あらすじ
結納のため、札幌に向った鉄道職員永野信夫の乗った列車は、塩狩峠の頂上にさしかかった時、突然客車が離れて暴走し始めた。声もなく恐怖に怯える乗客。信夫は飛びつくようにハンドブレーキに手をかけた……。明治末年、北海道旭川の塩狩峠で、自らを犠牲にして大勢の乗客の命を救った一青年の、愛と信仰に貫かれた生涯を描き、生きることの意味を問う長編小説。
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Posted by ブクログ
(傑作)50年以上前の発行。以前から読みたかったが、新しい本を追うのに夢中で後回しになっていた。ご縁があって出先の図書室で発見。集中して一気に読んだ。言葉の力を信じる。良い言葉は人を強く支え、幸せにすると思う。自分もそういう言葉を見つけようと思う。ふじ子さんが不憫でならないが、信夫はこれ以上ない尊い死であった。
Posted by ブクログ
最後の最後で、ふじ子は果たして救われたのだろうか。生まれつき足が悪く、肺を患い、回復してからいよいよ恋人と結納だというタイミングでその相手を失い。この後、ふじ子はどうなったのだろう。時代背景とかを考えるとこれ以降の結婚は難しいのかな。今の時代だったら、結婚だけが幸せじゃないって考えもあるけど、当時はそうもいかないだろうし。キリストへの信仰が心の支えにはなるだろうけど、それがどこまで大きな力となってくれるのかな。不憫でならない。吉川と信夫は良い関係性の友達になれて良かった。小学校時代の、唯一、夜間に学校に集まろうという約束を守ったもの同士。それがきっかけで仲良くなって、あろうことか義理の兄弟にもなって。信夫は父親に促されたから学校に行ったとあるが、『僧侶になろう』という小学生の頃に交わした約束を10年程引きずった信夫も義理堅い人であって、この2人はなるべくしてなった友人なのだろう。
和倉は、イメージはとても豪快で義理堅い感じの人。信夫の嫁にと、娘を提案したが、信夫に想い人がいる事を知ると心から応援してくれて、後腐れないとても素敵な人だった。
Posted by ブクログ
人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。
恥ずかしながらこの歳になるまで、キリスト教思想について無知であった。この小説を読んではじめて少しだけキリスト教の教えに触れたようなものである。
自分が無知すぎてまだまだ落とし込めない引用もたくさんあったが、自分もどこかキリスト教とは自分とは遠く離れたものであると思っていたところからは少しだけ近づけたような気はする。
何よりこの小説が実話に基づいているというのが衝撃でした。
友のために命を捨てるということ。果たして自分にできるだろうかと。
ここで言う友とは、決して現代の意味で言う仲の良い友達という範囲に留まるものではなく、「他人のために」といえるほどに広い範囲で友と記していると解釈しているが、果たして今日たまたま会った人のために彼等の命を助けるために自分の命を投げ出すことなどできようか?正直に言って自分には無理だと思った。
家族の事を思うと自分が犠牲になってまで死ねないと思ってしまう。するとそれはキリスト教の教えに反することになってしまう。だから自分にはキリスト教の教えを守ることは出来ないし、神を信じることも出来ないとしてしまうのは短絡すぎるようにも思う。
この小説で主人公の父が残した遺言に「自分の日々の生き方言動を遺言とする」という言葉があるが、自分はこの一言に非常に衝撃を受けた。
そんなふうに考えたことも無ければ、昨日まで生きてきた自分の姿が到底遺書として認められるものに値しないと思った。
そして、それまでの日々の生き方を遺言とするほどに懸命に生きていないから、ある日突然事故に見舞われてもまだまだやりたいことがあるとしがみついてしまい、誰かのために犠牲になることができないのではないかと思いました。
