あらすじ
日本にいま必要なのは「訂正する力」です。保守とリベラルの対話にも、成熟した国のあり方や老いを肯定するためにも、さらにはビジネスにおける組織論、日本の思想や歴史理解にも、あらゆる局面で「訂正」は大きな「力」になります。人が生きることにとって必要な哲学を実践的に示した決定版です。
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Posted by ブクログ
訂正する力という一見何か分かりにくい能力が、これまでの日本やこれからの世界を照らす力になることが力説されている。
訂正する力とは、「じつは、〇〇だった」と過去を解釈し直して、未来へとつなげる力のこと。
訂正する力とは、持続する力であり、聞く力であり、老いる力であり、記憶する力であり、読み替える力であり、民主主義の力であり、ルールを変える力であり、作家性=固有の力であり、幻想をつくる力であり、作為があるのに自然だと思わせる力であり、喧騒の力のことであり、変化を変化として許容しながら一貫性を保つ力のことです。
読んでいない方は何のことだ?と思うでしょうが、これほどの言い換えを多様な事例、時事と理論と実存を絡めながら語る術に、異論・反論は出るでしょうが、作者の芯のある主張を感じました。
Posted by ブクログ
訂正する力という観点で社会課題に切り込んでいくのが面白い。
政治、メディアのあり方などよくよく考えてみると非を認めない、変わってはいけない、貫き通さなくては。という姿勢が停滞を生んでいる。
テーマ自体は政治など非常に大きいところを扱っているが、私自身も変化に対応しながら訂正できる人でいたい。
Posted by ブクログ
訂正する力とは、一貫性を持ちながら変化する力のこと。しかし、日本には変化=訂正を嫌う文化があり、かつての自分の意見とわずかにでも異なる意見を述べると、「以前の発言と矛盾する」と指摘され、集中砲火を浴びて炎上する。また、すぐにゼロかイチか、過去を否定するか肯定するか、リセットするかなにも変えないかの対立の議論になってしまう。少しでも動こうとすると両方の勢力から批判される。
このような状況を変えるには、相手が意見を変える可能性をたがいに認めあわなくてはいけない。「ひとの意見は変わるもので、われわれも意見が変わるし、あなたがたも意見が変わる」という認識をみなで共有すし、相手の意見を受けて自分の意見を変えていく、また相手の変化も認めあえるようになる必要がある。
人間は結局のところ誰のことも理解できず、誰にも理解されない。できることは「実はこういう人だったのか」と理解を訂正し続けることだけで、それが対話ということになる。つまり対話とは結論に達する手段ではなく、どこまでも続いていくものである。
自分の限界を知り、人生を見つめ直し、過去に何をしてきたか、これから何ができるかを新しいパースペクティブのもとで訂正する。訂正する力を身につけるには、まずは固有名になるように努力しなければならない。他者が自分を職業や役職などの属性を超えた固有名として見てくれないと、自分の人生も訂正できない。
期待された役割(属性)の外に「余剰の情報」が必要で、「実は……だった」と周りのひとに自分を「再発見」させるような環境をつくることが大事。人生は、自分を属性で判断する人に囲まれても豊かにならないし、信者に囲まれても閉塞感が増すばかり。自分のイメージが他人のなかでたえず訂正され、他人のイメージも自分のなかでたえず訂正されていく、そういう柔軟な環境が生きることをとても楽にしてくれる。