あらすじ
アメリカ、韓国はじめ、世界中で
ベストセラーの超異色・生物書
人は、何かに名前をつけると
本当の姿を見ようとしなくなる。
19世紀末、生涯をかけ魚類を収集・分類した科学者デイヴィッド・スター・ジョーダン。その膨大なコレクションは、落雷、火災、さらに巨大地震によって幾度となく破壊された。だが彼は、世界に秩序をもたらそうと、まるで運命に抗うかのように分類作業を続ける。
NPR(米国公営放送)の気鋭ジャーナリスト、ルル・ミラーが追跡した衝撃の実話。ジョーダンの生涯を掘り起こす作業を通じ、自然、歴史、倫理、そして愛についての著者の理解は大きく揺るがされていく。
科学への深い執着、殺人の影、分類することへの限りない欲望。
全てが混ざり合う、目が離せない知的冒険の記録。
★全米主要メディア、絶賛!
「心が揺さぶられる」The Wall Street Journal
「見事な一冊」Los Angeles Times
「打ちのめされる」NY Times Book Review
「自然をめぐる驚きのストーリー。世界がそれまでと違う姿で見えてくる」Book Riot(書評サイト)
★識者、大絶賛!
「奥深く、機知に富み、おぞましい闇と強い高揚感の両方を味わわせる。この本を、そしてこの本を書いた一筋縄ではいかない精神の持ち主を称賛したい。ルル・ミラーは、決して大げさではなく、生命の秘密を明らかにしたと言えるかもしれない」
―ジョン・モアレム 『This Is Chance!』著者
「ジェットコースターに乗ったように、魚の(そして私たちの)位置づけがひっくり返る」
―Slate(オンラインマガジン)
「1ページ目から圧倒的。独白であり、人物評伝であり、国の歴史を語る本でもあり、そこからさらに壮大なストーリーが少しずつ解きほぐされていく。最後の数ページにたどり着いた頃には泣かされていた」
―ジョナサン・ゴールドスタイン podcast「Heavyweight」creator
★年間BEST BOOK選出!
The Washington Post, NPR, Chicago Tribune, Smithonian Magazine, Audible, etc.
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
これは凄いものを発見したなー!
最初に見かけたのは児童文学のコーナー.
次に見かけたのは科学分野の生物の棚,そして思想・哲学の棚.
なるほど,生物学のエッセイ的なものかと思って読み始めた.
でも読み進めるごとに物語はどんどん姿を変えていく.
生命科学であり,歴史であり,伝記でもある.
そして中盤以降の急展開からの政治倫理,生命倫理へ……なんと言う作品だ!
読んでいるうちに,この本が扱っているのは単なる生物分類ではないことに気づく.
人は物事を理解するために「分類」し,「名付け」る.
しかし名前がついた瞬間,そのものの本質からは遠ざかってしまう.
精神分析で言うところの signifiant の構造そのものだ.
対象に近づこうとして言葉を重ねれば重ねるほど,本質は言葉の外側へ逃げていく.
フロイトは言った.
人は,他者を理解する為に,言葉を積み重ねていく.言葉を持った瞬間から,あらゆるものを言葉で理解していく.完全な理解を求めることは完全な「一体化」を目指すことなんだけども,当然,人は対象と完全に一体化することはできない.
言葉を持つ限り,対象そのものには届かない.
言葉を重ねれば重ねるほど,本質は遠ざかる.
もし究極の一体化があるとすれば,それは主体の境界が消えるとき,つまり死の瞬間だけなのだと.
だとすれば,人間は言葉を手に入れた瞬間から,永遠に世界の本質から遠ざけられているのかだ.
この本のタイトルにもなっている「魚が存在しない」という言葉もそうだ.
自然の側に「魚」というまとまりがあるわけではない.
それは人間が世界を整理するために作った分類に過ぎない.
人間は世界を理解するために分類の棚を作る.
生き物を並べ,名前をつけ,秩序を与える.
しかしその棚は,いつのまにか「価値の梯子」へと変わっていく.
人間はその梯子の最上段に,自分たちを置く・・・とても都合のいい分類.
分類はそこで終わらない.人間はさらに人間自身をも分類し始める.
優れた人間と劣った人間.
価値のある人間と価値のない人間.
こうして分類は序列になり,序列は差別へとつながっていく.
この本が暴いているのは生物学の誤りではない.
人間が世界を理解するために作った「分類の棚」そのものの危うさだ.
それでも物語は,そこで終わらない.
作者は,再び混とんの世界に放り込まれる.それでも,やがて見つける「生きる意味」.
