あらすじ
大学を出たばかりの新任教師・小谷芙美先生が受け持ったのは、学校では一言も口をきこうとしない一年生・鉄三。決して心を開かない鉄三に打ちのめされる小谷先生だったが、鉄三の祖父・バクじいさんや同僚の「教員ヤクザ」足立先生、そして学校の子どもたちとのふれ合いの中で、鉄三の中に隠された可能性の豊かさに気づいていくのだった……。すべての人の魂に、生涯消えない圧倒的な感動を刻みつける、灰谷健次郎の代表作。(C)KAMAWANU CO.,LTD.All Rights Reserved
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「最近の若いのは」という言葉をよく耳にする。
実際に使ったことがある人も、少なくないだろう。
言葉こそ違えど同じニュアンスの文言は、明治の文豪たちの作品にも垣間見られる。
つまり、この言葉は昔からずっと、時代毎の若者が浴びてきた罵倒の言葉である。
では、現代に生きる若者は、明治に生きた若者より相当質が落ちているのであろうか。
決してそんなことはない。
そして、悪いのは子どもではない。
悪いのは、いつの時代もその状況を作り出した大人である。
どれぐらい子どものことを知っているか。
その心に直接的な関心を持って接しているか。
そこに生きるかけがえのない命を心底大事に想っているか、また、扱っているか。
本書は児童文学ですが、大人の方こそ読むべき作品です。
「美しい心」とは何なのか、「生きる」って何なのか。
そして、生きていく上で、また、人と接する上で、一番大切なことを本書は学ばせてくれます。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
なんという美しい話だろう
登場人物がみなわけもなくハエを捕獲できるのには、時代を感じた。私、まだ生涯一度もハエ叩きすら成功したことないです。
Posted by ブクログ
古さは感じたけどおもしろかった、小谷先生かっこよくて、こんな先生がいたらいいなと思った
小学校で学ぶのは勉強だけじゃなくて、はなから切り捨てないとか、自分だけがよければいいんじゃないとか、ずっと必ずじゃなくても、そういう考え方が身に付いてるのは大事だと思った
Posted by ブクログ
社会弱者の視点に気付かされる 予備知識なしに読み始め、まず児童小説であることを知り、プロレタリア文学に分類されるものであると分かった。社会的弱者について知った風な顔をしている自分たちが、まったく実際を理解していないことに気付かされる。裕福な家の娘であった小谷先生が、純粋な性格から様々な経験を通して子供達に分かり合えるようになっていく過程が描かれている。夫は一般社会ではごく普通とされる人物だが、弱者の視点からいえば何もわかっていない、下らない人間だという見方になり、読者の側も大いに恥じ入ることになる。タイトルの兎の眼は物語のストーリーとは一見直接の関連はないが、写真で善財童子の顔を見ると、そこに込められた非常に深い感覚の一端が理解できる気がする。
Posted by ブクログ
「人間が美しくあるために抵抗の精神をわすれてはいけません」
「そんなだれでもやるようなことはやるな、たちまち人が困るようなことをとくとくとしてやるな。どんなに苦しくてもこの仕事をやりぬけ。それが抵抗というものじゃ。」
心に残った言葉です。気に食わないからやらない、そんなことをしていた自分が恥ずかしい。やり抜く、それは自分への抵抗。卑怯で怠ける自分への抵抗。私も善財童子の美しさ、バクじいさんの優しさがほしい。
Posted by ブクログ
"「学校の先生をやめます。きょうから、ただのオッサンになります。さようなら」"。この後書に辿り着くために読み始めました。
学校に通う中で出会うひとつひとつの出来事に触れ、向き合い、少しずつ逞しくなる小谷先生。子供達の成長がみずみずしくもあり、また、最後の闘いは何か人間の根本に触れているようで、心にシンとくるものがありました。心の素直さ、が描かれていました。
1番心が振れたのは、鉄三ちゃんの書いた文章を小谷先生が読めたこと。ふたりの関係の表れなのだなと。
少しずつでも毎日を積み重ねて生まれたつながりの強さは、彼らの等身大の姿でもありながらひとつ教科書のように尊かったです。
もういい大人になってしまいましたが、灰谷先生の教育者としての姿に童心に帰るような気持ちでもありました。
Posted by ブクログ
読んでいるあいだ、自分が小学生だった頃に、タイムスリップしました。
自分が小学生のときに出会ったできごとや先生の対応、学校の帰り道の風景、埃っぽさと、子どもたちの汗のにおいや笑い声と一緒に、完全に小説の世界にいました。
