【感想・ネタバレ】オブ・ザ・ベースボールのレビュー

あらすじ

「道化師の蝶」で第146回芥川賞を受賞した円城塔氏のデビュー作が登場。ほぼ一年に一度、控えめに見ても百人を下ることのない人間が空から降ってくる町、ファウルズ。単調で退屈な、この小さな町に流れ着き、ユニフォームとバットを身につけ、落ちて来る人を「打ち返す」レスキューチームの一員になった男の物語。奇想天外にして自由自在な文学空間。表題作は文學界新人賞受賞。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

【オブ・ザ・ベースボール】
なんだかこの話は終盤物哀しい。
人が降ってくる町では、バットでそれを打ち返すという勤めを果たした人は未だいなかった。
それを成し遂げた初めての人である主人公に、なぜか役場も酒場の友人も温かみがない。
主人公は退職させられ、町を出ていく。落下した老人の所有していた手帳と写真を持って。

その写真は主人公に似ている。主人公が人生の先、老人となる途中のようなの顔。
そして手帳についてはこう述べられている。
「ノートに何が書かれているかなんてことは確認するまでもなく、書き上げてもいないのに勝手に描き上げられた俺のノートに決まっている。手間が省けたと喜ぶべきなのか今の俺には判断がつかない。落下して拾われて、また落下することを強要されているのだろうこのノートは、俺が書き写さない限りは、いつかぼろぼろになって消え果ててしまうだろう。 ( 91p)」

所有していたのは落下した老人出会ったにもかかわらず、主人公は「俺のノート」と言っている。しかも「書き上げてもいないのに勝手に描き上げられた」とも述べている。

ということは、写真は主人公がこれから中年期になったときの姿。手帳の勝手に描き上げられた部分は、主人公が町を出た後に書き上げる部分。つまり、この落下した老人は主人公の未来の姿であり、この主人公は自分で未来の自分を打ち返したのだ。

そして、落下した老人が主人公の将来の姿であることはこの記述にも暗示されている。
「 墜落が俺の身にふりかかるその瞬間を迎えても、(98p)」
「 努力次第によって俺は墜落の運命を避けられるかもしれないが、俺の直感はその見込みを否定している。 99p)」

いつか自分が年老いて、空から落下し、若かりし頃の自分に打ち返され、しかしそれはファウルとなり、臨終を迎える。それを予見しながら主人公は町を出る。
そして、いつか自分が年老いて、空から落下し、若かりし頃の自分に打ち返され、しかしそれはファウルとなり、臨終を迎えるまでの人生を、手帳に記しながら生きるのだ。

もしやこれは、物理学の研究室を去るときの円城塔氏本人の心情だろうか。
この話は終盤物哀しいので、一瞬その考えがよぎってしまった。

しかし、そうであっても、なくても、この物語に心惹かれることは言うまでもない。
「オールライト。カモン」


【つぎの著者につづく】
単純ではない。起承転結は様々な引用に埋め尽くされ、装飾され、どこが本筋なのか翻弄されてしまう。
それでも、R氏についての資料を求める主人公よろしく次々と現れる引用と引用の重なりあいをくぐり抜けていくうちに、円城氏の博識ぶりが作り出す世界の虜になる。

「わかりにくい」のなにが悪い。

これくらいゆすぶりをかけてくれる作品があってもいいじゃないか。


円城塔作品が分からなくて、分からないままのほうが楽しい人は、ここから先は読まないほうがいいかもしれません。
といっても、私の解釈はおもいっきり間違っているかもしれないので、ネタバレになったところでどうってこと無いかも知れませんが。

結論から行くと、私なりの解釈は以下のとおりです。
古書店の店主こそがR氏である。あるいは店主はR氏について知っている。
主人公は知らずしてR氏から「次の著者」として選ばれていて、故に、その文章は意図せずしてR氏と非常に似たものとなる。
そして主人公はそれを知らされるべく、R氏との類似性を指摘した雑誌の記事や、プラハの古書店に引き寄せられる。
主人公が全てを悟ったとき、役割を終えたR氏の魂はついに迷妄の淵へ転落する、つまり生涯を終える。もしくは、すでにR氏は死亡しているが、主人公がすべてを悟ったことでR氏への探求は終わる。

●R氏と古書店の店主が同一人物である、あるいは店主はR氏について知っていると考えられる理由

1)グスタフ・フォン・アッシェンバッハは小説「ヴェネツィアに死す」では文人(作家)であったが、映画化の際は作曲家とされている。しかし、職業の設定が違うだけで同じ人物が描かれている。「つぎの著者につづく」(以下本書とする)のなかで文人としてのグスタフ・フォン・アッシェンバッハと作曲としてのグスタフ・フォン・アッシェンバッハに言及することで、R氏と古書店の店主が同一人物であること、又は店主はR氏について知っていることを暗示していないか。

2)「リチャード・ジェイムスの名は、と崩れかけた店主の輪郭をなす本の山は囁きかけて、これもまたもう一人のフォン・アッシェンバッハと同じく、作曲家の名前でもあるのだと、床に落ちてページを開いたもう一人のR氏の伝記の反響が告げる。」(175p)

ここでも、フォン・アッシェンバッハが原作では文人(作家)、映画では作曲家として書かれているのと同じように、リチャード・ジェイムス(R氏)は作家であり、古書店の店主であることを暗示している。又は店主はR氏について知っていることを暗示していないか。