「誰かに大切にされ」,「誰かを大切に出来た」時,作者は,生きてていいんだと,価値があっていいんだとようやく確信に至る.
そして読者に突きつけられる『君が生きる意味』とは?
意味のない世界,Chaosの世界に生きる意味.
誰かから与えられる「君の生きる意味」ではない.
意味付けなんてしなくても,本来そこにある「君が生きる意味」はなんだ?と.
意味は,目的は,最初からそこにある訳じゃない.
意味がない世界の中で,それでも自分で意味を引き受け,選んだ道を信じて,迷いながら進むのだ.Chaosの世界を,僕たちは生きている.
読み終えたあと,何かとてつもなく大きなものに包まれる浮遊感と,それでもここにいていいんだと言う安心感.
世界は,Chaosで,anarchyだ.でも,それがいい.
だって,最初から意味があったら,「生きる意味」なんて,与えられるだけのものになってしまうから.
人生なんて一瞬の出来事,与えられた時間は無い.
何かを探しに行こう!
Posted by ブクログ
羽田空港に行く機会があり、改造社という初めて見る本屋さんに入ってみました。
そこで表紙と小口が特徴的な装丁のこちらの本が目に付きどんな内容の本なのかくるくる回しながら(遊んでる訳ではなく表紙を見たり、裏表紙を見たり)天、地にもイラストが描かれていて素敵だなぁと結局内容は分からないまま購入しました(๑≧з≦))プッw
魚が存在しない理由は、おそらくみなさん一度は疑問に思った事がヒントになっています。変なの〜とか不思議〜で片付けていた事が解決されて感動しました。この本をきっかけに種の起源を読んでみたくなりましたが、難しそうでなかなか手が出ないです。それよりも今、星界の報告というガリレオガリレオの本が気になって気になって仕方ないんですよね☆
サイエンスと哲学、サスペンス、ミステリー、伝記の複合技で構成されていて作者はあらゆる分野の書籍を読んでいるんだろうなと感じました。
また読むかは分かりませんが、本棚に置きたくなります。
Posted by ブクログ
「自分は優れていると思っている人が危険なのではなく、自分は優れていると思いたいという願望の強い人が危険なのだ。ふくらんだ自己イメージを実証することで頭がいっぱいになってる人が、批判を受けると動揺し、発言者に対して怒りをあらわにすると思われる」
「私たちは自分の周りの世界のことを実はほとんどわかっていない。自分の足元にあるような単純なものごともちゃんと理解していると言えない。これまでの私たちは間違っていたし、これからもまた間違う」
「人は何かに名前をつけると、もう本当の姿をちゃんと見ようとしなくなる」
「カテゴリー性特異性意味障害:私たち自身の中にカテゴリー生成メカニズムと言えそうなものが備わっている可能性」
「想像のはしごの頂点に人間が居座る場所を維持し続けるために、人間と別の動物との類似点を軽んじる」
今の私に必要な本だった。
私が思う自分。なりたいと思う自分。それは本当に私の意思でそう思っているのか。生きていく中でそれが普通だと、それが優れているのだと分類「させられた」ものではないか。自分を「不適者」としてラベル付けされるかもしれないことに恐怖を感じるのは、そういう思想が自分の中にもあるということだ。優生学的思想で恐れを抱く自分が、いちばんの優生学支持者なのかもしれない。
何にも名前をつけず、フラットな目で生きていきたい。
自分はちっぽけな存在だと理解しながら、それでもなにか優れた存在になりたくて、もがいて間違えて、そうやって生きていくんだと思う。それでも自分が「正しくない」ことも、「間違う」こともあると知っているのは強いことだと思う。
この本もまた、総記なのか、歴史なのか、はたまた文学なのか。ただ読んで、そのままを受け入れればいいはずなのに、かくも人は分類したがる。
Posted by ブクログ
と~てっも、おもしろいです! 社会問題と自然科学が混然とした、一本のドキュメンタリー映画のようです。
ふだんビジネス書をお読みのかたにもおススメします! あと、スタンフォードの卒業生にもね。(笑)
ストーリーは、ミステリアス、ワクワクします。デイヴィッド・スター・ジョーダンさん(1850-1931、アメリカ)と、作者のルル・ミラーさんとの「二重らせん」構造のような展開です。
わたしは、主人公はルルさんだと思います。ルルさんはご自身のトラウマや生きにくさ、そして、アメリカ社会の闇について語られています。
ルルさんが、なぜ自分は生きているのか、どう生きていけばよいのかを探る姿に、テーマの普遍性を感じました。
