あらすじ
過去1000年間、技術革新は労働者にほとんど恩恵をもたらさず、ごく一部の資本家や権力者だけを豊かにする傾向にあった。そして現在、AI技術の急速な進展があらゆる職域に自動化の波をもたらし、雇用の崩壊が叫ばれている。歴史の悲劇が、ここでも繰り返されるのだろうか? だが、常にそうだったわけではない。第二次世界大戦後の数十年間、アメリカをはじめとする工業国は目覚ましい経済成長を遂げ、教育と医療の普及、平均寿命の延伸、労働環境の改善などの厚生は多くの人々に共有されていた。両者を分ける条件とはなにか。テクノロジーの進む方向性を転換させ、社会全体の広範な繁栄を実現するための方策とは。当代随一の経済学者アセモグルがMITでの共同研究の成果を注ぎ込んだ決定的著作。
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Posted by ブクログ
我々は技術の進歩とともに豊かになれているのだろうか?。科学技術の進歩が必ず豊かさにつながると信じられている現代において警鐘を鳴らしている。技術による生産性バンドワゴンが正しく駆動するためには、単に技術を進歩させるだけでなく、いくつかの条件が必要であると説く。AI時代を迎える我々のこれからの社会を見通すために必読の一冊。
Posted by ブクログ
第二次世界大戦後、アメリカは豊かだった。1950年代。
これはよく聞く話。
技術革新がなされ、それが労働者にも反映された、古き良き時代。
しかしそれが続かなかった。
機械化がどんどん進み、労働者は隅に追いやられた。切られた。
必然的に労働分配率は下がる。
理屈は分かる。それだけ設備投資に金が要るのだ。その金が利益を生む。
。。ここでまた、ミルトン・フリードマンが登場する。
企業は利益と配当だけ考えればいいと。フリードマン・ドクトリンと。
悪のように書かれる。フリードマン信者としては心外だな。
フリードマンは再配分を疑ってかかってる。私も同じ。うまくできるはずがない。
必ず恣意的なものになる。権力者が有利な分け方になる。
操作せないのが民主主義のはずだが、実態はうまく行かない。
だったら経済に任せれば、、となると今のように富の偏在が起こる。
悩ましい。
話しを本に戻すと、その技術革新はDX、AIで違うステージに入る。
いよいよ人間がいらなくなる。
。。。そうなると答えはベーシックインカム、もしくはベーシックサービスなのか?
奴隷に働かせてローマ人は遊んで暮らしていたように、
富はAIが作って我々は芸術等にいそしめるのか?
この本はそこまで書いていないけれど、そういう未来もあるのかな、、
いずれにしても今の日本もこの本の通りになっている。
富める者と貧しい者に分断されている。
ただ違うのは日本自身が衰退しているということ。衰退の中の分断。
悲劇だ。限られたパイの取り合い、、、
地球環境を考えれば衰退もやむなし、、、とは、思えない。子供たちを見れば。
未来を見れば。
どうしたらよいものか、、、
〇第7章 争い多き道
〇第8章 デジタル・ダメージ
〇第9章 人工闘争
〇第10章 民主主義の崩壊
〇第11章 テクノロジーの方向転換
〇謝辞
〇解説/稲葉振一郎
〇口絵クレジット
〇文献の解説と出典
〇参考文献
〇索引
Posted by ブクログ
面白かった。が、本当にそうなのかなという思いが拭えない。20世紀の一時期だけ経済成長と労働分配率が同時に上がっただけで、本来的にテクノロジーの進化の利益は投資できる資本家のものじゃないのだろうか。人類は経済活動に倫理観を取り込んできたのだと思うが、その蓄積が20世紀の一時期に社会福祉に向かったものの、その後、新自由主義の価値観に揺り戻されただけな気がする。テクノロジーの使い方や分配方法は選べなくて、そのときの価値観が支配的。戦争とか暴動とか災害とか発見とか、何か契機があってガラっと価値観が変わる、その動態という感覚。倫理観、社会やコミュニティへの信頼が大事。あとパワーバランスは柄谷行人を読まないとと思った。
Posted by ブクログ
少し難しい内容でした。
上巻で人類の歴史上、技術革新が起きたら特権階級の人が富を得る、労働者階級の人は今まで以上の成果を同じ時間で求められるようになった。という内容だったと思います。
下巻では、自動車工場等で労働者が集まり、労働組合を設立したことで、対抗策を作り技術向上に伴う利益の分配を求めることが出来た。
このことから、技術革新の恩恵を分配する仕組みが格差を縮める方法であると予想される。
ここ最近の技術革新とされる人工知能(AI)にも同じことが言える。この技術が特権階級に有利に働く事になれば、富の格差は広がってしまうだろう。
このAIの技術は会社の経営者と労働者の話ではなく、国家と国民の規模だと思いました。
Posted by ブクログ
技術革新は必ずしも人間を幸せにしないし、バンドワゴン効果も限られるし、トリクルダウンも起こらないという仮説を、いろいろな事例から検証したもの。過去に、全体が豊かになった時には「社会運動」「社会の連帯」が起こり、方向性が正されていた。今の時代、SNSなどで連携はし易い一方で、ヘイトなども起こりやすくなっているし、ネット遮断や監視に走る国家もあり、過去の事例は期待できそうもない。これは気をつけておかないと。
