あらすじ
詐欺師チチコフは戸籍面では生きていることになっている死んだ農奴を買いあつめて,これを抵当にして銀行から金を引出すため,ロシア各地を遍歴する.作者はこの遍歴のなかで,随所に道徳的破綻者を発見し,それに対して鋭い社会的解剖を加え,腐敗したロシアの全貌と,その生活につつまれた「夢」とを白日の下に暴露して,誤った社会制度と国家組織に痛烈な批判を下す.※この電子書籍は「固定レイアウト型」で作成されており,タブレットなど大きなディスプレイを備えた端末で読むことに適しています.また,文字だけを拡大すること,文字列のハイライト,検索,辞書の参照,引用などの機能は使用できません.
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Posted by ブクログ
チチコフの遍歴がようやく終わりを遂げる
場所は移り、明示的に農奴の購入をする場面は無くなったが、引き続き購入はしていたらしい
ゴーゴリの初期の構想、ダンテの『神曲』に準えるということから、本巻収録の第二部は「煉獄編」に当たり、ロシア人の善性が描き出されることとなる
自身ののらくらさや惰性を悪いとは思いつつも変えられない人々が善に傾く様子が描かれる
その転換からはチチコフも逃れること能わず、新たに手を出した詐欺の発覚を皮切りにこれまでの悪行が司直に暴かれる
一度見逃されていたチチコフは、今度こそダメだと絶望のどん底に陥るが、そこに救いの手が差し伸べられる。
当時のロシア文学らしく救いの手段はキリスト教的なものだが、心変わりする瞬間の描写は非常にドラスティックで、読んでいる私の心も揺るがすほどだった
単に善人の手によってのみ救われるというわけでなく、やくざ者の手も借りつつ改心を達成するというのがリアリスティックだった
続きが欠落しているというのは残念だが、遺された部分まででも十分作品として完成しており、読む価値はあると思う
「もう死んだ農奴のことなどは考えないで、あんた自身の生きた魂のことを考え、いさぎよく別な道をとってお進みなさい!」
Posted by ブクログ
第2部は第4章までで後は第…章になっている。完成していた現行をゴーゴリが死の直前に暖炉に放り込んで燃やしてしまったせいらしい。所々抜けている箇所があって話が飛んでしまっているのも残念。結局チチコフは途中で念願を叶えたらしいがそれも失ってしまい最後はアイデンティティを喪失して去っていく。各地を地主を訪ねて遍歴していくところや地主の屋敷でイベントが起こる箇所などはナボコフも言っているようにドンキホーテの影をみることができる。当初は神曲のような構成にしたかったらしいが煉獄篇で終わってしまった感じ。地主は贅沢や賭博にうつつを抜かし、農奴は飲み屋に入り浸り、役人は賄賂で私腹を肥やすことしか考えないというロシアの現実をリアリズムで描いた作品だった。
Posted by ブクログ
再読。当時のロシアを風刺した作品ではありますが、笑っちゃうほど普遍的。そして、どうしようもなく愚かしい人達がたまらなく魅力的に描かれていて、これぞ純文学と呼ぶべきものかと。
Posted by ブクログ
このドタバタが、やっと終わった!という感じ。
第一部ではからだの丸い謎の男チーチコフが一癖も二癖もある貴族たちのもとを飛び回り、彼らに取引を持ちかける。
その取引というのが、事実死んではいるけれど書類上まだ死んだことになっていない農奴(役所の負荷を減らすために死亡登記は年一回とかだったらしい)を安く、あるいは無料で引き受けようというもの。
心よく無料でさしだす者もあれば、死んだ農奴の相場がいくらか・騙されたのではないかと猜疑心にとらわれる者、生前の農奴の特徴や長所を強調して値段をふっかける者、なんだかよくわからないがとにかく賭けがしたくてたまらない者……などなど。
まるでダンテの地獄篇のようでありながら、作者はこれらの者たちがまったくもってロシア的、驚くべきほどロシア的であることを強調してみせる。
プーシキンは農奴が、しかも死んだ農奴が、物のように扱われるのを見て「ロシアはなんて憐れな国だろう!」と嘆かれたそうだ。
さて第二部はというと、これは作者がその一部を暖炉に放り込んで焼いてしまった……まあそのくらい苦心惨憺して書かれたものらしい。
ゴーゴリは「死せる魂」を三部構成の小説、ダンテの「神曲」のように魂の浄化・救いのようなものが書きたかったらしいのだが、これは見事に失敗している。ナボコフもこの第二部はてんで相手にしていない。
ゴーゴリはとにかく細部にこだわった。愚劣さ低俗さ、それからロシアの自然の美しさの細部に…。
しかしどうだろう。数日たったらこの小説の内容はてんで覚えていなさそうである。掛け合いは確かにおもしろい……しかし惜しむらくは、古めかしい日本語訳のために内容の軽妙さと語のあいだにギャップができてしまってることだろう。
小島信夫の解説からの以下抜粋。
〈美しさといったものなら、細かに書かないで、むしろ文章を節約して思い浮かべる方がよい。だが愚劣さは、微細に書くに限るのである。〉
〈極端にいうとリアリストというものにはテーマはない。それにテーマがつくのは、作者が進んで何かをいわんとするときである。そのとき本当のリアリストになるわけである。デテイルに酔うあまり、ゴーゴリはいわんとすることより、低俗さそのものが面白かった。プーシキンは、ある意味ではゴーゴリの奥底にある「いわんとするもの」をゴーゴリよりよく知っていたともいえる。〉