【感想・ネタバレ】ベル・ジャーのレビュー

あらすじ

わたしはぜんぶ覚えている。あの痛みも、暗闇も――。
ピュリツァ―賞受賞の天才詩人が書き残した伝説的長編小説、20年ぶりの新訳。

優秀な大学生のエスター・グリーンウッドはニューヨークのファッション誌でのインターンを勝ち取ったとき、
夢がついに叶うと信じて喜んだ。しかし、退屈なパーティー、偽善的に感じられる恋人、
空虚なだけのニューヨークでの生活に違和感を覚え、世界が支離滅裂なものに感じられる。
そして、とあることをきっかけに精神のバランスが徐々に崩れていく。

世の中は欺瞞だらけだと感じる人、かつてそう思ったことがある人たちに刺さりつづける、
英米だけで430万部以上を売り上げた世界的ベストセラー、待望の新訳。
海外文学シリーズ「I am I am I am」、第一弾!

...続きを読む
\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

Posted by ブクログ

何の前情報もなく
装丁の美しさに惹かれてすぐ購入した一冊。

初めてシルヴィア・プラスの文章を読んだけど
本当に文章が美しくて
さすが詩人だなと思った。
エスターのリアルな心の描写が読んでいて
苦しくなったり、また正直すぎる表現に時に可笑しく感じたりもした。
共感できる所が本当に多く、1950年代に書かれたものと知った時はびっくりしました。

また辛くなったら読み返したくなる一冊かなと思った。

0
2025年08月15日

Posted by ブクログ

30歳という若さで夭折したシルヴィア・プラス唯一の長編小説。
日本で手に入る作品は詩集と、短編集である『メアリ・ヴェントゥーラと第九王国 シルヴィア・プラス短篇集』くらい。
長編はこの『ベル・ジャー』一冊だけ。訳者後書きにも記されていたが少女版『ライ麦畑でつかまえて』と言われているとか。確かにそれも頷ける作品だった。

物語は1953年の夏、ローゼンバーグ夫妻の死刑執行のニュースから始まる。
マッカーシズム旋風吹き荒れるアメリカ。国民は共産主義の影に怯える集団ヒステリー状態で、友人や家族であっても少しでも共産主義の疑いがあるなら密告し、根拠の有無を問わず告発される。
更に今以上に女性は、女性として妻として、生き方を押し付けられてきた。
自分らしく生きることが難しい社会、環境でキャリア、人生に悩み、次第に精神を壊していく若い女性の姿を本書は描いていく。
そんな時代に主人公のエスター・グリーンウッドは優秀な成績を収めて、ニューヨークのファッション誌のインターンを勝ち取る。エスター・グリーンウッドは物書きになりたいと思っており、インターンはその足がかりになるとそう思っている。
しかし、エスターは精神を壊してしまう。
その結果、希死念慮が頭から離れなくなり、何度か自殺未遂も起こしてしまう。
そして精神病院に入院するまでに……。
その理由については明確な理由があるわけではないのだが、アメリカ社会に流れている空気が、そうさせてしまったように見える。
だからだろうか、今読んでもこの息苦しさは古臭くない。

あと余談だが、本書を読んで後半部分の精神病院の場面で『17歳のカルテ』を思い出した。
影響下にあるかも、と調べてみたら『17歳のカルテ』の原作は作者スザンナ・ケイセンの実体験が元になっていた。
スザンナ・ケイセンは18歳で自殺未遂を起こし、入院させられているのだが、その病院はシルヴィア・プラスが入院させられたところと同じなんだとか。

0
2025年02月07日

Posted by ブクログ

読み終わった後、どうしてこんなにもつらいんだろうと考えていたが、それはやはりエスターの孤独や閉塞感が如実に伝わっていたからだと思う。一つ一つの描写がじんわりと自分の中に溶け込んでいく感覚だった。常に目の前がガラスで囲われていて、さらにそれが不快に曇っており、物事がはっきりと見えない。他者の目に晒されることを分かりながらも、一歩踏み出すエスター。またいつか読み直したい。