Posted by ブクログ
つまり、当時のテクノロジーは、それらが排除した機会と同じだけ、労働者向けの機会も創出したのだ。これは、自動車産業における大量生産に関して見たのと同じ理由からである。通信、輸送、製造のテクノロジーの改善によって、ほかのセクターが活気づけられたのだ。だが、より大切なのは、 これらの進展は、それが起こったセクターでも新しい雇用を創出したことだ。数値制御やほかの自動機械が人間の操作者を完全に排除することはなかった。というのも、一つには、それらの機械は完全には自動化されておらず、生産を機械化するにつれて多様な追加作業が発生したためだ。
あるレベルでは、なにが起こったのかは明らかだ。戦後の共有された繁栄には二本の柱があった。 オートメーションに伴い、あらゆる種類の労働者に対して新しい機会が創出され、堅調なレント・シエアリング(生産性の向上と利益の増加を労使間で分かち合うこと)が賃金を上昇させ続けた。ところが一九七○年ごろ以降、とりわけアメリカで、どちらの柱ももののみごとに崩壊した。
状況が最もよい時ですら、テクノロジーと高賃金の方向性はぶつかり合う。好き勝手にさせておけば、経営者の多くは、賃上げを抑制すると同時にオートメーションを最優先して人件費を削減しようとするだろう。自動化が進めば、労働者は一部の業務から排除され、その交渉力は弱くなる。 これらの傾向がイノヴェーションの方向性に影響を及ぼして、テクノロジーはますますオートメーションへと向かうことになる。第七章で論じたように、これらの傾向は、第二次世界大戦後の数十年間は団体交渉によって部分的に抑えられており、労働組合はさらに、新しい機械とともに、よりスキルを必要とする仕事と体系的なトレーニングを導入するよう企業を促した。
過去数十年にわたる労働運動の衰退は、繁栄の共有にとって二重の痛手となった。賃金上昇が減速したのは、アメリカの労働組合が弱体化し、労働者にとって同じ条件を維持できなかったのが一因だ。 さらに重要な点は、強い労働組合がないため、テクノロジーの方向性に関する労働者の発言権が失われてしまったことだった。
さらに二つの変化が労働力の衰退と格差を増幅した。第一に、労働運動による対抗勢力がないので、企業と経営者はまったく異なるビジョンを描くようになった。人件費の削減が最優先となり、生産性向上を労働者と分かち合うのは経営陣にとって失策に等しいと見なされるようになった。企業は、賃金交渉で強硬路線をとるようになったのに加え、アメリカ国内の労働組合のない工場に生産を移し、 海外へもますます進出するようになった。多くの企業は奨励給を導入した。これは、経営陣と高い成果を出した者に報いたが、その犠牲になったのはスキルの低い労働者だった。もう一つのコスト削減戦略として、アウトソーシングも流行した。カフェテリアの仕事、清掃、警備など、多くの低技能の業務は、かつてはゼネラルモーターズ(GM) やゼネラル・エレクトリックなどの大企業の従業員が担っていた。これらの従業員は、同社の労働者が享受していた全体的な賃上げの恩恵を被っていたものだった。ところが、一九八○年代以降のコスト削減ビジョンでこの慣行は無駄と見なされ、経営者はこれらの業務を安い外部業者にアウトソーシングした。こうして、労働者にとってもう一つの賃金上昇のチャンネルが断ち切られたのだ。
第二に、テクノロジーの既存のメニューから、企業がいっそうのオートメーションを選んだだけではない。デジタル業界の新しい方向性に沿って、メニュー自体がさらなるオートメーションへと力強く移行し、労働者にやさしいテクノロジーから離れていったのだ。労働者を機械とアルゴリズムに置き換える新しい方法を可能にする大量のデジタル・ツールが現れ、この動きに反対する対抗勢力がほとんどなかったため、多くの企業はオートメーションを熱狂的に歓迎し、労働者、とくに大卒資格がない者に新しい仕事と機会を創出することに背を向けた。その結果、アメリカ経済の生産力(労働者一人当たりの生産量)は引き続き増加していたにもかかわらず、労働者の限界生産力(追加の労働時間によって増加する生産量)はそれに追随しなかった。
機会有用性の試行例
・機械とアルゴリズムは労働者の生産性を、労働者がすでに実行中の業務において向上させられる
・労働者の新しい業務を創出する
・正確なフィルタリングと有益な情報の供給
・新しいプラットフォームや市場を創出する
もっと根本的に、そのような取り組みによって、テクノロジーの進路を修正する具体的政策を立案し、支援することが必要だ。第九章で説明したように、デジタル技術は以下のようなやり方で人間を補完できる。
・労働者の現在の仕事の生産性を高める。
・人間の能力を増す人工知能の助けによって、新たなタスクを作り出す。
・人間の意思決定のために、より優れた有用な情報を提供する。
・異なるスキルとニーズを持つ人びとを結びつける新たなプラットフォームを構築する。
