あらすじ
電子版は本文中の写真の一部をカラー写真に差し替えて掲載。
幕末、先進技術を習得すべくイギリスに留学した若き長州藩士たちがいた。伊藤博文、井上馨、山尾庸三、井上勝、遠藤謹助の五人である。
出発点を同じくしながら、やがて有力政治家となった伊藤・井上馨と、官僚人生を全うした他の三人。
その運命を分けたものは何だったのか。
高度な専門知識により工業・鉄道・造幣の分野で活躍した山尾・井上勝・遠藤の足跡を軸に、近代国家形成期に技術官僚が果たした役割を明らかにする。
感情タグBEST3
このページにはネタバレを含むレビューが表示されています
Posted by ブクログ
幕末期に英国に密航、のちに新政府のなかで活躍するいわゆる「長州五傑」(伊藤博文、井上馨、山尾庸三、井上勝、遠藤謹助)を通じてみた維新期の官僚・政治家論。とくに官僚類型として「事務官僚」「技術官僚」を措定して、後者の技術官僚という枠組みで長州五傑を論じているのは、タイトル通りである。
海外の先進知識を身に付けて帰国した彼らは「技術官僚」としてキャリアをスタートさせるが、それぞれまったく別の道を歩んだ。とくに政治家的資質を早くから発揮し、法制官僚・政治家へと転身していくのが伊藤。その点、井上は同じく政治家を指向しながらも最終的には首相にはなれなかった。
かたや工部省を中心に活躍した山尾。鉄道の父・井上勝は典型的な「技術官僚」としてその活躍の場を得る。遠藤謹助は大蔵省の造幣部門で官僚人生をまっとうするが、多分一般にはもっとも知られていない。しかし、個人的にはもっとも興味があった(ほとんど知られていないので)。
近代日本の官僚が試験によって登用されていく制度ができあがっていく頃に彼ら長州五傑もその役割を終えるのだが、官僚と政治家の関係性のバランス自体はその後も変化していく。とくに政党が大きな役割をもつようになって以降、日本の官僚はやはり独自の変化をしていくと思う。政党と官僚の議論に繋がっていくと面白いのではないだろうか。