0
2024年11月28日

Posted by ブクログ

言葉が詩的で綺麗で、特にスキー場の表現がお気に入り。表現があまりにもリアルで、何度か手に力が入らないくらい怖くなる時があった。
序盤NYの部分は、友達の容姿、お洋服の質感からレストランのテーブルに置かれたネームカード、身に纏っている香水の匂いまで、とても綺麗に描写されていて読んでいて凄く好きだった。
NYでの熱い湯船についての話も、自分が言語化できなかった感覚が綺麗に言語化されていて、読んでいてsatisfyingだった、嬉しかった。
figtreeの部分も、she explains so well like 読むのが苦しかったくらい。訳者のあとがきでの言及も良かった。
白人主義、精神病外国人等々色々な差別、時代的背景が見えた。
お気に入りの小説かも。

0
2024年10月05日

Posted by ブクログ

読んだ後に、わ、この感じなんだっけ、あ、サリンジャーかと思ったら訳者あとがきにライ麦畑の話があって、ああ、ってなった。

0
2024年09月02日

Posted by ブクログ

ネタバレ

優秀な奨学生エスター・グリーンウッドは雑誌社のインターンに選ばれ、マンハッタンにやってきた。しかし社会の厳しさや不条理に触れ、純潔に見えたボーイフレンドは実はそうではなくてモヤつき、ライティングコースにも選ばれなくて将来の設計図がぐらつき、自殺を図って精神病院に入れられる。後半は精神病患者の目から見た周囲の人々や病院の様子が、『赤い花』とかそういう作品と重なった。優秀な女子学生の挫折と、死にたくても死にきれない気だるさと、将来への不安と絶望感を感じた。
訳者あとがきに、この作品の舞台である1953年アメリカは、ソ連のスパイとされた民間人が電気椅子で処刑されることがセンセーショナルに報じられた時代であり、女性差別や人種差別、同性愛者への差別などが入れ子構造で根強く残っていた時代だと書かれていた。精神病を治そうとして脳に電気を流すショック療法がエスターに施される様子や、その失敗からエスターがショック療法をトラウマ的に拒否する様子が描かれているけれど、結局電気椅子もショック療法も同じで、社会から異端とされた人には電気が流されて、その人を排除したり「普通」に戻そうとしたりするってことよね。そしてこの社会で貞操を守り、夫である男を盛り立てて赤ん坊を産むことが理想的かつ一般的な女性のあり方とされる中で、処女のエスターは産婦人科で避妊具をもらって初対面の数学者と関係を持つ。女子奨学生で、精神病院に入院していて、子供を持つことを拒否するエスターはこの社会のアンチであるように見える。生きていたくないのに、首を吊ろうとしても気が遠くなれば首を絞める力は緩むし、溺れようとしても力を抜けば浮き上がってしまう。社会に異端とされながらも人生からはなかなか逃げられない。
ベル・ジャーは、十五章に「ガラスの鍾」のふりがなで出てくる。常に彼女はベル・ジャーの中に座って、すえた自分の臭いをかぎながらくよくよ悩む、ということで、彼女を閉じ込めている自意識であるだろうし、あるいは「ガラスの天井」のような、彼女が囚われる見えない鳥籠でもあるんだろうか。ベル・ジャー自体は実験などで使われる上から被せる形のガラスの容器ということだけれど。エスターは幾度かのショック療法を経てこのベル・ジャーから解放されるというから、「正常」になれば解放されるものなのかもしれない。
「ベル・ジャーの中で、死んだ赤ん坊みたいに無表情で動かなくなった人間にとっては、この世界そのものが悪い夢だ」
そういえばエスターが医学生の恋人バディのもとで、瓶に入れられた胎児(ホルマリン漬け?)をいくつもみる場面があったけれど、エスター自身がその胎児に重ねられているのか。医学生が検体や瓶詰めの胎児を雑に扱うように、社会の中で物のように尊厳なく扱われているしその程度の価値しかない(と自己認識している)対象(オブジェクト)としてのエスター。
バディと一緒に出産を見届けた女性はトモリッロという名前だが、精神病院で隣のベッドに来たのもトモリッロさんで多分同じ人なんだろう。彼女は我慢ならない姑が訪ねてきたことで「めちゃくちゃになって」精神病院に収容されたと語るが、エスターが自殺未遂者だと知ると彼女を無視し始め、医者に頼んで二人の間に白い隔てのカーテンを引く。トモリッロさんは生を絶対善とする「ザ・女」であり、エスターのネガ(いやポジ?)的な対極な存在なんだろうけど、二人ともが精神病院にいるのって男性社会において象徴的、ただトモリッロさんはすぐ退院したのかベッドは空になって次の患者が入っている。