とすれば、今のせめてもの自分にできることは、「この遺言通り日々の生き方言動を遺言とする」生き方をするしかないと思いました。
非常に自分の人生に感銘を受けた一冊となりました。
そして北海道の塩狩峠。生きているうちにいつか行って思いを馳せてみたい場所となりました。
Posted by ブクログ
読み終わった時涙が出た
永野が幼い頃から死ぬまでの一生を味わった感じ
途中の学校肝試しのシーンは都立入試かなにかの入試の国語で見かけた覚えがある。
約束を破るのは、犬猫に劣るものだよ。犬や猫は約束などしないから、破りようもない。人間よりかしこいようなものだ。守らなくてもいい約束なら、はじめからしないことだな。
Posted by ブクログ
本書を読んだ知人に連れられ、塩狩峠へドライブに行った経験があります。その旅の思い出が、この本を手に取るきっかけでした。
知人からの話から当書にはホラーのイメージがありましたが、実際に読んでみるとまさに「愛と信仰の物語」でした。
他者のために自らを犠牲にし、命までも投げ捨てる。残念ながら私には不可能です。家族や恋人のように愛してやまない人ならともかく、それほど深い関係にない人たちに命を懸けることはできません。
キリスト教含む宗教は、「人生の判断基準となる軸や指針」の側面があると考えています。私は無宗教の人間です。更に人生経験も浅いため、人生軸は細くブレます。信夫にとっての人生の判断軸がキリスト教であり、その教えを全うしたように、私も自身の人生軸を太くもってその信念を実行し、少なくとも死後の自分を納得させられるような生き方をしたいです。
命を犠牲にはできませんが、私は他者への思いやりや愛が結果的に自分の幸せにつながると考えています。命まではかけることはできずとも、自己利益を考えた偽善であっても、親切心や愛情はプラスを生みます。「他者に関心を持ち愛を注ぐ」ということを、私の人生の判断基準軸の1つに添えたいと思います。
Posted by ブクログ
道徳的な、読むと自分も立派な人間になれるような気がするお話。また読みたい!
信夫という1人の人間の幼少期から、大人になっていく中で色々な価値観が変わっていくのを一緒に感じることができた。その中で出る悩みに共感したり、不思議に思ったりと楽しかった。
祖母と父の最期を見てあんなに急死を恐れていた信夫が、一瞬で自分が犠牲になってでも周りを助ける道を選んだんだなあと思うと…
あんなに想っていたふじ子とせっかく一緒になれるところだったのに。幸せになってほしかったけど、信夫に迷いはなかったんだと思うと複雑な気持ち。
聖書を読みたくなりました。
Posted by ブクログ
主人公である信夫の生涯を追いながら、この作品は描かれている。幼い頃から信夫やその周りで起こった出来事、信夫が経験した事が全てあのラストに帰結しているように感じられ、読後の胸を打つような感覚はなかなか消えなかった。それほどの結末だったと思う。結末の部分は本編中では僅かなページ数である。しかし、その僅かなページ数に自分が読みながら追ってきた信夫の人生の積み重ねが果たされたということに圧倒されてしまったのだ。
私自身はこの小説を読んで、これほどまでに人を変える信仰とは何なのかという疑問が生まれ、信仰そのものの意味やあり方が問われていたのかと感じたが、あとがきや解説にあるように、著者自身は「犠牲」をテーマとしてこの作品を描かれたそうである。まさしく信夫のラストは自身の命すらも顧みない「犠牲」そのものである。ここに至るまで、そして覚悟ある行動に身を移した信夫の心の純粋さの美しさが私には印象深かった。
ただ私には、信夫をしてそこまでさせた「信仰」というものは一体何なのか、ということが引っかかっている。
Posted by ブクログ
読んでよかったとけど難しかった!キリスト教の教えの文章がちょくちょく入ってくるけど、よく分かんなくてスルーした
私がキリスト教を信仰していたとしても、自分の目前の幸せよりも、多くの人を救うことを優先できるとは思わない!
