あらすじ
ポスト真実の政治と歴史修正主義が横行する時代に,歴史学に何ができるのか──.トランプ政権のウソ,ホロコースト否認論,白人至上主義のテロや原爆展論争などを題材に,こうした問いに答えるアクチュアルな歴史学入門.アメリカ歴史学界を牽引してきた著者による,『歴史とは何か』(E. H. カー)の現代版.
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Posted by ブクログ
リン・ハントは、フランス革命を専門とするアメリカの歴史学者。
彼女の「フランス革命の政治文化」には、大きな衝撃をうけた。内容も面白かったが、それ以上に方法論として、言葉だけでなく、象徴・イメージ・シンボルも含めて解釈していく記号論というか、ポストモダンな定性分析とハードな定量分析が組み合わさっているところが、すごいなと思った。
伝統的な歴史学から考えると、定性分析、定量分析の手法がそれぞれ新しいもので、さらにそれをひとりの著者が組みあわせて、アプローチするというのが、すごいと思ったし、歴史学に限らず社会科学の一つの理想的なありかたと思った。
わたしは研究者ではないけど、なんか仕事をしたり、考えたりするときに、定性、定量を組み合わせることは意識するようになったな〜。レベルはまったく比較不能だけど、なんか影響をうけた人。
さて、「フランス革命の政治文化」がでたのは、1982年で、当時は、ポストモダーン的であったり、フェミニズム的な視点があったりする、新進の学者という感じだったが、今やアメリカ歴史学会の会長をつとめるなど、功成り名遂げた状態。
そんな彼女が、「なぜ歴史を学ぶのか」という一般の読者を対象とした「そもそも」な本を書いているのを遅ればせながら発見して、読んでみた。
これは、2018年の本で、トランプ政権のポスト・トゥルースな状況を念頭に書かれている。そして、アイデンティティ・ポリティクス、ポスト・コロニアル、ジェンダー論などなどが渦巻くなかで、なにが真実かわからない、歴史の解釈が多様なものになるだけでなく、事実も一つのものではないかもな状況のなかで、なぜ歴史を学ぶのかという本。
それに対する著者の答えは、わたしにとっては、とても明快で、説得力があった。
そんなに難しい本ではないので、著者の主張をサマリーする必要はない気がするし、最後のほうに訳者の簡潔な要約もついているので、興味をもった人は読んでほしい。
一つだけコメントすると、リン・ハントは、いわゆるポストモダーン的な視点をもった学者ではあるが、ポストモダーン的な相対主義にはとどまっていないということ。歴史の複数の解釈、事実の相対性を認めつつも、歴史的な事実について、研究を重ねることによって、すこしづつ真実に近づいていく、という立場をとっている。
このあたりは、ポストモダーン思想というより、ポパーの反証可能性をベースにもつ「科学」的な思想に近いものだと思う。
リン・ハントは、こうした姿勢があったからこそ、アメリカ歴史学の主流派とも生産的な関係を作ることができたのだと思う。
また、最近、彼女が提案している(と思われる)グローバル・ヒストリーも、マイノリティなど多様な視点をとり、文字以外のイメージの分析も踏まえつつ、長い時間軸、自然環境と人間との関係を自然科学の研究、DNA鑑定なども取り入れながらの学際的な研究を含むものになっている。
こうした複数の手法を組み合わせていくのは、「フランス革命の政治文化」から一貫した彼女の姿勢だと思った。
Posted by ブクログ
一般向けに書かれているにも関わらず、歴史というものに如何に取り組まなければいけないか、を衝撃的に教えてくれた。理系で社会科学を嫌いな人にぜひ読んで欲しい。
Posted by ブクログ
なぜ歴史を学ぶのか、この問いに対していくつかの答えを示してくれる本である。フェイクニュースや歴史的真実が不安定な世の中で、歴史というものがどのように作られ、そして今と昔の歴史を学ぶことの意味の違いについて書いてある。
今後、様々な歴史の本を読み進めて中でこの本を読むか読まないかで、見方が大きく変わる気がする。
Posted by ブクログ
■概要
インターネットが普及したことにより誰でも歴史について発言することができる環境にある中で、嘘やフェイクニュースが溢れています。このような状況を踏まえて歴史を学ぶ意味・目的はどこにあるのかという問いに筆者の回答を与えています。
■問題提起
歴史についての嘘はインターネット、特にソーシャルメディアの登場でより顕著になっています。事前のチェックや検閲が事実上存在せず、誰でも情報を拡散することができるので、歴史に関する嘘がインターネット上に溢れることを可能にしています。他にも歴史を巡っては下記のような状況が見られます。
・政治家が歴史について嘘を言う
・歴史的記念碑の撤去や存続をめぐる衝突
・役人が常に歴史教科書を監視
歴史について何か確定したことを言えるのでしょうか?我々が歴史を学ぶ意味とはどこにあるのでしょうか?