0
2025年07月28日

Posted by ブクログ

ネタバレ

1960年代に書かれ、すでに一度邦訳されているアメリカの小説。昨年(2024年)、この新訳が出版され話題になっていた。
1950〜60年頃のアメリカ文学には、時代を超えて読まれてきた有名な作品も多いが、個人的には少し苦手意識がある。それは、社会に適応しきれない若者の肥大した自己意識を、どこまでも一人称の自分語りで書き連ねていくようなタイプ。この小説もまさにそんな作品だった。文中(原文)に出てくる「I am, I am, I am...」という象徴的な一節は、この訳書を第一弾とする海外文学シリーズのシリーズ名にもなっている。

社会の入り口に立って精神のバランスを崩してしまった女子大学生が主人公。見えないベルジャー(ベル型のガラスの蓋)に閉ざされてしまった彼女の心情と、その目に映る周囲の出来事がヒリヒリするような筆致で描かれる。随所にみられる文学的に美しい表現に心惹かれたが、決して読み心地のいい小説ではない。自傷行為や希死念慮の具体的な描写もあり、現に今、精神の状態のあまり良くない人には、読むのをおすすめできないかもしれない。それほど真に迫る力がある。それでも最後に希望がみえるのが救い。

0
2025年07月24日

Posted by ブクログ

一節ごと「この感覚はなんだ?」そう思いながら読み進めた。中盤になり何かがぼんやりと輪郭を表してきた。
普通ってなんだとか、むしろこれが異常と思われることがおかしいのか?、何かに引き込まれていくかのようだった。
ベルジャーというタイトルも何か調べず読み進めたが、成る程それねと知った。

読み終えてからこの本の書かれた時代背景を知った。
理解することは難しい、そんな内容だったけど私まで巻き込まれているかのような不思議な感覚だけがザワザワを残した。

0
2025年06月26日

Posted by ブクログ

明るい未来は、たわわに実ったイチジクの樹から好きなだけその果実を取れるように容易に手に入れられると思っていたエスターは、手に取る前にそれらが落ちていくディストピアの現実社会に気付く。ニューヨークのファッション雑誌でインターンをし、作家になる夢に向かい歩き出したエスターは、1950年代のアメリカの期待される善良で勤勉でいい男と結婚するという「女性」の役割を強制されることに抗い続ける内にベルジャーの中に閉じ込められ精神が壊れ始める。この物語が作者プラスが30歳で自ら命を絶つわずか数週間前、まさに死の淵を彷徨いながら急いで、しかも美しい詩的な表現で執筆し出版された事実を知ると、ベルジャーの中で絶望に泣き、もがき続けるプラスの姿が浮かび辛くなる。

「イチジクの木の幹の分かれ目に座り、飢え死にしそうになっている自分の姿が見えた―どのイチジクを選んだらいいか決められないのだ。あれもこれも欲しくて、ひとつを選んでしまったら、残りすべてを失うと思っている。そうして決められずにいたら、イチジクにしわが寄って黒くなり、ひとつ、またひとつと、足元の地面に落ちていった。」“ I saw myself sitting in the crotch of this fig tree, starving to death, just because I couldn’t make up my mind which of the figs I would choose. I wanted each and every one of them, but choosing one meant losing all the rest, and, as I sat there, unable to decide, the figs began to wrinkle and go black, and, one by one, they plopped to the ground at my feet.”

