あらすじ
映画化大ヒット小説! きっかけは、キャプテンの桐島が突然バレー部をやめたことだった。そこから波紋が広がっていく。地方の県立高校のバレー部、ブラスバンド部、女子ソフトボール部、映画部、野球部――。それぞれの部活で、教室で、グラウンドで、5つの物語がリンクする。彼らがそれぞれ抱える問題は? 桐島はなぜ部活をやめたのか? 第22回小説すばる新人賞受賞作。
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タイトルにある「桐島」という人物は、作中に実体として存在しない。「桐島」が喋ったり、他の生徒と関わったりすることはない。「『桐島』以外の誰か」が話す内容でしか、「桐島」自身を把握することは出来ない。
ここが“仕掛け”として上手い。
けれど、この作品はそんな小手先のテクニックが優れているのではない。人物を冷静に観察して、こころの動きを見事に描き出している。
タイトルの奇抜さ(?)は当時話題になったものだが、ライトノベルには、この比でない奇抜なタイトルがいくらでもある。とくにこの世代以降は文学とライトノベルの境が曖昧になっている。このタイトルは非常に計算されているし、作品の持つ空気を的確に表している。
中高生にとって「部活」とは「恋愛」と同じくらいの重要度を持つ。恋愛が往々にして砂糖菓子のように美化されて語られるのに対し、部活はもっと泥臭い。大多数の生徒は部活に所属しているわけで、それに「入る」のも「やめる」のも、とうの中学生、高校生にとっては学校生活を左右する一大事だ。
「やめるってよ」という伝聞形が示す通り、「桐島」本人がやめるという場面は出てこない。そういう意思表示はあったが、登場人物の誰も直接確認していない、間接的にそれを聞きながら、「ふーん、そうなんだ」程度の距離感で、物語は進んでいく。
「桐島」と関わりのある5人の生徒のモノローグは、それぞれが心に抱えているもの――それは決してひかり輝くものばかりではない、ときに醜かったり惨めであったりする――を、偽ること無く淡々と描いていく。
この作品が書かれた当時「スクールカースト」という言葉は、まだ今ほど一般的ではなかった。
誰もが学生時代に経験し、教室内で“普通に”起こっていたこと。学校生活を円滑に行う上でみんなが何となく“弁えて”いた『序列のようなもの』。それを生々しく描き出している。それが物語の主題ではないのだが、しかしこの事は無視できないくらい大きな“バックグラウンド”だ。
人は誰しも心のなかに醜い部分を持っている。それを表に出さないよう生きるのが「社会性」というものだ。学校という身近な場所で、それについて描写したこの作品は、いわゆる“青春モノ”の持つさわやかなイメージとはおよそかけ離れている。だが、当時に間違いなく存在していた、“正視したくないリアル”を描いている。
Posted by ブクログ
桐島が「装置」に徹底している点に感銘を受けた。
同じクラスで、異なるカーストに属する登場人物たちのエピソードが展開する中、最終盤で「桐島」を主人公とした章が当然あるのだろう、そこで桐島の心情が事細かに露わにされ、それまでの物語の見え方が大きく転換するのだろうと予想していた。
しかし、桐島は本を閉じるまで登場せず、それどころか彼の人物像の全貌が浮き上がることはなかった。
与えられた情報は、クラスの一軍で、バレー部のキャプテンで、不動のリベロで、だけど部内で軋轢が生まれ去ったという客観的事実のみ。彼が日々何を思い、どのような葛藤を抱え、部活を辞めた後どのような学生生活を送っているのか、桐島の心の内はすべてが読者の想像に委ねられた。
究極、この物語は桐島がいなくとも成り立ちうる。
自分の置かれたカーストにより相手を見下し見下され、優越感に浸ったり劣等感を抱いたり、という手触りのある青春時代のほろ苦さがよく描かれていた。
群像劇として読みながら、かつての自分が受けた痛みや知らず知らずのうちに放っていたであろう「ひかり」に思いを馳せた。19歳で書いたと知り、「だからこんなに瑞々しい表現、胸がざらりとする表現ができるのか」と感心した。
この物語は、桐島がいなくとも完成度の高い群像劇として成り立ちうる。
