あらすじ
かつては名うての博徒、今や寂れた蕎麦屋の銀平。最期に挑むは自らの生を賭した大博奕。人生の黄昏に涙する、時代小説の新たな傑作!
文庫シリーズ『落としの左平次』も大好評の著者、第26回大藪春彦賞受賞作!
たとえ落ちぶれようと、塵芥のように死んだとしても、一生懸命に生きたという事実は変わらない。ちっぽけな存在でも、誰かのために命を燃やすことができる。ひとりの男の生涯を通じて、作者は人間の生きる意味を謳い上げているのである。
細谷正充(書評家)――本書解説より
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また素晴らしい一冊に出会えました。本書は単なる江戸の人情噺ではありません。訳あり蕎麦屋老店主の、孤独で不器用かつ執拗で頑なな生き方を通して、人間の業の深さを描ききっています。感情を排して客観視した筆致は、燻し銀のような味わいで長い余韻を残し、読後暫し呆然としてしまいました。
江戸の片隅で寂れた蕎麦屋をし、欲もなく生きる齢六十の銀平。博奕の名人ながら蕎麦屋になるまでの波乱に富んだ前半生と、死期を悟り命の価値と向き合う銀平の日常と心情が、著者の冷徹な眼差しで綴られます。余命をどう生きるかではなく、どう死ぬかを問われているように感じました。
命懸けの博奕の大勝負描写の緊迫感も素晴らしいのですが、やはり人生の皮肉な巡り合わせがやるせなく切ないです。会話の間や描写の余白に、人の愚かさ、誠実さ、不条理と少しの希望など、核心となる暗示が多く隠れている気がしてなりません。傑作と言える作品だと感じました。
松下隆一さん初読で、偶然にも『トリカゴ』に続き、大藪春彦賞受賞作品を読むことになりました。脚本家出身の良さが遺憾なく発揮されていました。
【侠】 と書いて「きゃん」。「おきゃん」の方がお馴染みです。任侠や侠気だと男性、おきゃんだと活発で粋な言動の女性イメージですね。にんべんに一本筋を通し、人・人・人で「俠」…奥が深いですね。
ただ本作に限り、【侠】 と書いて「きょう」と読ませてほしかった、と思うのは私だけでしょうか。
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松下隆一『侠』講談社文庫。
第26回大藪春彦賞受賞作。
『羅城門に啼く』が面白かったので、本作も読んでみることにした。
読んでみれば、感動の人情博奕時代小説であった。後半に描かれる銀平が三十年ぶりかで博奕を打つシーンにはハラハラした。沢木耕太郎の小説に『波の音が消えるまで』という傑作があるが、あのバカラ賭博のシーンが蘇るかのようだった。
人間というのは様々な過去を背負いながら、やっと生きるちっぽけな存在だ。そんなちっぽけな存在でも、何事にも素直に真っ直ぐに生きていれば、何かしら良いことが起きるのかも知れない。そんな前向きな気持ちにさせてくれる非常に良い作品だった。
幼少期に苦難を味わい、本所一帯の普請場に人足を手配する親分の忠兵衛に拾われた銀平は親分の元で名うての博徒となる。親分が亡くなる際の言葉を守り、銀平は博徒から足を洗って蕎麦屋になるが六十歳になると病を患い、人生の黄昏時を迎えていた。
寂れた銀平の蕎麦屋には桜の下で死ぬことを願う乞食のような坊さん、同心の元で小間使いをする勘次、夜鷹のおケイ、物乞いの親子など様々な人びとが訪れるが、その人びとに応じて心を尽くしたもてなしをする。
そんな銀平の蕎麦屋に三十年前に別れた元女房のおようが訪れる。
さらには賭場でテラ銭を盗み、逃げて来た清太という若者を銀平が助けたところ、清太は店に居つき、銀平の蕎麦屋を手伝い始める。これまで二十杯分しか仕込まなかった蕎麦を清太の助けで五十杯も売るようになり、店は客で賑わいをみせた。
しかし、清太は店の売上と銀平の着物を持って出奔してしまう。全てを失った銀平は……
本体価格700円
★★★★★
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時代小説を読むとき、この人は藤沢周平の後継者に相応しいか、という想いを勝手に抱きながらいつも読んでいる。藤沢周平亡き後30年、その想いに叶った作家は未だ1人も出ていない。
もはやそれは、この銀平のように、吐血して余命いくばくも無いと悟った心境に似ている。もうこのまま「屁」のようにつまんない願いを持ち続けるのは止めにしようとは思うのではあるが、銀平は調子が良くなると、もと女房とよりを戻したいとか、昔の自分に似ている清太と暮らしたいとか、何度も思うのだ。変な期待を抱いてまた新人の時代小説を読んで仕舞う。そしてその度に、読み終わってしまえば
