【感想・ネタバレ】文鳥・夢十夜(新潮文庫)のレビュー

あらすじ

人に勧められて飼い始めた可憐な文鳥が家人のちょっとした不注意からあっけなく死んでしまうまでを淡々とした筆致で描き、著者の孤独な心持をにじませた名作『文鳥』、意識の内部に深くわだかまる恐怖・不安・虚無などの感情を正面から凝視し、〈裏切られた期待〉〈人間的意志の無力感〉を無気味な雰囲気を漂わせつつ描き出した『夢十夜』ほか、『思い出す事など』『永日小品』等全7編。(解説・三好行雄)

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Posted by ブクログ

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思い出すことなどがよかった。一度死にかかったが故の死生観や所感が、漱石の筆致で綴られていて、とても感銘を受けた。ここで生きながらえ、こころが生まれたかと思うと、生き延びてくれてありがとうと思う。

0
2023年02月05日

Posted by ブクログ

ネタバレ

短編小説と随想のあいだくらいのものだったり、
日記調のものだったりする小さな作品を小品というそうですが、
夏目漱石のそんな小品を集めた本です。

もともと、昨年の三月に観たのですが、
Eテレ『100分de名著 夏目漱石スペシャル』にて扱われた『夢十夜』に、
理屈を超えたところで、なにか強く惹かれるものがあり、
これを目当てで本書を手に入れて、今回やっと、読んだのでした。
309ページの分量のなか『夢十夜』はたかだか30ページそこそこ。
読み終えてしまうと、
そのあとの200ページ超にまったく期待をしていなかったため、
すこし放っておいたくらいなのですが、
続きを読みだすとすごくおもしろい。
どんな小さな作品でも、夏目漱石をみくびるものではないな、と
恐れ入った次第です。

なんていうか、夏目漱石って人はエリートで文豪というイメージですから、
強い意志で文学をやり抜いた人で、明治ならではの頑固者でもあったのではないか、
なんて勝手に思ってしまうのですが、そうじゃないんですよね。
文学をやり抜いたことはすごいことですけども、
漱石自身もそうであるとしながら、
人間一般っていうものの柔弱な部分を見つめ、
愚かな部分を秘密にせず、露わにすることをよしとしている。
明治時代ならではだなあ、と現代人には受けとめられるような、
男尊女卑の浸透した生活の描写であっても、
出来うる限りのフラットさで女性を描いているふうであるので、
描かれている人間の差別意識だとか階級意識が透けて見えてくる。
「素直に、ストレートに」というような姿勢が
漱石のベースにはあるなあと読み受けました。

イギリス留学時のいっときについての小品もありますし、
猫(吾輩は猫であるのモデルですね)が死んだときの小品もあります。
その他、明治の頃の情緒、生活感などを感じることができます。

そんなところで驚くのが、
当時の思想や哲学に、現代に十分使えそうなものがあることでした。
漱石くらいのエリートですから、
洋書をたくさん読んでいます。
舶来品として、西洋で出版されてからそれほど長いタイムラグもなく
漱石たち文化人や学生たちは吸収していたのかもしれない。
……まあ、わかりませんが。

たとえば、こんなのがあります。
血を吐いて長く静養した43歳前後のころに書きとめた
『思い出す事など』という小品集での23章目にあたるところなんですが、
____

余は好意の干からびた社会に存在する自分を甚だぎこちなく感じた。
____

から始まっていく洞察であり思想であるところが、
僕にとっては非常に共感するものだったのです。
「義務」と「好意」についての話なんです。
____

人が自分に対して相応の義務を尽くしてくれるのは無論有難い。
けれども義務とは仕事に忠実なる意味で、
人間を相手に取った言葉でも何でもない。
従って義務の結果に浴する自分は、
有難いと思いながらも、
義務を果たした先方に向って、感謝の念を起し悪(にく)い
それが好意となると、
相手の所作が一挙一動悉く自分を目的にして働いてくるので、
活物(いきもの)の自分にその一挙一動が悉く応える。
其処に互を繋ぐ暖かい糸があって、
器械的な世を頼もしく思わせる。
電車に乗って一区を瞬く間に走るよりも、
人の脊に負われて浅瀬を越した方が情けが深い。
____