さらに、「崩れかけた店主の輪郭をなす本の山」と「床に落ちてページを開いたもう一人のR氏の伝記」の二つがリチャード・ジェイムス(R氏)について言及していることは、リチャード・ジェイムス(R氏)が作家であり、古書店の店主であること、又は店主はR氏について知っていることを暗示していないか。

3)「今や店主の輪郭はジュゼッペ・アルチンボルドの描く司書の姿に倣った、R氏の生涯を記した本の山へと置き換えられたように映っており(167p)」
店主がR氏の生涯を記した本の山に置き換えられるとは、店主=R氏を暗示しているかのように思える。
また、店主がR氏の司書であるかのように、R氏の生涯について書いた本を所有している、もしくは内容や所在を知っている。とも解釈できるかもしれない。

●主人公はR氏から「次の著者」として選ばれていると考えられる理由

1)古代エジプトで、言語の発生についての実験のために人から隔離された二人の嬰児が同じ言葉を発した事に関する言及は、R氏についての探求と古書店の店主の依頼が一人の主人公につながる、つまり主人公がR氏の後継者とされていたことを暗示していないか。

2)175p「偶然的に二つの口から発せられたまったく同じ一つの単語が次の言葉を指定して、並び置かれた二つの単語は合議の末に、次の単語を指定していく。」
この「二つの口」がR氏と古書店の店主であり、「まったく同じ一つの単語が次の言葉を指定して」とは、つまりそれぞれに主人公を指定していた、との意味ではないか。

ただ、「一つの単語が次を生み出し二つを定め、三つ四つと続く過程を眺め続けて、最初と最後を繋いだ一本道があらかじめそこに存在して私を待ち構えていたと考えるのは間違っている。 」とあるので、この部分を考えると、二つの考えが浮かぶ。1.主人公はR氏の選んだ後継者ではない 2.主人公はR氏の選んだ後継者ではあるが、直接に主人公につながるのではなく他の著者を経由しているのではないか。

さらに、「鞍を乗り継ぐ二つの本は右と左へ別れて落ちて、それぞれにまた選択を繰り返しては、果てへと向けて拡散していく。」とあるので、主人公はR氏の選んだ後継者ではあるが、さらに他の著者へ受け継がれるのではないか、とも考えられる。

3)「今や店主の輪郭はジュゼッペ・アルチンボルドの描く司書の姿に倣った、R氏の生涯を記した本の山へと置き換えられたように映っており、私もまたジュゼッペ老の手になった木偶のようにして立ち尽くし(167p)」
「ピノキオ」に主人公をなぞらえ、それを作ったジュゼッペ老にR氏をなぞらえている。
これは、主人公はR氏によって後継者とされたことを暗示していないか。
さらに画家のジュゼッペ・アルチンボルドの名を絡めることによって強調している。

●比喩として「箱の中の甲虫」
主人公が甲虫の入った箱に「つぎの著者につづく」とあるのを見つけ、その箱を開いて甲虫を出ていかせる。箱の中を出た甲虫は、答えを見つけ「ここから自同的に芽吹き繁茂していく文字列をまた、綴り始める。(179P)」主人公の比喩ではないか。
それは「遅々として進まぬ虫の歩みが、相互に指示を目配せしあう石の網目の織りなす鞍に甲虫を載せるのを見届けて、そして私はおもむろに、この独り語りをせめてもの文章として画定すべく(178p)」という表現も同様に思える。

●甲虫の模様
これには意味があるのだろうか?もし分かる人が入れば教えてほしい。
「私は変動に見舞われて身震いする頭蓋の中へ転げていく。(176p)」
「一匹の頭蓋骨めいた紋様を持つ甲虫が蠢いている。(176p)」
「ただ甲殻にプリントされた黒い二つの円型をこちらへむける虫がいるだけである。(177p)」

以降、つぎのレビュワーにつづく

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2012年05月08日

Posted by ブクログ

ネタバレ

ほぼ一年に一度、空から人が降ってくる町、ファウルズ。
単調で退屈な、この小さな町に流れ着き、ユニフォームとバットを身につけレスキュー・チームの一員となった男の物語。
奇想天外にして自由自在、文學界新人賞受賞の表題作に、知の迷宮をさまようメタフィクション小説「つぎの著者につづく」を併録。

円城塔氏のデビュー作と言われているオブ・ザ・ベースボール。
年に一度不定期に人が降ってくる。

結成されたレスキューチームは支給されたユニフォームとバットを持ち落下者を打ち返す。

設定が面白い。打ち返すのかい!的な。
走り込みと素振りを欠かさず行い、子供や老人に愛される。
退屈な街ファウルズのヒーロー的な要素も持つ。
パラドックスな要素もあってなかなか面白かった。

間間に学者が現れてはこの現象についての研究の成果を語る。
どんな学問でも解明できない年に一度の人の落下。
未だに打ち返した人は居なかったけれど、レスキューチームの一員であり語り手でもある人物が打ち返す時が来る。そんなお話でした。

併録されているつぎの著者につづくはやはり円城塔氏ならではの難解な小説でした。
語り手の小説家が批判家に小説家R氏の作品と酷似しているという話から始まる話。
R氏は生前は作品を一切出しておらず。死後草稿が発見されて発表されているらしい。加えて生前の情報が無い人だそうな。

通して読んでみて、正直難解さと回りくどさを感じました。
解説を読んでそういう解釈なのかと理解をしたりしなかったり。
僕にとってそんな作品でした。

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2012年08月25日

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