本当に純粋なものに触れたときの、感動だけではない苦しさも味わいました。
素晴らしい世界観を読むことができました。
また必ず読もうと思います。
好きな本は?と聞かれたときの返答の一冊に仲間入りしました。
Posted by ブクログ
相手の立場、事情、気持ちを汲む。
その為に自分が出来る事を考える。
至って単純なのに、日々埋もれさせてしまっている事に、小谷先生や足立先生、子ども達はそれぞれの形でぶつかり、表現し、仲間としての信頼と思いやりを育んでいく。
それは、いくら時代が変わったとしてもあてはまる大切な心の在り方ではないでしょうか。
小谷先生が教育者として、一人の人間として成長していくにつれ、夫との”生き方の違い”は誤魔化しのきかないものとなってしまいました。
それが幸か不幸か、それを決めるのも自身の手にかかっているのでしょう。
日々生きていると、たくさんの感情が生まれ、付き纏います。
その沢山の中から、喜びと哀しみ、この二つを同じ思いで理解し合える事が何より大切だと考えます。
人の幸せと痛みに寄り添える心を育んでいきたい。
読書中、何度も何度も涙で目が滲んだのは、無垢だったかつての自分を懐かしむ気持ち、理想と違う自分への悔しさ、胸を打たれる優しさ...この本からいろんなものを感じ取ったから。
自分にとってかけがえのない時間をくれた本です。
出会えて良かった。
Posted by ブクログ
先生のキャラクターは人それぞれ多々あるけど、この作品では、各先生が誰を主語にして考えているかが、はっきり分かる。自分たちの身のためなのか、子供達のためなのか。
視座が高くなると、こんなにも子供達を信頼して待つことができるようになるのか。それを小谷先生が子供達と関わりながら成長していく中で、視座が高くなるにつれて言動が変わっていくのがよく分かる。
誰かを想い、誰かのために動く、こんな教育を小学校の頃から本気で取り組めていたらよかったなと心から思いました。
時代を経ても同じ課題を感じさせるこの作品は、もう一度読んだら、もう一歩深い部分で、西大寺の善財童子との関連を何か読み解けそうな気がする。
Posted by ブクログ
児童文学だけど、大人にもオススメです。登場人物がみんな生き生きしていて一緒になって悩んだり怒ったりしちゃう。映像化作品もあるらしいのですが、未視聴。いつか観てみたいです。
Posted by ブクログ
素敵な教育者、素直で綺麗な心の子供、ちゃんとそれを見守る大人、素直に考え改める大人、そして体裁と利己的な大多数の「大人」。自分は残念な後者であろうと思い哀しくなる。大人が読むべき本だった。
Posted by ブクログ
古い作品だが、読み込む中でその世界観に入り込み今の時代でも感動を与えてくれる。昔だからではなく、今でも同様の問題や大事な考え方のヒントがあった。
鉄三や処理場の子供達の中に宝物があった。子供に必死に向き合った教師達から葛藤の中から得られる大事なものや人生の尊さも感じた。
Posted by ブクログ
大学を出たばかりの新任教師・小谷芙美先生が受け持ったのは、学校では一言も口をきこうとせずハエを可愛がっているのが原因でトラブルを起こしている一年生・鉄三。
決して心を開かない鉄三に打ちのめされる小谷先生だったが、鉄三の祖父・バクじいさんや同僚の「教員ヤクザ」足立先生、そして学校の子どもたちとのふれ合いの中で、苦しみながらも鉄三と向き合おうと決意する。
そして小谷先生は次第に、鉄三の中に隠された可能性の豊かさに気付いていくのだった。鉄三のことを知るためにハエのことを勉強していく中で、鉄三はバイ菌のついているハエを飼わないことやハエ博士と呼ばれるくらいハエに詳しいことを知る。鉄三が興味あるハエの研究を小谷先生が手伝う中で、字や絵を書いたり勉強するようになった。
小谷先生は、鉄三と暮らすバク爺さんの壮絶な過去を知る。小谷先生は、鉄三の他の子の家をまわって子供の勉強をみたりするようになった。
伊藤みな子という走るのが好きな女の子が、小谷学級に転入してくる。みな子は自分のものと他人のものの区別がつかないので、隣の子の給食をとって食べたりする。
小谷先生は小谷学級の子と相談して、交代でみな子の世話役をするみな子当番をすることになった。
鉄三のハエの研究が、近くのハム工場のハエ対策に役立った。ゴミ処理場の移転に反対した子供がストライキしたり、小谷先生たちも子供たちと戦う。
学校と家庭の荒廃が叫ばれる現在、真の教育の意味を改めて問いかける。すべての人の魂に、生涯消えない圧倒的な感動を刻みつける、灰谷健次郎の代表作。 2006年11月に逝去された、故灰谷健次郎氏の文壇デビュー作。
