あらすじ
小説は、読まれてはじめて完成する。だから、たくさんの人に読んでほしいと思うのは、小説家の性。でも、いいことばかりではありません。誤読されたり、批判されたり、神様みたいに言われたり。そんなとき、誠実に応え、自分の心を守って書き続けるための、《読まれ方入門》。 【目次】はじめに/第一章 本を出したらどうなる?/第二章 読者との理想的な距離感/第三章 批評との共存の仕方/第四章 ファンダムと生きてゆく/おわりに
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Posted by ブクログ
ひとつの作品に対して、自分だけであれこれ思うだけでなく、他の方の感想や書評、批評も読んで、さらに考えを深めたり、ひいては世界のことを知りたい、と思っている。
これまで、読む側の態度について考えたことはあっても、「読まれる側」について考えたことはなかったので、新しい読書体験だった。「作者=神」だと思ってたので、その繊細さにも驚いた。
しっかり読み込めた手応えがないので、また読み返したい。
文壇にも差別があるのか、と暗澹たる気持ちになる。
小説家桜庭一樹のまさかの新書です。ボリュームは少ないのですぐに読み終わることができると思います。
読み進めながらずっと『少女を埋める』のことを考えていました。
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本を読むことの案内書はたくさんあるが読まれることについての本は初めて読んだ。作家志望やジャーナリスト志望の若者向けにとどまらず、発信することの意義や難しさを教えてくれる深い内容だった。人権侵害やストーキングなどの犯罪の恐れは文筆家でも昔からある。裁判沙汰もよく聞いたものだ。大げさでなく「覚悟」が要る。作家の広範囲の研鑽には頭が下がる。作家さんとか編集者さんとか、職業にさん付けは不要だ。敬意の表れなのだろうが、この本でひとつ気に入らなかったところ。
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小説家(プロ・アマ問わず)だけでなく、二次創作書きにも、ネットでブログなりSNSなりなにか書いたり描いたりしてる人の「読まれる覚悟」としても大切な話なのではないでしょうか
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桜庭一樹氏の『読まれる覚悟』を読みました。よくこの内容を言葉にして1冊の本にまとめてくださったなあ、勇気が必要だったろうなあと
キャリアのある小説家だからこそできたという面とキャリアのある小説家だからこそ言葉に重さが発生してしまうということを考えるとよくぞ世にだしてくれたという気持ちになる
読み方や感想の持ち方は自由というのは、それはあるのだけれどやっぱり誤読というのはある、と私は思っている。小説家だけではなくあらゆるクリエイター(特に物語性が発生してしまうもの)にも言えることだと思うけどどんな感想も引き受けろというのはそれはかなり暴力的だと思う。明らかな誤読は誤読であるのだから、それまで引き受けなくても良いというのはとても心強い言葉だし、本書では何が解釈の自由、感想としての自由にあたるかと誤読の違いも書いてくれているのでSNSなどにレビューを書くことが多い人の参考になると思う
韓国文学のメッセージ(政治的な主張)の強さやそれができる社会背景などにも言及してくれて、これはこの本を読まなければ知ることのできない部分だったのでよかった
また作家や作品にファンダムができてしまった場合のことについても書いてくれていて、何か好きな人やものがある人にもおすすめ
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小説は、読まれてはじめて完成する。
小説家はこのような思いで小説を世に出しているのか。批評というものの意味と力も改めて知る。小説を如何に読むか(受け取るか)の指針ともなろう。
「大きな声は小さな声を可視化するために使われるべき」との言葉が胸に響く。
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2025.1.14〜2025.1.16
今年1番にこの新書選んでよかった!と思える本でした。
「あなたが小説家になったときに」と最初に記述がありますが、それを受け取る側である私達も読んでおいて損はない本だと思います。
ちなみに私は今、この本の感想を書くのをとても躊躇しています。作者である桜庭先生の主張されている内容と、私が読んで取り入れた内容に乖離があるのではないか、とヒヤヒヤしているからです。
