あらすじ
五千日も続く冬の到来を前に、竜座の第三惑星では大混乱が生じていた。原住種族ヒルフのなかでも蛮族として知られるガールが、他部族の食糧を略奪しに北から移動してこようとしていたのだ。この惑星に移住して、何世代もたつ異星人ファーボーンは、ガールの大軍に立ち向かうべく、ヒルフの温和な部族トバールと同盟を結ぶ。だが、ファーボーンの頭アガトとトバールの族長の娘ロルリーが出会ったとき、事態は大きく展開するのだった…異種族間の相克を、ル・グィンがみずみずして筆致で鮮やかに描いた、『ロカノンの世界』につづく長篇第2作。
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Posted by ブクログ
文字通り「辺境の惑星」である竜座の第三惑星に植民し、数十世代を経て忘れ去られた人類(ファーボーン)たち。世代を重ねるうちにテクノロジーの伝承もほとんど絶え、半ば中世のような暮らしをしている。コミュニティの人口も不妊などで減少し閉塞感が漂うなか、ファーボーンの指導者アガトと原住民族ヒルフの少女ロルリーが出会う。互いに相容れなかった二つの種族が、蛮族の襲撃を機に協力し融和へと向かう。静かだが希望へとつながる良い作品だった。
Posted by ブクログ
ル・グィンの作品って好きです。
さらにいえば、ル・グィンのSFをよんで、SFがもっと好きになったし、興味を持つようになりました。知人に言わせれば、「高尚なSF」らしいル・グィンのSFですが、ロマンティックでなんだかキラキラしていて、甘くもほろ苦いこの頃のル・グィンの作品は、巡り合えてよかったと思えるような素敵なものです。
「ロカノンの世界」に続く長編第二段で、ロカノン~とゆるくゆるくつながっています。
5000日もの間冬が続く竜座の第三惑星で暮らすヒルフという種族と、異種族である(彼らからしてみれば)人間であるファーボーンという種族が同盟を組み、共通の敵に立ち向かう、みたいなお話ですが、あらすじを書くと仰々しいですが、実際はもっと静かで、非常にロマンティックな一冊です。
私はル・グィンの描く恋愛描写が好き! という多分少数派な人間ですが、この作品に出てくるヒルフの族長の娘ロルリーと、ファーボーンの頭の一人、アガト(二人はいとこにあたる)のロマンスは、彼女の作品の中でもかなり糖度が高く、愛によって、従順と献身をみせるようになったロルリーに心寄せてしまいます。
異種族間で起こる様々な価値観の違いなどの相克はもちろん、男女間の相克、世代間の相克、季節や自然と人間との相克、様々な物を描き、問題提起しているように思えます。
冬のお話なのですが、読後感は夏の様に爽やかなように思えます。
非常に静かでありながら、瑞々しいSF小説で、ますますル・グィンが好きになってしまいました。
主役の二人のほかに、ヒルフの族長ウォルトがいい味出していたのが善いですね。
年代の違いにおけるディスコミュニケーション、というかディスコミュニケーションというのは、SF小説の永遠のテーマかもしれないな、などと思いました。
岡野玲子さんの描く表紙のロルリーが素敵です。
ル・グィンの描くSFの世界に、まだまだしばらくの間は、おぼれてしまいそうです。
Posted by ブクログ
『闇の左手』(1969年)、『所有せざる人々』(1974年)、『ロカノンの世界』(1966年)、『辺境の惑星』(1966年)の順に読んで、3/4が厳しい冬の物語。
植民、ロミジュリ、科学の助けなしに発展どころか生存すらも困難であろう過酷な自然環境。ハイニッシュ・ユニバースは同じテーマで描くという志があったのだろうか。1990年代の小室哲哉の曲のように似てるので、間を開けて読んでも食傷する。最後に希望が差すが、状況が困難すぎてハッピーエンドには思えない。そのへんがアンチテーゼだったのだろうか。
ワイス&ヒックマンの冥界の門シリーズを思い出させる。念頭に置いて書かれたのではないかと思える。しかしテーマは異なる。ワイス&ヒックマンが語っているのは分断。1980年代終盤のアメリカで顕著になりつつあった社会の分断だと思える。
ル=グィンはなにを語ったのだろうか。
夢小説なきらいはある。家父長制的だが若い娘が自由に行動できる社会。
冷戦期に書かれたものだが、核の脅威は描かれていない。共産主義を盲信してはいないが礼賛している風はあり、なにを見ているんだかわからないところがある。創作のために都合の良い部分を抜き出しただけとみなしてよいのか。
五千日の寒冷期と五千日の非寒冷期を繰り返す惑星で、人類に似た生命が自然発生するだろうか。少なくとも三種。そう問うたとき、ハイン人のロストコロニーなのだろうという解に導かれるのは、説明を省いた著者の策か。後年の作品では明らかに語っているが、本作品では明示していない。
物語るために設定された世界で、物語の前や後がおざなりである。残された希望にすがる結末でありながら、前にも後にも世界に継続性が感じられない。投げっぱなしな印象がある。
残るは『幻影の都市』(1967年)と短編。