前半 信夫を置いていくくらい信仰の深い母親理解できなくて苦しかった
やっぱりまだ宗教よくわかんない
Posted by ブクログ
明治時代、東京本郷生まれ、士族の家系に生まれた永野信夫の一生。おばあさんに厳格に育てられた信夫の友情や恋愛の話から、最後の事故まで。実際に起きた事故、実在した人物をもとに創作された小説。
(ここからはネタバレになります。)ネタバレというか、何がネタバレなのかすらよく分からないけど、本の後ろに「結納のために札幌に向かった鉄道職員永野信夫の乗った列車が、塩狩峠の頂上にさしかかった時、突然客車が離れ、暴走し始めた。声もなく恐怖に怯える乗客。信夫は飛びつくようにハンドブレーキに手をかけた……。明治末年、北海道旭川の塩狩峠で、自らの命を犠牲にして大勢の乗客の命を救った一青年の、愛と信仰に貫かれた生涯を通して、人間という不確かな存在の真の意味を問うた不朽の名作」。と書いてあるから、要するに信夫が事故で死ぬ、というのはもう分かっている前提で読むことになる。「高校生に読んでほしい50冊」という、新潮社がたぶん毎年出しているリストの中にこの本があって、この説明を読んで、読んでみたいと思ってついに読んだ。
まず「一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん、もし死なば、多くの果を結ぶべし」という、ヨハネによる福音書のとても有名な一節が出てきて驚く。キリスト教の関係する小説だとは全く思っていなかったが、結局は、本当に敬虔なキリスト教徒の信仰に生きる物語、ということだった。宗教とか倫理の勉強には興味があるし、遠藤周作とか読むのが好きだったので、なんかキリスト教の小説と縁があるなあと思った。
で、おれはその「塩狩峠」の事故の話がいつ出てくるのかと思って、それをモチベーションにしてずっと読んでいったが、440ページくらいある小説の中で、その事故の場面に差し掛かるのが410ページ。つまりそこまでの400ページ近くは、全部最後の30ページのハイライトをよりハイライトにするための壮大な助走だった、ということを読んでて思った。ただその助走の分、「それはやめて!」と本当に思いながら事故の部分に差し掛かり、そしてものすごい悲しい感じになって終わった。全然違うけど、同じ悲劇という意味で、ロミオとジュリエットとかは、なんか展開が早すぎて最後もなんかそんなに感情も動かせないまま終わってしまう感じだが、これはその逆。途中はずーっと一青年の思春期的なうじうじした悩み、恋愛もそうだし、性欲もそうだし、死への恐怖とか興味、という青臭い部分が多い。でもそれをひたすら読んだ分、登場人物たちへの感情移入もしやすくなったところで、最後の最後での事故の悲惨さが大きくなった。
「あとがき」で全てを知ったけど、これは1909年の2月28日に実際に塩狩峠で起こった鉄道事故で殉職した長野政雄という人がモデルになっているということで、実際に北海道の鉄道界にキリスト教を広めた人らしい。塩狩峠には「塩狩峠記念館」もあるらしいから行ってみたい。ちなみに1973年にはこの小説は映画化もされたということなので、観たいような観てみたくないような…。
この小説の中で、唯一なんか心に響いた言葉は、「お先祖様を大事にするということは、お仏壇の前で手を合わせることだけではないと思うの。お先祖様がみて喜んでくださるような毎日を送ることができたら、それがほんとうのお先祖様への供養だと思うの」(p.322)っていう部分かな。「善く生きる」というのはお先祖様のためにも大事。あとは、あとがきの部分で、どれだけ実在の長野氏が立派だったのかという証言が出てくるが、「自己に対しては非常に厳格でしたが、他に対しては寛大でした。長野氏がかつて人を非難し批評したことを私は知りません」(p.451)という部分で、立派な人は人を評価しない、ということなのか。ある意味憧れる。
少なくともそこまでの強い信仰をなんで持てるのだろう、信仰に生きるとはどういうことなのか、ということを考えると、実は最初の祖母の教育のせいがあるのではないかとか、あるいは立派な父親の性格を引き継いでいるのかとか、色々考えながら味わった悲劇だった。(26/06)