読みながら思い返していたのは昨年、大好きな本のファンレターを書いたことです。とても面白かったことをたくさん伝えたくて。先生にとってデビュー作である作品だから、尚更特別なファンレターになることがわかっていたから、より気合が入りました。
でも、先生にとって、それは私の読んだ解釈の感想です。受け取る側として「そういう考えの方もいらっしゃるのか」と思う作家さんもいれば、「そういうことが言いたかったんじゃない」と感じる作家さんもいらっしゃるでしょう。先生が、どちらのタイプの先生かわかりませんでした。今でも、どう書いたら正解(正解がある話ではないとも思いますが)だったのかわかりません。
思えば、私が「感想を伝えることが苦手」と前々から感じていたのも、この前提が先立っていたからでしょう。
全体を通して、目の前にあるのは単に「小説と原作者という神」のような概念的なものみたいに捉えるんじゃなくて、その人が生み出したものと1人の人間がそこに存在していることをもっと知覚しなきゃいけないなと1人反省しています。
無意識に自分も「ものごと」として生身の存在を見てしまっていたのかも、とハッとさせられる瞬間が至る所にありました。
特に今ってSNSが当たり前になっていて、作者と読者の距離が近くなる瞬間って確実に存在しています。それに慣れきっている今だからこそ、改めて立ち返って、小説に限らずいろんな物事で気をつけないといけないんじゃないかなあ。
定期的に読み返して、自分の行動がいきすぎてはいないか、リセットする機会にできる本です。新年一発目、もうお済みの方も多いかもしれませんが、この本を読んで少しマインドを切り替えてみても良いのではないでしょうか。内容としてもとても興味深くておすすめです!
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著者の覚悟を感じる。
誤読や勘違いはよくやる。読んだはずなのに記憶にないというのはよく(!)あるし、あると思っていた場面が実際には書かれていない(自分で作っていた)というのもままあって、やたらと批判するもんじゃないと肝に銘ずる。
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小説家が読者、批評家、書評家などをターゲットに彼らに対する思いをぶちまけた珍しい本だ.面白かった.本が出版された瞬間にそれは小説家の手を離れてしまうことは、物理的に理解できるが、小説家自体がこの本に書かれているように様々な思いを持っていることは予測できなかった.著者が女性であることに特化された思いもかなり出てきたが、男性社会の日本では当然だと感じた.対話と共話の比較論も楽しめた.
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作家さん本人が語る、「読まれる覚悟」のお話。読者との距離感、批評されること、二次創作について、ファンダムについてなどかなり本音を語られていて読む側としても考えさせられた。あとがきの「新しいものをアップデートすること=自分が間違っていると理解すること」という言葉にハッとする
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書店で気になり、書評で入手決定の一冊。これはもう、作家さんにしか書けない論考。広い守備範囲の作品をものしてきた著者だけに、多様な視点からの考察がなされていて素敵。読書って、一人でも”対話”が可能な素晴らしいツールだけど、確かに誤読につながるリスクもはらみますわな。自分としては、あくまで個人的な備忘録として本ブログも使っているつもりなんだけど、無制限なアクセス可能性については常に自覚的でなければ、と改めて。
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本のおびが「書き手の心を守り、読む/読まれるという営みをいっそう豊かにしていくための読まれ方入門」となっている、ベテラン作家の手による新書。一般読者としては、その本が自分にとってどう面白かったかと感じて感想を書いたり、友人と話すといった読者なので、本の著者がどのような気持ちで読んでほしいかを考えたことが無かったことから、斬新な視点の読書方法の本でした。小説の著者は不特定多数の読者と向き合っていることから、林芙美子著「放浪記」の主人公のように感情の起伏の多少はあれタフな精神の人が多いのかと思っていましたが、作者の心の平穏について考えるよい機会にはなりました。高校や大学の図書室に一冊あってもよいかなと思いました。
