あらすじ
優しい夫、よき子供に恵まれ、女は理想の家庭を築き上げたことに満ち足りていた。が、娘の病気見舞いを終えてバクダードからイギリスへ帰る途中で出会った友人との会話から、それまでの親子関係、夫婦の愛情に疑問を抱きはじめる……女の愛の迷いを冷たく見すえ、繊細かつ流麗に描いたロマンチック・サスペンス。
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Posted by ブクログ
誰でもこの作品の主人公になり得ると思うと....
真実に気付くことの哀しさ、人生において自分自身を客観的に見つめ続けることの難しさを感じる作品でした。後味悪いのに嫌いになれない。むしろ好きです。大好きな作品。
Posted by ブクログ
訳がやや古いせいか、単純にものを知らないということもあるが読めない漢字、意味のわからない熟語がちょこちょこある。
ストーリーとしては何ということは無いが、有り余る時間の中で自分自身を嫌でも省み、少しずつ真実に迫られる描写がページを進ませる。
沙漠の中でのある種のカタルシスから、本編ラストの描写までの揺れ動きも良い。現代なら、最後の一行は書かずにエピローグも割愛する作家もいそう。そこを書き切っているのも、切なくて好き。
Posted by ブクログ
自分の母を見るかのようで、心がゾワゾワした。きっと私の母は、砂漠で一人になっても、自分を顧みることはしない。自分は良い母親だったと満足し、疑うことはないだろう。
ロドニーの視点から見たジョーンが最後に描かれていた。諦めと失望と歪んだ優越感。栗本氏の解説にもあったが、結局似たもの同士なのだろう。子供達の視点から見たジョーンの姿も見てみたかった。
ジョーンが最後にあの選択をした(というより、考えることを放棄した)のも、リアルだし納得。私はロドニーにはなれないので、衝突の上、絶縁した。この選択が良かったのかは分からないし、ずっと関わらないで居られるのかも分からないが、自分に嘘をついて生きるのだけは嫌だ。
Posted by ブクログ
ずっと読みたくて、だから、やっと読めて嬉しい。1,2日でほとんど一息に読んでしまった。とても面白かったし、考えさせられる本だった。
バクダットで足止めを食らったジョーン・スカダモア夫人は、自身の半生を振り返る。穴からのぞくトカゲは終いには彼女を覆い尽くし、最後はさも「イギリス人らしく」改心したかと思いきや、最後のオチはなんと…といった内容。シェイクスピアのソネットの引用、タイトルの「Absent in the Spring」。そしてエピローグで夫のロドニーがこう独りごつ、「ああ、どうか、きみがそれに気づかずにすむように。」
まったく大した出来事も起こらず、ジョーン夫人とインド人の召使いしかいない、油臭い宿泊所(レストハウス)で、彼女を襲ったあの出来事。果たして意味があったのだろうか。
【栗本薫氏の解説が素晴らしかったために】
・「夫のロドニーはいやなやつだ」とは露ほどにも思えなかった私だが、いつか「年をとって」気持ちが変わるのだろうか。
・「ジョーン・スカダモアを連想させるような家族」を持っているか否か、という着眼点はかなり鋭い。現代でいう毒親をこんなに鮮やかに(かつそれとなく)描けるなんて、やはりクリスティにはミステリだけではない純粋な筆力があると言わざるを得ない。
Posted by ブクログ
最後の万華鏡の例え、自分のこれからのウィンドウをどう捉えて生きていくか決めるシーン、凄い
頼むから気づいたことに正直になってこれからを生きてほしい…と最後の最後のページまで思わずにはいられなかった。
しかし、ロドリーの最後の「気がつかずにいてほしい」の一言できっとこのまま過ごすんだと確信してしまい…
それだけじゃなく、最後にヒトラーの名前が出ることによりとてつもない戦争がこの先起こること、バーバラの真実の手紙が燃やされてしまったこと…主人公がこの先自分自身と向き合って気づく時間や物や人はもうないんだと暗雲が微かに匂わされていて、終わり方に感心してしまった。良い本でした。
