あらすじ
名画モナ・リザを一躍有名にした事件とは?
1911年モナ・リザが、ルーブル美術館から盗まれた。迷路のようなルーブル美術館の警備はどうなっていたのか? どうやって持ち去ったのか?
美術館でそれほど重要な扱いを受けていなかったモナ・リザが盗まれ、この名画は一躍注目をあびるようになる。
一方で、レオナルド・ダ・ヴィンチは、この絵を描いてなかったかもしれない……と、この名画が生まれた経緯にも触れ、レオナルド・ダ・ヴィンチの人となりを浮かび上がらせる。
盗まれて初めてその存在が認められ有名になったモナ・リザだが、どのように発見されて、ルーブルに帰還したのか、その陰に隠された現代美術の巨匠の秘密を暴きつつ、事件のあらましが語られる。
読みごたえのあるノンフィクション。
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Posted by ブクログ
1911年8月21日、モナ・リザは盗まれ、世界一有名な絵になった。この本は、この盗難事件の捜査の様子と、モナ・リザを描いたレオナルド・ダ・ヴィンチの人生を描き出すノンフィクションだ。
全く異なる時代の捜査陣とダ・ヴィンチをつなぐのは絵画モナ・リザだけだったが、本を読み進むにつれ、ダ・ヴィンチがもっていた素質が事件を解く鍵だと理解できるようになるだろう。ノンフィクションだが、ミステリーの小説のように楽しめる作品だった。
本の内容ももちろん面白いが、著者ニコラス・デイの書き方も面白かった。おかしみを生み出す言葉の使い方が秀逸で、何度も意表を突かれ、くすっと笑わされ、それが心地よかった。文章を読んでいる自分の理解が、ジェットコースターのように上に下に揺さぶられるかんじ。
「女性は永遠の命を得た。女性はけっして死なない。それでも、誘拐されることはある。」P7
「なにもかもがスケジュールどおりだった。つまり、なにもかもがスケジュールより大幅におくれていた。それがレオナルドなのだから。もともと、スケジュールなどあってないようなものだ。それでも、すべてがうまくいっていた。フランスが進軍してくるまでは。」P105
「レオナルドは得意な油絵の技法をフレスコ画にとりいれた。そのような描き方は、それまでだれもやったことがなかった。
そして、それ以降も、だれもやらない。
数年で『最後の晩餐』ははがれ落ち始めた。」P109
他にも、対比からユーモアを生んでいたり・・・
「男はルーブル美術館からふたつのものを盗んだ。ひとつはドアノブだ。そのドアノブのことはだれも気にしなかった。ふたつめは名画『モナ・リザ』だ。モナ・リザについては、たくさんの人々が、ものすごく気にした。」P17
皮肉で読者を楽しませたり・・・
「だれもが、かつてあの絵がかかっていた場所をながめた。人々は、ルーブル美術館に幽霊を見にきた。ジャーナリストが調べたところ、ほとんどの人は、以前、モナリザを見たことがなかった。いいかえれば、人々は、一度も見たことのない絵を、見ないためにやってきていた。」P116
何度も「ふふっ」と笑ってしまうようなユーモアが散りばめられている楽しい作品であり、スリリングで骨太なノンフィクションでもあった。
Posted by ブクログ
モナ・リザ盗難事件が起きた1911年からの経緯とこの絵が描かれたルネサンス期のもろもろが織り合わされながら進んでいくノンフィクション。ゆかいな語り口でテンポ良く読ませる。
・レオナルド・ダ・ビンチにはやりたいこと、知りたいことが多すぎて、絵を描くことにはほとんど興味がなかった。
・この絵を依頼した人は結局、絵を手にしてない。
・依頼者の家から直径300mの範囲にラファエロ、ミケランジェロ、ボッティチェリの家があった。
・ルネサンス期、女性にはまっったくなんの自由もなく、適齢期(15歳ぐらい)に持参金をたっぷり持って結婚できなければ、あとは修道院に入るしかなかった。(それって貴族階級かな? 庶民はどうだったんだろう。そこらへんはわからず)
・地味な、知る人ぞ知る名画だったモナ・リザがこの盗難事件を契機に世界一有名な絵画になっていった。捜査の経緯はぐだぐだで無実の罪を着せられそうになった人も多数。
Posted by ブクログ
1911年にルーブル美術館から盗まれたモナ・リザ。その顛末と、ダ・ヴィンチがモナ・リザを描いた経過が、交互に描かれている。
児童書としての出版なのだが、普通に大人が読んでおもしろい。それが、フィクションではないことが不思議なくらい面白い。
有名人が、いっぱい登場します。