あらすじ
営利の追求を敵視するピューリタニズムの経済倫理が実は近代資本主義の生誕に大きく貢献したのだという歴史の逆説を究明した画期的な論考。マックス・ヴェーバー(一八六四‐一九二〇)が生涯を賭けた広大な比較宗教社会学的研究の出発点を画す。旧版を全面改訳して一層読みやすく理解しやすくするとともに懇切な解説を付した。
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Posted by ブクログ
初めてこの本を手に取ったのは高校生の時だ。当時ハマっていたアニメの中で、マックス・ウェーバーを引用していたのがきっかけで、気になって読んでみたが、当時は修行というか苦行に耐えるような気持ちで読んだ覚えがある。ただ、今振り返ってみるとこの経験がきっかけとなって、難しい本の楽しみ方を知ったようにも思うため、今となっては思い出深い本である。
ウェーバーが天才的だと思うのは、彼が生きていた19世紀半ば〜20世紀初頭において、プロテスタントの勤勉かつ禁欲的な思想が資本主義を駆動するための精神的な背景として機能したことを明らかにしたことだ。あらゆる社会現象について言えることだが、後講釈として振り返ることは容易だが、現象が起きている真っ只中にその構造を明らかにするのは容易ではない。さらに、プロテスタントの思想ゆえに生まれた合理主義的思想に人々が囚われると危ないという警笛を鳴らしていた点も天才的である。ウェーバーの考察はとても先見的であり、むしろ現代を生きる私達にこそそこから学び取るべき教訓が沢山あるように思う。
Posted by ブクログ
世界史や思想史で頻繁に言及される本書。高校時代や予備校で耳にしたことがある方も多いと思います。で、その趣旨たるや、「天が授けた過分の賜物。この賜物を用いて天職を全うし蓄財することこそ神の栄光に適う行為である。そしてこのエートスこそ、近代資本主義の一因となった。」
こんな感じだと思います。
私は、まっさらな状態から本を読みだすというより、本当に上記のようなことが書いてあるのかな、と探り探り読んでいく形のアプローチをとってみました。
その点で結論を言えば、大体書いてあった。こう言えると思います。
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その中でも、本書での一番の出色は、資本主義の発展(「お金」)とプロテスタントの倫理規範(「清貧」)という、いわば逆説的な二つの概念が実は通底する、というダイナミズムだと思います。
カトリックでの修道院出家生活と世俗の生活(プラス贖宥状で罪を拭う)という二分法的分類ではなく、プロテスタント各派の世俗内倫理の徹底と「天職(Beruf)」という職業倫理との徹底という世俗一元的な在り方との違いはきっちり書かれていたと思います。つまり、プロテスタント的生活においては、神様のために慎ましい生活をする(節約する)、そして神様のために仕事頑張る(「天職」)、その結果お金溜まる、と。いわゆる在家においても清い生活を実践することで神への道を全うする。
この命題を明らかにすべく、詳細な宗派分析とプロテスタント文学からの例証がなされています。ルター派、カルヴァン派、メソジスト、長老派、クウェイカー等々。
このあたりの詳細はキリスト教の勉強の足りない私にはちんぷんかんぷんでした。そう、本書のダイナミズムを味わうためには神学、わけても聖書理解が必要だと思い知りました。そもそもプロテスタントの宗教改革は、誤解を恐れずに言えば聖書主義から始まったことを鑑みれば、その聖書の基本的理解がなければ本書の理解もおぼつかないと言えると思います。新訳も旧約も適当にしか読み込んでいないと本当に厳しい。
あと、プロテスタンティズムが蓄財と結びついていた点はわかりましたが、近代資本主義の発展とどこまで結びつくかについては通読一回だけではよくわかりませんでした。つまり事業の拡大や発展・再投資についての分析はあまりなかったかのように思いました。
本書の主張に沿えば、再投資や事業拡大も神の意志に沿うべきなのですが、プロテスタントがその再投資の方針・分量などをどのように判断したのか気になりました。
ただかすかに最終段で、米国について、世俗の禁欲的倫理が忘れ去られ職業倫理が残ったことがシニカルに描かれていました。
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久しぶりにドイツ系の思想本を読みました。
実に読みにくい。そして、注釈が長い!注釈に大事なことが書いたり、批判者に批判返ししてたり笑 訳者の大塚氏は相当頑張ったのだと思います。原文は見ていませんがそう感じました。
哲学、社会学、宗教学、神学、ドイツ文化、キリスト教等々に興味がある方は何とか読めると思います。ただ、内容をよりよく理解するには聖書の通読(新約・旧約あわせて)数回しておくとよいと思いました。私も聖書を読んだらまた読んでみたいと思います。
Posted by ブクログ
ライフワークやキャリアデザインという言葉がもてはやされている。少し違和感があったし、日本と西洋の企業の職務分担がどうしてこうも違うのか不思議だった。
本書では宗教改革により、腐敗した教会・修道院に反する立場から世俗の労働が尊重されるようになり、カルヴイニズムでは救済されていることを常に自己審査し証明するために労働が信仰の手段として組織化・合理化をたどった説く。
富の追求を目的とすることは邪悪だが、敬虔な労働に勤しんだ結果富を成すのは神の恩寵だという!
西洋の労働観がどのように生まれ資本主義に組み込まれ現在に至るのかその源流を紐解いてくれる。そしてアメリカでこの禁欲的労働観は救済の証明という宗教的・倫理的側面を削ぎ落とし強力な秩序を形成する。
大変興味深かった。さらに、世界でも異常なぐらい時間に厳しくもっとも成功した社会主義国と一時は呼ばれた日本は戦争に破れ文化的・伝統的指針から切り離された所に、アメリカからのプロテスタンティズムが真空状態で完全に宗教から切り離されて流れ込み、それゆえに資本主義国家として成功できたのではないかと思ってしまう。良質で勤勉な労働力を持つことに成功した、という意味で。