⸺何か違う
と、諦めるのであった。
銀平も、そう思った途端に、2人とも失って仕舞う。
時代小説は、ファンタジー小説に少し似ている。描きたいのは「現代」なのである。その手段として、江戸時代を舞台にする。究極の貧困や生い立ち、人の生き死にをかけた究極の選択が描かれる。現代小説ならばウソ話に思える筋立てを、時代小説ならばリアルに描くことができる。
大飢饉と流行病の末に負の連鎖に陥り、ヤクザな世界に入って、なんとかそれを抜け出して細々と人ひとり生き抜くだけの蕎麦屋をやっていたが、遂に不治の病にかかったと自覚している60歳の男など、こんな絵に描いたような不幸は現在ではわざとらしい。でも、似たような男はいるかもしれない。思えば、藤沢周平はそこまで「世の中全体が酷い」江戸時代は描かなかった。悪いのは大抵、身持ちを崩した男の小根だけだったのである。そういう意味では、「侠」は令和の小説なのだろう。
本と珈琲さんのレビューで、もしかしたらこの人第二の藤沢周平になるかも‥‥と思い紐解いた。でもやはり違う。江戸の下町の景色が浮かんでこない。四季がわからない。台詞が多い。
⸺無いものねだりなのはわかっている。
銀平の父親が言ったように「屁」のようなものだ。「音や匂いがしようが、瞬きする間に終わっちまう。人さまに嫌われても好かれることはねえ」くだらねえ願いよ。
そんなこととはまるきり関係ないけど、何処にも書いてないし、違うかもしれないけど、私は銀平が罹っているのは不治の病などではなくて、単なる深刻な胃潰瘍だと思う。で無いと、吐血してから2年近く生きているのが説明つかない。だとしたら、希望はある。
おハナちゃんは言う。
「屁を放ると気持ちがいいんだよ」
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また、凄い小説家に出会ってしまった。元々、映画作りに携わっていて、「雲霧仁左衛門」の脚本を書いた人、とのことだから、全くの門外漢ではないにしろ、緊張感のあるストーリーで、最後まで一気に読み進めてしまった。最後のハナちゃんとのやり取りの場面では、泣きそうになった。解説にもあったけど、他の作品も読んでみたい作家である。
Posted by ブクログ
博奕から足を洗って三十年…
江戸の片隅で粗末な蕎麦屋を営んでひっそりと生きてきた銀平。
病に侵され死を悟った銀平は犯してきた罪や人生を悔やみながらも腐った自分に相応しい死に様だと不味い蕎麦を作り続けている。
岡っ引き、夜鷹、乞食の親子…
毎夜決まって食べに来る常連達も訳ありで物哀しい
訳あって知り合った清太に昔の自分を重ね、再び生きる希望を持った銀平は清太の為に三十年振りに博奕の世界に戻るのだが……
いやぁ〜面白い!
七百五十両の大博奕、ラストはウルウルしちゃいました。゚(゚´Д`゚)゚。
松下隆一さんは「雲霧仁左衛門」の脚本家だって!
雲霧面白いよね〜♪
他の作品も読まないと!
こうやって新しい作家さんと出会うと楽しいがすぎるわ〜ブグログありがと:.゚٩(๑˘ω˘๑)۶:.。♡︎
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蕎麦屋を営む、元博徒である老人のお話。
死期が近いことを意識する中、過去の精算をするかのような、因果応報とも言うような出来事が降りかかってくる。
結末は堅気としての彼を表すようで泣けた。
Posted by ブクログ
普段あまり時代小説は読まないのだが、フォローしている方々のレビューを読み、『最期に挑むは自らの生を賭した大博奕』てな惹句にも惹かれて買って来た。
かつては凄腕の博奕打ちで、今は足を洗って蕎麦屋を営む銀平。60歳になり、腹の病気に残る寿命が長くないことを自覚しながら送る日々。
前半、寂れた蕎麦屋の様子がじりじりと描かれ、その中で浮かび上がる銀平の過去もだが、常連客の岡っ引き、夜鷹、浮浪者の親子、それぞれが垣間見せる顔がなかなか面白い。
突然現れた元女房や店に逃げ込んできた清太との関わりを通して生きる気力を上げ下げする銀平の心情には、もどかしくてやや焦れる。
終盤の八州博打の描写は魅力的。森の中にこつ然と現れる賭場、それを仕切る貸し元の一家、ギリギリまで研ぎ澄ませて挑む勝負、その後に続く親分との因縁めいた話など、描かれる絵面と息もつかせぬ展開は期待通り。
ひとり、清太が場違いで、普通なら一度飛ばしたところで勝負に綾がつくところ。いかに銀平が彼に自分を重ねようとも、ああまでして命を懸けるにはちょっと弱いような気がして、やや残念。