【感想・ネタバレ】京都占領―1945年の真実―(新潮新書)のレビュー

あらすじ

1945年敗戦。京都市内にも随所に星条旗が翻った。四条烏丸に進駐軍の司令部が置かれ、二条城脇の堀川通はアメリカ軍の滑走路となり、上賀茂神社のご神木はゴルフ場建設のために切り倒され、祇園歌舞練場は米軍専用キャバレーへと姿を変えた……。日本降伏の間際、幾度となく原爆投下の候補地としてリストアップされながら、紙一重で悲劇をまぬがれた古都の往時を、日米双方の史料と貴重な証言から紡ぎだす。

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Posted by ブクログ

米軍の空襲を免れた京都。だが広くは知られていないが、京都にも米軍の進駐による葛藤、隠れた歴史があったという。
ゴルフ場に変えられた上賀茂神社の御神木、米軍住宅が建てられた府立植物園など。
「ワシントンハイツ」で占領政策を追った筆者が、舞台を京都に移す。
原爆忌避伝説にも触れている。
一風変わった視点からの京都の歴史。

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2025年03月30日

Posted by ブクログ

ネタバレ

終戦後の京都と占領軍の関係について良く理解することができた。あまり戦争というイメージのない京都でのGHQとの「戦い」は現代の日本人も学ばなければならない。伝統文化が多数存在する京都ならではの話だと思った。

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2025年01月26日

Posted by ブクログ

京都は歴史的な街だから戦争の被害をほとんど受けなかったと認識していた。京都でもこのようなことがあったなんて。今の京都があるのは奇跡なのかもしれない。

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2025年01月19日

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来年から京都に住むことになったので読んでみた。京都がなぜ日本人の心だけでなく世界の人々も魅了するのか。その理由が少しわかった気がする。

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2025年10月28日

Posted by ブクログ

いや、こんなことが京都で起こってたなんて、半世紀ほどしか京都に住んでないよそ者やけど、知らんかったわ。ちょっとビックリ。でも、読んでみると納得やわ

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2025年02月20日

Posted by ブクログ

近隣の読書会に参加しています、その時に参加されている大先輩から「これ読みなさい」と言われた本です。終戦直後に各都市に占領軍が進駐してきましたが、その時に京都について書かれたものです。大先輩は京都出身の方で、この本に書かれていることが深く理解されたと推察されます。

戦後から80年以上経過した今では、殆どの都市には進駐軍の痕跡は見られませんが、この本を読むことで1945年に起きたこと・様々な人の努力により避けられたことが書かれていています。

さらに、この本では戦時中に行われていた研究(原爆関連)についても触れられて興味深かったです、日本も陸軍・海軍が別々に開発をしていたのですね。

以下は気になったポイントです。

・1945年4月最初の会議で上がった原爆投下候補地は、 東京湾・ 川崎・ 横浜・ 名古屋・大阪・ 神戸・ 京都・ 広島・ 呉・ 八幡・ 小倉・ 下関・ 山口・ 熊本・ 福岡・ 長崎・佐世保、であり 何度かの会議を経て3、4箇所に絞られた。その中に京都があった、京都が B 29と焼夷弾による大規模な空襲を免れた理由は、 文化財を守るためではない 原爆の効果を見る 見極めるには無傷の京都が望ましいということであった(p13)

・トルーマン大統領が 京都 リストから除外することを確認した後に、 長崎が再浮上した。 広島・ 小倉・ 長崎・ 新潟の4 都市が記された10日 命令書は7月25日付で出された(p14)

・ 1905年には 第16師団が編成され 伏見 に 兵営が誕生した、 師団とは、 歩兵・ 騎兵・ 砲兵・工兵・ 輜重兵のすべての兵士が集まったもので、 要するに 戦争ができる部隊 単位をいう(p28)

