あらすじ
「[たいめいけん]の洋食には、よき時代の東京の、ゆたかな生活が温存されている。物質のゆたかさではない。そのころの東京に住んでいた人びとの、心のゆたかさのことである」人生の折々に出会った“懐かしい味”を今も残している店を改めて全国に訪ね、初めて食べた時の強烈な思い出を語る。そして、変貌いちじるしい現代に昔の味を伝え続けている店の人たちの細かな心づかいをたたえる。
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文庫の再読。池波氏による食べ物の描写は言うに及ばず、その後ろに浮かび上がる"むかしの味"には、その時代も味も知る由もない私でさえも郷愁を感じてしまう。
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昭和56年(1981年)から2年間連載された食エッセイを、連載から6年後にまとめた本。序文ではその6年の間ですら世の中は大きな変貌を遂げ、紹介した店も変化しているに違いないと書いてある。果たして連載開始から30年後の今、この店たちはどうなっているのだろうか。この本を読む前に、紹介された店の一軒に偶然入ったことがあるが、この本に書いてある通りだったかどうか記憶にない。
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絶対空腹時には読んではいけない、
小説家池波正太郎氏が綴る極上の「食」のエッセイ。
と言っても、本作品はただ「この店の何が美味」
などといった事をダラダラと書き殴った
グルメ本などでは決してない。
飽食の時代と言われている現在、
舌で育てる味覚も心で味わう感動も
鈍ってしまっているような現代人に対し、
この作品を読む事で、
「食べる」という行為が本来持っている、
私達人間にもたらしてくれる喜びの感覚や
幸せの実感を呼び覚ましてくれるような、
「五感に訴えかける作品」である。
今までの自分の人生を振り返りそこで出会った
食べ物の味、店の雰囲気を、
その食べ物を味わった当時、
筆者が関わった人物の思い出とその時の想いなどと
共に読めばその映画のように味わいのあるシーンが
頭に浮かび、その食べ物の匂いがしてきそうな、
まるで一冊の脚本を読んでいるかのように、
鮮やかに、活き活きと描かれている。
外食をするならば、背筋のピンと伸びた料理人の
作った料理を大好きな人と一緒に食べる、
そして一食一食、食べる事を
映画を観るような素敵な事として楽しむ、
それが、自分が食べるものを
更に美味しいもの変身させる極意なのだ、
と池波氏に教えられているような気持ちになる。
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食に関しての表現力では素晴らしい池波氏が自分の覚えている昔の味について書かれたエッセイ集。老舗の匠の味が呼んでいるだけで感じられるようである。
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数多くの食に関するエッセイを書かれている食通池波先生。名作ぞろいでどれもおもしろいのだが,あえて「どんどん焼きをつくる池波氏」の写真が掲載されているこの本を。たいめいけん,まつや,万惣,煉瓦亭,資生堂パーラー,名店がぞろりと紹介されている。
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池波正太郎が実際に足を運んだ料理屋の紹介を中心とした食エッセイ。銀座の煉瓦亭、資生堂パーラー、日本橋のたいめい軒など今に続く名店がたくさん紹介されている。
どの店も池波さんの思い出と共に、とても魅力的に描写されているので、食べてみたくなる。
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冒頭の会話で信頼できるエッセイ。
近年、器用で勘の良い若い日本人たちが雨後の筍のように新しい飲食店を新しくオープンする。
「行ってみると、みんな旨いよ」
「旨いんだけれどねえ、若い連中のは旨さが同じだね。そう思わないか?」
時代背景と共に読む、味わい深い食のエッセイ。
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本棚の奥から出てきた。
池波氏が「うまい!」と思って食べてきた味と店の思い出が書かれているが「グルメ本ではない」という但し書きがつく。
舌が覚えているのは、思い出と、人の縁。
この作品の最初の刊行は、昭和59年(1984年)で、およそ40年前。今から見たら、すでにむかし・・・かも。
その「むかし」に振り返って、まだ続いている店を紹介していたものだから、現在から振り返れば、むかしむかし、である。
スマホのマップで見たところ、「たいめいけん」や「イノダコーヒー」などのごく有名な店を除いては、すでに残っていないようだ。
跡地がコンビニやビジネスホテルになっているのを見て、味気ない思いと共に時の流れを感じる。
「持続の美徳」と言って、変わらぬ味を愛し、賞賛した池波氏であったが、残念ながら変わらないものなどない。
私たちには行くことの出来ない、戦前の東京。戦後の復興。
そんなものが、読むほどに懐かしく感じられ、目の前によみがえる気がするのだ。
「むかしの味」の向こうに池波氏が見ているものは、先に亡くなった年長者たちの思い出であり、戦前戦後と経て音信不通になってしまった友たちとの懐かしい日々だった。
見たことのない、憧れの「昔の東京」に行くための重要なアイテムとして、また本棚の奥に大切に保管しておこうと思う。
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いい匂いのしてくる本でした。まつや、竹むら、煉瓦亭はその昔、剣客商売にどハマりした若い時に池波正太郎を気取って食べてきました。資生堂パーラー、行ってみたいなぁ。たいめいけんも。憧れるのは自分だけの、こうしたお店を見つけること。おいしいもの、良き思い出の逸話の合間にちょっとほろ苦いエピソードを交えてただのおいしいだけ、昔は良かった的な話だけではないのは、さすが池波正太郎でした。
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著者が気に入っている飲食店とそれにまつわるエピソードを紹介したエッセイ。
東京近辺をメインに、京都や横浜、長野のお店が紹介されている。
著者自ら描いた挿し絵も味がある。
本エッセイを書かれた昭和末期に、既に老舗と呼ばれていたお店が、今日まで残っているのは驚き。