「ベル・ジャーの中で、死んだ赤ん坊みたいに無表情で動かなくなった人間にとっては、この世界そのものが悪い夢だ。」“To the person in the bell jar, blank and stopped as a dead baby, the world itself is a bad dream.”

0
2025年02月21日

Posted by ブクログ

1950年代、優秀な主人公エスターは、出版社のインターンに選ばれる。ニューヨークのホテルに滞在し、一緒になった女の子たちと映画を観たり、パーティーに参加したりと華やかな毎日だ。
彼女は、なんでも選べるし、何にでもなれるはずだったが。
自分の思い通りにはいかない葛藤と焦りで、精神を病んでゆく…。

の見えない不安を抱いて、自己を確立していくのは、どの時代でも難しい。
エスターの孤独と絶望感が切々と胸に迫る。

0
2025年01月26日

Posted by ブクログ

P361. 〈もしかすると忘れてしまえば、雪のように、なにも感じなくなって覆い隠されてしまうのかもしれない。でも、あれはぜんぶわたしの一部だった。わたしの風景だった〉
 覚えのある痛みの記憶が、読んでいると刺激されてシクリと疼く。歳を取り、少しくらいのことでは傷つかなくなったが、それでも傷は生々しくそこにある。きっと生きている限り癒えることはないだろうとも思う。
生きることは確かに傷つく事だ。世界と自分との不和に惑い、他者と一つになれない事に気がつき続ける事だ。けど、だからこそどうか生きて、その痛みこそがあなただから、と、祈る。

0
2025年01月02日

Posted by ブクログ

ネタバレ

書くことで選ばれたのに書けず、恋人へも不信感がつのり友人とも距離を感じ、勉強にもついていけなくなり、という負のスパイラル。お決まりの自殺未遂に精神病院へのコース。読んでいて辛くなるような内面の吐露。この閉塞感がこちらにも伝わってくる。読んでいて嫌な気持ちになるのはそればかりではなく、主人公が他人に対しての容赦ない蔑視が堪らなかった。

0
2024年12月16日

Posted by ブクログ

文章が読みやすく、1行読めばスッと小説の世界に戻っていける気持ちいい本だった。でもやっぱり青春小説の枠は出ていないかな? 大人向けとは言えないかなという印象。でもそれが心地よかった。

0
2024年11月21日

Posted by ブクログ

翻訳者さんもいらした読書会に参加しました。
皆様ありがとうございました。

===
ファッション誌の小説コンクールで優秀賞を得た女子大生のエスターは、雑誌社のインターンとしてNYに滞在していた。雑誌社の用意した女性専用ホテルには他に11人の女性たちがいて、研修やパーティが行われる。ここで認められればNYで執筆しながら華々しく暮らせるだろう。
しかしエスターの心は晴れない。
女性ホテルにいる他の女性は都会育ちで華やかなパーティにも慣れている。エスターは田舎町の出身で父親もいない。デートした男性はいるけれどそれ以上の関係を持つことはない。
彼女たちに馴染みづらい。なかでも賑やかなドリーンとは一緒にナイトクラブに出かけることもある。だが自分は男性からは相手にされない。
デートしたバディ・ウィラードとの結婚に憧れたこともあったけれど、彼の不誠実さにすっかり目が覚めてしまった。だってバディはエスターを男性経験豊かだって思っている。それなのにそのバディが娼婦まがいの相手と何度も何度も何度も経験していただなんて。自分はそれだけの経験をしているのに知らないような顔をして!エスターは、バディに勝手に対抗心を持って、それなら自分も処女を捨てないと!(←落ち着け)
バディの両親のウィラード夫妻は典型的な「家庭的」なご夫婦。すっかり息子の妻扱いされて困っている。このウィラード一家は、悩むエスターに対してお気楽表面的幸せ一家。人を傷つけていることに気が付かず、悩みは自分中心。悪意はない。まあ繊細に苦しむ人にとって、世間の人ってこんなかんじなのだろう。(バディは無神経だが、私もおそらく世間的には「お気楽」なので、ごめんなさい(^_^;)
エスターはバディが肺を病んで療養所に入ったときに少しずつ離れることにした。

