【感想・ネタバレ】ツァラトゥストラは こう言った 上のレビュー

あらすじ

晩年のニーチェ(一八四四―一九〇〇)がその根本思想を体系的に展開した第一歩というべき著作。有名な「神は死んだ」という言葉で表わされたニヒリズムの確認からはじめて、さらにニーチェは、神による価値づけ・目的づけを剥ぎとられた在るがままの人間存在はその意味を何によって見出すべきかと問い、それに答えようとする。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

【熱血・超人説教】
第1部と第2部が収められています。
ツァラトゥストラ、という主人公が、なんだか人間を超えようと修業したのちに山を下りてきて、人間たちに説教をする、というような流れです。
ちょっと分かるようなところもあり、分からないところもありました。
難しさ、わざな部分もあるようです。ルター訳の新約聖書の文体、語りと掛け合わせて書かれていると、あとがきで解説がありました。
そのニーチェの工夫は、解説がないと大部分の日本人には伝わらないところだと思うので、解説大事だなーと思いました。
神に代わる、超人の存在を説く、のですが、いろいろな現生の人間の批判をしているというか、とにかくめちゃくちゃに言っています。

静かに山で修行していたのにすごい勢いだなーと思いながら、それもニーチェの描く超人は、破壊と争いを肯定しているので、それぐらいエネルギーがないとダメなのかもしれない、、、ですね。第2部では歌も歌っています。意志への力、が一つ超人の必須スキルですが、まさに、思いに溢れているようすが伺えます…。

__そうだ、傷を負わせることのできないもの、葬ることのできないものが、わたしのなかにある。岩をも砕くものがある。それはわたしの意志だ。それは黙々と変わることなく、幾歳月を歩みつづける。(192)

人間の本能としての権力欲?みたいな印象も一部受けたのですが、今のところかなり男性優位、というか完全に男性中心の考え方があります。


__意志ーこれが自由にし、よろこびをもたらすものの名だ。(242)

でも、意志はとんでもないもの含んでいると警鐘を鳴らします。

__『そうあった』ーこれこそ意志が歯ぎしりして、このうえなくさびしい悲哀を噛みしめるところである。すでになされたことに対しては無力である。…意志は、さかののって意志することができない。意志は時間を打ち破ることができない。... 時間、および時間の『そうあった』に対する意志の反感、これが復讐の招待である。(242-243)

これがルサンチマン的なものの話なのでしょうか。

キリスト教など、罪を償うための罰に変えて神にすがるというような、他人任せの救済として宗教を批判しているみたいですね。

__『そうあった』は、すべて断片であり、謎であり、残忍な偶然である、-創造する意志がそれに向かって、『しかし、わたしが、そうあることを意志した!』と言うまでは。(245)

__誰ひとり意志にむかって、時間との和解を、またあらゆる和解よりもさらに高いものを、教えたことはなかった。(245-246)


見た目の迫力的には達磨を思い出しましたが、その後の無口度(?)とは正反対の道を行ったのだなーと思いながら。でもニーチェは仏教も参照して触れられていますが、宗教のすべてを否定しているようなので、ツァラトゥストラの新しい悟りの境地、後半を読み進めたいと思います。

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2024年10月08日

Posted by ブクログ

ネタバレ

超訳ニーチェシリーズを読んでからのツァラトゥストラ。
少しは理解できるかな?と思って読んでみたけど、私の理解力では追いつけなかった(笑)
他の方々の感想を見ていて、本文を理解し、楽しんでおられる方が羨ましく、
私もそこのレベルまでいつかいきたいなと思った(笑)
言葉の意味を理解するのにも時間がかかり
何度も読み返して咀嚼していかないといけない本だなと思った。
噛めば噛むほど味わえる、スルメみたいな本だなと思った。
私も超訳とかではなく、そのままのこの文章を自分の中に落とし込んでいって、
自分なりの解釈を考えることを楽しめるように、
ツァラトゥストラと対話できるようになりたいな。
「今のレベルでは私はこう思った」という感想も大事にしたい。
また再びこの本を挑戦するときまでに、たくさんの本を読み、
成長した自分がまた読んでどう思うのか?ということも楽しみだなと思った。

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2024年06月23日

Posted by ブクログ

ネタバレ

ツァラトゥストラを主人公にした、当時のキリスト教社会を否定したニーチェの思想を盛り込んだ物語。

初めはなんやこれな感じだったが、聖書をパロッタものということがわかってからは、これがどうして中々面白く読めた。

本来の思想はもっと違うのかもしれないが、個人的な感想としてはより現代的であると思うし、結構自己中心的でもあってとても人間くさく感じる。

哲学書として非常に難しくはあるが、今風っぽく人間らしい主人公に共感しながら読み進められる分、入り口としてはうってつけなのではないかと思う。

またある程度時間が経ったら読み返してみようと思う。

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2015年11月11日

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