あらすじ
「自由・平等・友愛」を合言葉に,近代の世界史上に最大の劇的転換をもたらしたフランス革命-.この事件は,人間精神の偉大な達成である一方で,数知れぬ尊い命を断頭台へと葬った暗い影をもつ.なぜ革命はかくも多大な犠牲を必要としたのか.時代を生きた人びとの苦悩と悲惨な歩みをたどりつつ,その歴史的な意味を考える.
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Posted by ブクログ
フランス革命は「劇薬」だったという主張の一冊
▼身分制(革命の前提)
1790年前後のフランス当時は身分性が敷かれていた。
「聖職者>貴族>市民」
聖職者&貴族は合わせて全体の2%程度。かなりの割合が市民
一方で実は市民のなかにも2つの立場がある。
ブルジョワといわれる高級市民たちは地主として農民に土地を貸したり、親方として職人を従えたりしていた。当時の制度ではお金さえ払えば貴族にもなれる。
一方で市民の中でも下層にいる「大衆」とも言われるような市民たちはかなりの貧困の状態。
▼フランス革命が起こった背景
①vsイギリスでの劣勢
ヨーロッパの覇権を争っていた英仏。戦争なども行って植民地を取り合ったり。
一方でイギリスで産業革命が起こり英仏の経済力で明暗がはっきりしだしてくると、フランス国内では現体制(貴族を中心にした王政)に限界があるのではという不満が高まっていた。
②ブルジョワが求める資本主義
ビジネスで経済的に成長してきたブルジョワ層。彼らにとっては貴族は税金免除で自分たち市民にだけは税金が課されることなどには不満であり、より自由主義な資本主義的な体制がつくられていくことを求められていった。
一方でブルジョワは「貴族になりたい」という想いを持った階層でもあった。お金を払って実際に貴族になっていく者たちも多かった。なので貴族たちの現体制に反抗するモチベーションももちつつ、その体制に取り込まれるモチベーションも持ち合わせていたのがブルジョワの立場。
③大衆の貧困
ブルジョワたちだけでは「貴族への反発」「貴族への羨望」の矛盾の中で革命に踏み出せない。そこに大衆の革命意欲が重なったことでフランス革命は起こった。
思い重税の中で身分制のしわ寄せにあっていた大衆層たちは反発する理由を持っていた。
一方で革命の最初の時点で大衆層から見るとブルジョワも貴族も一緒。
「貴族↔ブルジョワ、ブルジョワ↔大衆」だったのが「貴族↔(ブルジョワ↔大衆)」という対立はしながらも貴族を共通の敵として変えていこうという動きをとった。
▼フランス革命の変革
本当のきっかけは自由主義貴族たちの王族への反抗。
当時イギリスとの覇権争いに破れかけていたフランスは財政的にも苦しく、それまで特権階級だった貴族にも課税をしようとしていた。これに反抗したのが貴族。彼らは3つの身分の代表を集めて三部会という議会を開いた。
一方で思惑と外れたのはブルジョワ層あっちが想像以上に貴族層に反発するようになった。
思惑が外れた貴族たちが武力で制圧しに来るだろうという空気が流れる中でブルジョワ以下の大衆も立ち上がりバスティーユ牢獄の襲撃などが起こり始める。その流れが大衆層の反乱にも繋がっていく
・91年体制:
最初は大衆とブルジョワで手を組んで革命を開始するも、大衆の反乱が大きすぎることからブルジョワは一度大衆と手を切って貴族と手を組む。あまりにも大衆の勢いが大きすぎるとブルジョワが持っている所有の権利も侵されてしまう。
・93年体制:
一方で保守的貴族たちがオーストリア・プロイセンと手を組んで革命を抑え込もうとしたため、「革命が失敗したら自分たちの目指すことも実現できない」と、再度揺り戻しが起こり、再びブルジョワと大衆が手を組むように。92年に王政が倒れてフランスが共和国になる。徹底革命路線に。
ロベスピエールなどジャコバン派は革命を断行するためには大衆と手を組んでいくことが必要だと特定しており、そのためにブルジョワの権利を守りつつ、大衆にも一定の情報をしていくバランスをとっていった。