・明治初期の神仏分離令と上知令によって、 南禅寺 や清水寺は所有地を 明治政府に召し上げられている、 廃仏毀釈の流れから祇園感神院は、 いち早く 寺から八坂神社に変身させられた、 このようなことが GHQ によって 今度は神社界きるかもしれないという恐れがあった(p39)

・平安神宮を平安時代から続く 神社だと勘違いする人は少なくない、 しかし 実は極めて 歴史が浅く 明治維新の後(1895=明治28)に作られている、 その新しさこそが 米軍との親和性を高めた、 境内も外のとにかく 広いことも アメリカ人に受けた(p41)

・明治維新で天皇陛下が東京に遷られると、長らく栄えた都から ごっそり 人が消えた、 平城京を失って 奈良 が廃れたように 京都もその二の舞になるのではないか、 焦った 京都が考えた町おこし の一つが平安神宮の造営であった(p42)

・神社 や神道のお取り潰しはなかったものの 1945年12月15日 から神道指令がだされる、国家神道は 廃止するが、市民の祈りの場としての氏神は問題ない、 全国の神社も残すが政教分離を貫かねばならない。 言い換えれば神社は国からの援助が断たれ自ら稼いで運営しなくてはならなくなった、 そこで誕生したのが 結婚式場であった(p46)

・上賀茂神社はすでに 聖域として認定されていた、占領軍兵士でもむやみに入れない 聖域は、他には、伊勢神宮、 京都では石清水八幡宮、 下鴨神社、 ほとんどの 天皇陵 である(p90)

・近衛家は五摂家の筆頭として代々朝廷で重要な役割を担ってきた、 近衛は元総理であるとともに30代当主でもある、 どうすれば天皇家を存続し得るか脳裏にあったのは、降伏した場合 連合国が天皇の責任を追及してくるかもしれないということであった、なので 万が一の場合は歴史の先例に従って、天皇陛下を「仁和寺 」にお迎えし、落飾をお願いする、出家すれば連合軍の追求を 免れると考えた(p108)

・室町末期 吉田兼俱(かねとも)が 創始した 吉田神道は、江戸時代には徳川家の庇護を受け、全国神社の神職の任命権を持つ家元のようなシステムを作り上げた、ところが 明治維新で伊勢神宮を中心とする国家神道が 確立されると その権威は削がれていった(p117)

・京大に原爆開発を依頼したのは 海軍で、陸軍はすでに東京の理化学研究所の 仁科博士に委託していた。秘密裏に要請された京大の それは、 F 研究、 理化学研究所は、二号研究と呼ばれた。 研究の依頼先も京大出身の荒勝の研究室と、 東大卒の仁科の研究室に分かれていた(p119)

・サイクロトロンとは 物理学の基礎研究に使われる 円形加速器のことである、 京大にあったものは 核分裂を起こさせたり 放射性同位体を作ったりできる 当時の 核物理学では最先端の装置であった。 理研には大小 2台あり京大でも建設中だったのである、 F 研究では ウラン 濃色に使われる計画だったが 装置は完成せず実際には使われなかった(p119)

・壊された サイクロトロン、 理研のものは東京湾の横浜沖、 阪大のものは大阪湾に落とされたとされる一方、 京大のものだけはどこに沈められたか 現在でも不明である (p120)

・当時の朝鮮半島は日本領だった、 朝鮮北部ハムフンの 興南(フンナム)にはアジア最大の 軍需工場があり、 原爆製造に不可欠な世界最大級の水力発電所が日本企業によって作られていた、資源も恵まれていた、金・銀・ 銅・鉄・ 鉛・ タングステン・ 石炭・ マグネシウム・ 黒鉛・ 雲母・イットリウム・ ウラン などが豊富に産出されどんな爆弾も作ることができた (p124)

・ソ連は1945年8月8日に日本に対して 宣戦布告、 8月12日にあったとされる 核爆発の数時間後 ソ連は朝鮮半島北部の興南を占領し 核 インフラを奪う、 日本の核技術者を連れ去り そのわずか4年後に核実験に成功した(p125)

