あらすじ
1945年敗戦。京都市内にも随所に星条旗が翻った。四条烏丸に進駐軍の司令部が置かれ、二条城脇の堀川通はアメリカ軍の滑走路となり、上賀茂神社のご神木はゴルフ場建設のために切り倒され、祇園歌舞練場は米軍専用キャバレーへと姿を変えた……。日本降伏の間際、幾度となく原爆投下の候補地としてリストアップされながら、紙一重で悲劇をまぬがれた古都の往時を、日米双方の史料と貴重な証言から紡ぎだす。
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Posted by ブクログ
米軍の空襲を免れた京都。だが広くは知られていないが、京都にも米軍の進駐による葛藤、隠れた歴史があったという。
ゴルフ場に変えられた上賀茂神社の御神木、米軍住宅が建てられた府立植物園など。
「ワシントンハイツ」で占領政策を追った筆者が、舞台を京都に移す。
原爆忌避伝説にも触れている。
一風変わった視点からの京都の歴史。
Posted by ブクログ
終戦後の京都と占領軍の関係について良く理解することができた。あまり戦争というイメージのない京都でのGHQとの「戦い」は現代の日本人も学ばなければならない。伝統文化が多数存在する京都ならではの話だと思った。
Posted by ブクログ
京都は歴史的な街だから戦争の被害をほとんど受けなかったと認識していた。京都でもこのようなことがあったなんて。今の京都があるのは奇跡なのかもしれない。
Posted by ブクログ
いや、こんなことが京都で起こってたなんて、半世紀ほどしか京都に住んでないよそ者やけど、知らんかったわ。ちょっとビックリ。でも、読んでみると納得やわ
Posted by ブクログ
京都にほぼ空襲の被害がなかったのは、原爆投下ポイントとして挙げられていたからである。
しかも、何度も却下されながらも、執拗に復活させた馬鹿者がいた。
もっとも結果的に京都が爆撃ポイントから外されたのは事実で、そこは「古都」についてのギリギリのリスペクトがあったのかもしれないが、何も感謝するポイントではないと思う。彼らは、原爆も、焼夷弾空襲も、躊躇うことは一切なかった。
米国による占領は、「マシ」ではあったがマシな対象が、あそことかあの辺ていうだけで、たかが戦争に勝ったくらいで、なぜ相手の文化を破壊する権利があるのか。明らかな戦争犯罪ですらない。
神社の神域にゴルフ場を作るってな、どういう了見か。
ギリギリ「ニホン」が残ったことに感謝すべきなのかどうか。
Posted by ブクログ
京都が原爆投下候補地になっていたことは知っていたが、その経緯としていくつかの説があることを知った。除外の理由が文化・歴史としての希少性や関心なのか、戦後の統治への影響の考慮なのか、様々な思惑があっただろう。戦後についても、GHQの接収や兵士の住宅確保に御苑を使うという話もありながらも、結果、植物園になったという経緯や、上賀茂神社の山をゴルフ場にするギリギリの調整がされていた話など、面白く読んだ。