あらすじ
著者の二十歳代前半から療養生活、自殺未遂、光世氏との結婚までを記した自伝的小説。
小学校の教師をしていた綾子は、敗戦を迎え、それまで教えてきたことが間違いだったのではとの思いにさいなまれ、虚無感を覚える。教師を辞め、結婚を決意するが、結納が届くその日に倒れ、その後、肺結核を発病する。長い療養生活の中で婚約解消、自殺未遂などを経験するが、同じ結核患者でクリスチャンの幼なじみ前川正の献身的な支えを得て、生きる希望を見いだしていく。その後、脊椎カリエスを患った綾子は、受洗する。そんな折、前川正が危険な大手術を受けることになり……。
「三浦綾子電子全集」付録として、夫・三浦光世氏による「創作秘話」を収録!
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Posted by ブクログ
終戦を機に、教科書を墨塗りにさせられ、それまで教えたことが誤りだったかもしれないことに自責の念を感じた著者は、七年間の教員生活に終止符を打ち、虚無感の中に沈んでいく。そんな中肺病となり、同じく肺病患者でクリスチャンの前川正に導かれて次第にキリスト教の教えに触れ、信仰を得ていく。自殺未遂までした虚無から、さらにはカリエスとなって寝たきりになり、愛する前川正にも先立たれた悲しみをも生き抜いて、同じくクリスチャンの三浦光世と結婚するまでの自伝的小説。
人生に生きる意味はあるのか、自分は生きていても良いのか。子どもたちに偉そうに教えたことが次の日には誤りとして墨塗りにされる、この世で真実とされるもののあやふやさの中に、前川や三浦や、元婚約者の西中の筆者に対する態度は、さらにいえばクリスチャンの人々の態度は、いつも利他的で愛に満ちていて、真実であることを感じさせる。そんな揺るぎない愛と信仰と希望を持って、神の前に真実に生きることの尊さと、難しさを感じる。
でも小学校教師としての筆者は、国定教科書に書かれている以上のことを児童たちに教えていると思うし、受け持ちの子どもたち一人ひとりのその日の出来事をそれぞれの日記に書いていく先生の眼差しや先生の愛はそれこそ真実だと思う。キリスト教に出会う前のことだけど、教師としてのこの筆者の態度の中にも真実の愛があるのではないかと思った。(私は真似できない)
Posted by ブクログ
10年以上、折に触れて読み返している。
内容は重たいが、深く悩んだ時や落ち込んだ時に読み返すと孤独が紛れる。閉塞感や低調なテンションの語り口が寄り添ってくれることもある。
誰かを愛するとは、誰かが自立して生きていけるようにすることだという言葉が印象的であった。
Posted by ブクログ
妹の本棚で、「道ありき」が目に留まり読んだ。読み進めていくうちに、この一日をこの本に使う価値があると感じ、二周した。
虚無感で一人残されていることに嫌な感じを抱かなかった頃から神を信じクリスチャンになるまでのことが書かれている。
私は、洗礼を受けていない。けれども、信じているからクリスチャンである。ただ、最近は求めていた道ではない道を歩いており、毎日のように枕を濡らしている。だから、綾子の考えを理解しやすかった。一度、信仰を持てたからといってそれで終わりではない。神様は、私の信仰が育つように、人を与えてくださる。それは、友人であったり、恋人であったり、はたまた思いがけない人であるかもしれない。人を通して、イエス様の十字架の意味を知る。その人の信仰や愛を見て、与えられている愛がどれほど大きいのかを知る。思い返せば、必要な時に必要な人が与えられていた。人は弱い。弱いから、まずは神様から愛されるだけで大丈夫。完璧を目指さなくて大丈夫。今日、信仰があるのかだけでいい。今日、信じることを貫く信仰を持ちたい。
心に残った綾子と正の言葉
「綾ちゃんの今の生き方がいいとはぼくには思えませんね。今の綾ちゃんの生き方は、あまりに惨め過ぎますよ。自分をもっと大切にする生き方を見いださなくては…」
「結局は、人間は死んでいく虚しい存在なのに、またしても何かを信じようとするのは、愚かだと思った。しかし、わたしはあえて愚かになってもいいと思った。丘の上で、吾とわが身を打ちつけた前川正の、わたしへの愛だけは、信じなければならないと思った。もし信ずることができなければ、それは、わたしという人間の、ほんとうの終わりのような気がしたのである。」
「わたしはあの夜まで、自分自身が虚無的であったにせよ、それはそれなりにやはり人生に対してまじめだと思っていた。まじめだからこそ、絶望的になることができたのだと思っていた。だが、それは自分の間違いであることに気づいたのだ。気づかせてくれたのは、あの丘の上の前川正の姿であった。〜自らの足を石で打ちつけた彼の姿を思ったとき、真剣とはあのような姿のことを言うのだとわたしは気づいたのである。真剣とは、人のために生きる時にのみ使われる言葉でなければならないと、思ったのである。そう考えると、わたしは自分の生き方がどこか中心を外れた生き方のように思うようになった。」
「信頼されているということが、どんなに恐ろしいことかを、この教師は知らなかったのだ。」
「綾ちゃん、生きるということは、ぼくたち人間の権利ではなくて、義務なのですよ。義務というのは、読んでの字のとおり、ただしいつとめなのですよ。」
「ほんとうに人を愛するということは、その人が一人でいても、生きていけるようにしてあげることだと思った。〜神に頼ることを決心するのですね。」