読んでてお腹がすく。
Posted by ブクログ
粋な本である。如何にも旨そうな料理の描写と池波正太郎氏のむかしの挿話が各店を訪ねたい気にさせる。・・・と現代の技術を使ってグルメサイト検索すると何れも高評価なお店ばかり。さすがは食通として名高い文豪である。しかし大切なのは味ばかりではない。丁稚奉公から文豪となった氏が語る料理への思い出は最高の調味料として効いている。回顧主義に走るのではなく、江戸っ子らしい感覚で「よいものはよい」とむかしの味と記憶を紡ぐ物語はなんだかほっこりさせられてしまう。
余談ながら東京下町の老舗にお邪魔すると池波正太郎氏の写真がちょくちょく飾られている。自分の足で色んな店を訪ね歩き、気さくに写真に応じる氏の表情が浮かぶようである。
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本書は昭和63年に文庫化されたものだが、食通の著者の文章が素晴らしく良い。〔たいめいけん〕は、当時も有名な洋食屋だったのだろうが、今はTVで紹介されてか、休日には時分どきを外しても長蛇の列で、店そのものに入れやしない。いや、本書は店に客を呼込むグルメ紙ではないのだが、やはり本書に出てくるものを食べたいものだ。〔どんどん焼〕は作れそうな気もするが、元の味を知らないし……解説で書かれた「日々のニュースに見られる救いようのない事件」どころではない平成の世を著者が見たら「君たちは気の毒」では済まないだろうな。
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著者池波氏の思い出の食べものやお店が、その思い出とともに綴られている。
昭和63年刊行のため、現在はないお店も多く登場するが、そんなお店があったのだということを知るだけでも面白い。当時の時代の雰囲気がとてもよく分かるのも、面白かった。
巻頭に料理の写真が載っているのもよかった。
機会があったら、本書に登場するお店に行ってみたい。
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池波正太郎氏が存命時に長いこと通っていた店に関するエピソードを綴ったエッセイ集のようなもの。氏の食への造詣が存分に発揮されている。そして、紹介される店の人たちが魅力的で、私も行ってみたいリストに追加してしまった。ゆっくりとした時間には持って来い。
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池波正太郎の食エッセイ。
最初に読んだのは10年以上前だが、書き口が素晴らしく渋くて格好良く50年たってもこんな年寄りにはなれまいと思って、今も変わらずそう思う。
食を語るに気取りがなく、浮わついた美辞もなく、居心地の良さが伝わってくる。ポークカツレツのくだりなど自分至上最高の豚カツ描写だと感じる。何度も読み直したい本。
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池波先生がこんなエッセイを書いているなんて知らなかった。読んでいるだけで,「むかしの味」が感じられる一冊。もうこの本に書いてあるような雰囲気の店は少ないんだろうな。そういう意味ではいい時代だったんだろうなと思う。
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「たいめいけん」、「新富寿司」、「まつや」、「竹むら」、「資生堂パーラー」など古き良き時代の東京の名店と池波氏が訪れた地方の名店が氏に強烈な印象を与えている。池波氏の小説のなかで描かれる数多くの食べ物、その原点が此処に・・・。
現在まで嘗ての味を大切にしているお店たち、何店かは訪ねたが、又お邪魔して美味しいむかしの味を確かめたいものです。
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東京の正統の老舗について知りたいと思い読んだ。なかには今はもうない店もある。いまも続いている店に行ってみたい。味はもちろん、店構えや雰囲気含めて「むかしの味」だと思うから、それを味わいに行きたい。
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懐かしい匂いのする食べ物を紹介している。飾らない、美味しい料理を食べているなという印象。下手に食レポなどせずに、自分のエピソードとお店を紹介しているので、偉ぶっていないところが好感を持てた
Posted by ブクログ
技術の進歩により、どんなに食材の質が良くなっても、調理技術が向上しても、思い出の味には勝てないものかもしれない。
私のような、グルメでも何でもない庶民にとっての「むかしの味」は、何気なく食べていた近所の中華そば、海の家のカレー、駄菓子屋のラクトアイス…。なんてことない食べ物だって、思い出による補正が一段と輝かしいものにしてくれる。
今の子供達は、一体どんな味を「むかしの味」として憶えていくのだろう。
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述懐しているのは味だけではなく、その店が持ち合わせ、守り続けてきた店構え。矜持を持った、料理人、店主、店員、客、人も含めた店構え。
味以上に語りたいのは、そちらなのかも。
Posted by ブクログ
わたしの馴染みの店は神戸元町のJR高架下にある「丸玉食堂」で、もうかれこれ35年近くなるかな。ここの玉子餡かけ汁そば、店ではローメンと呼ばれているものともう1品は豚足の煮込みでパクチーとの相性が抜群です。もう1軒はわたしが住んでいる姫路にある、今年81歳になられたご主人と御かみさんで切り盛りされている「主水」。全国の地酒が揃っているので有難いのですが、ここの自家製オイル・サーディンと葱わんたんは最高です。いつまでも続けていただきたいと願う、とっておきのお店です。
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最近のはやりのレストランへ行って、出された味に
喜んでいる自分が、ほんとうにその味をわかっているのか??と
思わされる文面でした。
心のこもった丁寧な料理、安いなら尚いいけれど
高くても心が伝わるようなお料理を選んでいきたい、気がする。
Posted by ブクログ
2011/05/06:むかしながらの味を供している食事屋さんについて池波さんの昔のエピソードを交えたエッセイ。
写真も文章も時代を感じさせて興味深かったです。
池波さんの小説にどう活かされているのかも気になりました。