このあとにも続いていくのですが、
仕事でもなんでも義務でやっていたら干からびてくる、
半分でも好意が混じっていたらあたたかい、と漱石は言うんです。
僕もこの事について同じように考えていたことがあって、
それはモース『贈与論』を解説する本に触発されたものでした。
そのあたりは、本ブログの記事としてもいくつか残っています。

『贈与論』は漱石の死後8,9年後の出版ですし、
その後いつ邦訳されたかはわからないですが、
「干からびた社会」という気付きに繋がる時代の空気みたいなものが、
たぶん1900年前後の何十年間かに世界的にあったのかもしれない。
日本では平成の終わり頃から、
同時多発的にこれが再発生してきているように、僕には見受けられる。

僕はたとえばトレーサビリティにも人の温かみ、
つまりその人の体温や影を受け手が感じるようになればいいのに、
と考えていたのだけれど、
実はそれって比較的近い年代である近代からの温故知新的なのですね。
この、「人を想う」的生活って、
コモディティ化(一般化)したらいいのにと思っています。

なんでそんな「人を想う」ようなライフスタイルがいいの? と問われれば、
そのほうがみんな生きやすくなるから、と答えます。
「一般」だとか、「ふつう」だとか、そういった人たちの生きやすさ。
なので基本的に、
抜き身の刀を手に世界に出て「えいやぁ!」と戦うような人のための思想ではありません。

また、27章目でも、おもしろい思想が出てきます。
オイッケンという学者の説を紹介しながら、漱石なりの解説をするところです。
そこで扱われるのが、精神生活という言葉であり概念です。

_____

(略)オイッケンの所謂自由な精神生活とは、こんなものではなかろうか。
―――我々は普通衣食の為に働いている。衣食のための仕事は消極的である。
換言すると、自分の好悪選択を許さない強制的の苦しみを含んでいる。
そういう風に外から圧し付けられた仕事では精神生活とは名付けられない。
苟しくも精神的に生活しようと思うなら、
義務なき所に向かって自ら進む積極のものでなければならない。
束縛によらずして、己れ一個の意志で自由に営む生活でなければならない。

_____

これを漱石はこのあと、実際は、精神生活の割合は、6:4だとか7:3だとか、
そうやってみんな折り合いをつけているんじゃないのか、
と現実の所に着地させています。
先ほどと同じように、この思想に関しても、
僕は他律性、自律性という言葉から連想していろいろ思索し、
本ブログにもその形跡が多数、記事として残っていますし、
6:4だとか7:3のところは、
2000年くらいから流行った「自分探し」というものの
ひとつの形があるのではと考えていました。
つまり、自分探しとは、自分と社会の綱引きをやって、
「どうやら6:4のポジションが自分には一番ストレスがない」
と見つけることでもあったんじゃないか、というものです。
(そういう種類の自分探しもあったのでは、という話です。)

ともあれ、「いや~、漱石と同じことを考えていた」と驚くのですが、
僕の頭が明治のころの時代の思想にしっくりきているあたりがちょっと可笑しい……。
それも、僕の何年もかけた思索が、
この小品集『思い出す事など』のなかにすっぽりはいる程度だというのには
泣き笑いしてしまうなあという感じですね。
漱石はいろいろと作品を残したので、それらに点在しているならまだ好いですが、
ひとつところに収まっているのが、まあ、偶然の重なりみたいでもあって、
不思議な感じもします。

というように、
いつも通りですけども、
僕自身に寄せて読んで考えて、読後のその感想を書いてみました。
まだいろいろ感じる部分、考える部分はありましたが、
ちょっと絞って書いていくと、そこに頭が集中してしまって、
書かなかったことが雲のように散ってしまい残らないものです。

世間的にこの作品がどれくらいの評価なのかはわかりませんが、
僕にはとてもおもしろく、好きな作品でした。

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2025年07月20日

Posted by ブクログ

ネタバレ

こちらも『標本作家』の参考文献で名前が挙がっていたので気になっていた一冊。久しぶりの漱石。あまり漱石は読んだことがなく、漱石の文章に対して感じている感覚が久しぶりに想起され、あー漱石っぽい…となってました笑
とはいえ小説のようなエッセイのような小品たちは面白かったです。

