あらすじ
プロポーズの翌日、恋人が盗撮で捕まった。
カメラマンの新夏は啓久と交際5年。東京駅の前でプロポーズしてくれた翌日、啓久が通勤中に女子高生を盗撮したことで、ふたりの関係は一変する。「二度としない」と誓う啓久とやり直せるか、葛藤する新夏。啓久が“出来心”で犯した罪は周囲の人々を巻き込み、思わぬ波紋を巻き起こしていく。
信じるとは、許すとは、愛するとは。
男と女の欲望のブラックボックスに迫る、
著者新境地となる恋愛小説。
わたしの心と体を通ってきた、無数の、犯罪の名前が付かないたくさんの傷のことを考えた。苦しかった。読めてよかった。
――高瀬隼子(作家)
僕はこの物語を、生涯忘れることはありません。
――けんご(小説紹介クリエイター)
女性が置かれている地獄のある側面が突きつけられる。
――スケザネ(書評家)
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Posted by ブクログ
タイトルから愛しているなら、すべてが抱擁される、そんなイメージで読み始めた自分の足元が一気に崩される一冊でした。
一穂ミチさんの『恋とか愛とかやさしさなら』は、プロポーズの翌日、恋人が盗撮で逮捕されたことから始まります。昨日まで一番近くにいた人の中に、自分のまったく知らない部分があった。その事実を知ったとき、人は相手を以前と同じように愛せるのか。
特に絶望感を感じたのは、主人公が彼を信じ直そうとしている最中、地下鉄でシャッター音が響いた瞬間、無意識に彼の様子を確認してしまう場面です。頭では許したい。けれど身体は覚えている。一度生まれた疑いは、愛情だけでは簡単に消えてくれない。その描写には息苦しくなるほどのリアリティがありました。
しかも本作は、「愛が足りなかった」「許せばいい」と単純な答えを出しません。愛しているから傷つき、信じたいから疑い、疑う自分にもまた傷つく。その矛盾を抱えたまま生きる人間の姿を丁寧に描いています。
読み終えたあと、タイトルの最後にある「なら」という二文字が、急に違って見えました。恋とか、愛とか、やさしさ“なら”届くと思っていた場所に、実は届かないものがある。
やわらかな装丁に惹かれた人ほど、その内側にある人のブラックボックスの深淵に絡め取られます。人を好きになることと、その人を理解することは同じではない。そんな当たり前だけど理解に抵抗を感じさせられる物語でした。
Posted by ブクログ
☆4.1
商業で初めて読んだ一穂先生の作品
新夏サイドは正直だれる部分もあって、あんまり。
でも、加害者サイドのお話がおもしろかった。
Posted by ブクログ
表紙と思ってた内容が違いすぎた!
続きが気になっちゃって、あっという間に読み終わった。
啓久の盗撮をもうやらない理由が「コスパが悪いから」って、そうじゃないだろー!!ってなった。
新夏の立場だったら、すぐ別れると思うな〜。
Posted by ブクログ
すべての人は思いや意思をもち、表現する権利がある。
このような意見表明権や、自由権を、話の節々から感じた。
自由権では、思想の自由やそのように行動する自由がある一方で、社会の中で他人の権利を侵害しない限りという制限がある。
カメラで撮るということは、自分が感じた言葉にならないものを表現するということなのだろうから、その表現をする権利はすべての人に保証されるものである。しかし、性に触れること、事件や災害現場でのことが絡み合い、許されないことになる。
結婚目前だったパートナーがカメラで他人を盗撮をしたことをきっかけに、物語に浮上してくる世の中の差別意識、男女間の人権侵害、性加害と被害の背景にあるもの、
すべて人権侵害が根深く社会にあることからおこっている様相を描いていると気づく。
どうして目の前の人の声を、そのまま尊重して聴くことができないのだろう。
「気持ちがわかるなんて簡単に言わないで 」と、
人と人との会話は簡単にすれ違う。
盗撮するなんて彼氏は別れたほうがいいとか、
そんなことで別れたらもったいないとか、
自分の経験や価値観など無意識に相手にのせて考え、助言したり、下にみたり、決めつけたりしてしまう。
ただ目の前の人がなぜそういう表現をするのかを、自身の経験を横において聴き、わかろうとすることが、意見表明権を守るということ。そこには、相手の力を信じるベースがある。
「ナチュラルに人を下にみて、それを相手に悟られても平気でいる。」
「ニカは俺をわかりたいんじゃない。ニカが受け入れられる、都合のいいストーリーを欲しがってるだけだろ?ー俺を信じようともしてない」
“どうしてだろう、恋とか愛とかやさしさなら、打算や疑いを含んでいて当然で、無垢に捧げすぎれば、時に愚かだ幼稚だと批判される。なのに「信じる」という行為はひたすらに純度を求められる。”
このように文中に書かれている。
いや。恋でも愛でもやさしさでも!
自分の考えを押しつけるのでなく相手の声や表現を聞けばいいだけなのに。自他の境界線を保ち人を尊重すること、それがシンプルでありながら近い関係の人には難しくなることが多々ある。自分の価値観、無意識下の”ブラックボックス”と文中で言われるものは、滲み出てしまうことが多い。
確かに恋は境界のない思いのやり取りや押し付け、行いを含む。
でも、本当の意味での愛とかやさしさって、
相手を信じる、相手の存在をそのまま認める
上で成り立つものではないかな〜
冷静な立場からはそう語れるとしても、
さて自分は、
自分の価値観に反する行動や思想を究極に大事な人が表現したとしたら
表現を受け取ることができるのだろうか。
何度も迷いながらでもいいから、受け取れる自分でありたい。