あらすじ
大正5年、東大在学中の芥川は、久米正雄・菊池寛らと創刊した第四次「新思潮」に「鼻」を発表、漱石の賞賛を得、異才はにわかに文壇の脚光を浴びた。『今昔物語』に取材の表題作のほか、人生の暗黒を見つめる理知と清新な抒情、卓抜な虚構と明晰な文体は、すでにゆるぎない作風を完成している。(C)KAMAWANU CO.,LTD.All Rights Reserved
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Posted by ブクログ
名前だけ知ってても一度も手にしたことがない、
歴史的文豪、芥川龍之介の世界に触れてみよう。このたびやっと決心致しました。
短編集で各々、読みやすいものから難解なものまで
用意されていて、出し手の波長の変化を受け取りつつ、
そして、どれも内容は違うようで横文字混じりの『芥川節』が随所に込められていて、
それが全体を束ねる、いわゆる芥川色の紐として機能してると思いました。
表題にもなっている有名な『羅生門』ですが、一見して、
正直なところ自分には、これの何がそんなにいいのかがわかりかねましたが、
落ち着いていま考えるとこれは、老婆の言葉尻を捕らえて、
食うに困るなら相手の道理にならって追い剥ぎやればいーやんとなる、
この短絡的な思考能力の非を問われて、下人が勤め先を失って羅生門に辿り着く前の
過去が見えないといけないわけで、冒頭で述べられた、下人の失職は必ずしも
世の中が悪いせい、これだけの問題ではとてもあり得ないという点は
間違いないかと思います。
物事には必ずとはいわずとも因果関係は少なからずあり、
舞台の羅生門のような、生死を問わず人間の掃き溜めのような場所に
当たり前の人が寄り付くはずもなく、よしんばそこで少しの銭を手にしたとしても、
先に繋がるはずが無い←ってメッセージがこめられてるのかな、と、
勝手に解釈したところです。
それを踏まえて考えてみると、いまの自分の居る場所って、
羅生門なのか?それとも羅生門ではないのか?
羅生門が近づいてきているのか?遠ざかっているのか?
考えだすと眠れなくなさそうです。難しいです。
自分の好みとしては、芋粥、手巾、大川の水の3作で、
芋粥の、バカバカしい事に豪快に取り組まれ、密かな願望が
叶ってしまうことに対して蛙化する五位の揺れる精神状態に、
普遍的な人間心理は今も昔も大した変化はないなと感じた点、
手巾では夏目先生よろしくの、西洋ドラマツルギー(作劇法)への
皮肉を感じてちょっとニヤニヤしてみたり、
大川の水は、徹底して自然に対する観察眼により出来ていて、
人間関係や何かのこじれに疲れたそこまでの脳を、いい感じに
リセットする効果があるように思いました。
葬儀記は、自らの師である夏目漱石を弔った、
当時の芥川龍之介の気持ちがにじみ出ていて、
師と彼の絆の深さを表現するものである事は当然として、
それがずっと後世において見ても歴史の大事な1ページであることを
全身で受け取ったもののことばとして重く印象に残ります。
1冊読んだだけですから、自分には芥川龍之介のことは
ハッキリしたシルエットとしてはまだ見えてきませんが、
彼は歴史的文豪でありつつ、偉大なる歴史的文豪の『影』にも
苛まれていたのではないか?と、このたび勝手に思った所で、ひとまず中断です。
また他の作品を読んで自分なりの答えを出そうと思います。