小説の前半はエスターのNY生活が中心となり、子供の頃からの「違和感」を滲ませる。
子供の頃から成績優秀だが、得意なことは「良い成績を取る」ということ。先生たちからの覚えもめでたいがそのため取りたくない講座を断るために知恵を使わねばならなくなる。苦手なのは、料理、ダンス、そして男性関係。
雑誌社の賞をもらった時は、詩を書いて過ごせると思った。しかしNYで華やかに過ごすと、迷わず言える将来が無いことに気がつく。
エスターの語りは、誰に対しても何に対しても心の中では冷めて、しかし周りとの会話も噛み合わず、心のなかで皮肉な返答をするだけ。
華やかな人々との会話の空虚さ、そして男たちも自分を相手にしない。
…それにしてもさ、エスターがパーティで男性から突然ひどい暴力を受けて驚いた。これって本当にこんな暴力振るわれたの?すでに妄想が始まっている?
そう、この小説はエスターの一人称なので読みながら「大袈裟なの?本当?」ということはたくさんあります。「彼女にとっては真実だけど、客観的事実とは違うだろうなあ」という小説なのかな。

NYの最後の夜の場面は印象的だった。
NYで着てきた服を全部持ってホテルの屋上に上がる。一枚ずつ取り出して休戦旗のように振り風に乗せて手を離す。服は暗いNYに落ちてゆく。まるで愛する人の遺灰のように。

インターン期間を終えてエスターは母親の家に、そして大学に帰った。彼女はすっかり無気力になっている。希望していた小説家の講座に入れなかったことで決定的になった。食べられない、着替えられない、一日中横になるが一睡もできずに時計の針が動くのをずーーっと見つめるだけの一週間を過ごす。…と、エスターは言うのだが、母親は「眠っていたじゃない」という。エスターの現実認識が相当薄くなっていく様子が感じられる。
エスターは、お気楽自意識過剰坊っちゃんのバディに「君はノイローゼになる気質だな」なんて笑われていることを心の底にわだかまりとして溜めているんだが、まあその気質を持っているのかもしれないが、暗示的なものにかかっちゃったのかもなあ。

後半はエスターの精神科治療場面。最初のゴートン先生はいかにも通り一遍で表面的。当たり前に施した電気治療は、エスターと読者に苦痛と恐怖を与えてくる…。
…当時の精神治療で電気療法は当たり前だったんだろうけれどこんな強力なものを通院でひょいひょいとやるもんだったのか(ーー;)しかもそんな恐ろしい電気療法を受けたエスターの浮かんだ気持ちが「なんて恐ろしいことをしてしまったのだろう」という自分に原因を感じてしまうということが彼女の傷つき方を感じた。

ノイローゼ(現代風だと鬱病かな?)は酷くなり、エスターは自殺未遂を起こす。命が助かった彼女はそのまま入院することになった。入院中のエスターの姿が自殺未遂の後遺症で相当悲惨なものとして描写されていて…、さすがにここまで酷い見た目になるのか。(←あくまでのエスターの一人称小説なので、彼女は自分の姿がそう見えた、ってことで客観的にはここまで酷くなかったかもしれない)
新しい女医ノーラン先生は話はわかる人。エスターは信頼を寄せる。だが電気ショックだけは絶対にやりたくない。

…後半は肉体的にも精神的にも辛いのだが、小説としては読みやすくなってきた。NYにいたころは普通の生活を送っていたが、作者の精神状態が合っていないというか、なんだか馴染まないような読みづらさがあったんですよ。
それが故郷に戻りやることなすことうまくいかなず、ノイローゼが見えてきた頃から小説としては読みやすくなってきた。この物語は著者の自伝的な側面がかなり多いようで、もしかしたら著者の精神状態と記載内容が合ってきたんだろうか。そして著者はこの小説を書き上げてから自殺されたということです。

