葉ばかり出てくるので最初は焦りますが、フリガナがついてるから安心して!
スマホ片手に単語の意味を調べながら読みます。
でもね、それらが全くストレスじゃないのよ!
それらがあることで、厳粛な感じ、緊張感、憤怒、嫉妬。
などがビンビンに伝わってくる。
本当に素敵な作品でした。
テーマが難しいように思うかもしれないけど、1度みんなに読んで欲しい!
そんな一冊でした。
Posted by ブクログ
また新たな世界を窺い知ることができた…
僧とかさ…修行とかさ…手塚治虫のブッダを読んだ時に「こんな修行すんの?!」って目を丸くしながら読んだくらいの知識しかなかったのだけど。
こんなにものめり込んで読む自分がいるなんて。
最初から最後まで本当素晴らしい作品。人物たちを理解しきれていない自分もいると思う。いつか再読したときに気付けるかな?
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第32回松本清張賞
圧倒的!!
作中に漂う厳粛な空気や緊張感、僧たちの胸に潜む熱、仏道の世界観に触れる読書体験ができた。
仏教用語や独特の難しい言い回しがあるのに、読みやすく心地よい文章で、前半からこれは!と星5を確信。
一見地味そうな僧の修行の話なのに、ささやかなユーモアもあり飽きることなく没入した。
千日回峰行はとんでもない荒行。
人って、水も飲まないと3日くらいしかもたないんじゃないっけ?
不眠も死んでしまうんじゃないっけ??
医学的に無理だと思うし、そんな危険な修行をすることになんの意味が、、、と全く理解はできないけどすごい世界を見てしまった気分。
寺院と朝廷が深く結びつき、寺院が世を成り立たせるための存在になっている関係性がわかりおもしろいと感じた。
戒閻の悲痛な思いが表れているこんなセリフにグッとくる。
「蝉はなるほど、やかましゅうございます。が、私には蝉の大音声が要るのです。蛍の弱々しき光では足らぬのでございます」「ここに…おらぬがゆえ」
購入本
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千日回峰行と二人の似た出自を持つ僧の確執、互いを憎みながらも底に流れる感情。心理描写が巧みで引き込まれました。
また、比叡山の高僧や大阿闍梨のあり様を知って興味深かったです。
Posted by ブクログ
他には無い、特殊かつ絶対的なルールを持った、閉じられた世界を舞台にした歴史小説なんですけれど、読んでいく内に本書は特別な環境で生きることを余儀なくされている、現代の人たちにも響くものを感じながら、尚且つ生きる勇気が沸々と湧き上がってくる、そんな力があるのだと思います。
江戸時代の比叡山延暦寺にて千年もの歴史を刻み続けており、これを満ずれば大阿闍梨という高僧の称号が与えられ後進の僧侶を導く立場となる、過酷な仏道修行「北嶺千日回峰行」では、大阿闍梨となれるか死ぬかの二択のみで、決して例外など起こり得ないと思われていた中、それが起こってしまったのは『特別扱いされた』という事情があったのです。
そして、ここで言う『特別扱い』というのは、『本人にはどうすることもできない』、生まれたその瞬間、こういう生き方になってしまうしかないのだという、その自らの意志で人生を切り開くことのできない苦しみというのは、本人にしか分からないものでありながら、更にそれは江戸時代の叡山という特殊な環境下に於いて、言葉にせずとも突き刺さるような周囲の視線であったり、自ら望んだわけではない地位に立たされたことによって、まるで生き恥を晒しているような気持ちにさせられたりと、気を遣われていることが却って重石となった苦しみなのでした。
大阿闍梨になるまで、あとほんの僅かで力尽き倒れてしまった僧の「恃照(じしょう)」は、師にあたる「憲雄(けんゆう)」の思いもあり、半分だけ阿闍梨というような、これまでに例のない中途半端な新しい地位にさせてもらったことが、後に教える立場として弟子を持つことで、より苦しみを増していく皮肉な結果となった中、恃照と同じ境遇を持つ「戒閻(かいえん)」が弟子になることによって、その苦しみは癒されるのかと思いきや、反対に彼に対して激しい憎しみを増していくことになるのでした。
恃照にとっては決して触れられたくない、「北嶺千日回峰行」に挑もうとする戒閻の姿には、嫌でもかつての不甲斐ない自分を思い出してしまうと共に、恃照への挑発とも感じられそうな、誰に対しても尊敬の念を抱かぬ戒閻の自由で我が道を行く、その傍若無人とした様には誰もが嫌悪感を露わにする一方で、戒閻の何が何でも満行しようとする怖いほどに凄まじき執念には、誰にも理解されることのない彼にしか分からないものが宿っていながらも、どこか恃照に問い掛けるものを感じられたことから、本書は『運命の中で運命に抗えることはないか』を、どんなに辛く苦しい境遇であろうとも必死に探し続けることで、このような閉じられた世界に於いても自らのアイデンティティを見出そうとする、そんな生き様に魅せられるだけのみならず、憲雄と恃照、恃照と戒閻、それぞれの関係性を重ね合わせることによって見えてくるものに胸を打たれた、人と人との繋がりをも描き切っているのです。