テクノロジーを方向転換させる政策
・方向転換のための市場刺激策
・大手テクノロジー企業の解体
・税制改革
・労働者への投資
・テクノロジー変化を方向転換させる政府のリーダーシップ
・プライバシーの保護とデータの所有
・通信品違法第230条の撤廃
・デジタル広告税
・その他
・富裕税
・再分配とセーフティーネットの強化
・教育
・最低賃金
・学術界の改革
不平等は政治経済学的な探求の中心であり、包括的な制度のもとでは不平等が蔓延しないと考えるのは自然なことである。しかしながら、たとえばトマ・ピケティ 『21世紀の資本」では、「資本主義経済においては、分配の不平等は普通は改善せず、多くの場合は(不正がなくとも) 拡大する」と論じられた。こうした議論が無視しているのは、テクノロジーの方向性や、新しいテクノロジーから得られる利益がどのように共有されるかが、不平等とその軌跡にとって重要かどうかということである。 本書ではここに焦点が当てられる。本書は、歴史を通じて技術革新がどのような状況下で限られた社会エリート層にしか利益をもたらさなかったのか、あるいは、どのような状況下で広く共有された繁栄がもたらされ、より広範な人々の暮らしが改善されたのかを丹念に調査することで、こうした議論に対処している。もちろん分析スタイルや思考法の大枠は変わっていない。経済成長、その中での新技術の開発・選択の在り方に対する制度的枠組み、関係者の利害対立、政治的選択が与える影響を、 ゲーム理論的な観点を踏まえて分析していく、というやり方は、前二著と同様である。しかし今回は技術革新による成長の量的な側面だけでなく、生産性を上昇させて経済成長に帰結する技術革新のありかたが包括的で労働者に優しいか、それとも排他的で搾取的であるかが、その後の生産性と経済成長の改善を理解する上で重要である、とくどいほど強調される。では何に重点が置かれるかというと、 どのような技術が、またどのような仕方で導入されるか、そのことによって関係者――地主、資本家、 農民、労働者、等々――にどのような影響を与えるのか、を多面的にみること、とりわけ生産性の向上の成果がどのように分配されるのかに注意すること、である。このような分配重視へのシフトは 「自由の命運」から予感されていたが、クワックとの共著『国家対巨大銀行」で金融寡頭制を厳しく批判し、また金融エリートのイデオロギー的・政治的影響力に警鐘を鳴らしたジョンソンの貢献も大きいのかもしれない。
まとめてみよう。繰り返しになるが『国家はなぜ衰退するのか』においてはリベラル・デモクラシーと自由な市場経済の包括的制度セットへの強い信頼が表明され、楽観的なトーンが支配的だったと言えるのに対し、『自由の命運』ではこの組み合わせの実現が非常に歴史的な偶然、幸運の所産であり、再現可能性が低いかもしれない、という認識が提示され、トーンはやや悲観的になった。それに対して今回の本書では、「それぞれの国の制度的コンテクストの下で、どうすれば成長は可能になるのか」、から、「技術革新と成長の成果は社会の中でどのように配分されるのか/より公平な分配を実現するにはどうしたらよいのか」へと論点が更に深められている。
『国家はなぜ衰退するのか』における包括的制度セットにおける好循環論は、リベラル・デモクラシーの下での安定が自由な市場経済を可能にし、自由な市場経済の下での経済成長、豊かさがリベラル ・デモクラシーへの支持を固める、というものであったが、ただ単に豊かさだけでは足りず、分配の不平等が(市場における経済活動の自由を全面的に破壊することなしに)抑制されることが必要である、ということへの気づきは、『自由の命運』で見え隠れしていたが、今回はそれが前面に出て主題化されたと言える。技術革新が労働者に突きつける困難や、人工知能の進歩の人々の暮らしに対する潜在的な脅威は、貧富の差にかかわらず、すべての国にとって世界的な関心事である。そのため本書の議論は、後発経済国が直面する問題に焦点を当てた『国家はなぜ衰退するのか」と対照的に、より技術革新の先端にいる国々にとっても有意義である。それは規制のないアメリカ金融がリーマン・シヨックを引き起こしたという「国家対巨大銀行』でのジョンソンの指摘ともリンクしている。今問われているのは、アメリカのハイテク産業によって、中産階級にどの程度の押し下げ圧力がかかっているのかということである。
Posted by ブクログ
解説より
自由な市場経済、リベラルな政治は実現と維持は困難。アラブの春、ポピュリズムの台頭、排外主義の台頭。
経済成長とは、量的拡大だけでなく、質的拡大が必要。新しいもの、新しい生産方式など。
テクノロジーの生まれる環境は、制度やビジョンによって形作られる。
技術革新が包括的か搾取的か、多面的に見る必要がある。
高度成長は、見えざる手に導かれたのではなく、労働運動の結果、社会保障制度の充実と福祉国家体制の確率がなければ生まれなかった。
分配の不平等が解決しなければ、経済の発展はない。
データ所有権のアイデアで格差の解消ができるかもしれない。