自伝的というためもありこの頃の治療方法や周りの反応が書かれるのだが、当然のように書かれていることがショッキングだ。
エスターが電気のショック療法を施されたときの電気と光の描写は自分も眩く感じてしまったし、ロボトミー療法(-_-;)を受けた患者には「こんなに簡単にやってたの…」と思う。
エスターの鬱症状には母親はなすすべもなく「いい子にしてね」「どうしてこんなことになってしまったの」と戸惑うばかり。…ごめんなさい、私はこの母親を呆れられない。私も自分の子供の一人が荒れて相談所や児童精神科に通った頃はこの母親より何もできませんでした(-_-;)
そして医師になった学友がわざわざ患者のエスターを見に来るんだとか、これが当時のリアリティだったのかな。(←エスターの一人称ということと、過剰なエピソードを積み重ねているので、半分妄想かもしれない。)

小説の題名「ベル・ジャー」は、化学実験などでつかうガラスの覆いのこと。エスターはその狭いベル・ジャーに閉じ込められて手も足も動かせないことを考える。このまま閉じ込められて、しかし自分から覆いを外す力も気力もない。
物語の終わりでエスターは退院して一歩踏み出すことを選ぶ。
冒頭で、エスターは結婚して子供もいることが示されている。この小説は、エスターが昔NYで生活したこと、自殺未遂したこと、入院していたことを心の一区切りついたこととして、回想している書き方だ。

しかし読者は安心できない。本当に?区切りがついた?だってエスターは皮肉的で(でも攻撃的ではない)、心置きなく過ごせる相手もいないし、好きなこともない。
それでもエスターが「区切りがついた」と言うなら、「ふつうの」女の子とたちだってベル・ジャーの中で座っているんだということに気がついたからかな。

読者としては、どうしてもこの小説発刊後に自殺した著者と重ねてしまうこところはある。しかし著者が小説の最後で「エスターの一歩前進」を示したなら、読者としても彼女は少しは前を見る事ができたのだと思いたい。

<わたしは全部覚えている。
解剖用の屍体のことも、ドリーンのことも、いちじくの木の話も、マルコのダイヤのことも、コモン広場の水平のことも、ゴードン先生のところの外斜視の看護婦のことも、割れた体温計のことも、に種類の豆を運んできた黒人のことも、インスリン療法で九キロ太ったことも、ソラとウミのアイダに灰色の頭蓋骨みたいに突き出した岩のことも。
もしかすると忘れてしまえば、雪のように、何も感じなくなって覆い隠されてしまうのかもしれない。
でも、あれはぜんぶわたしの一部だった。わたしの風景だった。(P361から)>

❐読書会
●痛ましい(T_T)
●現代の人と同じ悩みじゃないか。
●エスターは成績優秀だが突出しているほどではない。「なにか」になることが必要な世の中で何になればよいのか、なりたいものがない人の苦しい。
●苦しいことはあるけれど、エスターはやろうとしている。しかし特に対人関係は的外れだったり、当てはめなくて良いところを当てはめたりしているこの四苦八苦感。
●この時代は、やらなくてよい、曖昧な生き方が認められない。
●自分が何者か分からない人が、あたなは何者かを表明しろといわれる苦しさ。
●表紙美しい。モザイクっぽい感じがバラバラな感じで合っている。
●エスターは世間を冷めた斜の目線でみている。冷静というわけではない。スカした感じ。
⇒自分を守る手段でもある。
●スキーの場面。リフトをうまく降りられず上まで行っちゃって、ジグザグに滑れないのでまっすぐ滑ってぶつかって怪我して。死ねるかと思ったら眼の前にバディが笑ってるし。人生みたい。
●ゴードン先生の強烈な電気ショック療法も酷いが、一見いい人のノーラン先生もかなり酷いんじゃないの。エスターを騙くらかしてるよね。なぜエスターは信頼したんだ?
⇒母親を面会謝絶にしたのは素晴らしい。
●ジョアンが自殺したときの態度が、自分は生き延びたという勝った感じがした。
●日本に対する描写がちょこちょこありますね。
●シルヴィア・プラスは(特に詩を読むと)男性を嫌悪しているのではないか。
●女性の言葉が「だよね」というようなフランクな男性言葉。この当時の男女の役割を考えたら「だわ」などになりそうですが、この書き方が現代的でチャーミングさも感じました。
●このどん底を書いた作者の作家としての凄さ。
●著者も鬱病というが、それにしては冷静な面もある。
●エスターの回想という形なので、エスターは書けなかったことが書けるようになったということが区切りということなのかな。
●何度も自殺しようとするんだけど失敗というか、自殺未遂にすらたどり着かないところが、自殺未遂というパワーすらない感じがした。死ななくてよかったけど、死ぬことも、死ぬことを辞めることもできない。そこに辿り着けない。
●これだけ読むと辛いですが、児童文学はかわいいですよ。自分のことを書くと厳しくなるけど、「書く」だけだと別の考えが見えます。