本書は住田祐さんのデビュー作(2025年作)であると共に松本清張賞受賞作でもあり、今後が楽しみな作家さんです。
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叡山の苦行、北嶺千日回峰行を為さんとする2人の僧の物語である。達成できなければ自害という過酷な千日回峰行にあと一歩というところで昏倒し失敗した恃照。女帝後桜町天皇の実子という出自のため、朝廷を恐れて自害を忌避、半行満という待遇を与えられ生き延びた恃照。その恃照の弟子として預けられたのが先帝御桃園天皇のご落胤だという太之助。ともに存在を公にはできないこの世にはおらぬはずの者だった。戒閻と名を改めた太之助もまた北嶺千日回峰行を満行し大阿闍梨となることを望んでやまない。生きた証を求め千日回峰行に囚われる戒閻と師の恃照は半目し憎みあい、しかしやがて共鳴する。
そんなお話。
過酷な修行の描写は鬼気迫って戦慄させられる。白鷺とは叡山の回峰行者を指す言葉で、白い麻の浄衣を着て山道を跳ぶように歩く姿からきているという。
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千日回峰行なんてやってみようと思うのは、解脱した人でなく、嫉妬も妬みも怒りも持つ俗っぽい人なんだなあ
それがエネルギーになるのか
俗っぽい人達の話なのに、妙に読後が清々しいのが面白い
Posted by ブクログ
とても読み応えがあった。
反目し合っているようで、実は自分でも気付かないような深い部分でお互いに理解し合っているようでもあり、人の心理とは実に複雑なものだと改めて感じた。
Posted by ブクログ
北嶺千日回峰行は、失敗(行不退)となれば自死が避けられない荒行だ。成功すれば僧侶としての格は上がる。帝の血を引く恃照(じしょう)は比叡の立場としては死んでもらっては困る状況ではあるが恃照は最後の最後で行不退となる。特例で死なずにすんだ恃照である。そしてこの同じく帝の血を引く戒閻(かいえん)が比叡の預かりとなる。反目し合う恃照と戒閻であり、特に戒閻は自分の血を呪うかのように荒行へと入っていく。この二人の関係はライバルと言えるのかもしれないが、なかなか普通には理解できない極限状態の中での人間関係である。そこにもしかすると何かを超えたものがあるのかもしれない。
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承認欲求と憎しみのお話。
お坊さんも人間関係、老い、病、死、避けられない苦しみと向き合って生きているんですよね。当たり前ですけど。修行で克服できるものでしょうか。
仏道修行の意味って何でしょうね。
救いでしょうか。
悟りでしょうか。
「自分とかないから」でしょうか。
最後は、伝統よりも最初の1人になれって感じでしたね。
要するに、人生、何でもありやなと。
ただ、強い意志がある事が条件かもしれないですね。
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私の好きな作家には、松本清張賞を受賞してデビューした方が結構いる(筆頭は青山文平)。ということで、その受賞作となると期待が高い。その思いに応える叡山の僧侶の世界が舞台の力作。作者は会社員とのことだがどのような背景をもとにこの世界を描けたのか驚きだ。
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デビュー作⁉︎未婚の天皇の子と愛人との隠し子の二人が主人公。淫らな朝廷に生臭坊主の世界というタブーをさりげなく背景に、周囲の思惑と運命に翻弄されながら自分の存在証明に命をかける。名を残すことが、そんなに大事かと一市井人には理解できないが、運命次第で御簾の向こうに座ってた主人公達とは違うか。憎み合った二人の終盤、感情揺すぶられてしまった。「人の値打ちなどというものはそうそう変わるものではあるまい。変わるとすれば相場であろう」白鷺というのは、千日回峰行達成者の異名なんだ。次の作品楽しみ。
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直木賞候補と云うことで、めんどくさそうやなと思いながら読んだら、めんどくさいことに間違いはなかったけど、引き込まれた。ムチャ煩悩に惑わされてるやん、坊さん。恃照と戒閻、すごい!