最初、ルルさんは、自分とは対照的なデイヴィッドさんに親近感をもたれたようです。デイヴィッドさんは、何度も絶望的状況になろうとも前に進みます。ルルさんは、そんな風に生きるためのヒントを求め、デイヴィッドさんの自伝を調べはじめます。
デイヴィッドさんは、生物分類学者です。このため、本書のサブタイトルが「空恐ろしい生物分類の話」になったのでしょう。わたしもそのつもりで読んだのですが、生物分類とはちょっと違いました。なにしろ主人公はルルさんですし。
それでも、わたしがおもしろかたのは、やっぱり「分類学」のところ。
デイヴィッドさんが「分類学」を進めていくとき、中心となる考え方はアリストテレス時代から続く古い考え方だったようです。科学というより哲学です。
その考え方を、わたしが乱暴にまとめると「宗教(キリスト教)×人種(白人)×性(男性)」から生まれたヤバい「妄想」のように思います。
デイヴィッドさんの科学は、そんな妄想からスタートし、それに固執しています。だから、わたしには「エセ科学」のように思えるのです。
この妄想、ただの妄想だと侮れない、恐ろしいもの。
アメリカでは、この妄想を裏付けとして、ナチスよりも先に悪魔の所業が現実になりました。今も、その影は完全には消えていないようです。
最近のベストセラーに鈴木俊貴さんの『僕には鳥の言葉がわかる』があります。
わたしは未読なんです(予約中)。しかし、みなさんのレビューをちらちら拝見すると、鈴木さんは「言葉は人間だけのもの」を否定されているようです。
この「言葉は人間だけのもの」も、人間は優れた特別な存在なんだという思い込み、つまり、「妄想」のひとつだと思います。
直観的に正しいと思い込んでいることの、さらにその奥に真実は隠されているようです。
わたしも、自分でも知らずに、思い込みや妄想のなかで生きていそうですね。自分に都合がよいように世界をみてるんでしょう。
世界は自然は、必ずしも整理整頓されて、人間にとってわかりやすいものではないようです。
自分の本質を疑うことなく「エセ科学」に落ちたデイヴィッドさんは反面教師だとおもいます。
まっさきに疑うべきは自分の直感であり、自分自身だと知りました。
中佐、「とらわれるな」ですよね。
Posted by ブクログ
すごい。遠い国の、遠い時代の話とは思えない(実際には同じ地球の、100年ほど前の話である)というのが直感的な感想で、そんなお伽話を読んだあとみたいな感覚になってしまったのは、あまりに自分の知っている現実と縁がない話だったからかもしれない。内気な少年があらゆる学位を取り、「カオス」と呼ばれる災難に見舞われながらも研究に明け暮れ、学長まで登りつめる生命力のようなものに圧倒される序盤。そして、後半はそれらの出来事を可能にしていた彼の異常なまでのポジディブシンキングと、その末にたどりついた過ちに絶句する。しかも、淡々と語られるのではなく、筆者の迷いと苦悩にあふれた人生の中で、ジョーダンの所業は明らかになっていく。
作者の周囲(父や姉)や、取材した人の言動が小説のセリフかな?と思うくらい悟りきっていて、ロールプレイングゲームの登場人物に、その世界の伝説を聞かせてもらっているような、そんな壮大な入れ子構造だった。
ところで、20世紀の終わり頃にポジディブな妄想で自分を騙して自己認識を薔薇色のものへと書き換える(ストーリー編集、リフレーミング)が推奨された結果、今度はそれが暴走して人生に意味なんてないというフェーズに入りつつあるの、「歴史は繰り返す」すぎるかも。筆者は自分の人生に意味がないことについてショックを受けて、意味を見出したくてジョーダンを調べ始めたわけだけど、人生に意味を見出しすぎるから辛いという意見に納得したばかりだったので、筆者はなんというか、使命感にあふれた人だなあと思う。(p.167あたり)
けど、彼女が魚を手放して、自分をはじめとする人間が何度でもまちがいつづける(しかし幸せにもなれる)ということを見つけられてよかったと思った。
・苦しみの渦中にある人にとって、何かを収集するという行為は、甘美な慰めになる(そして一線を越えると人を破滅させる) p.29
・攻撃をする人は往々にして自己評価が高い(と思いたい願望が強い人)p.180
・「不敵者」とみなす人間の生殖機能を取り除けばいい、そうすれば「その血がそこで途絶えてくれる」として絶滅を実現させるジョーダンのアイデア、進撃の巨人すぎるがな p.226
・カオスに怯える無力な子供になりたくなかったから、まちがいを間違いと認めて再び混沌へ飛びこむことができなかった。ヒエラルキーにこだわるのは、存在に意味がなきことを恐れるから。p.257
↓
自分がタンポポであることを知り、それを喜ぶべき事実として捉えることで克服できる。p.284
・直感を信じる心地よさを真実とトレードしたがる人などいない