❐翻訳者さんより
●表紙は描き下ろしだよ。破片でできている体、頭の部分は卵の殻です。繊細さ、痛みを感じる。題名の『ベル・ジャー』が小さく目立たない(帯に隠れてる^_^;)が、本屋で積まれていてもこの挿絵でわかってくれる。
●エスターは19歳から20歳。シルヴィア・プラスが書いたのは30歳の時。10年後に詩人の彼女が生活費のために唯一書いた小説。しかし書くことにより辛い辛いことを追体験してしまい、発刊直後に自殺した。
●リアルすぎるのだが、かなりデフォルメもされて、ユーモアも感じる。
●「大袈裟な描写がありますね。激しい集団食中毒、デート相手からの急な暴力、最初の電気ショックの強反応、セックスしたら出血が止まらず血だらけ、自殺未遂から助かったら顔が激しく変形している。本当にあったの?大袈裟?精神的にも肉体的にも過剰反応するのかな?」という意見に対して。
⇒翻訳者さんは普段はテキストと著者は離して考えるのだが、今回は重なることもあるということ。
シルヴィア・プラスが自分のNY生活から10年経って書いたので、大袈裟に、過剰に表現(認識)しているところはあるだろう。(実際に著者の自殺未遂した時には、こんなに顔面変形していなかったので、デフォルメ)
●「I am I am I am」が2回出てくる。最初は海に行って無茶な遠泳中。2回目は自殺した友人の葬儀で。これを「わたしは…わたしは…わたしは…」と、「わたしは、わたしは、わたしは」と翻訳している。
⇒これは心臓の高鳴りでもある。
「I I I」ではなく「I am I am I am」なのは、「わたしは〇〇」という続く可能性を感じる。
「私の心臓は高鳴り、あれにもこれにもなれるかもしれない。」という、私は私だけのものという感覚を出したかった。
⇒「自分だ」という強さを感じた。
⇒「わたしは〇〇」とは断言しない「わたしは」で終わる。
●ベル・ジャーとは?という問いゆ。
25ページで実験用ガラス容器の中に入っていたのはアルコール漬けされた赤ん坊。死ぬかもって思った時に思い浮かんだのは死んだ胎児。エスターの自殺未遂では胎児のポーズ。
ラストでは他の人達もベル・ジャーにいると考える。
ベル・ジャーは何のモチーフ?
⇒自分と世界を隔てる見えない壁。男性と女性の壁。普通の人と自分との壁。見えない壁があるということに気がついたという物語。気づいて生きることと、気づかず生きることは違う。
●ラストでは自分の意志で退院したのではなく、医師に促された描写。エスターは心から世間に出ていくのか、出られないのか、この揺らぎが素晴らしい。
●強いエピソード、強烈な場面が多い。痛みや苦しみという個人的な感情をエピソードに乗せている。「自分は苦しい」と直接書かずに、描写や視点で痛みを客観として積み重ねてゆく。

0
2024年09月27日

Posted by ブクログ

イチジクの木の枝のように拡がるたくさんの未来の可能性が枯れていくのは、自身の努力不足か現実か。

少しずつ真っ白な死に惹かれていくのは彼女だけではないでしょう。〝性〟は〝生〟かもしれないが、そこにノルウェイの森のような空気はない。

題名の「ベルジャー」とは釣鐘形の実験用のガラス容器で、真空を作り出す実験に使用するものらしい。彼女の容器はいつかまた何かで満たされることを願う一方、著者がその後、自死を遂げていることが脳裏をよぎる。