あのとき主人公がきちんと贖罪して改めていたら…という想像の余白をこれから何度か考えてしまいそう
Posted by ブクログ
初アガサ・クリスティ
この主人公は長年何をしてきたんだろうかと……
人の言葉や思いにずーーーーっと向き合わずにきたジョーン
そのつけがラストにきてる
自分勝手な幸福論を押し付けてきた結果、きっと誰にも幸せを願われずにいくんだろうな
子供のために主人のために
その奥にあるのは変化を恐れる自分のため
なんてプア・リトル・ジョーン
勇気を持ち合わせないプア・リトル・ジョーン
せっかくの回心のチャンスを与えられたというのに
最後のエピローグの最後の一文
一番愛している人間にそんなことを思われているとは
なんて哀れなプア・リトル・ジョーン
Posted by ブクログ
アガサ・クリスティの『春にして君を離れ』は,ミステリーではなく,一人の女性が自分の人生を振り返り,思いもよらない事実に直面していく物語である。主人公ジョーンは「完璧な妻であり母」という自負を持ち,なかなか来ない鉄道を待つ間に過去を省みる。その過程で彼女は,夫からも子どもからも,そして誰からも本当には愛されていないのではないかという恐怖に突き当たる。
ジョーンは世間体を基準に人の生き方を決めつけてきた。夫の仕事や子どもの結婚相手でさえ,「この人のため」と思い込みつつ,実際は自分の価値観を押しつけてきた。しかしそれを本人は善意だと信じている。そして,自分の作り上げた小さな世界に満足するために,他人の心の機微を無視し,気づきたくない現実からは目を逸らす。だから,レスリーの死を語るときに夫ロドニーが沈黙した理由を「癌の話題は誰でも避けたいもの」と皮相的に解釈するなど,やり取りのずれに気づかない。読者には明らかに違和感があるのに,ジョーン自身は無自覚のまま過ごしている。この姿は,ギルビー校長が語った「苦痛を回避するために,手っ取り早く皮相的な判断を下す人間」にそのまま重なる。
物語が進むにつれて,ジョーンは人々の発言や態度を思い返し,「あれは自分を嫌っていたのだ」「あの人は自分に呆れていたのだ」と,まるで伏線を回収するかのように気づいていく。その瞬間の積み重ねが読者の胸を突き刺す。特に,「この人には何を言っても無駄」と周囲が判断し,表面上の穏やかさだけを保っている描写には,あまりにもリアルな冷たさがあった。無関心こそが最も残酷な態度だと突きつけられる感覚に,心臓が悪くなるほどだった。
ただ,ジョーンを全面的に断罪できるかというと,それも違う。夫ロドニーの農場への夢を「くだらない」と切り捨て,弁護士としての安定を強いたのは彼女だが,実際に夫に寄り添ったレスリーは,農業の疲労と貧困の中で早死にしてしまった。「よき妻」であったはずのレスリーの最期を考えると,ジョーンのやり方だけが間違っていたとも言い切れない。この曖昧さがまた,物語の不気味な現実味を強めている。
やがてジョーンは,絶望の中で「赦しを乞おう」と決意する。しかし,イギリスの我が家に帰れば,その思いは霧のように消えてしまう。公爵夫人の言葉どおり,ジョーンは聖人ではなくただの人間だからだ。読後に残るのは,人間の弱さと,そして「自分も同じように周囲から見限られているのではないか」という得体の知れない恐怖である。その恐怖があまりにリアルで,だからこそこの小説は読み終えても心に居座り続ける。
Posted by ブクログ
主人公のジョーンが、一人旅により自分の半生を振り返る物語。優しい夫と3人の子供たちに恵まれ、人生に充実感を得ていたジョーン。砂漠地帯で電車が止まり、本も読み尽くしてやることがなくなったことから、自分が正しいと信じ続け、夫や子供たちの生き方をも決める自分の身勝手さに気付いていく。
特に愛する夫の人生を奪っていることに猛省し、赦しを乞おうと動き始めた電車に乗るも、家に近付くにつれどんどん『いつもの自分』を取り戻してしまう。
夫より先に家に到着し、謝るか、いつも通り振る舞うかの2択で悩んだ結果、後者を選んだことが残念だった。