陰謀の話?p.308
・人は何かに名前をつけると、もう本当の姿をちゃんと見ようとしなくなる、そのことに同情する。p.317
・大人になるっていうのは、人が自分に向ける言葉をうのみにするのをやめること。p.320
Posted by ブクログ
魚の話かと思ったら、途中で「魚の話じゃないんかい!」となり、最後に「やっぱり魚の話だった!」となりました。
ところどころ作者の自伝的な描写が挟まり、展開が目まぐるしく、飽きさせない。
個人的な受け止めは生物学的なものに限らず「線」を引くことの難しさ。また自発的なアンラーニングがいかに難しいか。万人に薦められそうな良書。
Posted by ブクログ
少し重いバインダーに書類を挟むと、その資料が重要なものだと認識する。そんな逸話を読んだことがある。
故に本の装丁というものは、存外と大事なものなのだそうだ。
見事な装丁の本だ。深い藍色の紙に銀の印刷、インパクトのある表紙で美しい。Xで見かけてから心ひかれて手に取った。厚みのわりにページ数はさほどでもない。注釈と謝辞をのぞけば340ページ程度なので、本になれた人間であれば数日で読破出来る分量で、また文章も平易で読みやすい。美文ではないが親しみやすい。
さて、この本はいったいどう分類したら良いだろう。
一応Xでの紹介文では『分類学についての本』ということになっている。しかし、いざ本を開けば、分類学といえば必ずといって良いほど出てくるリンネではなく『ディヴィッド・スター・ジョーダン』の経歴が出てくる。このディヴィッドさんは、生物分類学者だ。最初はこの人の逸話をきっかけにして論が展開するのかと思ったが、いやいやそんなものではない。もちろんディヴィッド氏は科学者で、彼の歩んだ道のりは分類学の歴史に重なるが、この本の筆者はそれにとどまらない。良くも悪くも赤裸々に、俎上に上げた氏の紹介だけでなく、自分のプライバシーを思い切り開示して話が進む。
途中で私は、一体何を読んでいるのだろうかと不安になるくらいだった。
けれど一通りを読み終えて、これは現在(この本の発行は2025年3月)アメリカという国で生きているひとりの人間が抱えている不安と、それに対して戦うための意思表明でもあると読み取った。
事物を収集し、名前をつけて分類する。そうすることによって人間は世界を理解していく。けれども同時に、自分の都合の良いように世界を解釈し、時にその解釈に無理矢理世界をねじ込もうとしてしまう。その危険に警鐘を鳴らしてもいる。
この本を読む前に、『言語の本質』という本を読んだのだが、なんだか神様の采配を受けたような気がした。
分類学の本だというには、いささか語弊のある本だと思うけれど、この本は実にエキサイティングで面白い。
かつて人がやらかした過ちについて、容赦ない取材を行っているのも好ましい。ただ、少々筆者の主張が強いのでその点だけは好みが分かれるところだろうけれども、多くの人に読んでほしい一冊だ。
そして、この本で私は懐かしい本に再会した。
『自然を名づける』という本だ。この本を私は2017年に購入し読んでいる。この本でそのタイトルに再会し、世界は自分が考えるよりも狭いのだと実感した。この再会した本を近いうちに再読しようと考えている。
Posted by ブクログ
本書はなまじ詳しい人や知識のある人ほど、表紙に書かれている情報から「どんな内容かだいたい想像がつく」と思ってしまう。しかし、断言してもいいが、この本の内容は想像を超えてくる。
著者は小さい頃、科学者である父親に教えられた。「この世界に意味などない」。でも彼女は意味がほしかった。自分が存在する意味が。
やがて著者は一人の科学者に傾倒する。デヴィッド・スター・ジョーダン──魚類の分類で知られ、スタンフォード大学の初代学長でもあった。彼の不屈で自信に満ち溢れた生涯にあこがれたのである。
だが、調べていくうちに衝撃の事実を知る。ジョーダンは優生思想の布教者だった。著者は震え上がる。彼女はバイセクシュアルだからだ。優生思想の時代であれば、間違いなく断種手術を強制されていただろう。こんな人間に心酔していたなんて……。結局、ジョーダンの自信は傲慢でしかなかったのだろうか。やはり世界に意味などないのだろうか。
ところが、著者にガールフレンドができてすべてが変わる。宇宙から見ればそれは無意味かもしれないが、大切なガールフレンドという「自分にとっての意味」は何ものにも奪うことはできない。
思えば自然科学は、つねに外部に意味を求めてきた。たとえ神が存在しなくても、真理は自己の外側に客観的に存在していると教えてきた。でも著者は自分の中に意味を見出した。世界を変える必要はない。自分の見方を変えればいいのだ。ジョーダンは自分の見方に固執するあまり、世界を変えようとしたのである。その結果が優生思想だとも言える。