最後の4章(ファンダムと生きていく)は当事者のファンダムを生み出した人にしか分からない話しなのでやじ馬的興味から面白かったです。作者の心境が心配になる作家は読者によって異なるとは思いますが、自分としては、ノーベル文学賞を受賞したにも関わらず、アメリカ文学史のテキストからほぼ無視されているパール・バックが、20世紀の暴力的な時代にアジアの貧農や狂信的宣教師の話しから障害児や孤児、核兵器開発までの話しを書いて、いろいろな評論を受けて作者の心持ちはどうだったのか心配になりました。
各章の終わりにコーヒーブレイク的にある、よもやまばなしという見出しの文章は付録というよりは、重い内容の割にあっさりとした記載なので何度読んでもよく分からない箇所が多々ありました。
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書評、批評家はSNSで活動するようなアマチュアを含めて多く居るが、作家さんが語るということで俄然興味が湧き・・・。
各章ごとに、新鮮な視点、観点ばかりで面白かったです。参考文献も多くて、付箋が貯まりました。
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☆3.5 桜庭一樹さんのやさしさ
あとがきで、鴻巣友季子による「少女を埋める」評にも触れてゐます。もっぱら私はこの事件の興味で読みました。
読まれる覚悟の究極的な回答は「読まされる覚悟」をも知ること。と私は考へました。
これを読んで桜庭さんはリベラルな博愛精神の持ち主だとおもひました。誰もが傷つかないやうに気を遣ふ。読者が誤読しても、相手を気遣って批判は避ける。立場は純文学作家の問題意識と大きく重なります。
よもやま話①にある通りに、小説家は一種のはたから見たら、(能天気な)理想主義者ではあるでせう。ただ、小説に全幅の信頼を寄せるけなげなこころがあるかもしれない。私もこどもの頃は、(小説で戦争が止まるのではないか)と、過大な期待を寄せてゐました。それは、文章の力で核兵器をなくすと書いた大江健三郎のやうに、無邪気で、非現実な想像でした。
正直にいへば、桜庭氏の言説すべてに首を振ることはできません。
ただし、桜庭氏の考へ方なりは、わかります。
イデオロギー的な問題を包摂した物語にどこまで許容できるか?
それはもう状況、環境、時代性しだいです。私のやうな読者には、面白い小説こそが至高だから「露骨であれば」政治的社会的問題がわづらはしく感じることもあります。
私はまた、村上龍の芥川賞選評を思ひ出します。《たとえば国家の民主化とか、いろいろな意味で胡散臭い政治的・文化的背景を持つ「大きな物語」のほうが、どこにでもいる個人の内面や人間関係を描く「小さな物語」よりも文学的価値があるなどという、すでに何度も暴かれた嘘が、復活して欲しくないと思っている。》
いま文壇コミュニティの一部では、人類の平等といふ大義のもと、平等に違反すると目した者を差別といふ言葉で糺弾してゐます。しかし、結局それは村八分と同じ。
桜庭氏はフランス革命についてすこし触れてゐました。しかしフランス革命は、暴力革命の側面もありました。この事実に桜庭氏はどう思ふのか、気になりました。
むしろ、SNSでみんなと繋がる世の中だからこそ、小説の読者の棲み分けも進んでゐるのかもしれない。とおもふ瞬間もあります。各自、好きなものは好きに読む。互ひに干渉しない。棲み分けがあるから平和であり、坩堝の世界は騒動が絶えない。
ところどころ、批評についても言及していらっしゃいます。
ただ、本人も述べる通り、その批評にたいする理解は、文芸誌のごく一般的な範囲に収まってゐます。
しかし、文芸誌での批評は出版不況・読者不在の問題で、出版媒体ではすでに小説とくらべ力を失ってゐます。褒め批評ばかり載る傾向も増えました。(このあたりは吉岡栄一『文芸時評』に詳しいです。)中村真一郎や大岡昇平の小説論もいづれは読んでほしいとおもひました。
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これが小説家から見えている世界か。作品がどのように読まれているか、誤読も含めた読まれ方を作家はどのように受け止めているかが著者の目線から書かれていてかなり面白く読んだ。特に後半の批評家と作家の関係性に関する部分は興味深い内容だった。
Posted by ブクログ
穏やかな語り口で、とてもわかりやすく、批評することとその時に問題になりうる点について、批評する側とされる側の両方の立場から、丁寧に書かれている印象。
