【感想・ネタバレ】「国語」と出会いなおすのレビュー

あらすじ

国語は得意だったけど、文学はよくわからない
文学を読むのは好きだけど、国語はつまらなかった
──どうしてわたしたちは国語を学んだのだろう?

国語と文学の歩んできたビミョウな関係をひも解きながら、ゆるやかな共同性を育む教室の可能性と、小説のもつ多様でゆたかな解釈を結びつける現役国語教師/批評家の著者による、新しい国語/文学論。

★芥川賞作家・滝口悠生が、自作の試験問題を解きながら国語と文学について語る特別対談も収録!

「国語で文学は教えられない」という批判に見られるように、対立するものとして語られがちな「国語」と「文学」。けれど果たしてその対立はまっとうなものなのでしょうか?

新学習指導要領に伴って新設された「文学国語」と「論理国語」や、著者が教室で体験したさまざまな生徒からの反応、文学研究の成果が反映された現在の指導内容、国語の試験と小説の相性の悪さ、「文学史」のつまらなさとその必要性……
国語と文学をめぐるさまざまなトピックから、属性や立場の違いを超えて《同じものを読んでいる》ということのみによって担保された、共同性を育むものとしての「文学」の意義を再確認する。

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Posted by ブクログ

タイトルからくる内容のイメージとちょっと違った。
文学と、国語試験の関係を、国語試験出題者自らが
謙虚に分析している本だった。
本の最後に、出題者と、その題材になった著者が対談をして、
その出題を著者が答える、というのはシュール。
御多分に漏れず著者が誤答する、、、

文学が学校教育の国語に矮小化される。
国威発揚、国民の洗脳に使われてきた歴史。
そして今の試験。
こんな試験の正解が大学選別に使われるなんて、
違和感しかない。
文学なんて自由に読めばいいはずなのに。
世の中正解なんてないのに。

著者はそれをわかってあえて出題者にもなっている。
生徒と寄り添い、極力楽しく国語を教えながら。
確かに、批判しているだけでは変わらない。
大学ではなく、中高一貫校で教えているという。
「国語」を変えるための第一歩。

・・・全然関係ないけど、
そういう意味では女性首相誕生はとにもかくにも第一歩ってことになる。
最初から理想の女性首相が生まれるわけはない。
まずは「女性が総理になれる!」ということを小さな女の子にも認識してもらい、
何十年後かに本当に女性に優しい女性総理がうまれればいいのかも。

話はそれた。
「国語」の授業、「国語」の試験、、、
この本を読んでその位置付けを再認識できた。


はじめに
第1章 国語は文学をわかってない!?
第2章 物語と共同性
第3章 最近の教科書を見てみよう
第4章 書きすぎていない小説と試験問題
第5章 文学史について考えよう
第6章 「文学」を再設定する
対談 滝口悠生×矢野利裕
「国語が問うもの、文学が描くもの──出題者と作者による国語入試対談」
あとがき
参考文献

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2025年11月17日

Posted by ブクログ

批評家、国語教師の二足の草鞋を履く筆者は、学校で文学を読むことの限界を見据えつつ、文学を読む意義を見出しています。その問題意識と、国語教育の未来を見据える姿勢に共感しました。

この本の1番の読みどころは、入試問題の出題者である筆者と、問題として選んだ作品の作者(滝口悠生さん)との対談です。「作者に問題を解いてもらえるんだ。こんなこと本当に実現可能なんだ!」と興味津々で読みました。その他、最新教科書事情や文学史を学ぶことの意義についての見解も興味深かったです。

先生の解釈を聞いている高校の現代文の授業は、正直言って退屈でした。しかし、夏目漱石の「こころ」や中島敦の「山月記」など、高校生のときに出会って良かった作品があったことも事実です。授業で扱われなければ、自分から読むことはなかったと思います。本書や自分の経験から、文学作品を読む一歩としての国語の授業のあり方を、あらためて考えさせられました。

私はこの本を読みながら、「国語」との出会いなおしに留まらず、昔の自分とも出会いなおしていました。高校の現代文のテストが難しくて悪戦苦闘していた自分と、教材研究に必死になって、本来の読書の楽しみが得られなかった20代から30代前半にかけての自分です。今は、読書を楽しめているので、ずいぶん自分も変わったなあと思います。

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2025年06月12日

Posted by ブクログ

●「文学」について考えるために「国語」と向き合い、「国語にとって文学とはなにか」あるいは「文学にとって国語とはなにか」という問いを通して、「文学/国語」のありかたを再設定しようと試みた本。
●その結論の一つとして、「『文学』とは、文字を通じて再獲得された《私》たちが互いにコミュニケーションをする場所である」ということを著者は導き出した。ただ、これは本書でも語られた国語の授業風景が多分に含まれたがゆえの結論だと感じた。物語の共同性という視点には同意できるが、文学というものは「《私》たちが互いにコミュニケーションの場所」というよりは、やはり個人的な営みと考える人の方が大勢ではないだろうか。

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2025年11月14日

Posted by ブクログ

国語教育を通じて我々は異なるインクのしみを眺めているはずが同じ「物語」を読んでいるように感じる共同性を獲得しており、読解に必要な常識を無意識に身につけているが、それは時に解釈の枷になっているかもしれないとハッとさせられた。

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2025年10月26日

Posted by ブクログ

国語嫌いが増えている現在、何をしたら国語が好きになるのだろうか、といつも思っている。文学と国語が切り離されている感じはしていたが、本書の指摘を読んで少しなるほどと思った。

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2025年10月18日

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