ジョーンも悪いが、夫であるロドニーも、子供たちも、もう少しジョーンと対話をすればよかったのだ。(おそらくあきらめてしまったのだが…)
これは反面教師にすべきだし、人生を迷わないために繰り返し読むべきだと思う。なんとも哀しい物語。
Posted by ブクログ
アガサ・クリスティーがメアリ・ウェストマコット名義で発表した『春にして君を離れ(Absent in the Spring)』は、彼女の作家人生のなかでも特に内省的で、個人的色彩の濃い作品である。1944年の刊行当時、クリスティーは第二次世界大戦下という不安定な時代の只中にあり、50歳を超えて人生の折り返し地点を迎えていた。当時クリスティーはすでに「ミステリの女王」としての地位を確立していたが、その一方で、プライベートでは二度目の結婚生活を送りながら、自身の女性としての在り方や人間関係について内省的な時間を過ごしていた。
物語は、旅の途中で孤立を強いられた中年女性ジョーンが、ふとした空白の時間のなかで自分の人生これまでの人生を見つめ直すというシンプルな構造をもつ。しかし、回想するにつれて、ジョーンがこれまで信じてきた「良き妻」「良き母」としての自己像は、実のところ自己満足や独善に過ぎなかったという残酷な真実が明らかになっていく。
クリスティーは本作について、自伝のなかでこう記している。「これは誠実に、真心を込めて書かれました。私が書こうと意図したとおりに書けた作品であり、それこそが作家にとって最も誇らしい喜びなのです(和訳)」(An Autobiography, Agatha Christie)。さらに同書で、「彼女(ジョーン)は絶えず自分自身に出会うことになる。ただし、それが自分だとはわからず、次第に居心地の悪さだけが募っていくのです(和訳)」とも語っている。
興味深いのは、ジョーンが自己の欺瞞に気づきながらも、根本的な変化は起きず、再び日常へと戻っていくという結末である。ここでは、変わることの困難さ、人間の保守的な心理が淡々と描写されている。この静かな終幕が、読後に深い余韻を残す。
『春にして君を離れ』には、謎も事件もない。それでも、心の奥底に潜む暗がりを見つめるという意味ではクリスティーの他のどの作品よりも深く刺さる読書体験を提供してくれる。映像化されていないこの作品は、クリスティーの知られざるもう一つの顔を示す貴重な一冊であり、ミステリの名声とは異なるかたちで彼女の文学的真価を物語っている。
Posted by ブクログ
読んでいる間ずっとしんどかった。
独善的で視野が狭くて、自分が見たいものしか見ようとしない。自分が良いと信じることを、他人も良いと信じると疑わない。なので無邪気に他人に自分の思想を押し付ける。コントロールしようとする。
今の自分の人生のスタンスとは対極すぎて、自分語りを読むのがしんどすぎた。
ようやく気づいたのに、気づかないふりをしたジョーン。こういう性質の彼女と暮らし続けるロドリーと彼女を避け当然のように出て行ったエイヴリル、バーバラ、トニー。
Posted by ブクログ
自分の思い込みで周りの意見を取り入れようとせず、価値観を押し付けてきた主人公は、最後の最後まで変わらなかった。
夫は被害者なのだが、彼の『休暇が終わってしまった』というメッセージなど痛烈に刺さる
Posted by ブクログ
初めてアガサ・クリスティーを読んだ。
ジョーンの傲慢たるや。他人のため、と言って自分が気持ちいいだけの都合を強いてくる人ほど厄介なものはない。解説には、ジョーンに掛け合ってこなかった家族についても責任があると書かれていて、それはそう思いつつも、結局ジョーンが全く耳を貸さなかったから、全員諦めて、ジョーンは変わらないままだったんだろうなと思う。ギルビー、ブランチ、サーシャからも示唆されているのに気付かず。そんな自分の考えを転換できるチャンスを一度は手にしたものの、間際で破り捨ててしまった勇気のないジョーン。本当に気の毒でかわいそう。