あらすじ
原題「シンポシオン」とは「一緒に飲む」というほどの意味。一堂に会した人々が酒盃を重ねつつ興にまかせて次々とエロス(愛)讃美の演説を試みる。談論風発、最後にソクラテスが立ってエロスは肉体の美から精神の美、更に美そのものへの渇望すなわちフィロソフィア(知恵の愛)にまで高まると説く。プラトン対話篇中の最大傑作。
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Posted by ブクログ
本当に2500年も前に書かれたの?と、古代ギリシャ時代からの本はいつも時間の感覚が分からなくなる。
饗宴、って普段使わない言葉だけれど、酒食の場を設けて客をもてなすこと、とネットで調べたら出てきた。
古代ギリシャでは「共に飲む」、シュンポシオンという言葉らしい。
その通り、本書は、日中に、皆で集まってお酒を飲み、何かを食べながら、愛の神について、それがどんなに尊敬すべきものなのかについて、順番に意見を述べ合うお話。ただ一方的に自論を言うのではなく、前の人が言ったことを踏まえて、補足したり自分なりの表現を持ち出したりして、まさに議論し合っている。最後のトリはソクラテス、と思いきや、すっかり酔っぱらった知人が最後に現れて、でもしっかり論を投じる。…
Posted by ブクログ
大学時代に読んで以来30年ぶりくらいに読んで見た。正直なところ、議論の主題が愛と美と言う私からするとかなりどうでもよい物なのでそこは置いておくとしても、ソクラテスの屁理屈満載の弁舌にはなんの魅力も感じない。しかしながら、プラトンの筆による文章はやはり引き付けられるものがある。ニーチェがルサンチマンと言っている「古代は美が最善のものであった」という話はここから来ているのかと改めて納得した。同性愛を最上の愛としているのはちょっと時代にそぐわないような気がするが、人間の本性はむしろそうなのだろうか?
Posted by ブクログ
ソクラテス先生 飲み会で友人達と愛について語り合うの巻。
ソクラテス四大福音書の一つらしい。
他の三つと違って友人の家で飲み会をし、
愛について語り合うという何とも楽しい内容だが、
大正時代に訳された原稿を50年前に書き直した物なので、
難しい言葉が多く、読むのはなかなかしんどい。
「愛とは不死のための欲求である」
というのがこの本で主張したいことなんだろうけど、
様々な人物に愛についての意見を語らせて、
最後にソクラテスが他者から聞いた話という形で、
結論を持ってくるという構成が見事。流石プラトン。
一つだけ毛色の違うこの本が、
四大福音書に一つに数えられているのも頷ける。
Posted by ブクログ
プラトンの饗宴、これは愛についての対話だ。
あまりに多忙で感想を書く時間すらなかったこの1週間。
ようやく簡単な感想を書きます。
愛とは異性への愛だけだと思っていただけど、
プラトンのいうエロス(愛)は異性への愛はもちろん、家族愛、自然愛、
博愛などものすごく広義の愛をエロスと言っている。
エロスはそもそも神(全能)でもなく、無知な者でもなく、
中間の位置にあるダイモーンだといい、そして美を求めると説いている。
人間も実は、立ち位置としてはエロスと同じなのだ。人間は新しいことを常に欲求するし、
かといってすべてを放棄して何もしないということもしないからだ。
そしてプラトン自身の考える愛とは哲学(philosophy)の語源となったフィロソフィア、
つまり知への愛が愛の最終形だと説いている。
僕はプラトンのいう知への愛まで達していないのだけど、
少なくともまず女性と向き合い、女性を愛することができるのではないかと考えた
(注:今までの僕はかなり否定的でした。
そのうえであの婚活宣言をだした。
一番感動的だったシーンはソクラテスがアガトンの間違いを正していくシーン。
まるで推理探偵のように論理的に相手を論駁していくさまはものすごくかっこいい。
そして愛とは何かを自分が語るのではなく、
ディオティマという巫女が語ったとするところも説得力抜群だ。
自分が話したとするより、○○がこう語ったということを私が学んだということで、
すごく謙虚にもなっている。ソクラテスらしい対話の仕方なのかな。
饗宴は素晴らしい哲学書です。
これを皆さんにもぜひ読んでもらいたいです。
Posted by ブクログ
愛について
恋について
最近読むのは
何か、
かたちを探しているからで
自分の中で答えを定義したいから
ヘドウィッグに涙して
思い出して読んだプラトンさんは
やっぱりプラトン
お酒の席での
こういう話は昔から
あるのね
と親近感。
Posted by ブクログ
説明 原題の「シンポシオン」とは「一緒に飲 む」というほどの意味。一堂に会した人々 がワインの杯を重ねつつ次々にエロス(愛)讃 美の演説を試みる。最後に立ったソクラテ スが、エロスは肉体の美から精神の美、さ らには美そのものへの渇望すなわちフィロ ソフィア(知恵の愛)にまで高まると説く。さ ながら1篇の戯曲を思わせるプラトン対話篇 中の白眉。
Posted by ブクログ
ギリシアの哲学者ソクラテスの弟子プラトンによる、愛と知をめぐる対話。学生時代に熱心に読んでいたが、ひさびさに通読。
少年愛という習慣があったギリシアで、対話のしめくくりは、ソクラテスに横恋慕する弟子の登場でしめくくられる。文学性が高いとされるが、そのあたりはよくわからない。
ただ、ディオティマとの対話を引き出して、ソクラテスが「エロスとは美や善そのもの」と信奉する若者を論破していく下りは、知の遊びとしておもしろい展開。AはB
である。しかし、AはBとは反対のCでもある。という矛盾した対立項をおさめるために、親の話に例えるとは。
愛情とはなにかについて、あらためて考えさせる一冊。もちろん抽象的にすぎないきらいはあるが。愛情があったればこそ、ソクラテスは悪法にも暴君にも従ったのであろう。しかし、それは悲しき諦念でもある。
Posted by ブクログ
エロスとは何か、
エロスを讃美するとはどういうことか、
次々にいろんな人が語る饗宴。
エロスを語るのに、
一緒に飲みながらという場面は、適切なのかもしれませんね。
愛と美に魅せられ、
酔い、
熱くなり、
ほめたたえる。
愛に溺れるのでもなく、
酒に溺れるのでもなく、
美そのものへと到る道を行くがごとく。
ソクラテスは、
自分がいかにエロスを知らなかったかを説き、
そしてさらにはエロスのなんたるかを語る。
この世界で、いま、エロスの神は賛美されているだろうか。
”なぜといって独力でもしくは他の誘導によって愛の奥義に到る正しい道とは次のようなものであるからです。それはすなわち地上の個々の美しきものから出発して、かの最高美を目指して絶えずいよいよ高く昇り行くこと、ちょうど梯子の階段を昇るようにし、一つの美しき肉体から二つのへ、二つのからあらゆる美しき肉体へ、美しき肉体から美しき職業活動へ、次には美しき職業活動から美しき学問へと進み、さらにそれらの学問から出発してついにはかの美そのものの学問に外ならぬ学問に到達して、結局美の本質を認識するまでになることを意味する。(p.134)”