題名についてだが、生物学ではもはや魚という分類は存在しない。われわれはイルカやクジラが見た目こそ魚と似ていても、じつは哺乳類であることを知っている。だが、これらは例外的存在ではない。起源や体の構造を調べていくと、魚類の中にはあまりにも異なる生物が多すぎる。結局魚とは、山に生息する四本足の生き物をすべてひとまとめに「ヤマナ」と呼ぶような、非常に雑な括りでしかない。魚類の分類に生涯をかけたジョーダンに対して、これほど大きなブーメランがあるだろうか。
ジョーダンは他山の石である。自分を変えることはとても難しい。われわれは自分と異なる考え方に接すると、反射的にそれを否定してしまう。ややもするとそれは反転し、自分を正当化するために他者を批判するようになる。読書も同じである。魚が存在しないように「面白い本」も存在しない。「つまらない」と断じているとき、自分もまたつまらない人間になっているだけである。
Posted by ブクログ
分類学の話だと思ったらそうじゃなくて、デイヴィッド・スター・ジョーダンの伝記、と思ったらそうでもなくて、ジョーダン氏の生き方と著者自身の生き方が添ったり対比されたりしながら生き方を模索する、この本自体が分類の難しい本だった。読んでよかった。
Posted by ブクログ
とある機会のために読みました。こういうジャンルの作品を読むのが初めてなので、進みにくい〜。それでもアメリカ近代史のごく一部を知ることができてよかったです。ジョーダン氏については本作で初めて知りました。スタンフォード初代学長、ということでアメリカでは福沢諭吉みたいな感じで誰もが知ってる存在なのかな。なかなかのたくましさとバイタリティ、一方でダークサイドに堕ちていくところもあってドラマチックな人生だなあとしみじみ。ジョーダン氏の人生をたどりながら自分の人生を著者が見つけ出していったのでしょう。エピローグには清々しさがありました。
Posted by ブクログ
伝記と呼ぶには、自伝すぎる。科学書というには、小説すぎる。ぐんぐん読んでしまうストーリーの面白さと、この本じたいが分類という罠を巧みに避けて冒険小説や自己啓発といったジャンルを越境していく感じが挑戦的でワクワクした。美しい装丁がほしくてジャケ買い、正解。
Posted by ブクログ
タイトルで「魚が存在しない」と言われた時、私も多分に漏れずそんなわけないじゃんと思った。
しかし「分類学の中」では「魚類」というものは存在しないと言われたらそれはそうだな、と納得できる。
私が感じたこの納得感がそれなりに世間一般に広まるにはどれくらいの時間がかかったのだろうか。そしてそれはまだ学者が想定しているより一般的ではないのだろうな、とも思った。
歴史上の人物と聞くと、なんとなく完全無欠で優秀で人格者なのかなと考える。しかしいざ蓋を開けてその人を知ると、他人を陥れるために奔走していたり優生学を押していたり、どこまでも人間臭くて完全無欠とは程遠い所にいるのだなとわかる。
デイヴィッド・スター・ジョーダンや著者であるルル・ミラーの人生を通して、自分の欠けている部分や良くない部分を見つめ直した気分になった。
またいつか当たり前の常識が覆される時がきっと来るだろう。その時、寛容に公正にその事実を受け入れられる心を持っていたいなと思った。
Posted by ブクログ
生物分類学と進化論に関するポピュラーサイエンス本のつもりで読んでいたら、生きることの意味、新しく何かを知ることの不可逆性を考える文学作品だった。
まず、「分類」という行為が人間の思い込みに左右されていて、またその思い込みが世界の見え方を固定してしまうと感じた。
分類学はカオスとの闘いであり、連続的な自然界に便宜上の恣意的な境界線を引き、名前をつけて世界を理解しようとする取り組みだった。
デイヴィッド・スター・ジョーダンは、自身の宗教的・倫理的価値観に添うような秩序を自然界に見出そうとし、ダーウィンの進化論だけでなく優生思想も無批判に受け入れ、一面的な価値基準で人間に序列をつけて種の複雑さや揺らぎを排除しようとしてしまった。執念深く秩序を追い求める姿勢は、カオスにのまれて自分のやってきたことが水泡に帰し、自分の生きている意味を見失ってしまうことに対する防御機制だったと言える。
一方、著者がデイヴィッドと重ねて見ていた父親は、人生の無意味さとカオスを受け入れることで、自分なりの倫理観を持つ自由を得ていた。
デイヴィッドの半生を追い、著者自身や父親についても語りながら、デイヴィッドの死後に分岐学が明らかにした「魚類は存在しない」という学説に辿り着く。デイヴィッドが何よりも分類と秩序を求めた対象が科学的に無意味で恣意的な概念だった、というのは皮肉というか、残酷にも思えた。
