あらすじ
「ダメ、ゼッタイ」に代わる、有効な手立てはありうるのか?
依存は回復の始まり。
やめればいいってものじゃない!?
連載時から当事者、当事者家族、支援者・専門家を騒然とさせた
不良患者×不良医師による画期的な往復書簡がついに書籍化――。
現代人にとって最も身近な「病」である依存症――非合法のドラッグやアルコール、ギャンブルに限らず、市販薬・処方箋薬、カフェイン、ゲーム、スマホ、セックス、買い物、はたまた仕事や勉強など、その対象は多岐にわたる。
そんななか最も身近な依存物質であるアルコール依存症の治療中で、数多くの自助グループを運営する文学研究者・横道誠と、「絶対にタバコをやめるつもりはない」と豪語するニコチン依存症で、依存症治療を専門とする精神科医・松本俊彦の、一筋縄ではいかない往復書簡が始まった。最小単位、たったふたりから始まる自助グループ。
依存症の裏側にある、さらにその深淵へ!
特別鼎談「ギャンブル依存症問題を考える(ゲスト:田中紀子)」も収録。
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Posted by ブクログ
久しぶりに一気読みした。面白かった、、、、、やはり自分の中にある切実な問いに向き合おうと思うと、自ずと興味関心が高く集中してしまう、、特に松本さんの著作は他にも勧められているのもあるし、読みたい。
私は自分が何かの依存症だとは思わないが、他の人と同じように何かに依存して、その依存先が少なくなることもあって、人間関係においては別れを経験し、なぜこうも別れが辛いのかと泣き悩むことがある。そしてなかなか手放せず、依存時間がダラダラとしたり、それがきっかけに自暴自棄になりそうな時だって、ある。そういった体験の理解を依存症の本は少し助けてくれるような気がするのだ。
以下線を引いたところ
「2、ヘイ、マコト 松本俊彦」
ー神さま、与えてください。
変えられるものを変える勇気と
変えられないものを受け容れる心の落ち着きを
そして、その両者を見分ける賢さを
…
そして、依存症の人たちに羨望の念を抱きました。「仲間がいるっていいなぁ」と素直に思いました。だって、人は歳をとるごとに本当の意味での仲間は少なくなり、孤独になっていくものです。かつての友人は成功を競いあい、マウンティングしあうライバル関係へと変容し、仕事を通じて知り合った人の名刺だけはやたらと増えるものの、所詮は利害関係上のつながりにすぎません。プライベートだってそうです。結婚したり子どもができたりと、私的生活でも責任が増すごとに、家族の前ですら仮面が必要となってくるでしょう。(p.32)
冒頭の「平和の祈り」は『スローターハウス5』にも引用されていたものらしい。すっかり覚えていない笑
すっかり最初の松本さんの語り口に引き込まれてしまった。
結局のところ、親が苛立つのは、子どもが自分の思い通りにならないからなのです。その意味では、依存症は、時代の文化や価値観、あるいは社会的通念と無関係ではありません。…ここに依存症薬物(あ、アルコールはれっきとした薬物ですよ)の謎があります。実は、ある薬物が違法か合法化といった区別には、明確な医学的根拠などないのです。少なくとも「健康被害や依存症が深刻だから違法」ではありません。主流派に愛されている薬物は合法で、少数派に愛されている薬物は違法と、どちらかといえば多数決で決まっています。(p.35)
ちなみに、苦痛の緩和に役立つのは、心地よい酩酊だけではありません。一般的には「苦痛」と捉えられるものですら役に立つことがあります。たとえばリストカットのような自傷行為を考えてみましょう。…しかし、それでも、それよりもはるかに大きい苦痛から一時的に意識を逸らすのに役立つ可能性があります。そうであればこそ、リストカットはしばしば習慣化するのです。
…かつて米国の依存症専門医エドワード・カンツィアンは、「依存症の本質は快感ではなく苦痛であり、人に薬物摂取を学習させる報酬は快感ではなく、苦痛の緩和である」と指摘し、「自己治療仮説」という考え方を提示しました。この自己治療仮説は、私たちに依存症の本質を教えてくれます。それは、依存症は確かに長期的には命をさらしますが、皮肉なことに、短期的には、今いるしんどい場所や状況に踏み止まり、「死にたいくらいつらい今」を一時的に生き延びるために役立つことがある、ということです。
人が何かにハマるとき、そこには必ずピンチが存在します。大切な関係性の喪失や破局のような一大事かもしれませんし、少々無理をしている、今いる場所が何となく居心地が悪いといった程度のこともあるでしょう。程度の差こそあれ、ピンチにはちがいありません。(p.39)
「9. ヘイ、トシ(再び)横道誠」
私は非モテだから、おじさんになったいまでも、セックスよりもオナニーを積極的にやっていて、希死念慮が高まると、高まったことでトクすることはほとんどないんだけど、オナニーの快楽はグッと向上している感じがあって、それはありがたい。ふだんの強烈な苦悩が一時的に緩和されるから、そのギャップの力で性的興奮を感じやすくなっているのか、「まだ死にたくない」という生存本能が掻きたてられて、その機序で気持ちが良いと感じるのか、それともほかの理由があるのかは、よくわからない。女性の場合には、もしかしてそういうメカニズムが理由で、自傷行為めいたセックス依存にのめりこんでいく人も多いのかな、なんて想像します。(p.116)
「10. なぜ人は何かにハマるのか? 松本俊彦」