SNSやこの感想も、感想という体の批評であり、作品は消費物ではない、という視点を持つべきだし、責任ある批評、感想とはどんなものか、発言する前に考えようよ、と言ってくれる本だと思った。
また、ここ数年でいろいろなことが大きく変わっているようだ、との指摘も興味深い。
コンプライアンスガチガチで色々なコンテンツがつまらなくなっているとか言っている人もいるようだけど、自分は今の方がずっと好きだ。
たくさんの人たちに読んでほしい。若い人だけでなく、自分は間違えなんかするはずないと思ってるベテランの人たちにも。「アップデート」しよう。
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小説家の桜庭一樹さんが、小説を書くことによって作家の身の回りに起こる変化、そして、読者、批評家、ファンダム等まわりとの関わりについて一章ずつ丁寧に解説及び意見を述べた本。
僕は『わたしの男』から桜庭作品に入ったので、桜庭一樹さんは重厚な作家のイメージだが、デビュー当初の売れなかった頃(出版されても何も起こらなかったそうだ)やラノベが主だった時代(『Gosick』は後追いで読みました)を扱った1章は面白い。作家ってどうやって認知され売れ始めるんでしょうね。
また、読者やファンダムとの関わりを誠実・丁寧に語る2章、4章も面白いのだが、最も考えさせられるのは書評家・批評家との関係や力関係、役割や矜持について延べた3章だろう。こちらも誠実・丁寧に語られているのだが、他章より、より慎重に言葉を選んで意見を述べているように見える。終章でも触れられているように『少女を埋める』の批評を巡って、実際に批評家および掲載した朝日新聞と揉めた経緯がベースにあるからだろう。
出版後も気が抜けない作家の苦労がわかる興味深い本です。
Posted by ブクログ
小説家として、読まれる覚悟、読者と、ファンダムと、批評家と、小説を巡る色んな立場の関係性を考える本。
いくつか、心に残った箇所をピックアップ。
・よもやまばなし①
綺麗事でも、机上の空論でも、理想論だとしても、
実現不可能な正しさについて、真正面から叫び続けることが、作家としての義務。
この主張を読んで、桜庭一樹さんという作家さんを好きになりました。
・誤読、ということの定義
これも面白かった。なるほど。
・共話の件からの差別やハラスメントへの考察
共話、初めて知った言葉。
日本特有のコミュニケーション術。
一つの文を、二人でつくるような、会話の仕方。
作家さんを推しと思ったことないなぁ。
あ、新井素子さんが昔から好きだけど、これは、推しっていうか、バイブル的な?感じなので、、、
「推し」とは違う(^_^;)
Posted by ブクログ
小説に限らずあらゆるエンタメ、あるいはクリエイティブな活動をしている人の発信を自分はどう受け取っているか考えさせられた。解釈の自由と偏見をはき違えた無自覚な加害者ではないか。「自分が間違っていたと理解する」アップデートを忘れずにいなくては。
Posted by ブクログ
人間は皆同じような感性を持っているんだなぁ。作家、プロ野球選手、画家、etc、世の中に凄く才能があると認められている人間でも、噂や風評を気にかけるんだ。私みたいな単なる凡人と同様以上に、そんな感性が敏感なんだ、と感じた。そんな批判を受けて、より強く立ち上がるのがプロで、めげるのが一般人なのかも。 この本から桜庭さんの本を大量に購入して読み出しています(笑) 参考文献の購入にも繋がっています、ひょっとしてこの本は、蟻地獄的な一冊だったかも(≧∀≦)
Posted by ブクログ
作者と読者、批評家、書評家、ファンダムなどとの関係について、困ったこと腹がたったこと誤解や誤読について述べていて、こうありたいという願いも込めて書かれていて、作家さんも大変だと思った。
Posted by ブクログ
“先日あるアイドルのファンの方が、アイドルの発信するものを〝供給〟ということに抵抗が生まれてきたとお話されていました。
わたしも誰かのファンであるので、どきっとしました。
生きている人間のパフォーマンスなのに、楽しむあまり、相手を物のように扱ってしまうときがあると気づきました。”(p.151-152)
“そしてこの数年、さまざまな価値観が一新されつつあることをひしひしと感じています。
きっと大勢の人がいま体感しているであろう、小説を読むことと読まれることをめぐるあるおおきな変化について、なんとか言語化しようとして書いたのがこの本です。
わかってはいるけれど、まだ名前がついていないものに名付けていくのが、小説家の仕事の一つだからです。”(p.158)