もう一つ、学びにはそのトレードオフとして今までの自分の価値観を破壊も生じる、という視点を得た。
進化、優生学、心理療法とか物語・認知科学あたりを深掘りしていきたい。
Posted by ブクログ
スタンフォード初代学長にして、優性思想を推進した魚類の分類学者デイヴィッド・スター・ジョーダンの伝記と、筆者の人生を絡めた話。
アメリカという国は偉大な人物と、禁酒法や優生保護法などの極端に振れる政策を生み出す国なのだな、と思う。
トランプの国、アメリカ。
アガシを生んだアメリカとダーウィンを生んだイギリスに思いをはせさせる本。
Posted by ブクログ
著者のルル・ミラーは科学系のジャーナリストだそうだ。生化学者の父はかつてルルに「人生には意味はない。自分の存在になんの意味もない」と言った。大人になっても、自分とは何者なのか悩み続ける彼女は19世紀に生涯をかけて魚類の分類という大仕事をした科学者デイヴィッド・スター・ジョーダンの研究を始める。ここからはジョーダンの伝記のようだ。度重なる震災で膨大なコレクションが破壊されてもめげずにやり直す楽天的な逞しさ。それはどこから来るのか。しかしジョーダンの生涯には怪しい殺人の影、優生学奨励による非人道的主張などがまとわりつく。ジョーダンが生涯を賭して整理した魚類の分類だが、現在の科学は分岐学が主流となり魚類というものは存在しないことを知らされる。日常生活では「魚」「魚類」とは言うが、学術界ではそういう種は存在しないそうだ。そうした真実を見つけていくなかで、ルルも自分の人生を手に入れていくというドキュメンタリーだ。
何より魚類は存在しないということに驚いた。わかりにくいので例を挙げると、ハイギョには肺があるが鮭には肺がない。更にハイギョと牛には喉頭蓋がある。ハイギョは鮭よりも牛に近いのだそうだ。外見が何となく似てるから全部魚と括ってしまう分類学がもはや時代遅れなのだそうだ。そんな事実によりジョーダンの分類学が崩れ落ちていくのをルルはブラックな調子で書いている。
そして、人生にも自分にも意味がないのではなく、ある一面から見たら意味がなくても他の方向から見たら様々な違う意味が見えてくると考える。世の中に絶対はない。
なぜ、私たちは自然界に線を引きたがるのか。分類という名のグループ分け、明確な根拠のない優劣をつけた優生学などは無意味であり、危ないものなのだ。
何が正しいという話ではない。グループ分けや優劣をつけたがる社会に疲れたら読んでみよう。その意味でこの本もどんなジャンルなのか分からないタイプの読み物だ。
Posted by ブクログ
魚類に関する科学的な新しい発見みたいなのを紹介する本かと思いきや、色々と裏切られたとても面白い本。
ストーリーの主人公と言えるスタンフォード大学の初代学長のデイヴィットジョーダンの光と闇についてや、著者の喪失からの回復、アメリカでつい最近まで行われていた優生思想による恐ろしい手術など思いがけない話ばかりだった
Posted by ブクログ
科学者として優秀だが、別の側面を持つ人物テビヴィット・スター・ジョーダンの生涯を追っていく。
その中で、筆者は何を見たのか。
その見つけたものを自分に当てはめた時、何が起きるのか。
難しい内容かも知れませんが、読んでみて欲しい作品です。
Posted by ブクログ
生物分類の学術発展をうまく切り取って(そしてある意味で読みやすく)語った著作。対象とするテーマは生物学や遺伝学、それをめぐる歴史といったあたりだが、メッセージ性としては科学哲学といったあたりも含んでいる。
本書に散りばめられたメッセージ、特に生物分類学とは別のところの「人間に意味などない」「いや、むしろある」議論であったり、信念・行動に意味があると信じて疑わない姿勢の危うさなどのメッセージは読み手ごとに受け取り方が変わりうると思う。
個人的には、著者のような経験を通じなくても、ここ数年はSNS等で「自分が全てを知っているように信じる」人を傍目で見る機会が多いように感じるため、若干の今更感を感じた部分もある。
アカデミアの先陣を切り啓く活躍をするには、そういう(時には行きすぎた)信念の強さも必要なのかも、とも感じた。そうでなければ著者のように、友情なり、愛なり、身近な人間との関係によって信念を形成して、それを守れば足りるのかなと。
学術における「魚類」などの名付けについても、著者は「名付けには消極的であるべきで、名付けた概念がミスリードすることもある」というような視点で語っているが、その意味では「分類」という営み自体が無意味で、分類しきれない特徴を捨象することになってしまうようにも感じた。分類で適度に抽象化される概念もあって然るべきで(当然「抽象化した」事実は認めた上で)、ある程度のグルーピング起点でぐっと学問が進むところもあるので、まるっと賛同もしきれないところがある。