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直木賞候補なので読みましたが比叡山の阿闍梨さまの話だったのですね。知っていたら直木賞候補でなくても読んでいました。
しかし、お坊さんって煩悩を捨てて悟りの世界に入った人のことだと思っていたのですが、煩悩だらけの話で「なんじゃそれ?」と言う感想です。
Posted by ブクログ
しらさぎと書いて「はくろたつ」と読みます。白鷺は修験道者が白い衣装で山中を駆け回る姿を表しています。江戸時代後期、比叡山の過酷な千日回峰行に挑む二人の人物を描いた物語です。
強い物語です。特に後半は一気に読ませます。硬い文体。謎をかけて後でネタバラシするような話の進め方。どちらかと言えば私が苦手とするタイプなのですが。
俗世から遠く離れたはずの修験僧たちの凄まじい妄執。しかし、主人公の悩みに、反発しあう外面からだけではなく、内面に沈み込むように入り込めていたら、もっと説得力があったように思えます。
住田祐(さち)。まだ40歳杉の男性のデビュー作。次作に期待です。
スゴすぎる新人
比叡山を舞台にした僧侶の世界がこれ程すごいと初めて知りました。過酷な修行とその後見えてくる世界。朝日新聞の書評は嘘ではなかった。
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おそらく新聞の書評て紹介されていたので読んだ。久しぶりに時代、小説を読んだ舞台は、江戸末期の比叡山でである。比叡山には有名な千日回峰行という恐ろしく達成が難しい修行があるが、それに挑んだ2名の僧侶の話であるこのうちの1名は恃照という名の僧侶で、彼は千日回峰行の途中で意識を失ってしまい、修行を満業できなくなってしまう、この場合本来なら自害することとなっていたのだが、恃照が天皇のご落胤でもあるそれは叶わず半行満ということで片付けられてしまい、生き恥恃照と陰口を叩かれるようになる。
そのご恃照と同じ境遇の戒閻という僧侶が現れ、その僧侶の傲慢な態度に業を煮やすものの、また千日回峰行に挑むのも止められず、戒閻は行を続ける。そして恃照が意識を失った明王堂(みょうおうどう)を3周するという三匝(そんそう)の前に、戒閻は行の日を1日仏延ばしてから三匝するという最中に事切れる。そしてその後を継ぐように恃照が回峰行田続け、満行となり真の阿闍梨のなるという話であった。
千日回峰行のことは新聞で読んでいたので浅い知識はあったが、このような行とは知らなかった。また皇族の受け入れ先と比叡山がなっていたことや、受け入れることで経済的に支援を受けていたと言うようなことも知らなかった。一方、修行は体力的精神的にきついのはきついのだが、本当にそれは仏道の精進と言えるのかと言うのは全く疑問てあった。お経を不眠不休で唱えたり、絶食絶飲で行うなどヨガの修行ではあるが、そのあたりの修行が日本でなぜやっていいるのかという歴史的経緯、地理的分布なども知りたくなった。
また戒閻は実は恃照を救おうとしていたというふうに思えるのだが、その辺りの心情は描かれておらずよくわからなかった。