…物質の薬理作用よりも、「自分の力で気分を変えることができる」という、行為によるセルフコントロールの成功体験の方が、報酬としてはるかに強力であり、それゆえ依存症を引き起こす可能性が高い、ということです。…
要するに、人を依存症にさせるのは、物質の薬理作用ではなく、行為を通じた自己効力感の体験ー心身になにらかの刺激を与え、身体感覚の変容感を介して気分調節に成功する体験ーの方ではないか、ということです。そして、身体感覚の変容感を引き起こすための行為は、一定の薬理作用を持つ物質の摂取でも、あるいは、スリルと興奮を引き起こすパチンコやゲームでもよいのでしょう。(p.126)
…依存症の根源には、制御不能な<現在>を何とか乗り越え、予測不能な<未来>を少しでも可視化したい、というあまりにも人間らしい、人類全体の欲望が横たわっている、と。(p.133)
「16. 依存症家族支援と強すぎないつながり 松本俊彦」
…そっと「愛をもって手を放す」べきところを、「もうあいつなんかどうなってもいい」と、力んだ助走で勢いをつけて「突き放す」のです。しかし、そのような乱暴な方法は後に家族に罪悪感を覚えさせ、本人への冷酷無比な対応を後悔させます。そればかりか、「やっぱり私にはあの人が必要、そしてあの人にも私が必要」と、より強力な共依存に舞い戻ってしまいかねません。(p.220)
…家族とは不思議なコミュニティです。お互いの希望や期待、恨みや嫉みが深く入り組み、いささか下品なたとえですが、相互に相手の急所を掴みあって均衡する変態的関係、あるいは、一方の傷を他方の傷で塞ぐような、傷を介してつながる境界曖昧な関係ーそれが家族です。その意味で、家族は本質的に共依存的要素を孕んでいます。…私たちが内と外とのあいだに線を引く瞬間、愛情/憎悪の熱量、あるいは、束縛/排除の力学が生じている可能性はないでしょうか?そしていうまでもなく、愛情はありがたいものですが、だからといって束縛の苦しさを相殺することはありません。(p.226)
「18. アディクションと死を見つめて 松本俊彦」
…思うに、アディクションと死とは表裏一体の関係にあります。というのも、アディクション自体が、「死にたいくらいつらい現在」を生き延びるために、「死んで解放される」のを一時的に延期し、迂回する手段だからです。したがって、もしもアディクションの効果が減衰したり、何らかの事情でアディクションが不可能となったりすれば、死は現実の危機として迫ってきます。(p.253)
Posted by ブクログ
思えばあの学生時代の勉強会と言い、私はかなり初期から依存症について近い場にいたと自負している。とはいえ、遠ざかってかなり経つというか、この本を読んで驚くことがたくさんあった。そりゃ何十年も経っているんだもの。変わるとこもあるよなぁ。特に『ハームリダクション』について。昔は断酒しかない、と学んだけど、量を減らして生き延びるという方法があるとは。そして依存症になるには育った家庭環境だったり、発達障害による生き辛さがあったり、自殺せずに済むために何かに依存して何とか生き延びているということ。やっぱこういう系の本も読んでいたいものだ。
Posted by ブクログ
依存症に関する往復書簡。往復書簡というものに慣れてなくてどうも上滑りして読むのに苦労したのだけど(著者ではなく読み手の自分のせい)、とても面白かった。
依存症について、知っているようで全然知らなかったんだなということが多かった。例えば、違法薬物を使用したとして依存症になる人はその中の1割だとか、セックス依存症や買い物依存症は病気として正式な認定がされていないとか。とくに前者は、「薬やめますか?人間やめますか?」で薬物の恐ろしさを散々テレビ番組等で刷り込まれた人間としては驚き。酒だって飲んでる人全員がアルコール依存症になるわけじゃないでしょ、と言われてもやはり薬物は違うのでは?とこの本を読んだ今でも信じられない気持ち。
松本先生(トシ)の、専門医視点からの話はとても興味深かった。患者と家族両方の味方はできなくて、医者は常に患者の味方とか。
でもいちばん印象的だったのが、子どもの頃に同級生の女子にされたからかいに対するトラウマの話。なんか身につまされたというか身に覚えがあるというか。
それに対しての横道先生(マコト)のフェミニズムは被害者男性を救ってくれないという話もなるほどねぇと思って読んだ。まぁ救わないよね。(正直あまりそこに同情はしない薄情な女ではあるのだが)
あと、横道先生の話で自助グループの話とかAAとかの話を読みながら、前に読んだ石田月美さんの本に出てきた話と同じだなーと思ってたら石田月美さんの名前が出てきて笑ってしまった。みんな繋がっている。
Posted by ブクログ
以下につきます。
依存症は苦痛の緩和によるもの
依存症の裏側にあるものをみる
困った人は困っている人
最大の悲劇は酷い目に遭うことではなく一人で苦しむこと
Posted by ブクログ
人が依存症になるのは快感のためではなく、苦痛の緩和のためであるという。なるほど、我が身を振り返ってみても納得できる説である。かなり長いこと私はワーカホリックであったのだが、そのおかげで当時苦しめられていた言いようのない不全感をやり過ごすことができていた。依存症は長期的には命を危険にさらすが、短期的には今を生き延びるのに役立つことがある…皮肉なものだ。
依存症当事者の支援について、著者のお二人が重視している「ハームリダクション」という考え方にもハッとさせられるものがあった。また、「ダメ。ゼッタイ。」という対処法がいかに当事者を孤立に追い込むかという話には、思わず背筋が寒くなった。