・ 1944年11月から45年の4月までに、 福島・ 茨城・ 千葉の3カ所からアメリカに向けて 風船爆弾が放たれた、 北アメリカ大陸まで届いたのは356発、 合衆国 が212、 カナダ 103、 アラスカ 38、 メキシコ 3、太平洋上に5発だった(p140)

・太宰府に流された 菅原道真 を天神として祀るのが、 全国 1万2000にある天神さんの総本社「北野天満宮」である(p144)

・昭和20年9月24日、 軍人が持たない美術品としての刀剣は、所持 OK と GHQ が認めた、日本の刀剣が美術品となった瞬間である、神社仏閣の宝物、 国宝はもちろん先祖伝来の刀剣も含まれた(p151)

・原爆投下地から京都を外すのは 、トルーマン大統領も同意していただろう、 当時日本はソ連を通じて和平工作に動いていた、 その距離感 からすればアメリカが京都を破壊すれば、戦後の日本は反米国家となり ソ連に接近し、 アメリカが戦後に主導権を握ることは困難になると考えたかもしれない(p189)

・最近になってアメリカ 有識者から別の見方が説かれるようになった、京都 温存するのではなく 宿敵 バチカンの拠点である長崎を攻撃するのが 狙いであった、 実際 軍事施設の三菱造船所ではなく、 浦上天主堂が破壊されている(p195)

・占領期に 日本に送られた米兵たちの大半は高学歴の若者であった、 彼らの多くは日本の文化に魅せられ 日本という国に恋をした、と筆者は聞いている(p202)

・日本への原爆投下は許しがたいが、 マッカーサーと スティムソンによって国体が維持され京都が残った、私たち一般国民が知り得ない日本の奥義をある時 知ったのだろう、 1000年以上も 宮古であり続けた 京都では、 祭礼や人々の祈りの蓄積が戦後 アメリカ的価値の植え込みをはねのけたとさえ 筆者は感じている(p203)

2026年4月6日読破
2026年4月7日作成

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2026年04月07日

Posted by ブクログ

京都にほぼ空襲の被害がなかったのは、原爆投下ポイントとして挙げられていたからである。
しかも、何度も却下されながらも、執拗に復活させた馬鹿者がいた。
もっとも結果的に京都が爆撃ポイントから外されたのは事実で、そこは「古都」についてのギリギリのリスペクトがあったのかもしれないが、何も感謝するポイントではないと思う。彼らは、原爆も、焼夷弾空襲も、躊躇うことは一切なかった。

米国による占領は、「マシ」ではあったがマシな対象が、あそことかあの辺ていうだけで、たかが戦争に勝ったくらいで、なぜ相手の文化を破壊する権利があるのか。明らかな戦争犯罪ですらない。

神社の神域にゴルフ場を作るってな、どういう了見か。

ギリギリ「ニホン」が残ったことに感謝すべきなのかどうか。

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2025年06月02日

Posted by ブクログ

京都が原爆投下候補地になっていたことは知っていたが、その経緯としていくつかの説があることを知った。除外の理由が文化・歴史としての希少性や関心なのか、戦後の統治への影響の考慮なのか、様々な思惑があっただろう。戦後についても、GHQの接収や兵士の住宅確保に御苑を使うという話もありながらも、結果、植物園になったという経緯や、上賀茂神社の山をゴルフ場にするギリギリの調整がされていた話など、面白く読んだ。

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2025年04月04日

Posted by ブクログ

戦争中そして終戦後の状況について、親がよく語っていた。最もつらかったのは、食べ物の乏しさ。薄い汁のようなものばかりしか食べることができず、すぐ腹が減ったとのこと。堀川や五条が広くなっていくこと、馬町に空襲があったことなど、リアリティをもって話すのである。
占領軍がかっ歩しているところは、あまり見なかったらしい。
にしても、植物園や丸紅の建物などが接収されていたことは、古い世代の京都市民は覚えているようだ。

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2024年12月22日

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