あらすじ
世界は不完全で残酷。
だからせめて、悲しみとうまく付き合おう――
〈メランコリー〉には、現代社会を生き抜くヒントが満ちている。
哲学者アラン・ド・ボトンが、歴史、アート、宇宙、建築、旅……など35のテーマから探るその効能とは?
幸せの押し付けに疲れたすべての人へ送る、深い悲しみに対するなぐさめの書。
「メランコリー」と聞いて、どのような心の状態を思い浮かべるでしょうか。憂鬱、もの悲しさ、気分の落ち込み、ふさぎ込み、哀愁……。これらは誰もが抱く感情でありながら、目まぐるしい現代社会においては重要でないもの、あるいは治療の対象とされ、その効能は見落とされてきました。しかし著者は「メランコリー」こそが、不完全な世界や思い通りにいかない自分の人生とうまく向き合い、よりよく生きるための最善の方法であると言います。
本書では、哲学、歴史、アート、宇宙、性愛、旅、建築、宗教など多様な35のテーマから、「メランコリー」に生きるヒントやその効能をひもときます。
・人がたくさん集まるパーティーに出かけるよりも、しんとした宇宙や、いろんな国がたどってきた歴史のことを考えるのが好き。
・ここではないどこかへ行きたいと願いながら、いざ美しい風景を目にすると途端に物悲しさがおそってくる。
・毎日やるべきことをいっぱいにして自分を追い立てながら、日曜の夜に「自分にはもっと向いている仕事があるはずなのに」と考え込んでしまう。
・弱っているとき、自分のなかの「内なる批評家」が人生のあらゆることにけちをつけ、不安を煽ってくる。
ひとつでも共感できることがあれば、ぜひ本書を手にとってみてください。
本書の原書は、著者アラン・ド・ボトンも主宰のひとりであり、ウェルビーイングに関する教育・出版活動を行う「ザ・スクール・オブ・ライフ」から刊行されました。
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Posted by ブクログ
人生何度目かの「落ち込みマックス」の時期に出逢って,マックス過ぎて読めなくて,「積ん読」になってたのを,「それほどでもない,っていうか,状況が悪いにも拘わらずまぁまぁ」な今になってようやく読んでみた.
で,読み始めてすぐ思ったのが,「え?ネクラ?ネクラのな!?」っていうのと,「何?メランコリーって,落ち込みとかじゃなくてネガティブ思考?」ってこと.
3分の1ぐらい読んでも「え?ネクラ?」って笑.
でも,「天文学とメランコリー」あたりから,「まぁそうだよなー.いわれてみれば・・・いわれなくったってそうだよね」ってなって,「セックスとメランコリー」から「50歳とメランコリー」までの中盤で一気に「これだ!これだよ!そうそう!」に変わった.
特に「50歳のメランコリー」の辛辣さと率直さは,もう笑うしかない,まいったね笑.
もうさ,ダメなのよ.何をやっても自分自身が「気持ち悪い」んだもの,最近.
衰えをカバーするための筋トレも,フィットネスも,息子から奨められたスキンケアや頭皮のケアも,そうやって「対策」しているのが既に虫酸が走るほど姑息で気持ち悪くて,どうにも身が入らないの.
純粋に健康でありたい,とか,個人の美学として筋肉質であり続けたい,動けて,走れて,泳げる体を維持したい,って思ってるだけなのに,つい「他人目線なもう一人の自分」が割り込んできて,
「若作りしてんじゃねーよ,ジジー」とか,
「今更鍛えて何を意識してんの?気持ち悪いんだよエロジジー」って非難してくるのよ・・・マジで.
人を好きになるなんたぁもってのほか!そんな感情なんか持ったら,後ろから撃たれかねないもんね?
いやぁ「恋愛禁止」されるなんて世界中で,女性アイドルとおじさんぐらいですよ!
つまりは,世間の目が怖いのですよ,50代.
そう言うの,短い文章の中から溢れ出してきちゃって,苦笑が止まらない感じ.
そして,ますますメランコリーになってしまう,と言う・・・笑.
でも,それがそんなに不快じゃなくて,「まぁまぁ,そんなもの.人生なんてそんなもの」っていい感じの叡聖感につつまれて・・・あ,オレ,じーさんなんだ,って.
人間,半分卒業ですから笑.
じゃ,だからもうやらないか?っていうと,そうじゃなくて.世間を代表して責めてくる自分に対して,「人の目を気にしても仕方ないさ,あいつの愚痴や中傷も聞き飽きた」ってなったよ.
やっぱり,「抗いたかったら,抗う.ただし,現実を受け止める文脈で」でいいんじゃないかと.
「政治的意見とメランコリー」にははっとさせられると同時に,現実社会を振り返った時にゾッとしすぎてメランコリーマックスになってしまった.
本書では,保守とリベラルはおおむね「ロマンチスト派」(リベラル)と「メランコリー派」(保守)と位置づけられていると思うのだけど,現実の世界では今,保守を掲げる人たちが「ロマンチックに国家主義,排外主義を隠そうともせず」語り,リベラルとされる人たちが必死に「穏当で現状維持,ゆっくり変化」を訴えるという,あからさまな逆転現象.
本来保守派とは,メランコリックに穏当に「みんなで」進んでいくはずなのに,「保守」を掲げる人たちが「急進的に」かつ「個の自由」を制限する方向に爆走している恐ろしさ.
保守とは名ばかりで,「懐古趣味のパラノイア」が跋扈する時代・・・本当に気持ちが悪い.
50代の僕の筋トレよりずっと気持ち悪い.
ロマンチスト派にもメランコリー派にもどっちにもいいところがあって,これがきちんと折り合い付けて進んでいけば,それが一番理想なんだけど,足の引っ張り合いとぶっ叩き合いが延々と続いてて・・・まぁ,残念至極.
そんな残念感を抱えたままたどり着いた最後の章が「園芸とメランコリー」で・・・
「え,〆が園芸?」と思って読んだけど,内容はヴォルテールについて.
これこそ〆にふさわしくて,イスラムの庭園に見える穏当なイスラムの思想は,根底で緩やかに,マルクスの描いた人類の行き着く先だという「ミニマムな自給自足共同体」の地平に繋がる.
足下を見つめて,自ら自分の畑を耕す生活.「足るを知る」生き方.
西側諸国のムスリムに対するステレオタイプとは根本から異なる「穏やかな宗教観」で締めくくられる本書は,全面的にフェアな良書,だと思った.