科学的な研究に本腰を入れて取り組んだ経験があると、感想が変わりそう。(学術は疑いからできている、とかは割と当たり前の世界で、それ故の成果を出すことのむつかしさに日々直面しているだろうと思われるため)
Posted by ブクログ
装丁が綺麗すぎて読んでみた。
哲学っぽいというか私にとっては少し難しめに感じたけど、最後まで読めた。
一度名前をつけてしまうと本当の姿を見ようとしなくなる、というのはわかる気がする。
たしかに魚ってめっちゃ複雑だ、、と実感した
ダーヴィンの「種の起源」が読みたくなった!
Posted by ブクログ
生涯をかけて魚類を分類した科学者デイヴィッドスタージョーダンの半生を描きながら著者の人生について語られている。約2500種以上の魚に彼の名前が冠されておりその影響力は計り知れない。火災や地震で世界各地から集めた魚の標本が砕けても心折れずに収集活動を継続するのは科学者として立派だなと思う反面、スタンフォード大学で独裁政権のごとく権力を振り撒いり優生学に傾倒することで人として劣っていると判断した者への去勢推奨したりと負の面も描かれている。
最後魚って存在せず彼の行動もある意味無駄だっのではと書かれているが直感的にはやはり理解しづらい。魚という分類だけだと説明つかないことはまあ理解できるんだけどでも魚じゃんってなる。分類学難しい。人間の直感なんて当てにならないのかな、そもそも線引きすること自体がナンセンスなのかも。
Posted by ブクログ
生物学者、デイビッド・スター・ジョーダンの人生史を紐解きながら、作者の人生、そして「分類」というものの危うさについて叙情的に綴る一本。
変な本ーー!(素直な感想)
ポピュラーサイエンスと思って読み始めたら結構肩透かしを食らう。中心的に語られるのはジョーダンのヒストリーであり、生物学者から優生思想が強まっていき、さらにスタンフォード大学の初期の政治的なゴタゴタした内容まで、サイエンスというよりもどこか事実は小説より奇なり、みたいな話がメインだった。
「魚が存在しない理由」については最終章に軽く触れるのみであるものの、「魚が存在しないこと」から遡って、ジョーダンの功罪を鑑み、そして我々の視点までも揺さぶってくるパワーはあったと思う。
思ってたのとは違うものの、美しい文体のいい読み物でした。表紙が大変美しいしね!
Posted by ブクログ
ジャケ買い。本としては読みやすい。
1人の分類学者の軌跡を辿りながら、自分の生きる意味を探す筆者のエッセイ的な本。
途中、サスペンス的推理の要素や痛烈な優生学批判が暫く続き、何が言いたい本なのかと疑問が生じたものの、最終的には、固定観念に囚われ何かを信じて疑わないことの危険性や、世界・物の見方が一通りでは無いことがメッセージであると理解できた。
Posted by ブクログ
スタンフォード大学初代学長を務めた魚類学者デイヴィッド・スター・ジョーダンという人物の評伝として、また優生学やらLGBTやらの「分類」を巡るノンフィクション/エッセーとしては面白い。けれども、これは書店の「生物学」の棚に置いておくべき本か? とは思った。
Posted by ブクログ
表紙から想像されるストーリーとは全然違うと感じたが、生物分類学というのがどういう仕事をしているのかや、新種の発見に人生を捧げた人の一生を垣間見ることができた。
印象に残っていることは、GRIT(辛抱強さ)という言葉で、新種を集めた標本が自然災害で無に帰すという、十数年の成果が無かったことになったとしても、復旧や活動再開をしていく人間強さに心をうたれた。
途中では、人種差別の話があり、「不適者」には不妊治療を強制させて、劣勢の遺伝子を根絶する考え方は反吐が出る思いで読んだ。人間は誰しも生きる意味があり、大事な存在だということを心に刻みたい。
あれ、魚の話は?と思ったら、最後の方に、ダーウィン説の進化の近縁性に沿って整理すると、魚は牛とか他の動物にそれぞれ似ている特徴があるため、便宜的に「魚類」を使っているが、分類学上には「魚類」は存在しないとのこと。
信じられないし、理解し難い。とはいえ、魚という言葉がなくなったら、漁師や水族館はどのように表現されるのかについて想像が膨らんだ。
分類の定義(視点)によって、直感に反する出来事が起こることは面白いと感じた。
Posted by ブクログ
装飾に一目惚れして即買いしました。
物語本だと思っていたけどエッセイに近いのかな?