特に「思い出す事など」が良かった。漱石もある意味一人の人間なのだなというのが、そう思うだろうな~~という共感もあって親近感。
七の宇宙の大きさと自分を見つめるところ、一番共感してしまった。「限りなき星霜を経て固まり掛った地球の皮熱を得て溶解し、なお膨張して瓦斯に変容すると同時に、他の天体もまたこれに等しき革命を受けて、今日まで分離して運航した軌道と軌道の間が隙間なく充たされた時、今の秩序ある太陽系は日月星辰の区別を失って、欄たる一大火雲のごとくに盤旋するだろう。…吾等人間の運命は、吾等が生くべく条件の備わる間の一瞬時ー永劫に展開すべき宇宙歴史の長きより身たる一瞬時ーを貪るにすぎないのだから、はかないと云わんよりも、ほんの偶然の命と評した方が当っているかも知れない。」(p185-186)
「…自然は経済的に非常な濫費者であり、徳義上には恐るべく残酷な父母である。人間の生死も人間を本位とする吾等から云えば大事件に相違ないが、しばらく立場を易えて、自己が自然になり済ました気分で観察したら、ただ至当の成行で、そこに喜びそこい悲しむ理窟は毫も存在していないだろう。こう考えた時、余は甚だ心細くなった。又甚だつまらくなった。…有る程の菊抛げ入れよ棺の中」(p.187-188)
この最後に自作の句やら詩やらを付けてしまうところ含めて身近に感じてしまう笑

お目当てだった「夢十夜」は漱石もこんなロマンティックなものを書いたんだという驚きと、一方で漱石が書いたという点は面白いが作品自体が傑作かといわれると、特に第一夜はてんこ盛りで逆に少々残念な感じがした笑
「こんな夢を見た。」で始まる10の物語、という建付けは好きでしたし、結局一番好きな物語は「第一夜」なのですが…。
「死んだら、埋めて下さい。大きな真珠貝で穴を掘って。そうして天から落ちて来る星の破片を墓標に置いて下さい。そうして墓の傍に待っていて下さい。又逢いに来ますから」…「真白な百合が鼻の先で骨に徹えるほど匂った。そこへ遥の上から、ぽたりと露が落ちたので、花は自分の重みでふらふらと動いた。自分は首を前へ出して冷たい露の滴る、白い花弁に接吻した。自分が百合から顔を離す拍子に思わず、遠い空を見たら、暁の星がたった一つ瞬いていた。「百年はもう来ていたんだな」とこの時始めて気がついた。」
あまりにロマンチックなのですが、やはり一番好きでした。

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2023年04月30日

Posted by ブクログ

ネタバレ

『夢十夜』
つかみどころのない、ふわふわした世界を思わせる感じで好きだった

『思い出す事など』
夏目漱石の修善寺での闘病生活を綴ったもの。
生死を彷徨った経験の記述が印象的だった。
漱石は、自分が寝返りを打とうとした時と、金だらいに鮮血を認めた時は少しの隙もなく連続していると思ったが、実際は30分ほど死んだらしい。
死って意外とこういうものなのか…と発見した

小説と随筆の狭間である〈小品〉なるものを初めて読んだので興味深かった。

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2023年03月11日

Posted by ブクログ

ネタバレ

『文鳥』
「次の朝は又怠けた」p18とあるように毎日のように忘れられる文鳥が不憫でならなかった。解説には「生きることのはかなさと、その裏返しとしての残酷さを彷彿する」p325とあった。淡々と語られる文鳥の死は悲しみとも違う胸がきゅっとなる感覚になった。

『夢十夜』
どれも不思議な夢だった。第一夜が特に気に入った。第七夜も好き。第三夜は怖かったけどどこかで読んだことがある気がした。

『思い出す事など』
序盤は面白かったけど、途中からは所々つまらないところもあって内容が入ってこないこともあった。

『変な音』
夏目漱石は生と死についてよく考えていたんだろうなと改めて感じた。

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2023年02月27日

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