1997年の神戸連続児童殺傷事件の報道姿勢に対して新潮社からの版権引き上げなど、政治的な立ち位置は賛否両論あろうが、本作について言えば、日本における児童文学の金字塔であると断言できる。
共に助け合い暮らしていく中で、個人個人が人間的に成長出来るし世界が良くなっていく。教育とは、育った環境が違う者同士が学び合うもの。
優しさとは、苦労や喜びを分かち合うこと、寄り添うことであることそして死んだ生き物の命に感謝をして生きることであることを、バク爺さんは拷問にあって裏切り死なせた親友の命を、足立先生は貧しさから子供の頃一緒にどろぼうした兄貴の命を背負い生きる生き方やゴミ処理場の子供たちの優しさとたくましさを通して描かれていて、時代を越えて読み継がれるべき児童文学の傑作です。
「人間が美しくあるためには抵抗の精神をわすれてはなりません」
出会えて良かった
灰谷さんの名前は知っていても児童文学の認識で、著作を手に取ることはなかった。偶然とはいえ、この本との出会いは人生の喜びである。まさに読まずに死ねるかであった。
何回読んだだろう
引っ越しの時失くしてしまった。灰谷健次郎の文庫本はほとんど残っているのに
「兎の目」が無くなっていた。
しっかり覚えているが、やはり感動を新たにした。自分自身、教職歴34年。管理職を目指すことなく、子供と多く接した。同感する事が、多々ある。
Posted by ブクログ
この本は今から半世紀前の教育現場出身の作者灰谷健次郎による「児童文学」
泣き虫だった新任教師の小谷先生は、劣悪な家庭環境を持つ子供や障害を持つ子供などを受け持つにつれ、次第に成長していく。
一方で子供たちは親や周りの人達にお構いなく、感じたままに人との接し方を学んでいく。
50年前のイデオロギーが見え隠れする中、新任教師の成長と純粋な児童たちの行動が、心を打つ物語。
現代の児童文学では“イジメ”や“性被害”がよく取り上げられるが、親の“格差、差別”は減っている。
でも、これらは大人たちが考えることで、子どもたちの本質は変わっていないと、つくづく思ってしまう。
少し子どもたちが“できすぎ”だけど、わかりやすいストーリーの中で教育現場の難しさが“大人”に起因していることを、感じさせてくれる物語でした。
Posted by ブクログ
これは3回読んでやっぱり面白かった。何かに抵抗しようとする眼が、兎の眼のように美しい。おじいちゃんの戦争の話や小谷先生たちの行動、なるほどそういうことなのかと。
作文読むシーンと、泣くな小谷先生のところが大好き。小谷先生の生徒と同じ目線でいくところと、でも家や、職員室では悩んでいる姿どちらも美しい
Posted by ブクログ
半世紀以上前の小学校を舞台にした学校小説。いわゆる「大変な子」との関わり合いの中で成長する新米教師の話。
大変な子達を表面的にしか見ていなければ、心を通わすことなど絶対にできない。そう感じました。優秀な人が、いろいろなデータや傾向などからその子達を分析するなどしても、心を通わすのは難しいだろうと思う。大事なのは、やはり愛情をもって関わり続けることなのかもしれない。至って単純な感想になってしまったが、これに尽きる。
クラスには優秀な子もいれば、全体に悪影響を及ぼす子もいる。教師目線から、行動を正したいと思って強引な方法で指導しても響かない。例え正当で、最もすぎる理由を述べたとしても。そして、一つのクラスは、社会の縮図ともいえるなぁと。理解されない辛さは、なかなか自分は経験できないかもしれない。
さすがに時代が時代だけに現代にそぐわない内容もたくさんあるが、大事なのはそこじゃない。子ども達をまっすぐに見つめる目をもつこと。それがいかに大事で、大変かを教えてくれる作品でした。教師経験がある人じゃないと絶対に書けない、不朽の名作の理由を知る小説でした。
Posted by ブクログ
小谷先生が、子どもたちの前で泣いて、悩みながらも立ち向かっていく姿が印象的だった。大人が現実と格闘する姿を見せることで、失敗しても間違えても大丈夫なんだと子どもが安心できるのではないかと思う。
私は捻くれているから、シワ予防とかシミ隠しとかの広告等を見る度に、年を取ることがまるで嫌なことのように大人が言わないで、年を重ねることは素敵なことだと大人が示してよと思ってしまう。そういう意味でも、一緒に時を刻みながら生きていく姿を示してくれる大人の存在って必要だなと感じた。
Posted by ブクログ
学生時代なので、20年以上前に初めて読んだ本。
それ以来なのか、どこかの時機で読んだか定かではないけど、とにかく久々の再読。
単行本の刊行が昭和49年ということで、令和の今では(というより、初めて読んだ平成でも)当てはまらないようなことも随所にある。
そして、もちろん創作ゆえの“うまく事が運ぶ”感ももちろんある。