■事実は完全なものなのか?
本書では事実は決して確定することはないと述べています。一つ目の理由は新たな史料の発見によりこれまで事実と考えられていたことが覆る可能性があることです。例としてコンスタンティヌスの寄進状が挙げられています。
もう一つの理由は完全性の指標が時代によって変化することです。近年までアメリカやオーストラリアでの歴史は入植者を中心とした部分的な記述しかされておらず、先住民は無視されていました。また、放射性炭素年代測定など技術の発展により、これまで事実とされてきた事象についてより科学的な検証が可能となっていることも寄与していると思います。
■民主主義の存続
歴史はエリートのための学問として始まり、過去のエリートを叙述するものでしかありませんでした。そこに本来含まれるはずの女性、マイノリティや移民などが叙述されないことが不協和音となり、徐々に歴史の範囲内に入ってきます。このような調和の欠如(歴史の意味をめぐる論争)は健全性の兆候であり、民主主義の存続に欠かせないと述べられています。権威主義体制は過去幾度となく歴史をねじ曲げようと試みてきましたが、歴史という学問そのものがその対抗手段となります。
■まとめ
歴史は決して確定したものではなく、新資料の発見や技術の発展、新しい視座の獲得などにより常に変化する可能性が残されています。現在の歴史に疑問を投げ掛け続けることが、グローバル化する世界の中であっても平等な社会を実現するための一つの方法になるかもしれないと感じました。
Posted by ブクログ
歴史学に求められるものは何なのか、それは時代により変わってきたことを簡潔に説明しつつ、作者は自らの立場に拠って、一つの回答を提示する。アクチュアルな問題意識の下に書かれた、簡潔で、力強い書である。
Posted by ブクログ
アメリカの歴史学者リン・ハントさんによる、一般市民向けに歴史について書かれた本。
修士課程で彼女の本が課題文献になっていたので著者の名前は知っていたのですが、それ以来でした。
今日に至る歴史学について、とても分かりやすく紹介されています。
私たちは歴史に取り憑かれた時代に生きている、と一の方で述べられていて、
記念碑や教科書に関する近年の国際的な動向に触れつつ、
歴史についての認識を深められる内容となっていました。
歴史に完全性も客観性もないということ、
ご本人白人の女性という立場からこれを書いていると明記して、
強調されている点のひとつです。
_歴史学というものは、定義からして発見の過程であって確立した教義ではない
暫定的真実。
…
歴史的真実の二段階構造として、
1つに事実、2つ目に解釈。
では事実はどのように決定されているか。
それが依拠する文書の性質によって決定される。そして、科学技術も用いる文学的な技芸だという。
実際、こんにちは文書だけではなく、多様なかたちで存在し、それは歴史の表現に対する驚くべき広範な開放性をもたらしている、といいます。
_歴史は…語りの形態に依拠している。つまり、ある種の時系列的な習字技法を通じて、過去を表象することを主張する物語なのである。
解釈の基盤になるのが、事実に意味を与える力。
…
誰が語るか、という点では、著者自身の経験にも触れ、歴史学が男性中心であることが伝えられています。三淵嘉子さんの法学界での女性の受け入れ過程のように、
ケンブリッジ大では1923年年に女性に学位授与が始まり、1926年に大学の職位に任命できるようになった。
著者の属するカリフォルニア大学バークレー校で、著者が助教授となった1974年当時、歴史学科採用女性は4人目。
1984年に正教授に昇進したときは、歴史学科の正教授40人で彼女一人だったといいます。
2017年になると、26人中9人が女性とのこと。
そして、2008年までに女性はすべての歴史学博士号の40%を占めるようになった、という、本当に最近の進展があるようです。
…
歴史の対象が主に政治に限られ、それを語り学ぶ人がエリートに、また欧米中心にほぼ限定されてきた中、
_歴史学の主題の民主化は、明確な地理的領域の変更ではなくアプローチの変容に由来するものであった
1900年代~人類学、社会学、経済学の手法が融合
1960-70年代 社会史 庶民の思考慣習や生活様式により注意を払う
