あらすじ
宝暦八年、獄門を申し渡された講釈師・馬場文耕。長屋暮らしの文耕は、かつてなぜ刀を捨て、そして獄門に処されることになったのか? 謎に包まれた実在の人物、文耕の生涯を端正な文章と魅力的な登場人物で描き出す。沢木耕太郎、初にして堂々たる時代小説!
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Posted by ブクログ
張り扇が鳴ると、場面が立つ。いまの講談の話だ。
『暦のしずく』が連れていくのは、その手前の時代。型がまだ粗い、江戸中期の講釈だ。
主役は講釈師・馬場文耕。元は浪人で、剣の腕も立つ。刀を置いて下町で語る。釈台を叩き、軍記を語り、やがて当世の事件へ踏み込んでいく。吉原、歌舞伎、番町皿屋敷。噂を拾い、確かめ、講釈にする。人気が増えるほど、危うさも増える。
本が高く、貸本が廻る江戸で、声は重要な情報源だ。語りは芸であり、時事であり、うっかりすると罪になる。『森岡貢物語』『秋田杉直物語』、そして郡上一揆に触れた『美濃笠塗らす森の雫』。言葉が刃になった瞬間、届いてはいけない場所へ届いてしまう。
しかもこの時代、どこまで語っていいのかが曖昧だ。線が引かれていないのに、踏み込んだら終わる。文耕はその綱を渡る。困った人を見かければ助けずにはいられない。だから噂へ近づき、真実を語ってしまう。
それでも読後に残るのは、剣客ものの手触りだ。無尽流。田沼意次。平賀源内。江戸の肌触り。最後に釈台を叩く音が響く。これにて一巻の終わりでございます。