あらすじ
日本にいま必要なのは「訂正する力」です。保守とリベラルの対話にも、成熟した国のあり方や老いを肯定するためにも、さらにはビジネスにおける組織論、日本の思想や歴史理解にも、あらゆる局面で「訂正」は大きな「力」になります。人が生きることにとって必要な哲学を実践的に示した決定版です。
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Posted by ブクログ
東浩紀さんの「訂正可能性の哲学」の直後に出版された語りおろし本。
聞き手および構成を近現代史研究家の辻田真佐憲さんが担当。東さんのコラム集的な性格を持ちながらも、各章には「本章のまとめ」が付され、「訂正可能性の哲学」と執筆時期が重なっていることから、その補助線としての役割も果たしています。
また、戦後日本の平和を「政治の欠如」と断言した点は、憲法第9条とともに硬直化している平和主義に一石を投じる可能性がある(そうなってほしい)。ちなみに本書で東さんは「軍備増強と平和外交は矛盾しない(平和のために軍備増強すべし)」という立場を明確にしており、日本のビジョンについての彼の考えを読める点でも一読の価値があります。
「訂正可能性」という概念は、ビジネスの文脈では「ピボット(PIVOT)」、IT分野では「PMF(Product Market Fit)」、あるいは「PDCAサイクルのAction(カイゼン)」と類似した概念といえる。自己都合による「(歴史)修正主義」との違いは本書で丁寧に説明されていますが、要するに新たな視点から得られた気づきをもとに、時には誤りを認め謝罪しながら、より高次の段階へと止揚(アウフヘーベン)していこうという考え方です。
議論好きなオッサンは「うるさがた」「老害」などと揶揄され、若者から敬遠されがちですが、東浩紀さんは「くまのプーさん」のような外見もあって、「愛されキャラ」が確立されている。東さんの「愛されキャラ」を支える重要な要素が「訂正可能性の哲学」ではないかと思った。思えば、ReHacQ(リハック)の高橋弘樹さん(こちらはパンダだね)も東浩紀さんと似た印象がある。両者とも大御所でありながら、祀(まつ)られることなく若者からも慕われ、多様な人々のハブの役割を果たし続けている。そういえば、ふたりは容姿の印象だけでなく「ヒロキ」という名前も共通してすね。今後も注目したいおふたりだなぁ。