しかし、あえてこの本の主軸に「桐島」という輪郭の見えきらない存在を置き、またタイトルに据えた点が、朝井リョウの意匠の光る点だと思う。世に溢れかえる数々の「青春群像劇」に埋もれず、『桐島』として多くの読者を惹き付けたのは、桐島を終始「装置」として描き切った点にあるのではないか。
自身の高校時代を振り返って、いわゆる「一軍」の中にも本当に浅いやつと、実は仲間の外を見て手を差し伸べようとする者がいたりとグラデーションがあったのかということに今更ながら気付かされた。
当時の私は、「一軍」は「外見やスポーツの得手不得手等で一方的に線を引き、「そうでない者」を理不尽に見下してくる者たち」と一括りにして遮断していた。実際に、映画部が受けたような冷笑にも身に覚えがある。
しかし、「一軍」と一括りにして視野の外に捨てた群れの中にも、個々の関係であれば仲良くなれる人もいたのかもしれないと考えさせられた。
また、「カオリ」のように、周りから見れば何でも持っていて恵まれた存在でも、実は周りが持っているものを持っていない、ということもあったのかもしれないと思わされた。
皆が何かを持っていなくて、代わりに人にない何かを持っている。本当は皆どこかでお互いに同じなのかもしれない。学生時代のカーストは絶対的なものに見えるが、大人になると自然と取り払われていく。あれはなぜだろう。
Posted by ブクログ
朝井さんのエッセイを先に読んでいたので明るいお話を想像していたら、キリキリするような話だった。
中高生特有のカーストが生々しく、つい自分の高校時代を思い出した。
宏樹のイライラも共感できたし、ラストも良かった。
Posted by ブクログ
本屋大賞受賞からずっと朝井リョウさんの本が読みたかったけど、せっかく読むなら最初から行きたいと思いずっと手をつけずにいた。なのにラジオとか聞き出して、本読んでないのに作者についてはすごく知ってるという状態でやっと読み始めたこの本。
いつもラジオの話がとんでもなく面白いから、とんでもない何かなのかと思って読み始めた。勝手に桐島が視点で進んでいく話だと思ってたから読み進めててびっくり。学校ってそうだよな、桐島が部活辞めたなんて全然関係ないのにちょっとずつみんながみんなに影響を与えているんだよな。誰かに影響を受けた誰かに私も影響されてたんだよな。
物語の面白さというよりもまだ学生で、渦中にいる人がこんなにも俯瞰して書けるんだという驚き。私なんてあの頃は必死で自分のことしか見えてなくて、達観してるふりでしかなかったのに、、、今の私より大人な学生朝井リョウ、、、
Posted by ブクログ
桐島が部活来なくなったあたりの、桐島と同学年のいろんな部活の生徒たちの様子を描いた連絡短編集
上とか下とか同類とかいろいろグループあったなあという苦い記憶が蘇ってきた
解説まで読んで、桐島出て来んのかい!ってつっこんでしまった
Posted by ブクログ
桐島、
出てこなかった。
「本気でやってできないことがバレるのがこわい」
刺さりました。
これを19歳で書いたのか。
どんな気持ち、視点で朝井リョウは高校時代を過ごしたんだ。
高校生じゃなさすぎる。
Posted by ブクログ
宮部実果の設定が複雑で、面白くて、これで1つの小説にできそうと思った。
母の誕生日に花を買って渡すところしんどすぎる…。最後に自分を押し殺すところも不器用な若さを感じて切ない。
菊池宏樹の学校や世間への反骨真がとても思春期だなと思う反面、私もその気持ちに賛成する部分があった。真っ白いキャンバスの例え、確かに真っ暗にしたら真っ黒になって何もかけない。簡単に私たちは真っ暗闇になるよなあ。高校生なんて特に。
Posted by ブクログ
噂には聞いていたが桐島が一切登場しないのには驚いた。だけど無関係なわけじゃない距離感が複雑で、登場人物それぞれの物語が間接的に繋がっていくのが読み進める意欲となっていた。
彼らの悩みのほとんどが作中で解決したわけではなく、現状維持ながらも新たな気づきを得るなど、子供ではないけど大人ではない17歳のリアルが詰まっている。カーストでは測れない人間の価値を感じたような気もするし、スッキリしたわけでもないけど読んでよかったと思える作品。
小説内でもミサンガをつけている竜汰とかすみの関係を察しつつあったが明言されているわけではない。映画では交際しているらしい。まだ未視聴ではあるものの、それが元からの設定なのか映画化の際に変更したものなのか気になっている。情報求む。