人は何度、自分の手首が脈打っているのを視ることだろう。

0
2024年09月10日

Posted by ブクログ

ネタバレ

感想
すべて受け入れると言ってくれた人。包んでくれたはずの人。あの人たちはもういない。だけどせめて感謝だけは忘れずに。前を見て。

0
2024年07月29日

Posted by ブクログ

シルヴィア・プラスの筆力はすごい。読んでいるうちにどんどん引き込まれていく感じ。主人公の悩みや考え、経験していることが自分のそれと重なる部分もあって、読んでいてめちゃくちゃエネルギーを持って行かれた。それだけプラスの筆力はすごかった。

すごく暗くて閉塞感がある内容なのに、なぜか描写が美しくて瑞々しく感じるところが多かったのも印象的だった。
一番有名なイチジクの木の一節は、自分の経験そのままで辛かった…

0
2025年06月28日

Posted by ブクログ

地元では成績優秀で自信に満ち、そつなく暮らしていた19歳の女の子が都会に出てみたら自分には何もないということがわかってしまい、そこからどんどんと落ちていく人生と壊れていく心の描写が丁寧に描かれていて苦しい。何かを選び取ろうとすると他の何かを全部失ってしまう気がして迷っているうちに結局全部失ってしまうという感覚はすごくよくわかる。重い内容なのに不思議と文章が瑞々しく、描写が美しいので惹き込まれてしまった。
映画『17歳のカルテ』に似ているなと感じた。
17歳のカルテが刺さる人にはすごく刺さると思う

0
2025年06月05日

Posted by ブクログ

主人公であるエスターが自殺未遂に至るまで消耗する過程は割りかし丁寧に描かれていたと思う。優秀な奨学生から病院のボランティアへと、自分のやりたかったことから大きくかけ離れていき、最後まで自分の仕事の価値を認められず絶望していく主人公の心情は、見ていて苦しかった。

当時のアメリカであれば、上手く良い男を捕まえて結婚すればそれでOKでもあったのだが、それも主人公のプライドが許さない。このように考えられる幸せの可能性(イチジク)をどれも選べずに腐らせてしまうことが、主人公の破滅に繋がっていく。なまじ優秀な人間の悲劇をよく描いている。

星5でないのは、この本を書いてそれほど経たないうちに、著者がオーブンに頭を入れてガス中毒で自殺したという、センセーショナルな前情報から期待値を上げすぎたためかもしれない。

0
2025年04月30日

Posted by ブクログ

ネタバレ

詩人プラスの最初で最後の長編小説。後半、主人公が感じていた息苦しさや痛みに共感できたとは言えないけど、彼女が死に引き寄せられていく様子は、読んでいて辛くなった。若い頃に読んでいたら、受け取り方がかなり違ったのかもしれない。
フィクションとノンフィクションの間、、、

0
2025年03月11日

Posted by ブクログ

 主人公のエスターは、ボストン郊外でシングルマザーに育てられました。誰よりも努力した結果、ファッション誌のコンテストで書いたものが認められ、その雑誌社のインターンに選ばれることができました。

 期待に胸を膨らませてマンハッタンに出た彼女は、社会の厳しさや不条理を目の当たりにし、自分の無能さを実感します。ボーイフレンドの裏切りにもあい、実家に戻ったエスターは、作家への道も閉ざされ、自殺を図った後、精神病院に入れられます。

 1963年に書かれた、作者 シルヴィア・プラスの自伝的作品だそうです。
60年も前に書かれたこの作品の主人公エスターの生きづらさが、現代の若い人の生きづらさと変わっていないのはなぜでしょうか。

 淡々と出来事が綴られていく中で、エスターの心の痛みが本当に痛々しいです。1950年代のアメリカ社会の女性の閉塞感を知ることができましたが、わたしとしては辛い作品でした。

0
2025年02月24日

「小説」ランキング