思ってたのとは違ったけれど、魚が存在しない理由にはへぇとなりました。
Posted by ブクログ
読みやすくデイヴィッド・スター・ジョーダンを通して分類学に関する知識が増えたような気がする。
可もなく不可もなく…境遇的に当てはまる人にはとても刺さるのかな。
読みやすいし面白いので気になっているのなら読んでみると良いと思う。
Posted by ブクログ
美しい装丁と気になりすぎるタイトルに惹かれ読んでみたが、これは受け入れるのに時間が掛かりそう...
科学的であるとはどういうことか、今一度考えさせられた本だった。
Posted by ブクログ
装丁が目立って美しく、どの書店でも平積みされていたため手にとった。デイヴィッド・スター・ジョーダンという博物学者を追うエッセイである。「科学への深い執着、殺人の影、分類することへの限りない欲望。すべてが混ざり合う、目が離せない知的冒険の記録」という宣伝文句が裏表紙に印刷されており、期待が高まった。
ジョーダンの伝記ではなく、科学ジャーナリストのルル・ミラー氏のエッセイである。ジョーダンについて紹介はされるが、彼の人生を追うようになったきっかけ、価値観や生き方に触れて思ったことなどが主である。ひらたくいうと、ジョーダンの人生をなぞる中で、最終的には魚は種として存在しないことを知って衝撃を受け、筆者のものの見方に変化があり、失意にあったが立ち直ったという内容である。
魚が種として存在しないというのが、コペルニクス的な話題として出されている点に驚いた。「ヤギと人間が異なるように、サケとシーラカンスは違う」といわれて、こんなに衝撃を受ける人がいるとは思わなかった。アメリカではすんなり受け入れられないことらしい(本書ではそういうことになっているが本当だろうか)。イルカもクジラも哺乳類だが海で生きているし、コウモリは空を飛べるが鳥ではないのだから、「サケとシーラカンスは別の生きものであり、もはや魚類というカテゴリーはないのだ」といわれても、自分の無知を思いこそすれ受け入れることに困難は感じない。鱗があって海や川に住むいきものを魚として定義したとしても日常用語として問題も感じないし、学術的にもいくつか分類の方法があるのだろうから、「そういうものか」で済む。
かつて人間が魚を分類したが、その分け方は誤っていた。人は何かに名前をつけると、本当の姿を見ようとしなくなる。かつてジョーダンが信奉した人間を価値ある者とそうでない者に分ける優性思想にも間違いはあるのだ、すべてが分からないのだと、世界を見る新たな智慧を得たように晴ればれとする筆者に読者としてぽかんとするばかりであった。
世界の見方が変わるような読書体験では全くなかったが、筆者やジョーダンをとおして「人間至上のヒエラルキー」に基づき、考え、行動する人のことが少しわかった気がした。筆者は魚の認知能力の高さを引き合いに出し、魚を食べない方がいいという主張にさえ賛意を示している。人間に近いものは食べないのだろうか。牛や豚はいいのだろうか。植物に意識と呼べるものがあったら、どうするのだろうか。文意としては、「人間」よりも「ヒト」と訳した方がいいのではというところも「人間」で貫かれていて、あえてのこの訳なのであれば、この訳者は達人だなと思った。
おそらく筆者はジョーダンの分類、すなわち序列を明らかにするための分類を無意識に刷り込まれてしまったあげく、自身を「劣等」としてカテゴライズしていたために生きづらかったのだろうと思う。魚類不在を知って、少しその世界から離れられたように本人は感じているようだが、はたから見るとそうでもなさそうに見えて心配になる。ルル・ミラー氏に幸あれかし。