それを差し引いても、教師とは、学校とは、教育とはを考えるのに有意義な教材と言えるだろう。
特に、ダイバーシティ、インクルーシブという観点で言えば、令和の今になってもまだなお本書に描かれる問題が解決できていないどころか、むしろ退行してさえいるのではないかと訝しむ思いすら生じる。
最多数の幸福を最大化することは社会を歪ませるという事実を突きつけるという意味では、教育だけでなく、広く社会に訴える作品だと思う。
Posted by ブクログ
小谷先生が鉄三の作文を読んだときがとても感動した。
鉄三の書いたそのままでは意味が分からないけれど、一瞬それを見て、鉄三の言っていることが分かって読んだ小谷先生、本当にすごい。
鉄三と向き合って、一生懸命になって、鉄三が心を開いて、鉄三の思いが分かるようになった小谷先生。小谷先生もすきって言ってもらえて、本当によかったね。すごく嬉しかった。
Posted by ブクログ
この本で子供の成長、先生の成長が特段主張されているわけではない。登場人物の私生活や学校生活が描かれることによって、いつのまにか子供や先生が成長し、物語にのめり込んでしまう。
現代社会にも通じる部分があるので教師の仕事、子供の教育について考えさせられる。
Posted by ブクログ
一気読みしてしまった。(会社の昼休みに読んでいたら、気づいたら休憩時間超していた。)
人って、人間ってなんだろう。まだ、覚悟を持って生きるのに足りるだろうか。目の前の人を、人としてちゃんと見ているだろうか。私と同じく、生きている人だって、分かっているかな。
うつくしい人って、
Posted by ブクログ
とにかくジャケットが良い。持っているのに何度も手に取ってしまいます。
そして小谷先生の言葉遣いが、またたまらなく良い。いまや時代言葉なのでしょうが、全てをひっくるめて、これほど会ってみたいと感じてしまう主人公は、小谷先生の他になかなかいません。
Posted by ブクログ
教員になるなら読んだ方がいいのかなと思って買っていた本。
いよいよ1ヶ月を切り……というところでようやく手をつけた。
足立先生、かなり好き。
試行錯誤しながら子どもと必死に向き合おうとする小谷先生のようにありたい
Posted by ブクログ
1974年に出版された小学校の新任女性教師に関するお話。
もう50年近く前に書かれた本なので今とはかなり時代背景が違いますし、実際に教育現場で働いている方から見ればかなり理想論過ぎるところもあるかとは思います。ただ、それでもやっぱり非常に良い本だと思いました☆
現実問題として、今の教師が小谷先生や足立先生のような教育をする事は無理だと思います。ただ、少なくとも小学校や中学校では、勉強を教えるだけでなく、人としての思いやりの心を大事にする教育を重視していって欲しいなと思いました。
Posted by ブクログ
新任の小谷先生と子どもたちとのやりとりや成長にいちいちうるうるした。
人のことは表面だけみていてもさっぱりわからない。行動にはそれなりの理由がある。鉄三やミナコ。いろいろなこどもたちがいていろんな立場のおやがいる。
Posted by ブクログ
小学生の頃に読み耽った灰谷健次郎さんが、今の本屋の店頭にあった事がもの凄く嬉しくて購入
ほんと灰谷さんは子どもの主体性を蔑ろにせずに教育、また寄り添う事で学んだ人だったんだな
ほっこりと人間的に成長できる
担任の若い先生・子供たちが、問題児との交流を通してさまざまな困難を乗り越えながら、その親たちを含め、まわりの皆が人間的に成長していく過程が心地よい。
Posted by ブクログ
独特な文調で
視点が少しわかりづらい部分はあるものの
あっという間に読み切ってしまった
教育の場(小学校)が舞台なのだけれど
色々と考えさせられるお話だった
障害児教育に限らない気づきの多い作品
児童文学だけど大人の方が響くものがあるのでは?
Posted by ブクログ
心に残った一節
「効果があればやる。効果がなければやらないという考え方は合理主義といえるでしょうが、これを人間の生き方にあてはめるのはまちがいです。この子どもたちは、ここでの毎日毎日が人生なのです。その人生をこの子どもたちなりに喜びをもって、充実していきていくことが大切なのです。わたしたちの努力の目標もそこにあります。」
学校って素晴らしい学びの場で、きっと効果がないようなことをしている日々も全て効果なのだと思う。
小谷先生が鉄三と向き合おうと決めた時、この子は宝ものを持っていると成長を期待していましたが、小谷学級の生徒たちも同じように変わっていきました。どんな子ども宝ものをもっていると考えて温かく成長を見守りたいなと感じました。
バクじいさんの考え方がかっこよかった。