1980-90年代 文化史 社会的カテゴリーそのものがどのように意味をもちうるようになったのか。文化的意味が社会的アイデンティティを規定する。
1990-2000年代 すべてが研究対象に。
グローバルヒストリーへの関心の増大。
…
最終章、「歴史の未来」は、歴史のもたらす広がりのようなものが感じられるものでした。
_歴史の最も永続的な魅力というのは、現在の関心事に対する視座を与え、そこからの一種の解放感を与えてくれるところにある。
過去例から、私たちの行動の参考となる模範や事例を見出し、進歩や時間の進行を認識し、そして「全地球的時間」に視点を広げることで、自分以外のものを尊重する倫理感を豊かにする。
_時間を整序する多様な様式を研究することは、環境、動物、病原菌などの歴史から得られる視点をさらに拡大してくれよう。そうした新たな歴史が、家族、共同体、都市、国家、グローバルな地域の一員にとどまらない私たち、すなわち主としての私たちについて考えることを可能にしてくれるからだ。
_グローバルとは、何度も繰り返し掛け合わされたローカルのことをいうのだ。
_過去において物語から排除されていた集団への注目は、馴染みの物語を解体し、新たな物語の草稿へとつながっていく。
今日の歴史学は、より現代に焦点が当てられている。適度な現代主義は必要だけれど、過剰になると、私たちの観点を過去に押し付け、時系列的関係に敬意を払わなくなる、と。これはヒストリシズム、のことかな。
ローカルとグローバルの歴史、自分たちと他者の歴史、アカデミックと通俗的な歴史、過去と現在、という様々な緊張関係。それを避けるのではなく、掛け合わせるように、対話し,ともに視座を更新していくことが大事なのだと理解しました。
_どのようにして終着点がやってくるのかを説明することと、その語り方によって選択がなされたという感覚を持つこととのあいだの緊張関係は、歴史を叙述するときに調整しなければならない最も困難な問題のひとつとなっている。選択の感覚がなければ物語は面白くない。しかし、物語は選択に至る論理がなければ意味をなさない。
時間の進行の感覚を必要とする物語からなる歴史。
目的地は物語の語り方に強く影響を与える。
歴史と歴史の表現には、自分を含め語たりの意図に意識的になることで、異なる視点や認識のあいだに対話と尊重を生むという役目があるのかもしれないとも思いました。
Posted by ブクログ
我々は過去から何を学ぶのだろうか。この曖昧さは常に改定し続ける歴史の教科書に、国民的記憶の形成に通じる。筆者は歴史は抑圧されたモノを外に放出する傾向があるという。穏健な解釈は必ずしも真理では無いと。
Posted by ブクログ
具体例を挙げながら「歴史学」にまつわる問題を取り上げる。取り上げられる事柄は幅広く面白い。しかしE.H.カーはもっと語り口がフラットだったような……いや、歴史修正主義をはじめとした動きの前にフラットさを捨てざるを得ないほど「歴史学」に余裕がなくなっているのかもしれない。とはいえそれはリン・ハントの視点での「歴史学」で、わざわざE.H.カーを引き合いにして売り出す必要はあったのだろうか? 歴史学の手法、歴史の重要性を語る点に共通項はあれど、視線の高さや着目点が違う。なぞらえることで失われるものがある。
Posted by ブクログ
歴史という学問のこれまで歩み、最近起きている近代史の重視、国家による歴史教育の強化、これらに関する問題点が示されている。歴史というものは、事実に即していなければならないが、事実も一つではない以上、その解釈は多義的にならざるを得ず、学者としての歴史には困難さがつきまとう。
自由に議論できる事が、全ての学問に必須である。
Posted by ブクログ
フェイクニュースや歴史修正主義が横行する時代に歴史学に何ができるのかという問題意識のもと、トランプ政権によるフェイクニュースや歴史教科書問題などの具体的な事例を題材にして考えるアクチュアルな歴史学の入門書。
書いてあることはもっともなことばかりだが、歴史学の入門書においてはありきたりと思える内容が多く、個人的には、E・H・カー『歴史とは何か』の現代版という触れ込みから期待したほどではなかったという印象である。