あらすじ
筑前の小藩・秋月藩で、専横を極める家老・宮崎織部への不満が高まっていた。間小四郎は、志を同じくする仲間の藩士たちとともに糾弾に立ち上がり、本藩・福岡藩の援助を得てその排除に成功する。藩政の刷新に情熱を傾けようとする小四郎だったが、家老失脚の背後には福岡藩の策謀があり、いつしか仲間との絆も揺らぎ始めて、小四郎はひとり、捨て石となる決意を固めるが──。絶賛を浴びた時代小説の傑作、待望の文庫化!
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Posted by ブクログ
人は美しい風景を見ると心が落ち着く。なぜなのかわかるか
さてなぜでございますか
山は山であることに迷わぬ。雲は雲であることを疑わぬ。人だけが、己であることを迷い、疑う。それ故、風景を見ると心が落ち着くのだ
私は、葉室さんの作品の魅力の1つに、作中人物の高潔さがあると思う。あの逆境のどん底で藩の経済を救いつつ、逝く、百姓娘いとのなんと高潔なことか
Posted by ブクログ
若い頃は誰でも夢と希望と青臭い正義感から沸き起こる衝動に身を任せて行動するものである。その頃の目で見れば、世の中がなんと汚れていて怠慢で不遜で卑怯で…とにかく反抗する対象にしか見えないことか。自分の若かりし頃にもあった、その世の中を変えていこうとする気概を思い出せば少々苦いものが体中にこみあげてくる。
しかし、今の若者からみたら俺なんかもそういう世の中のキチャないもので汚染されきった人間なんだろう。人とはいつのまにやらそういうもんに染まっていく。いつまでもパンクや反抗やアナキストなんざやってられない現実の壁に何度もぶち当たっていくのが社会なんだからしゃーない。
「山は山であることに迷わぬ。雲は雲であることを疑わぬ。ひとだけが、おのれであることを迷い、疑う。それゆえ、風景を見ると心が落ち着くのだ。おのれがおのれであることにためらうな。悪人と呼ばれたら、悪人であることを楽しめ。それが、お前の役目なのだ」
「金というものは天から雨のように降ってくるものではない。泥の中に埋まっている。金が必要であれば、誰かが手を汚さねばならぬ。どれだけ手が汚れても胸の内まで汚れるわけではない。心は内側より汚れるものです」
この作品の引用である。よーは、気概の持ち方なのである。世の中すべての人に評価される生き方なんかはない。あちらを立てたらこちらが立たず、どうせそうなら何を立てるのが一番良いか、決めるのは自分の価値観である、評価は勝手にやってくれればよい、そこを気にすると余計に汚れが目立って無様になるのは食べ汚しに似てるかもな。
ついつい人の評価を気にして萎縮してしまいがちな、チンケなおっさん(俺)は、この本を読んでまた一つ「エエやんあいつらがどう思おうと、開き直って生きたるねん」と汚れをしみ込ませていくのであった。