例えば91年体制で完全でパンの価格は自由化をされていたが実際には談合が行われてパンの値段が釣り上げられるようなことが起こっていた。これにたいして談合を徹底的に禁止するなど。
一方で議会も複数の意見に分かれていく。もっとブルジョワ側に寄ろうとする一派や、もっと大衆側に寄ろうとする一派などを。それをロベスピエール中心に粛清していったのが恐怖政治時代。
・94年体制:
しかし大衆側は反資本主義。あまりもこちらに揺れ戻りすぎることもブルジョワにとってはマイナス。その流れから1794年のテルミドールのクーデーターが起こり、最終的にはブルジョワが求める資本主義的な共和国家に近いところで革命は終着する。
実際の民主主義的な選挙などはナポレオンの王政などを経て1850年近くになってから、生存権的な「誰しもが生きることができる最低ラインを確保して、その上で所有権を認める」というような主張などは近代の福祉国家的な思想に繋がっていっている。
▼なぜ恐怖政治、独裁は起こったのか
①議論では解決しない
そもそもにおいてブルジョワは資本主義を実現したいが、大衆は資本主義になるとより一層貧富の差が生まれるので反対。一方で大衆の力がなければ革命は断行できない。
つまり会話でこの議論を収束させることができない。それゆえに解決策としての独裁・粛清は魅力的だった。
②自分たちが「正義」と信じられる論理を持っていた。
ロベスピエールは自分たちを「一般的利益」、大商人とのつながりが強いジロンド派を「個別的利益」を追求していると定義していた。
相手は自分たちの利益を追求しているだけで、自分たちが正義なのだと。
③大衆の扇動
ロベスピエールは大衆を煽って、あいつらは個別的利益を追求しているのだから議論に攻め込んで改革しようと。
大衆の反乱で議会が成立していなかったがその勢いをも取り込んで革命を起こした背景があった。
▼日本とイギリス
イギリスでは貴族がブルジョワ化していき彼らを中心に革命が起こっていた。フランスでは革命の中心になった大衆が、イギリスでは脇役。
フランスでは平等が求められたのに対して、イギリスでは「自由」が中心になった。もともと貴族だった方々がブルジョワ的に経済面でも力を持ち、彼らにとって望ましい国家に作り変えられていった。
日本でもブルジョワに当たる大商人たちは江戸末期に発達していたが、まだ革命を起こすだけの力を持っていなかった。
そのなかで黒船がやってきて外圧により強制的に革命を起こさざるを得ない状況に。結果的に起こったのは身分制における「武士」の層を中心に革命が起こったこと。
結果的にフランスなどは下の身分の人が自分たちで権利を勝ち取っていった(回復の民権)が、日本の場合は武士が自分たちで回していた体制を革命で壊し、市民たちに上から権利を与えるという形をとっていた(恩賜の民権)
▼議会ではなく反乱
・大衆層は議会に対して代表を出していない。92年体制以降の議会でも実は議会で革命を起こそうとしていたのはブルジョワ層。
対して大衆層は議会ではなく反乱で世論を動かそうと。法や制度を帰るのではなく暴力を通じて議会に圧力をかけて、ブルジョワ中心の議会を動かそうとするということをやっていた。
Posted by ブクログ
フランス革命は人間の熱情の噴出であり、社会に良き変化をもたらすとともに恐怖政治で多くのものを失わせた「劇薬」であった。
恐怖政治を推し進めたロベスピエールの論理も、それ単独で見れば悪いものではない。生存権は何より優先されること、個人の利益ではなく公共の利益を考えること。しかしそれがよいものであるために、それを正義と盲信しすぎればそれは排除につながる。自分が正義だと信じる人間はどこまでも残酷になれる、というのは昨今の自粛警察やアメリカのデモにも通じることがある気がする。ロベスピエールといえば悪の巨魁のようなイメージだったが全然そうではなく、冷徹で理想に燃える正義漢だったのかなという気がした。生存権は第二次大戦後にやっと根づき、今もその都城にある。いつの日か、と願った彼らの理想は、いつか完遂するのだろうか。人間の悲惨さと偉大さは裏表、というのも分かる気がする。